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#3234 2月8日は日露戦争開戦の日  Feb.11, 2016 [44. 本を読む]

 昨日の日中は気温がプラスで雪が融けていました。桂木の浜には、大鷲が20羽ほどとオジロワシが一羽飛んでいました。こんなに多いことはめったにありません。大鷲はあんがいものぐさで、木の上や丘の上の原っぱにじっとしています。

 1904年(明治37年)2月8日は日本とロシア帝国が戦争に突入した歴史的な記念日です。これが世界史上画期的な出来事であったことを、中学校の歴史科目でも、高校の日本史でも教えていません。有色人種の国が白人の帝国に戦争で初めて勝利したのです。この戦に勝利できなければ、いまでもアジアのすべての国が白人帝国の植民地だったでしょう。すべての戦争が悪ではない、子孫のためにそしてアジアの同胞のために戦わねばならない戦争もありました。
 ナポレオン軍ですら、ロシア帝国へ侵攻すれども敗れています。
 下瀬火薬と秋山好古の機関銃を装備した騎兵の運用という発明があっての勝利でした。

 渡部昇一『日本、そして日本人の「夢」と矜持』がその辺りを鮮やかに解説しているので紹介します。

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 日露戦争がなかったら、あるいは日露戦争に日本が負けていたならば、この白人優位の世界史のながれはずっと変わらず、二十一世紀を迎えようとしている今日でも、世界中は植民地と人種差別に満ちていたであろうということには、毫毛の疑いもない。
 ところが、日露戦争で日本が勝ったために、コロンブス以来四百年ぶりに、世界の歴史の大きな流れが変わったのである。つまり、有色人種が白人のいいなりになりつづけるという時代に終止符が打たれた。それを日本が満天下に示したのである。
 そして、時間が経てば経つほど、誰の目にも日露戦争の世界史的意義は大きくなってくるのである。再び繰り返すが、ここ500年間の世界史の事件で、コロンブスの新大陸発見に匹敵する大事件は、日露戦争における日本の勝利しかない。  132ページ
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*下瀬火薬 ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E7%80%AC%E7%81%AB%E8%96%AC
「ピクリン酸は1771年ドイツ染料として発明され、その100年後に爆発性が発見された。猛烈な爆薬であるが、同時に消毒液としての効果もある。 しかしピクリン酸は容易に金属と化学結合して変化してしまう為、鋭敏な化合物を維持する点で実用上の困難があった。下瀬雅充は弾体内壁にを塗り、さらに内壁とピクリン酸の間にワックスを注入してこの問題を解決した[1]。なお、日本海軍規格の下瀬火薬/下瀬爆薬は、ほぼ純粋なピクリン酸である[2][3]。 爆薬として用いた場合の爆速は7,800m/s。」

「日本海軍は1893年にこの火薬を採用し、下瀬火薬と名付け(後に下瀬爆薬と改称)、炸薬として砲弾魚雷機雷爆雷に用いた。これは日清戦争(1894年-1895年)には間に合わなかったが、日露戦争(1904年-1905年)で大いに活躍した。海軍はただでさえ威力の大きな下瀬火薬を多量に砲弾に詰め、また鋭敏な信管伊集院信管)を用いて榴弾として用いた。敵艦の防御甲鈑を貫通する能力は不十分だったが、破壊力の高さと化学反応性(焼夷性)の高さから、非装甲部と乗組員に大きな被害を与えた。[4]明治38年(1905年)5月27日の日本海海戦ロシアバルチック艦隊を粉砕した一因は下瀬火薬である。」

*秋山好古
http://www.sakanouenokumo.com/yosihuru.htm
 司馬遼太郎の『坂の上の雲』の登場人物である。正岡子規や夏目漱石と同時代人。

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