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#3075 東野圭吾『卒業』を読む  July 10. 2015 [44. 本を読む]

<更新情報>
7/11 8時30分 編集

 高校生から、「先生、面白かったからこれ貸してあげる、読んでみたら?」と言われ、勧められるままに文庫本を借りて読んだ。元の単行本は昭和61年に出版されている。1986年だから29年前の作品。

  主人公の相原沙都子とその仲間たちは同じ高校の出身で、地方の国立T大学へ進学した。ボーイフレンドの加賀恭一郎は沙都子と高校時代から同じ剣道部に所属、剣道一途で全国大会で念願の優勝を果たす。
 県内大会優勝確実と思われていた沙都子の親友の金井波香はなぜか決勝戦でS大の三島亮子に敗れる。女剣士の頂点を目指してきた波香はそのあとで何かに気がつき、あちこちを調べ回っていた。これが事件Bの伏線になっている。沙都子は親友の波香が何を調べまわっているのかさっぱりわからない、ただ、剣道部の後輩に部員の履歴書があったら見せろと頓珍漢な要求をしたことだけ耳にしている。そんなところへ同じグループの友人の牧村祥子が死ぬ(事件A)。
 祥子は藤堂正彦の恋人であり、波香の隣の部屋に住んでいた。自殺か他殺か警察も両方の可能性ありと捜査を始める。加賀の父親は警察官、どこか父親に似たところがあるのか嗅覚が鋭く、事件に興味をもち自殺か他殺か友人の死の真相が知りたくて捜査し始める。小説の冒頭で加賀は沙都子に「結婚したい」と自分の意志を一方的に表明している。返事はいらないという、自分の気持ちを伝えたかったと言い添えた。沙都子に否やはないはずだが、なぜか返事に躊躇している。「卒業するまでには・・・」。
 もう二人重要な登場人物がいる。テニス部の若生(わこう)勇と伊沢華江である。同じ高校の出身で大学生になって付き合っている。その役回りは、加賀恭一郎の謎解きの部分を読んでもらいたい。

 この人の作品を読むのは2冊目だが、実によく計算されているようにわたしには見える。絵の具を塗る前に何枚もデッサンがなされたのではないだろうか。デッサンが細部までなされた結果、それが作品の骨格を確実なものに仕上げているように見える、職人仕事といってよい。デッサンに忠実に肉付けして作品を仕上げていく力技にも感心する。小説を書きたいと思う人にはオーソドックスな意味で参考になる本だとわたしは感じた。デッサンをせずにいきなり書き始める夢枕獏の書き方が東野圭吾の対極にある(夢枕氏の場合は、主人公が勝手にストーリーをつむぎ出す)。
 紋切り型ではない東野氏独特の表現が時々顔を出すので、それを見つけるのも楽しみで、たとえば、次のような文がそうだ。

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 そのときドアが開いて、藤堂が姿を見せた。
「待たせたな」と感情のこもらない声で言う。表情の変え方を忘れてしまったのかと思うほど、彼の顔は大雨の前のように曇ったきりだった。 ・・・p.38

 加賀はバリバリに乾いた唇を舌で舐めながら藤堂の様子をうかがった。藤堂はまるで彼の話を訊いていないかのように、何の反応も示さない。駅のホームに立って、最終電車を待っているような調子だ。 ・・・p.320

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 少し表現が硬いようにも感じられるが、「東野風」でいい。

 結婚したいと加賀が沙都子に言い放ってからしばらくして、高校時代の恩師で茶道の師匠でもある南沢雅子を訪ねてお茶を飲むシーンで、ラストへの伏線が引かれる。相原沙都子の両親のところへ挨拶に行く時期を加賀が先生に問われて、次のように答えるのだが、横で話を聞いている沙都子の切り返しがいい。返事は決まっているのだが、じらすのである。恋の駆け引きだったはずが、切り返しの言葉が予想もしない結末になる。

