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#2534 「釧路の教育を考える会」はどのような経緯でできたのか? Dec. 19, 2013 [64. 教育問題]

  会の副会長の三木さんがTOSS主催の「学力保証緊急公開勉強会」で講演をしています。その中で「釧路の教育を考える会」ができる経緯(いきさつ)を語っています。
 会が何を目指しているのか、わかりやすく説明してあります。

 メンバーの皆さんはそれぞれ「呼ばれた」という感覚をお持ちのようです。呼んだのは「天」の御意思、そうとしか言い様がありません。
 三木さんが弊ブログを読んで根室までebisuに会いに来てくれた時には、一年余の間に多彩なメンバーが集まって「釧路の教育を考える会」ができるなんて予想できませんでした。彼の情熱が志を同じくする人々を結びつけたのかもしれません。何か強い磁場ができてしまいそれにひきつけられるように集まったのです。
 TOSSは生徒達の学力を上げるために自分達の授業技倆を高めようという求道者の団体ですから、敵も多いようです。何もしない人たちからみると「ウザイ奴ら」ということになるのでしょう。「釧路の教育を考える会」も敵が多い、何ごとかをなそうとしたら現状を変更するわけですから、変えたくない勢力(基礎学力向上の抵抗勢力)の抵抗も激しさを増します。しかしそれも一時のことです。
 「釧路の教育を考える会」と連携した釧路市議会基礎学力問題研究議員連盟のご努力により、昨年暮れに釧路市議会で「基礎学力保障条例」が可決され、教育行政(釧路市教委)は自ら基礎学力向上の具体策を立案し実行しなければならなくなっています。個人でいくら教育行政に物申しても門前払いですが、こうした団体を立ち上げて連携して基礎学力保障条例を制定してしまえば、市教委はそういう方向で具体的に動かざるをえなくなります。やらなきゃ教育長や市教委は職務上「忠実義務違反」を問われます。
 この輪はさらに大きくなりたくさんの人々が磁場を強めてくれます。この会はすでに釧路管内と根室管内の二つの地域のメンバーを含んだものに成長してしまっています。志を同じくする多くの人々(学校の先生達を含む)が自然に集まってきます。天の意にかなっているようですから、予測のつかない展開になるのでしょう、来年も楽しみです。
 三木さんの書いた講演録を3本まとめて掲載します。読み応えがあります。(笑)

ブログ「情熱空間」より転載
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/7001647.html
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2013年12月16日

内側の同志へ捧ぐ!辛口応援歌①

2013.12.14に開催された、TOSS北海道主催による「学力保証緊急公開勉強会(釧路会場)」。内側の同志のみなさまへ改めて敬意を表し、そこでお話させていただいた内容をアップ致します。TOSSのみなさんのみならず、子ども達の「分かる・できる」のために、責任を他者へ転嫁することなく、日々、自己研鑽に励んでらっしゃる方々もまた同じく、内側の同志であります。みなさんは内側から、我々は外側から、殻を打ち破るのみです!ここ釧路の地より、感謝を込めて。


学力保証緊急公開勉強会(釧路会場、2013.12.14)
変われるか!教師・学校への辛口応援歌
釧路の教育を考える会副会長 三木克敏

みなさん、こんにちは。ご紹介いただきました、釧路の教育を考える会、副会長を務めさせていただいております三木克敏です。本日は、よろしくお願い致します。私、実は、みなさまのことを、勝手に、一方的に、同志だと思っております。今日はこうして同志のみなさまの前でお話をさせていただけるということで、楽しみにして参りました。「でも、あんたに同志って言われたら、ちょっと困ちゃうんだよな…」と、そうした向きもあろうかと思いますが、ええ、分かりますよ。でも、そこは潔くあきらめてくださいね。

あまりタイプではない異性に「あなたのことが、好きです」とか言われたら、困っちゃいますよね。「その気持ちはうれしい…。でも、変に気を持たせたら困るし、お願いだから勘違いしないで…」って。ええ、そうした存在かも知れません。でも、ご安心ください。ストーカーにはなりませんし、「結婚してください」とか「付き合ってください」とかって言いませんから。

