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#3235 建国記念の日:竹田恒康著『現代語古事記』  Feb.11, 2016 [44. 本を読む]

 日本の建国はいったいいつだろう?
 竹田恒康著『現代語古事記』から引用して紹介する。

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 日本建国を示す神武天皇即位

 大和平定と神武天皇即位は我が国の建国を意味します。現在2月11日は「建国記念の日」という祝日になっていますが、これは『日本書紀』の神武天皇御即位の記述を根拠に、2月11日と定められたものです。
 ヤマト王権は、間もなくヤマト王朝に発展し、その後一度の王朝交代も無く、現在の日本国につながります。そして初代の神武天皇から、現在の第125代の今上天皇(現在の天皇陛下)まで、連綿と高等が継承されているのです。ですから、我が国の建国を祝う日は、神武天皇御即位以外に妥当する日はあり得ないのです。
 したがって、『古事記』が記す神武天皇御即位までの物語は、日本の建国の物語だったことになります。神武天皇がお治めになった橿原宮は最初の皇居であり、我が国最初の都でもあります。これ以降は、天皇の統治がどのように行われてきたか、すなわち、天皇の統治の歴史が記されていきます。
 ところで、『古事記』からは神武天皇御即位の年代を特定することはできませんが、『日本書紀』の記述によれば、紀元前660年(西暦)となります。これには考古学の見地から反論がありますが、逆に考古学の成果では、三輪山周辺に前方後円墳が作られた三世紀初頭がヤマト王権成立の根拠となるため、どれだけ遅く見積もっても、ヤマト王権は三世紀初頭には成立していたことになります。王権成立の兆しが現れた途端に巨大古墳を造営することはほぼ不可能ですから、王権成立のきっかけは、三世紀初頭からだいぶ遡ると考えるべきでしょう。  140ページ
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 2016+660=2676年

<余談:古事記伝>
 社会科の受験問題をやっていた中3の生徒が、「『古事記伝』の筆者は誰だっけ」と隣の生徒に訊いていた。「本居宣長だよ」と問われた生徒が答えたので、本棚にある岩波文庫の『古事記伝(一)』を取り出し、「これがその本だよ、手にとってみたらいい」と渡した。書名を暗記するだけでなく、自分の手にとってページをくくって眺めるだけでもいい。何かが伝わるかもしれない。


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古事記伝 1 (岩波文庫 黄 219-6)

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 わたしは読んでいませんが、「新釈古事記伝」が復刻出版されています。値段が7冊で12,960円です。神様の名前の解説がユニークそうなのでそのうちに購入して読んでみたいと思います。

新釈古事記伝全7巻

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コメント 2

もやしさんま

日本の天皇の系譜については所論アリながらも一般には天智天武の頃からは現代に繋がっているらしいと聞いております。数年前に今の明仁天皇が険悪な日韓関係を危惧してか百済王朝との古代の結び付きに触れた「えにし」発言は、当事者であるこの人達は天皇の事歴史のことよくよく考えているなと思いました。
民主主義の手続きで選ばれた人達の政治がパッとしないと、物心つくかつかないかのうちから国民のための政治をしないといけないと言われて育てられた王様の政治の方がましなのではないかと思う事があります
by もやしさんま (2016-02-13 22:21) 

ebisu

天武天皇の正体が謎です。新羅の王子という説もある。天智天皇の弟でありながら、年上であったという説もあります。でも、そのご称徳天皇までが天武系で、その後は天智の孫の光仁天皇が継いでいますから、天智系に戻っています。
日本書紀の編纂を指示したのは天武天皇ですから、その数代前までは史実でしょう。たとえば、平成天皇の御世ですが、明治天皇の実在と皇統の連続を疑う人は一人もいないでしょう。おそらく天智から五代くらい前までは当時の人々に記憶と言い伝えが広く残っていたのではないでしょうか。

初代の神武天皇も史実がベースになっているのでしょう。天皇家が九州からヤマトへ東征したのは史実とみていい。『古事記』にも東征の過程が描かれています。

聖徳太子と蘇我入鹿は謎だらけですが、存在したことは「聖徳太子」という諡号から明らかです。蘇我氏が「大王」であったようですが、有力豪族ではなく天皇であった可能性があるようです。このあたりは謎だらけです。タイムマシーンに乗ってたしかめにいってみたい。

古代朝鮮との日本の関係については面白い本があります。

室谷克己著『日韓がタブーにする半島の歴史』新潮新書

新羅の南は「倭地」であったことが、『三国志』や『三国史記』から読み取れると74ページに書いてあります。古代朝鮮半島は、朝鮮人と中国人と倭人が混在して住んでいたようで、南側は「倭地」、すなわちヤマト領だったことが中国の『三国志』に書かれているというのです。

前方後円墳についても朝鮮半島のものはヤマトのそれよりも小規模で、時代も200年ほど後。これも倭種が住んでいた証拠。

米の伝播も朝鮮経由でヤマトへ来たのではなく、遺伝子解析の結果、南方から日本へ、そして朝鮮半島へもたらされたことがはっきりしています。

白村江の戦いで敗れてたくさんの人が日本へ帰化しましたが、帰化人が言葉に不自由したということを書いた書物はありません。おそらく朝鮮半島で日本語を話していたのです。
帰化人という語彙も、日本に帰ってきたという意味が含まれています。

朝鮮半島や日本古代史はとっても面白そうです。著者の室谷氏は朝鮮語に堪能ですから、朝鮮の文献も多数渉猟しています。
半島南部に残った倭種は朝鮮族に溶解してしまったのでしょう。したがって、朝鮮半島の人々とわたしたちは、非常に近い血縁関係にあるようです。
歴史を学んで、もっともっと仲良くしたいものです。
by ebisu (2016-02-14 01:15) 

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