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 二口目を味わっていた彼は茶碗から顔を上げた。そして隣の沙都子を見た。彼女は知らない顔をしている。彼は答えた。
「自分の希望がこうだと言ったまでです。彼女にそれを要求したのではないし、回答を求めたのでもありません」
「回答は出すわ」
沙都子が言った。「卒業までには必ず
「卒業まで・・・か」
加賀はため息をついた。「まるで何かいいことでもあるみたいに思っているんだな。卒業したら過去が消えるとでも考えているのかい?」 
・・・p.289
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 卒業で何かが変わるわけではないから、いま結論を出したって同じだからいいだろうと、加賀が促している。高校時代からの友人の祥子が殺され、ついで親友の波香が殺されている。全員が高校時代に南沢雅子に茶道の手ほどきを受けており、悩みがあると各自がこうして師匠の雅子を訪れお茶を飲みながら悩みを打ち明けていた。茶道の師匠である雅子の洞察はこころの奥深くまで届く。
 「卒業までには必ず」と沙都子が言ったことが別のシーンで加賀に利用される。今度は加賀が沙都子に事件の解決の時期を問われて、「卒業までには」と答えるのである。ジグゾーパズルの最後のピースのようにしっかりはめ込まれるようにつくられている。そこら辺りが職人技で、東野氏はこういうことが実に上手だ。

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「はっきりしたら必ず連絡するさ。今度話するときは、すべての謎が解けた時だと考えてもらってかまわない。それまでは決して電話しないさ。正直言って、沙都子の家に電話するのは苦手だしな」
 沙都子が何か反論しようとした時、電車はちょうど彼女が降りるべき駅に到着した。彼女は膨れっ面をして立ち上がりながら、「いつごろになるの?」と訊いた。
卒業までには必ず
そして加賀はにっこりと笑って見せた。沙都子は彼の方を睨みつけながら車両を降りた。
・・・p.292
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 恋の駆け引きで、「技あり」をとられた加賀が、今度は「一本」とり返した。加賀が「にっこり笑って見せた」のは頭の中に剣道の試合がイメージにあったからだろう。さあ、試合はイーブン。

 ラストシーンが秀逸だ。何も解説せずにさらりと、余韻のある終わり方をしている。加賀の父親は警官である。母親は仕事に没頭してほとんど家に帰ってこない夫に愛想をつかして家を出ていってしまった。加賀は凄腕の佐山刑事よりも鋭い勘と観察力で事件の真相に先にたどり着いてしまう。大学剣道の全国大会で優勝した加賀が、自分と結婚したら、躊躇なく教師の道を選ぶと沙都子は確信している。沙都子と幸せな家庭を築くために加賀は警官の道を断念する。ところが加賀は刑事として捜査に特別な才能をもった人間であることを沙都子は友人の自殺と殺人事件を通して知ってしまった。こうして二つの事件が沙都子の判断を変えた。類い稀な加賀の才能を活かすためには結婚できない、愛する加賀の資質の芽を摘みたくなかった。
 なんとも美しく悲しい終わり方ではないか、二人の凛とした心のありようが伝わってくる。オホーツクに沈む大きな落日を眺めるようだ。卒業式の日のこのシーンがラストである。
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「訊いていい?」
 と沙都子は訊いた。いいよと答えるかわりに、加賀はフライド・ポテトを口に入れる手を止めて彼女を見た。
「いまでもあたしと結婚したいと思っている?」
 彼はポテトを口に放りこんだ。「思っているよ」
「そう・・・・・ありがとう」
「残念だな」
「残念だわ」
 ご馳走様と加賀はマスターを呼んだ。代金をカウンターに置いて、彼は椅子から降りた。カウンターの上では、例のピエロが皆から忘れられたまま愛想笑いを浮かべている。サイホンの熱に刺激され、ピエロはほんの少し首を振った。
 ・・・p.365
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 「そう・・・・・ありがとう」、それだけで加賀は沙都子の返事の意味を十全に理解した。間のあき方で感じたのか、声の調子で感じたのかはこれだけでは読み取れない。しかし、加賀には確かに伝わった。二人の阿吽の呼吸を作者はラストシーンで初めて書いた。この二人は大学を卒業するまで付き合っているのにまだエッチもしていないのである。波香も祥子も男女関係には奔放なところがあったのに、沙都子はそうではなかった。こんなすばらしいカップルなのに、・・・「残念だな」「残念だわ」、というのはこのシーンの読み手の感情でもある。読者の心理まで計算して、加賀と沙都子の気持ちに読み手の気持ちを重ねた。計算しつくされているのである。

 このピエロは形状記憶合金でできた針金で作られている。大学の研究室で形状記憶合金をトリックに利用した「永久機関」の製作者が作成したものである。藤堂が祥子の部屋に通うために寮の物置の窓に形状記憶合金で仕掛けをしたのを示唆したくて、同じ研究室の研究生に頼んで加賀がつくってもらった物だ。温度が変わるとピエロは動く。このピエロは事件を解く重要な鍵だった。御用済みのピエロがサイホンの熱にあぶられて、加賀にさようならをいうようにかすかに動いた。


