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#3233 棟梁との対話:「大工のなり手がいなくなった」  Feb. 10, 2016 [A8. つれづれなるままに…]

 教室に使っている2階の部屋のドアが開閉のたびに床板をこすっていた。気になったので棟梁に電話をしたら、「すぐいくよ」と二つ返事。
 道路角の雪をどけていたら、大工道具を積んだ軽四がとまった。車庫前に車を止めて棟梁が降りてくる。
 2階へ上がってドアの状態を確認したあと、ドアを外した。持ち上げると蝶番が外れるような仕掛けになっている。玄関に敷いてある1畳の絨毯をもってきて、その上にドアを横倒しにし、引きずっていたドアの下部を鉋で削った。刃を長めに出してあるから、削るのに力が要る。

K:「力がなくなった、一気に削れない」
T:「それだけ刃を出しても、削れたんだ」

 30cmほどの長さを2回に分けて何度か削った。厚い鉋屑が絨毯の上にたまっていく。

K:「よし、こんなものでいい」

 ドアを入れなおして閉めたが、カチッときちんととまらない。まえから冬になるとラッチボルトが受け側のトロヨケの下部に当たるので持ち上げ気味にしないと、ラッチボルトが受け穴に入らない。直せそうか診断を仰ぐ。

*鍵の部品名称
http://www.miwa-lock.co.jp/lock_day/glossary/lock/12.html

 壁側のトロヨケ取り付け位置を下げると、5mmほど隙間が空いて疵になる。5mm下げないといまあるネジ穴の方へネジが曲がって入るのでダメ。
 疵になっても構わないから下げてくれと伝えたら、金具を外して車から鑿(のみ)をもってきて削り始めた。老眼鏡をかけて、手元がはっきりしなくなったとぼやきながら仕事をしている。昔に比べたら鑿の研ぎがちょっと甘そうだ。

T:「カズオさん、まだ鑿を研ぐことあるんだ」
K:「ほとんどないよ」
T:「とっくに息子の代だから、やらないんだ」
K:「そうじゃなくって、鑿はほとんど使わないんだ」
T:「じゃあ、修行中の大工さんはどこで鑿の使い方覚えるの?」

 工場でカットした材料が来るから、現場で鑿を使うことがほとんどないという。
K:「トシ、いまでは墨付けもしないんだ」
T:「カズオさん、材料に墨付けできるようになって一人前だろう?」
K:「そうなんだが、それも不要だ」
T:「墨壺からピンのついた糸を引っ張り出して材料の端に止める、そして墨壺を引っ張って、指ではじくと、糸の音がして、まっすぐな線が残る。あれは一発勝負だから格好がよい。いまの大工さんは鉋や鑿などの刃物の研ぎ方、墨付けの修行をしないの?」
K:「修行どころか、大工のなり手がいない」

 カズオさんはいい手をしている、ごつくて太い指だ。大工は長年の修行で大工の手になる。

 いやな事や辛いことでも、必要なことは五年・十年続けて技を身体に覚えこませなければ一人前の職人にはなれない。手を見たら修行した職人の手はすぐにそれと判別がつくものである。半端な修行をした半人前の職人の手はごつくない。

 部活には一生懸命でも、嫌いな科目、あるいは勉強そのものが必要なのにやれない子どもたちが増えている。一人前の手をもつ職人はこれから激減するのではないだろうか?職人は技を盗まなければならないから、物事を細かく観察し、親方のやり方をひたすら真似て、まねるためにさまざまな工夫をしなければならない。

 工場でカットした材料を組み立てるだけでは、技術が上がらない。使う刃物を研いで、自分の道具を使って仕事をしてこそ腕は上がる。外食産業では工場で調理した材料をお店で混ぜてフライパンを振るだけ、あれでは腕が上がらない。材料の選び方や、下処理の仕方を学ぶ機会がない。材料選びから、魚や肉や野菜を自分でカットして味付けをしなければ、料理人の腕は上がらぬ。材料の選び方も知らず、味付けもできず、包丁も研げないのがほとんどの外食産業の店長である、これでは将来独立して自分のお店をもつことができない、大手資本の奴隷のまま使い捨てになるだけ。
 日本の職人文化は大丈夫か?