よく、敵が多い少ないなどと言いますが、こうして子ども達の基礎学力問題を追っていると、「いつの間にか、本当に敵ができてしまったのかな?」そう思うことがあります。先日、とある中学校へ出向きまして、そこの教頭と意見交換をさせていただく機会がありました。正直、出会いのシチュエーションは良いものではなかったのですが、挨拶もそこそこに、開口一番こう言われました。「あなたなんか、大嫌い!」ちょっと驚きました。社会人を
20年以上やってきましたが、初対面の人にそう言われたのは初めての体験でしたから。でも、なかなかフレッシュな体験でした。

その方の言い分です。「子どもは、ほめられるとうれしいものだ。ほめられるから、やろうという気になる。あなたも塾をやっているのだから、分かるでしょ?」で、「それは大人も同じ。なのにあなたときたら、批判はすれどもほめやしない。ほめなさいよ、学校を!ほめなさいよ、教師を!」って。またまた驚きました。でも、「なるほど、そういうことか!」と思いました。「それってさ、小学生と同じなんじゃないの?」とも思いましたけれど。

「教頭ね、世の中ってそうそうほめられませんよ。
100の仕事があって100やったって、『ふーん、あっそ』で終わりですよ。100の仕事に対して110とかやって『よし!』って言われ、でも100の仕事に対して80だとか60だとか50だとかだったら、叱られますよ。『何やっているんだ!バカモノ!』って。仕事ってそんなものですよ」と言ったら、「そうじゃない」って。でも、「そうじゃない」って言われても、こっちも困っちゃうんです。こっちは、そう思っているわけですから。例えるなら、性善説と性悪説が真っ向からぶつかっているといったところでしょうか。そもそも、持っている常識からしてかみ合わない。「ああ、持っている常識そのものからして違うわけなんだ」そう思いました。

私が、子どもの基礎学力問題、それを「何とかしたい」「何とかしなくては」「何とかする」と決意したのには、実はきっかけがありました。平成
14年度から実施された、ゆとり末期の学習指導要領改定、それを知ったからです。これは大変なことになる!もしかしたら、日本の公教育に取り返しがつかないほどのダメージを与えることになる。そう、強く思いました。内容を振り返ります。三点です。一点目。学校週5日制の完全実施。これは、今も昔も妥当だと思っています。世の中の流れが週休2日なので、学校ばかりがそれに逆行するのは妥当ではない。当然の流れと思います。二点目です。物議をかもしました。学習指導内容3割削減。教える内容を厳選し、基礎基本の習得を徹底する。これは間違いなく失敗に終わると確信しました。

理由は簡単です。七五三というやつです。学校の勉強が分かるとする子の割合です。小学校では
7割、中学校では5割、高校へ行くと3割。実はそれ、今も昔も同じなんですよね。私が子どものころであっても、ゆとりのころであっても、そして今も変わらない。内容が多少難しくなっても、量が増えても減っても変わらない。経済で言うところの28の法則、262の法則、パレートの法則というやつです。人が集団を形成したならば、良い悪いは別にして、そこには必ず優劣が生じる。七五三とは、パレートの法則の学校版だと私は思っています。つまり法則です。そして法則は崩れない。ゆえに学力は必ず低下する。それでも、学習指導時間を削らなかったならば、まだ話が違ったのかも知れませんがそれをも削ってしまったならば、もはや学力低下は火を見るより明らかでした。

三点目です。相対評価を絶対評価に改める。こともあろうに、それと学習内容
3割削減とを抱き合わせにしてしまう。とんでもないことが起こる!そう確信しました。それはつまり、私に言わせたならば、手抜きの奨励なんです。手抜きの免罪符なんです。かれこれ、もうすぐ丸24年、足掛け25年になりますが、塾の仕事をして参りました。今も昔も手抜きだらけなんですね。今に始まったことなんかじゃなくて、昔から手抜きが横行していました。

例を挙げます。例えば、定期テストの使いまわし。中学生は
3年経てば入れ替わるわけですが、オリンピックイヤーみたいに、律儀に3年ごとに定期試験を使いまわす方がいました。ええ、誤字脱字までそのままに。ある特定の問題集から、毎度、べろっとコピペして試験を作る。教師用指導書の巻末にある定期試験の作成例。あれをべろっと丸ごと出題するとか、枚挙が暇がないほどに見てきました。

