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#2535  また常勤医が一人市立根室病院を去った Dec.19, 2013 [30. 地域医療問題]

 6月のS医師に次いで、最近また一人常勤医のM医師が去った。お二人とも現在の病院運営にうんざりして退職を決意したと聞いている。15名いた常勤医が半年で二人減り、13名となった。ホームページの「診療体制」の項にはすでにいないドクターのお名前が載っている。

 市長、まずいよ。院長、まずいよ。参事、まずいよ。三人が徒党を組んで誰の意見も聞かずに突っ走るのでは、あきれて常勤医がポロポロといなくなる。いくらブログで書いても反省の色なしだ、治らないね、好き勝手のやりたい放題、この三人が病院経営悪化の元凶となっている。
 札医大への依存を深めるばかりで、バランスをとろうとしない。常勤医が紹介する医師を断り続ける。
 その一方で病院の赤字は昨年度17.2億円、数年前の2倍の水準に年間赤字幅が拡大して、まったく有効な手が打たれないどころか、放漫経営が続いている。年初常勤医15名の診療体制が変ることで、売上が減少するか派遣医でのフォローによって人件費が5000~7500万円増えるだろう。
 今年度の赤字額は20億円を軽く超えるから、根室の地域医療は赤字の拡大と内部のゴタゴタで崩壊しそうだ。
 たったの135ベッドで年間20億円もの赤字を出している市立病院は他に例があるのだろうか?

 市議会文教厚生常任委員会のメンバーはこういう事態をどう考えているのか、ブログで自分の意見を表明すべきだ。委員会のメンバーである限り、そうした職務上の義務があると普通の市民は思っている。
 商工会議所、中小企業同友会、ロータリークラブ、医信伝心ネットワーク、まちとくらしネットワーク会議、・・・、いろいろあるけど、どの団体も根室の地域医療に関心がないのか何も言わないね。
 言うべきときに物を言わないようでは存在意義がない。それとも、自分に得になることにしか関心がないのかい?ふるさと根室のために一肌脱ごうっていう粋な奴は根室の経済界にいないのかい?腑抜けの集まりかい?
 これだけ言われて悔しかったら、堂々と意見表明してみな、根室の地域医療が変るよ。
 結局のところ、自分達の町の医療は自分達で守るしかないんだ。根室の経済団体にもふるさとを愛するパトリオット*がいるはず。

*#1030 nationalism とpatriotism :遠藤利國訳・幸徳秋水『帝国主義』May 17, 2010 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-05-17



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*#2530 病院事業へ外部監査導入も選択肢の一つ  Dec. 15, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-12-15-1

*#2513 市立根室病院の経営状況について:財政再建特別委は機能しているか?  Nov. 28, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-11-28

*#2505 根室市 財源不足7億3500万円 Nov.20, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-11-20

*#2473 市立根室病院を外部の医師はどうみているか? Nov. 1, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-11-01-1




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市民K

6月のS医師に次いで、最近また一人常勤医のM医師が去った。お二人とも現在の病院運営にうんざりして退職を決意したと聞いている。

う~ん、やはりねえ。余程医局の雰囲気が悪いんでしょうね。数年前まではそれなりに和気藹々と医局で並んで昼食を取っていた様ですが。噂では、辞めた若い内科医などは医局には顔を出さずわざわざ自分の現場(病棟の詰所、外来診察室など)で昼食を食べていたそうです。医師にとって医局は第二の家庭のようなもの。疲れて家に帰っても女房が不愉快ならば亭主どもは外に飲みに出ますよね。

今回辞めたM医師、阪神淡路大震災の時に活躍された元々は外科医と聞いています。また総務省関係に近く道庁にも顔が利くそうです。今回根室を去るに当たって、市立根室病院の実態を関係の省庁に報告するとか。それが時限爆弾かどうかは分かりませんが、どうやらM医師は怒りの置き土産を残して去ったようです。
by 市民K (2013-12-20 09:16) 

Hirosuke

春になったら、現地視察に参ろうか。

春だから、教育談義も咲かせましょう。

9月でしたね、市長選。

他所者に何が出来る?

やってみれば、結果は自然に出て来るさ。

腐った身内は、自分の事しかしないから。

そんなら、他人の出番でしょ?

そしたら、全てが変わるでしょ?

