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#3254 音読は面白い!:脳は並列処理をしている  Mar. 10, 2016   [47.1 読み]

  前回#3253「難関大学攻略:教育の地域格差と教育・受験戦略」で、集中と分散という方向の真逆な脳の並列処理、脳のコントロールについてちょっとだけ触れましたので、音読を例にとり、二つの集中力というタイプの脳の使い方を中心にして、集中型と分散型の同時並列処理にまで具体例で説明したいと思います。
*#3253⇒http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-03-08

<音読トレーニングの実際>
 中学生に音読トレーニングしていると興味深い現象に遭遇します。
 具体例で説明します。昨日は、『国家の品格』の108-124ページを読みました。
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「古池や 蛙飛び込む 水の音」という、日本人なら誰でも知っている芭蕉の句があり/ますね。日本人なら、森閑としたどこかの境内の古池に、蛙が一匹ポチョンと飛び込む/光景を想像できる。その静けさを感じ取ることができます。しかし、日本以外の多くの/国では、古い池の中に蛙がドバドバドバッと集団で飛び込む光景を想像するらしい。こ/れでは、情緒も何もあったものではない。  110ページ
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 一列に並ぶ文字数が本とこのブログでは異なるので、本の改行の箇所にスラッシュを入れておきました。
 
 一つ目の改行のところの直前を読みながら、同時に次の行を先読みしなければ、スムーズに音読できません。生徒の脳の中では声に出して「芭蕉の句が・・・」と読みながら、眼は次の行へ移って黙読しています。目で見た句を脳内に保持してそれを音読しながら、少し先の文をつねに黙読しているのです。 並列処理が脳内でスムーズに行われなければ、初見の本の音読をよどみなく続けることができません。
 最初の改行の手前「日本人なら誰でも・・・」という箇所を読みながら、視線を次の行の先頭へ移して先読み(黙読)しますから、声に出して読み上げている部分は見ていません、脳内に短い句を記憶してそれを読み上げています。
 生徒は二つ目の改行の後の「しかし、日本以外の多くは・・・」というところに来たときに、「日本人以外の多くは」と読み間違えました。脳内に少し前に読んだ「日本人なら・・・」という句が残っていて、混戦を起こし、文を眼でよく見ずに思い込みで読み間違えたのでしょう。短い句を脳内にコピーして読み上げるので、近辺で記憶した句がこのように混ざることがあります。ページを意識して各場所を変更しなければならないのですが、慣れていないと直前のページの句が影響を与えてしまいます。
 先読みをちゃんとしようと意識しすぎると、現在音読している箇所への注意が散漫になります。このように音読している箇所をちゃんと見て読み上げながら、少し先の文を黙読するのはなかなかたいへんです。

 生徒に読ませて、観察していると、自分が知っている語彙への置き換えが時々起きています。ストックにない語彙が出てきたり、ほとんど使わない語彙が出てくるときだけでなく、知っている語彙のときにも置き換えが生じます。
 先読みするときに、意味まで押さえていないから、声に出している箇所を読み間違えるのだと思います。
 高校2年生の現代国語の教科書に採録されているテクストは難解な文章語彙のオンパレードです。おまけに高度な論理を駆使した評論もありますから、こうした文章を読むときにはそれまでとは比較にならぬほど、意味解析で脳に負荷がかかります。その話は、またしますが、今日のところは『国家の品格』の文を例に挙げて観察したところを述べます。

 整理すると、声に出している箇所は脳内に書き込んだものを読んでいます。眼は先読みしているのですが、そのときに意味まで追って読めないと、適切な区切りかたができなかったり、読み違いが生じます。とくに次の文が漢字が混じらない平仮名で10文字くらいも続くと、どこで区切っていいのか、意味まで先読みできなければ、読みが一時停滞します。適当に漢字と仮名が混じることで日本語の文は読みやすくなっていますが、平仮名が連続すると途端に難易度が増してしまいます。 
 平仮名の連続の文は、そこで速度が落ちるだけですが、どのような事情があれ、語彙を読み違えると文の意味を正しく理解できません。とくに、「てにをは」を脱落させたり、異なるものに置き換えたりした場合は、チンプンカンプンになることがあります。
 たとえば、「日本以外の多くの国では」を「日本以外の多くの国でも」と助詞を読み違えたら、文意が違ってしまいます。漢字の置き換えも同様の結果をもたらします。慣れてくると、音読しながら、前後の二つの文の意味を比較しながら、整合性をチェックしつつ読めます。さらにそのスパンを広げて段落ごとの論理展開をチェックしながら読むことすらできるようになります。先読みといま読んでいる箇所に意識を集中しつつ、文相互の関係に意識を分散させて読みます。
 まずは精確に読むことを優先しますが、どの程度の読み違いをしているかは、音読させてチェックしないとわかりません。「読みのトレーニング」はとても重要ですが、そういうトレーニングが学校教育でなされることがありません。
(江戸時代には素読という音読文化がありましたが、学校教育が普及すると明治期以降廃れてしまいました。素読は江戸期の私塾で広く行われていましたから、わたしは中学生を相手に、そうした文化を形を変えて伝承したいのです。)

 国語のテストでも、数学のテストでも、問題文を速く精確に読める生徒は誤読してしまう生徒よりも点数が高くなるのは当然です。
 音読を速く精確にできるという人は、脳内で次の3通りの処理を同時にしていることになります。

①いま声に出して読んでいる箇所は脳内に記憶してそれを読み上げる
②眼で先読みする
③先読みした句の文節の区切りを確認して意味を理解し、いま声に出して読んでいる箇所と意味の整合性をチェックする