教科書が終わらないという問題。一番顕著だったのは、中学校の社会科です。中学社会科は、
1年・2年・3年でそれぞれ地理・歴史・公民を学習するわけです。今は指導要領が変わって授業コマ数が増え、中3は歴史から入るのが正規ですが、地歴並行型であれ、いずれにせよ2年生で歴史を終えるというルールでした。私は元々、社会科の専任講師をしてきたのですが、長年やってきましたが、今ままで一度も、ただの一度も、中31学期の最初の授業、または2回目の授業とかから、公民に入ったケースを見たことがありません。

ずっと歴史をやっているんですね。今まで見た一番遅いケースでは、何と中
3のよーいドンで室町時代というのがありました。どこだと思います?ええ、附属です。まあ、あそこは教科書を使わないし、今も変わりませんけれど。だから附属の子は、社会科ができませんね、本当に。で、広島・長崎に原爆が投下され、ポツダム宣言を受諾して終戦。ここまではちゃんとやるんです。その次の戦後史、戦後復興を経て現在に至るといった内容ですが、そこは大体、教科書を読んでまとめて終わり。またはプリントで端折って終わり。それでもいいかと思います。ポイントをちゃんと押さえていれば。

こうしたケースがありました。例によってずっと歴史をやっているんです。進まない、終わらない。広島・長崎への原爆投下。ポツダム宣言を受諾して終戦。その時にこう言うんです。「えー、ここから先、戦後史、歴史第
9章は、公民の後半で出てくる内容とダブります。そこでやるので、カットします」そうして7月とかに公民に入るんです。まあ、それもありなのかも知れませんが、案の定、公民も、進むまない、終わらない。高校入試が間近に迫り、今度はこう言うんです。「えー、ここから先の内容は、戦後史、歴史の第9章とダブっています。で、やったよな、戦後史?ということで、以上で教科書は終了です」

犯罪です。それ、犯罪ですよ。中学
3年間、子ども達は戦後史を何も習わないわけです。ご存知のように、センター試験(日本史)に戦後史は出ませんから、高校へ行っても習わず、子ども達は戦後史をまるで習わないままに大人になってしまう。そんなことがまかり通っていました。ちなみに、それをやらかした人。今、某中学校で教頭をやってらっしゃいます。もちろん、やらかしたのは、その方だけじゃありませんけれどね。

数学です。中学
1年・2年・3年、ご存知のように教科書の最初の部分は計算です。その簡単な部分に必要以上に時間を費やして、その先の、文章題などのいわゆる応用問題。そこは端折る。具体例を挙げます。連立方程式の文章題。食塩の濃度、速さ・距離・時間の問題。昔よりも、今の方が顕著ですね、数学は。「お前ら、どうせ教えてもできないから」とか、「定期テストに出さないから」と言って飛ばす。またはプリントでお茶を濁して終わる。あんなもん、「塩+塩=塩」の式をつくればいいだけですよね?速さ・距離・時間の問題だって、スピードメーターを引き合いに出したり、「は・じ・き」とかって教えれば、全員はたしかに無理でしょうけれど、4分の3の子は理解できるはずですよね?でも、やらない。

「先生、証明って簡単だね」って生徒が言うんです。「違うよ。章と章にまたがるような融合問題。それに図形が加わったりしたら、すごく難しいんだよ!」と言っても通じません。彼らは、「証明とは穴埋めだ」って思っているんです。例えば三角形の合同の証明問題。仮定から引っ張って、合同条件を記してその後に…、と、いわゆる三段論法というやつですが、書くトレーニングなんか受けていないわけです。だから、入試問題、学力テストに
B問題になど、対応できるはずもありません。ゆとり時代の学習指導内容は、最低限。それを下回ってはいけないというものでした。でも、その最低限すらもやらない。まさに、やりたい放題。