 雑談をしながら、小一時間でドアは、カチャリと音を残して閉まるようになった。ノブを前後に動かしても、ガタツキがない。

T:「この家は平成元年にカズオさんに建ててもらったから、27年目だ」
K:「そんなにたったかい」
T:「カズオさん、いくつになる?」
K:「70歳だ、父さんが亡くなったのはいくつだった?」
T:「72歳だったな」
K:「あと2年か」
T:「大丈夫だ、きっともうすこしあるよ、でも身体は正直だ、俺も66歳、年々あちこちがポンコツになっていく」
K:「元気に動けるうちが花だ」
T:「今日はどうもありがとう」
K:「具合の悪いことがあったらすぐに来るよ」

 2年ぶりで棟梁にあった。元気な顔を見て元気をもらった。棟梁は10代のころから知っているし、棟梁の奥さんはebisuと花咲小学校の同級生だ。ふるさとで暮らすとはそういうことだ。


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tsuguo-kodera

 良い話をありがとうございます。棟梁は70、私も70、妻は66。良い話は身に沁みます。すがすがしい気持ちになります。今日もバドで頑張ります。
 しかし、私には故郷はありません。私も妻も育った町から2時間近く離れて住んでいます。幼馴染の近況は分かりません。同級生の近況がかろうじて分かるだけ。
 私たちがいずれかの、育った町に住んでいたら全く違う生き方になるでしょう。私たちは15年前から今のこの町でゼロの人間関係から知り合いを増やすことになったからです。その前も、その前も、その前もです。
 人間関係を築く力が楽にいきるためにやくだつとしみじみと実感しています。自慢になるのは勘弁して欲しいのですが、甘えるだけで生きてきた生き方は役立って居ます。(笑)
 ここでふと前回のコメントバックを思い出しました。私を処遇する仕組みが日本の会社に必要かもしれないとあったようですが、私は人や会社に処遇されること自体が嫌いなのでしょう。上手く表現できませんが。
 どの国でも、どの時代でも処遇されること自体を好きになれないのです。しばらくはいいのですが、評価されはじめると重荷になるのかも。
 おさらばし、ゼロに戻った時のすがすがしい気持ちになれるためには、古い町や会社や学校や人間関係をすてるのもやぶさかではありませんでした。
 だからこそどんな人とも一期一会で接していますし、いました。管理人様とも、できそこないの生徒さんとも、はたまた公園で出会う子供ともおばあさんともです。だから人生楽しいのです。南無阿弥陀仏と言うしかありません。
by tsuguo-kodera (2016-02-10 05:30) 

ebisu

おはようございます。

夜中にやんだ雪がまた降り始めました。気温が高い(マイナス0.4度)ので、雪の結晶が大きい。一汗かいていい気分です。
雪かきするたびに、生きていることが実感できます。

郡山の臨床検査会社に1億円の資本提携交渉をまとめて出向したことがありました。
会社の隣が温泉の銭湯でした。毎朝6時にお風呂に使ってのんびり食事を済ませ、9時10分前になったら家をでる。会社には9時5分前に到着です。
東京で仕事していたときは8時か8時半には会社についていたので、同じ流儀でやっていたら、出向先の社長から叱られました。
「ebisuさんが8時に来ると回りもそれにあわせざるをえなくなるから、出勤はぎりぎりでいいよ。」

赤字の会社を立て直す約束での出向でしたから、出向前に分析した資料と現場を突き合わせながら、具体案を作り始めたところだったのですが、なるほどと思ったので、5分前の出勤にきりかえました。

1年もたったころに具体案ができたので、親会社の社長と副社長にレポートを送付して了解をもらったあたりで、郡山が第2のふるさとにおもえてきました。ここに墓を作ってもいいな、なんとなくそう感じたのです。

30歳代半ばで家を購入して住み慣れた日野市もわたしにとってはふるさとです。
ようするにいま住んでいるところがふるさと。

>おさらばし、ゼロに戻った時のすがすがしい気持ちになれるためには、古い町や会社や学校や人間関係をすてるのもやぶさかではありませんでした。

三度転職しましたが、同感です。リセットしてゼロからはじめるのはなかなかすがすがしい気分があります。冒険の旅に出るのはどきどきです、もちろんときに痛みもありました。

>だからこそどんな人とも一期一会で接していますし、いました。管理人様とも、できそこないの生徒さんとも、はたまた公園で出会う子供ともおばあさんともです。だから人生楽しいのです。南無阿弥陀仏と言うしかありません。

おかげさまで、さわやかな気分になりました。
by ebisu (2016-02-10 08:53) 

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