 音読はどうやら脳をフル回転させているようです。脳内が三つの並列処理を楽々できるようになれば、学力全般が上がるでしょうね。③で意味の整合性に違和感が生じれば、さっと確認しますが、ダメとなったら流れを止めてチェックです。
 「読み・書き・そろばん(計算)」といいますから、三つの技能を人の1.5倍速く精確にできる生徒は基礎学力の点で圧倒的に有利です。

<他の科目への影響大>
 社会や理科も教科書や参考書そして問題集はすべて日本語で書かれていますから、読む技能に秀でている生徒は、これらの科目の理解も速くて精確になります。つまり、短時間の勉強でより大きい効果をあげられるということになります。
 読むたびに無意識に脳内で並列処理をしてしまうので、高速で脳を駆使することに慣れてしまうようです。
 並列処理に慣れると、問題文の読解や計算に意識を集中しながら、どこかへんなところがないか意識を分散させてチェックできるようになります。ミスがあると、ある種の違和感が警告音を発します。第六感 sixth sense が働くようになります。

<繰り返す⇒習慣になる⇒鋳型ができる>
 脳は毎日使いますから、並列処理をその都度どのパターンでやっているか意識すると、次第に脳の操作に慣れてきます。集中しながら分散思考するという、矛盾したように聞こえる脳の使い方ができるようになります。あんがい脳は柔軟なのです。
 いくつ並列処理できるか試してみたらいかがですか?

<無意識を利用する>
 数学の難問題も数問、頭の中に放り込んでおいて、ときどき引っ張り出しているうちに、正解がひらめきます。入れて溜め込んでおくと、交感神経が静まったときに、無意識下で脳が処理してしまうような気がします。

<non-A&Bタイプ>
 今日は音読トレーニングで16ページ読みました。一段落ずつ生徒と交替で読みます。ナショナリズムとパトリオティズム(郷土愛)、武士道精神がとりあげられていたので、頻繁に解説を入れました。
  音読トレーニングをしていた生徒は、読書が好きではありません。とくに小説や文学作品が好きではないのです。言葉からイメージがわかないそうで、つまらないというのが本人の弁です。non-A&B型のタイプです。論説文は嫌いではありません。このように書くと、成績が振るわない生徒と誤解があるといけません、この生徒は1年間通して7回のテストですべて学年トップでした。五科目合計点は幸いなことに学年末テストが一番点数が高かった。しっかり成長しました。
 しかし、高校2年になったときに、現代国語に採録されている数々の名文はいまのままではとても読みこなせません。抛っておいたら国語の力が大学受験前に限界にぶつかるので、音読トレーニングで脳の使い方を伝授してワクチンを打っておこうというわけです。
 純文学や古典文学、そしてすぐれた評論、さらに自然科学や哲学や経済学関係の本まで、順次レベルを上げながら15冊程度を精選して音読トレーニングを続けるつもりです。どこかで興味のある分野が見つかるでしょうから、そこからは自分の興味で濫読することになればいい。そこが見極められたら、この生徒に対するわたしの音読トレーニング授業は終わりです。

<なぜ自分で教えているのか>
 50歳を過ぎてふるさとに戻り、2002年12月から私塾を営んでいますが、わたしがもう一度中学生か高校生に戻れたら通いたいと思える塾が目標です。だんだん近づいています。
 ふるさとの子どもたちに教えることは、わたしにとっては仕事であると同時に、18歳まで育ててくれた根室のさまざまな職業の大人たちへの恩返しであり、そして楽しい遊びです。


<余談:イメージ化能力>
 #2749より抜粋
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/archive/c2304641171-1
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#2734 イメージの力(4):言葉のイメージ化トレーニング July 16, 2014より抜粋
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-07-16
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 言葉からイメージを創れるタイプをA型、創れないタイプをnon-A型、数直線や図形を頭の中に想い浮かべて処理することができるタイプをB型、それができないタイプをnon-B型と分類したい。
 もう一つ特別なタイプがある。文章を読みながら諸概念を構造物のようにイメージできる能力がそれである。言葉と言葉、異なる専門用語同士の関係を立体構造物を眺めるようにイメージできる能力をもつ者は稀だ。この能力をもつ者は、もたない者としばしば会話が成立たない。なぜか?同じイメージを共有できないからである。

 A型 ⇔ non-A型
 B型 ⇔ non-B型
 C型 ⇔ non-C型

 3組で各組2つだから、全部の組み合わせは2^3=8である。学力の点から言うと、
 non-A & non-B & nonC ⇒ 最弱
 A & B & C ⇒ 最強
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<イメージ化能力の発展段階に応じた教育>
 三つのイメージ化能力から学校教育のあり方を考えると、小学校では言葉のもつイメージを脳内につくりあげる能力を磨くために、日本語の良質のテクストを大量に読ませるべきだろう。小学校低学年では理科や社会科を外して日本語テクストをたくさん読むべきだ。
(数学の巨人の岡潔は晩年にこの国の教育を憂えて教育関係の著作をいくつも書いたが、小学校低学年では理科や社会はやる必要がない、「読み・書き・計算」を徹底すべきだと説いている。)
 中学校の段階では図形のイメージ化能力を重点的にトレーニングさせたい。高校生には概念のイメージ化能力を育成するために、哲学を必修科目とすべきだ。



<関連テーマ>
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*#2597 イメージの力(3):Aとnon-A型について  Feb. 16, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-16-2

*#2595 イメージの力(2): 8タイプに分類 Feb.16, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-16

*#2593 イメージの力(1):ピアニスト&作曲家加古隆の原風景 Feb.14, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-14

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