そうした手抜きの数々を、嫌というほど見てきました。平成
14年度の学習指導要領改定、それによって、そうした手抜きが蔓延することになる…。どんなに手を抜いても、いいんです。子ども達が、どんなに理解していなくても、いいんです。進度が大きく遅れても、いいんです。端折ってごまかして、やったことにして、試験問題もうんと簡単にして、本来は「1」をつけるべき子に「3」をつければ、それでいいんです。親も生徒も誰も文句を言わないし、どんなに手を抜いても、ばれないんです。勘違いを誘発すればいいんですから。そして、学力点と乖離して、内申点はインフレになる。例えは悪いですが、私に言わせたなら、サル山のボスに博打の胴元をやらせるようなものでした。自分がルールですから、文句は出ない。あれから10年、11年が過ぎました。そして、予想していた通りになってしまいました。(続く)

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http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/7001798.html

2013年12月16日

内側の同志へ捧ぐ!辛口応援歌②

(続き)
ブログに登場する、合格先生。そちらの席にいらしゃる池田さんと、一緒に活動を始めました。釧路教育活性化会議というものを立ち上げました。なぜ作ったかというと、こうした話をしても、誰も聞いてはくれないんです。「ああ、『だから塾へ通いましょう』『だから家庭教師をつけましょう』ってことね?」と営業トークと取られて、誰にも話を聞いてもらえない。だから、「これでは埒が明かない。塾の経営者、塾講師といった立場から離れよう」それで作ったんです。池田さんと一緒に、色々と調べましたが、山がぼんやりと霞んでいるかのようで、全体像がなかなか見えてきません。釧路市教育委員会、道教委釧路局に手分けして行ったり。で、門前払いを食らいましたよね、池田さん。「このやろう、今に見てろよお前ら…」って。そうして、歩みは鈍いなれど活動を進めていました。

そのころ、経営者団体加入の誘いを受けていました。そうした所へ入るのは自分のポリシーに反していたので、断り続けてきたのですが、いよいよ断りきれなくなってきました。そのとき、思いました。「社会保険労務士として、若年者雇用の問題という切り口から。塾の経営者として、子ども達の学力低下という切り口から。それをセットにして経営者団体に切り込めば、今、水面下で大変なことが起こっていることに気づいてもらえるかも知れない」そう思い、ロータリークラブに入会しました。今は、商工会議所、その青年部、中小企業家同友会にも所属しています。会費の捻出が、なかなか大変なんです。どなたか助けてください。

志願して、あちこちでお話をさせていただきました。みなさん、危機感を持って話を聞いてくださいました。あるとき、お話させていただいた後に、社長が
45名残って、「やっぱり、そういうことだったんだ…」「実は、うちもそうなんだ…」「実は、うちも…」といった話になりました。みなさん、「ここ最近、何かがおかしい」そう感じていたんです。何度言っても仕事を覚えられない。簡単な暗算すらできない。いわゆる一般常識も、あまりにもそれが欠けている。でも、「たまたま自分の《引き》が弱くて、たまたまそういった新規高卒生の採用が続いた。たまたまババを引き続けた」のであって、それはまた自分の恥、会社の恥になるわけだから、経営者の集まりの場で、そうしたことを恥ずかしくて言えない。そう思ってらっしゃった。

以後、みなさん、強力な支援者になってくださいました。今もそうです。あるとき、釧路町のある会社の社長に頼まれました。「三木さん、今度、うちの先生達の前で話してくれないか?」聞けば釧路管内の町村部、その小中学校の校長・教頭の集まり、釧路教育振興会という会での講演でした。二つ返事でお受けしました。私、そのころまでこう思っていました。「学校の先生方は、学力低下がここまでひどいことを、ご存じないのだろう。でも、実際に数値を示して、そして、それを原因とした企業の、もはや悲鳴に近い声の数々。それらを伝えたなら、必ずや、お分かりいただけるだろう。ましてや管理職たる校長と教頭なら、必ずや、動いてくれるに違いない」と。