嫌なら自分で何とかしなさい。

出来なきゃ他人に任せなさい。

信頼できぬ身内より、信頼できる余所者に。

by Hirosuke (2013-12-20 13:27) 

つぶやき

市立病院の運営含め「色々」と不満を持つ市民の1人ですが、お辞めになったM医師については意義ありです。

経歴についてはこれまで活躍された先生だと、聞いていましたが、患者として受診した感想は「??」でした。

予約でも待ち時間が非常に長く、必然的に患者同士で噂話が盛り上がってしまうのですが…。
診察は早ければいいというものではないと思いますが、
とにかく治療に関係のないムダ話が多く、これでは予約で2時間待ちも当たり前では?と疑問に思いました。
あげく「俺だってあんたなんか診察したくないんだ」「昼飯もまだ食べてないんだ、死んでしまう」等、暴言を言われた人も少なくないようです。
私もモラハラまがいのことを言われました。

M医師の言い分も聞けないのでこれ以上は書きませんが、
前の赴任先でも1年足らずでお辞めになり、医師の間でも
良くない評判だったとか…。

「常勤でせっかく来てくれた医師がお辞めになった」ということは残念なことですが、税金の無駄遣いよりはマシなのでは…?
by つぶやき (2013-12-20 18:21) 

ebisu

「つぶやき」さんへ

具体的なお話で、わかりやすいですね。
そういう場面にでくわしたら、面と向かって穏やかにですがはっきり物を言えばいいと思います。

民間会社ならクレーム係り、あるいは広報担当がありますから、そういうところへ連絡すればいいのでしょう。
類似ののクレームが続けば、何らかの対応をとることになるでしょうから。
そういう機能がありませんね。
医信伝心ネットワークとかいう団体がありましたが、そういうところが、こうした患者側の不満を病院につなぐ機能を果たしてくれたらいいのですが・・・同時に医者側の不満も患者に伝える必要があります。コミュニケーションは双方向があたりまえです。
病院側と患者のコミュニケーションの場がありませんね。

お医者さんの中には数合わせのためにほとんど診療をしたことのない方もいらっしゃると聞いています。選んで診療を受けるしかないですね。
いやなら、釧路まで行くしかありません。

ここからはまた聞きの話です。
ある方が夜間か休日に身体のどこだったか忘れましたが、痛くて診察を受けました。
翌日それを聞いた人(病院の「常連客」)が、「あの先生はダメだから、明日行って別の先生に診てもらったほうがいい」と忠告しました。
翌日、市立根室で別の先生に診てもらったらまったく別の診断でした。

市立根室病院は医者集めにけっこう無理しています。常勤医の数合わせにために無理をしているので、お名前は挙げませんが技術的なレベルがかなり低い先生もいらっしゃるのは事実です。もちろん優秀な方もいらっしゃる。
田舎の病院では一定水準以上の医者を揃えることは不可能です。いろいろな診療技術レベルのお医者さんがいることは仕方のないことです。
だから、診療科によっては市立根室ではなくて地元の他の医師か釧路の病院で診察を受けざるを得ません。
そんなことは市役所職員だって、その家族だって、病院職員だって、みなさんあたりまえにやっていることです。

市立根室病院のすべての診療科に凄腕の医師をおくことなどありえないことでしょう。
わたしは、そこそこの医師で充分、できるだけ長くいてもらいたいと思います。同じ先生に継続して診てもらえると安心です。

何か命にかかわるような病気だと思ったら、何人かの人に聞いて、市立根室病院で診療を受けることが適切かどうか判断しなければなりません。命を救ってくれる病院を選択するのはまさに命懸けです。命は二つありませんから。

わずか135ベッドの小規模病院でいくつもの診療科をそろえることなどできるはずがありません。たった135ベッドで総合病院機能をもてるはずがないのです。

わたしはスキルス胃癌と巨大胃癌の併発で7年前に手術を受けていますが、地元のO医院の先生が主治医で、消化器以外でもみてもらいます。専門外で手に余れば、すぐに適当な病院をリストアップして、紹介状を書いてくれます。たいへんありがたいことです。
自分の病歴をよく知っているドクターに掛かりつけ医をお願いするのがいいのでしょう。

コミュニケーションの場ができるといいですね。
いろいろ書きましたが、あなたのようなケースは、面と向かって穏やかにドクターに物を言うか、病院を変えるべきですね。

by ebisu (2013-12-20 23:17) 

つぶやき

ebisuさんのおっしゃるとおりですね。

私もこの病院に高水準の医療を求めているわけではないのですが、コミュニケーションをとりたくても
「ある一定の年齢以上、それなりの社会的地位」の立場にある人は、医師に限らずまともな話にならない事が多いです。
さらにウンザリすることになるので、こちらも受診する時は曜日を選んで行きます。
もしくは違う病院に。

ここのブログのように様々な意見を交換しあえるといいのですが…。

by つぶやき (2013-12-21 16:59) 

ebisu

つぶやきさんへ

どんどん具体的な話しを書いてくれたらいいですよ。

市立根室病院内のドクターも何人か弊ブログを読んでいます。
面と向かって言わなくても、ここに書いておけば少しは伝わります。
ドクター側の言い分も書いてほしいものです。
いろいろお書きになってくれているドクターが何名かいらっしゃいます。
投稿欄を仔細に読めばわかります。
by ebisu (2013-12-21 22:56) 

ZAPPER

北方領土だって、本当は四島一括返還などもはや非現実的で、二島返還が現実的だって、みなさんそう思っているわけですよね?(確かな情報スジから)でも、チキンレースさながら、そればかりは表立っては言えない。違いますか?