<余談-1: 1986年のころ>
 この本が出版された1986年はSRLへ上場準備要員として入社して2年目、統合会計情報システム(経理及び支払いシステム・購買在庫管理システム・原価計算システム・売上債権管理システム・固定資産管理システムがインターフェイスしていた)のうち、担当した「経理及び支払い管理システム」と「各システム間インターフェイス」を8ヶ月で開発を完了(外部設計書と実務フロー図とテストデータ作成は2ヶ月、各システムとのインターフェイス仕様書は1週間、ベンダーによる内部設計とプログラミングにその後5ヶ月、現行システムとのデータ突合に1ヶ月間を要した)し、ノートラブルで本稼動。その後、新システムで全社の予算編成作業を統括していた。固定資産管理台帳記載の全物件を実地棚卸しして百数十に記載名称を分類、投資予算を入力することで予算減価償却費が計算できるように、固定資産管理システムを作り直した。予算減価償却費が1億円以上も外れて、利益計画がぶれて上場要件に引っかかるので、工夫が必要だった。固定資産の細目分類と名称の統一、そしてあらたな実務デザインが必要だったのである。当時は統合パッケージシステムがまだ出現していなかったから、外部設計書を書いて、全部造り込みだった。統合パッケージシステムを独自開発したようなもの。
 仕事はどれも一区切りがついていた。担当した業務ごとに実務フロー図を作成し、作業マニュアルも作ったから、あとは誰でも引き継げる、そういう時期だった。自分の担当した業務はすべて大幅に変更、システム化できていないものはシステム化し、システム化ができているものは精度を上げると同時に他システムとの連結可能なレベルに作り直し。システム間のインターフェイスを前提にした実務設計が得意だった。
 SRLにいた間は経理部⇒総務部購買課(八王子ラボ)⇒学術開発本部⇒関係会社管理部⇒CC社へ役員(経営企画担当)出向⇒本社管理会計課⇒子会社Tラボへ出向(経理部長)⇒帝人との合弁会社へ役員(管理部門及びシステム担当)出向、新会社の黒字化や合弁解消、帝人臨床検査子会社買収の三つの課題を3年の期限内に完了、50歳で早期退職。さまざまな部門と仕事を経験したが、仕事のやり方は一貫して、システム化あるいはそのレベルアップによる経営改善だった。システム化はすさまじい精度向上と省力化(生産性向上)を同時に実現する。後に関係会社管理部で千葉ラボのラボシステム開発で劇的な収益改善を経験することになる。臨床検査のことがいろいろ分かり始めて、仕事がますます楽しくなりつつあったなつかしい1986年。

<余談-2>
 東野圭吾や山田悠介の作品に耽溺していた中学生の男子生徒がいた。小さいそろったきれいな字を高速で書けた。中3のときに数学を強化したいと入塾してきた生徒だが、学力テストの国語の点数が毎回90%を超える特異な生徒、末が楽しみだった、釧路湖陵に進学し卒業したが大学には進学しなかったという。高校でも部活をがんばっていたので、文武両道ができなかったのだろうか?高校での学力の伸びに期待していた。
 何がいいたいかというと、この程度のレベルの小説は中学生の内に濫読しておけということ。高校生ではもっと語彙のレベルの上がったものや難易度の高いものにチャレンジすべきだ。この程度のレベルの本では残念ながら、全国模試でいい成績は取れない。
 しかし、東野圭吾の作品はなかなかよくできている、小説家を志す高校生にはよいテクストだろう。

<余談-3:中学生へ>
 「東野風」と思われる表現全部に緑色の線を引け。
 ebisuが中学校あるいは高校の国語教師なら、次の夏休みの宿題を課す。
 「東野圭吾の小説を一つ選び、「東野風」の表現の箇所に緑色の線を引き、提出すること」
 だれが、どこに引いたのか確認する作業は楽しいだろう。生徒の読書量とセンスが結果にでる。

<余談-4:9隻帰港するも根室はサンマの水揚げなし>
 サンマの初水揚げがあった。釧路港である、初値は15,500円/kg。例年の2倍の価格がついた。1尾150gとすると2000円だ。
 根室花咲港にも9隻の船が戻ったが、鯖と鰯だけでサンマの姿はなかった。最初の内は不漁でも、流し網が終わり、棒受け網漁が始まる8月半ば過ぎからは大漁となることが多い。釧路港でテレビに映った漁船員は高値に歓ぶ一方で、量が少ないことをいぶかしむ複雑な表情だった。


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