その日が来て、お話をさせていただきました。驚きました。悲しくなりました。話は変わります。塾の講師として、いつも自分の授業に点数をつけてきました。感覚的なものなのですが、こうしたものです。こう、(ロープを投げ入れる動作をして)ロープを子ども達に投げ入れるんです。そうして、ぐっと引く。すると、かかるんですね。「つかみ」とか「枕」とかいったやつでしょうか。重みを感じる。で、ぐっとロープを引く。向こうも引く。こちらもまた引く。そうして、引き合っている力が強ければ強いほど、その時間が長ければ長いほど、例外なく、子ども達は思うんです。「時間が短い!」って。ふっと時計を見て、「えっ、もうこんな時間!」とか、「では、今日の授業はこれで終了」と言ったときに、「えっ、もう終わり?」といった声が出たならば、その授業は
60点をつけてもいい、と。

塾の授業でも代打ちがあったりします。突発的に講師が休んだ場合など、その講師の代わりに授業をするわけですね。すると、力が無い講師が甘やかしてしまって、ほとんどクラス崩壊に近い状態といったクラスもあったりするのですが、でも、そうしたクラスでも、ぐっとかかるんですよね。
5分もあれば何とかなるし、どんなにひどいクラスだって、終わるまでには、まあ何とかなる。ぐっとかかるわけですね。でも、そのときの講演会は違いました。投げ入れたロープが、そのままスルスルって抜けてくるんです。「えっ、うそ!」と思って、また再度投げ入れても、スルスルって抜けてくるんです。何度めかで気づきました。「この人達、俺の話なんかまるで聴いちゃいない」「いや、はなっから聞く耳なんぞ持っちゃいないんだ」「結局、『学力なんてどうでもいい』そう思っているんだ」悲しくなりました。泣きたくなりました。席を立って帰りたくなりました。

その後、懇親会に出席しました。酒が入れば、本音も出るものです。「学力、学力って言うけれど、教育の成果は、知・徳・体のバランスですよ」と、どなたかがおっしゃる。すると、周りのみなさんもまたおっしゃる。「チートクタイ、チートクタイ、チートクタイ、チートクタイ。バランス、バランス、バランス、バランス…」どこか、「ホーホケキョ」とか「カッコウ」とか「ブッポウソウ」とか、そうした鳥とか獣とかが鳴くジャングルにでも迷い込んだかの気がしました。少々ムッときたので、「バランスとおっしゃるからには、数値の配分があるはずですよね?では、知・徳・体とやらは、何対・何対・何の配分が理想とか目安なんですか?」そう聞くと、「そういったものじゃない。バランスなんです」などとおっしゃる。とんだ論理矛盾。いや、実は何も考えていない。

こう思いました。「この人達、教育者なんかじゃない!」「こいつらみんな、ペテン師だ!」って。でも、一つの大きな教訓を得ました。「もはや学校は、自らをして変わり得ない。使命感にあふれる校長・教頭が、強力なリーダーシップを発揮するか、外から強力な刺激を与えない限り、もはや学校は変わらない」「ならば、教育行政を動かす以外にない」そうした教訓を得ました。(続く)

●内側の同志へ捧ぐ!辛口応援歌①
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/7001647.html
●内側の同志へ捧ぐ!辛口応援歌③
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/7002833.html


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http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/7002833.html

2013年12月17日

内側の同志へ捧ぐ!辛口応援歌③

(続き)
ちょうどその少し前です。そちらにお座りの高木さんが、私ども釧路教育活性化会議を見つけてくださいました。わざわざ、教室にお越しくださって、そして夜中まで語りました。ほどなくして、高木さんのご紹介で釧路市議会副議長の月田議員が、同様にわざわざ、お忙しい中、教室にお越しくださって、同じように夜中まで語りました。今、こうして同志のみなさんの前でお話させていただいているのも、すべて高木さんと月田さんのおかげです。高木さん、本当にありがとうございました。

月田さんを中心にして、勉強会が始まりました。あの人を呼んで意見を聞いてみよう。次はあの人を…。と、そうしているうちに、自然に集まりができました。実は、それが釧路の教育を考える会なんです。誰かが、「こういった会を作ります。この指止まれ!」などとやったわけではなく、いつの間にか自然にできてしまったんです。その後、山本先生・水野先生・青坂先生と合流させていただき、そうして現在に至ります。

釧路市教委などに提言書を提出しました。会の設立の際の打ち上げ、二次会のことだったと思います。飲みながら私、水野さんに言いました。「何だか、夢を見ているようで、本当に不思議だって思うんです。これはもう、呼ばれたとした思えないです」水野さんもおっしゃいました。「私も、呼ばれたと思っています。ええ、呼ばれたんですよ」本当に、こんなことがあるのだと、しみじみ思いました。水野さんは、「今の学校に、自浄効果は望めない。外からの力がなければ、学校は変わらない」とおっしゃる。まったく同感です。過去
10年来の活動を通して、私が得た実感も同じものでした。

話は変わります。先日、鳥取神社の木下宮司と、ある会でお会いしました。つい先ごろ、先ほどの話で出てきた釧路教育振興会、その教頭の部会といったものだったそうですが、そこで木下さんは講師・パネラーをなさったそうです。「たしかに、まだまだ認識は甘い。危機感も、まだまだ薄い。とは言え、子どもの学力を上げなければならない。このままではいけない。そうした共通認識は、出席した教頭先生全員が抱いていました」そうおっしゃっていました。うれしかったです。わずか
2年・3年。私がお話をさせていただいたときとは、隔世の感。わずかな間に、ガラッと認識が変わった。うれしかったです。思い返せば10年前。私も池田さんも、「釧路の教育を変えるんだ」などと言うと、「そんなこと、無理に決まっている」「時間のむだだ」など色々言われました。

塾をやっていて、子ども達から聞きたくないことばがあります。「無理」「できない」「分からない」の三つです。うちの教室では、「無理」「できない」は禁句にしています。入り口に、小さく掲示しています。悪化すると、それに「どうせ」がつくんです。「どうせ、無理」「どうせ、できない」「どうせ、分からない」と。心が苦しくなります。年端のいかない子が、そうしたことばを口にすることはすなわち、もはやその子を殺したに等しい。私は、そう思うんです。

学校と塾は、そのありようも役目も異なるわけですが、ある部分においては同じだと思うんです。《やればできる》それを子ども達に伝えることです。成功体験を実感させてあげること。大人はいいんですよ。何といっても仕事がある。趣味もあるし、道楽や、身銭を切っての遊びもある。そうしたことで実感できますから。でも、子どもは違います。子どもが成功体験を実感できるのは、部活であり、習い事であり、何らかの行事であり、そして勉強でしょう。限定的なんです。限られているんです。小さな成功体験を積ませてあげて、それがやがて自信へとつながり、さらには確信へとつながる。そうしたものでしょう。私は、生きる力という言葉が嫌いです。その意味も、よく分かりません。でも、その生きる力とやらも、本来はそうした意味のものでしょう。

ところが、学力が低下する中、こと勉強になって、小さな成功体験を積ませるとなると、やれ「詰め込み教育に逆行する」だの、やれ「子どもを競争へと駆り立てる」といった話になってしまう。たかが子どもの勉強ですよ。その、たかが子どもの勉強ができないがために、すっかり自信を失った子がいる。「どうせ、無理」「どうせ、できない」「どうせ、分からない」目の前で、子どもが溺れているんです。なぜ、助けに行かない?なぜ、飛び込まない?しかも、その力を持っている人間が、飛び込んで助ける力を持っている人間が、そのために子どものそばにいるはずの人間が、なぜ子どもを救わない?腹がたちます。「ふざけるな!」と言いたい。

ネットを見ると、
TOSS批判というものが根強くあるようですね。思うにみなさまも、いわれなき誹謗中傷を受けたりと、そうしたことがあるのだろうと思います。実は我々も同じです。「売名行為だろ!」いまだにそう言われることもあります。でも、そんな声には動じません。師匠の受け売りです。飛行機の話です。人がこう、何かをやろうとすると、横槍が入ったり、邪魔が入ったりするものです。大半の人は、そこでビビッてやめてしまう。でも、そうしたときは、アクセルを踏んで加速するんです。飛行機は加速を続ける。抵抗が強くなる。それでも加速を続ける。そうすると、ふわっと浮く。そのとき、操縦桿を引く。浮上する。だから、横槍が入ったり、邪魔が入ったり、抵抗が強くなったなら、加速しなさい。そして感謝しなさい。みんなが自分を上げてくれているのだから。私は人間がまるでできていませんので、まだ抵抗に感謝はできないのですが、まさにその通りだって思うんです。なので、この話はいつも忘れないようにしています。「出る杭は打たれる。出すぎた杭は打たれない」などと言いますが、自分としては、打たれたら倍にして打ち返す。と、こちらの方がしっくりきますが、いずれにせよ、抵抗が強まったなら加速するのみ。

こう、何か大きな大きな卵のような、大きな球体があるんです。旧来の陋習という厚い殻に覆われていて、それは打ち破ろうにも硬くて厚くて強いんです。そしてみなさんは、その内側にいらっしゃって、硬い殻を打ち破るべく、一点をめがけて攻撃なさっている。我々は、外からそれを打ち破ろうとする者です。共同作業、それはトンネルの掘削作業のようなものかと思います。そしてみなさんは、硬い殻を打ち破るその力を、「教師の力」それだけだとおっしゃる。いい訳は一切なし。ただ、「教師の力」でそれを打ち破る。何とかっこいい。何と潔い。何と崇高な。そう思うんです。確固たる信念があって、その信念を持って突き進む。私も、この子ども達の基礎学力問題は、信念の勝負。そして信念の勝負は、あえて青臭いことで勝負するのみ。そう思っています。

「一人じゃ、何もできない」そうした声も聞こえてきます。たしかに、一人じゃ難しい。でも、信念を持って突き進んだなら、やがて仲間ができて、その仲間が助けてくれて、さらに仲間が増えて輪が広がって、そうして、一人じゃできないことが、みんなの力でできる。動かなかった山だって、動かせる。そう思うんです。いい歳をした大人が、青臭いことを語るんです。子ども達に語るんです。夢を語るんです。希望を語るんです。でも、それってすごくかっこいいって思うんです。「教師の力」とは、何と青臭い。でも、何てかっこいい。

最後、うまくまとめられなくて申し訳ございません。殻を打ち破って、また内側の同志のみなさんとお会いして、酒を飲みながら、じっくりお話をしたいです。「会って話してみたら、意外といいやつだった」そう思っていただけたなら、それに勝るものはありません。時間になりました。私の話は以上です。応援しています。ずっと応援を続けます。ありがとうございました。
(終了)

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ZAPPER

ご紹介ありがとうございます。ebisuさんのこと、会長のこと、考える会のメンバーのこと。もっともっとお話したかったのですが、持ち時間が35分(それでも、5分追加していただきました)だったものですから。

天のご意思。本当にそう思うんです。「無理に決まっている」「できないに決まっている」散々、そうしたことを言われてきましたが、やれば何とかなるものだって思うんです。こうして、ebisuさんをはじめ、すばらしい方々、信念の人間といった方々と出会え、本当に幸せです!ありがとうございます。

内側の同志の名乗り出を、心より願っております。名乗り出とは、ただ子ども達のためを想い、今なすことを行動で示すことです。昨年同様、今年もワクワクドキドキの充実した一年でありました。本年もありがとうございました。って、まだ少し早いですね。^^
by ZAPPER (2013-12-19 10:13) 

ebisu

お名前は出せませんが、釧路市役所の幹部職員が複数協力してくれています。根室もそうなってほしい。

忘れてならないのは、かつて異色の教育長だった角田氏が快く会長職を引き受けてくれたことです。
もう一人の副会長である釧路市議会副議長の月田さんも基礎学力問題研究議員連盟を立ち上げて、全国初の「基礎学力保障条例」を制定するという離れ業を見せてくれました。
今年はドキドキワクワクの年でしたね。
by ebisu (2013-12-19 12:20) 

Hirosuke

【ち・とく・たい】って【遅・涜・怠】ですかね?

【何度も褒める】より【楽に一発で理解させる】。

「ホラ!ちゃんと出来た!!」

これが【真のヤル気】の出し方ですよ。

出来てもないのに妙に褒められるから、
そんな子供達は冷め切っちゃうんですよ。

「うぜぇ。」ってね。

by Hirosuke (2013-12-20 13:05) 

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