でもそれって、どこかの国と同じじゃありませんかね?国内問題を対日問題にあてつける、赤い旗の国。それとその金魚の糞の国。根室における諸問題、ebisuさんがご指摘の子どもの学力問題と病院の問題の根本的な発生源って、そこにあるのでは?そう思うのは私だけでしょうか?
by ZAPPER (2013-12-21 23:22) 

ebisu

>春になったら、現地視察に参ろうか。

うっかり見落としてました。
根室の春はとっても寒い。
千島桜が咲くのは5月下旬だったかな?
by ebisu (2013-12-21 23:51) 

闇の仕掛け人

「ある一定の年齢以上、それなりの社会的地位」の立場にある人は、医師に限らずまともな話にならない事が多いです。

そうでしょうか。それは人に依るのでは。これは根室に限らず医師不足に泣く地方病院全体に言える事ですが、はっきり言って”売り手市場”です。「先ず隗より始めよ」さんが前述しているように、道東の各病院の医師公募での年収提示額は北海道内でもずば抜けています。特に市立根室と町立別海が高い。また募集医師の年齢制限も無いに等しい。これらの条件は確かに誰にでも窓口は広いのですが、また色々な意味で問題が有る(?)医師の目にも止まります。つまりガセを掴むリスクも高いわけです。実際町立別海病院などはよくHPを見ていると、特定の科ではしばしば医師が変わっています。これは勿論その時の色々な事情が有るのでしょうが、やはり始めから雇われる医師側が長期には考えていないケースが多いとも考えられます。医師と言う仕事は一見派手に見えますが正直言って肉体的にも精神的にもきつい仕事です。だから歳を取ると負担の少ない職場に目が行きます。「年収3000万、年齢不問」は一度リタイアした医師には魅力的な看板です。「ちょっとだけ行って来るか」と考えて応募する医師は結構居るでしょう。以前、夫内科医、妻小児科医と言う夫婦が別海に就職。直ぐにトラブルを演出。困った町側がその夫婦を解雇しようとしたら「裁判を起こすぞ」と脅かされ、結局町は3000万(と聞いている)の和解金を支払い厄介払いしたケースが有ります。確かあの夫婦は半年は在職していたので、「2500~3000」の募集要項が正しければ、夫婦合わせて給料が半年で2500万、更に示談金が3000万、僅か半年の間に計5500万もの金を手にしたことに成ります。この夫婦、蓋を開ければ実は同じような手口で病院を渡り歩く、内地では”札付き”だったようです。皆さんは「そんな人間を何故雇った?」と言う素朴な疑問をお持ちに成るでしょうが、それには幾つかの理由が考えられます。産婦人科でお産を扱っているので小児科で新生児を見なければならず、小児科医が一人では足りない。地方の小児科医は元々不足している。そこに夫内科医、妻小児科医が現れる。夫婦で雇えば一石二鳥の病院側はろくに前歴を調べもせず狂喜して採用・・・。「人を雇うのにそんなに杜撰なのか?」。その通りです。通常医師を雇い入れる際、履歴書に書かれている前診療機関に照会を掛けますが、それは殆ど形式的に過ぎず、いわば事務方のアリバイ作りのようなものと成ります。ですから照会が来た前診療機関は適当に返事をします。その際「あれは酷い医者です」などと教えれば、本人に自分たちが悪く言ったことがばればれになりますので、「個人情報の漏洩」騒ぎにも成りかねません。それに自分の所から居なくなりさえすれば・・・と言う自己中心的な考えも有り、寝た子を起こすような真似はしません。まあ情報不足が原因とも言えますが。
しかし根室の場合は最悪です。かってろくでもない内科の医師を、それを知っていて数合わせのために無理矢理雇いました。どこの僻地の診療機関でも数か月ともたない(追い出されるor逃げ出す)年配の医師です。勿論その話も医師の世界では全国版で知られています。

「あんなのが雇われるならこの俺も!」



by 闇の仕掛け人 (2013-12-23 09:38) 

ebisu

「~ことが多い」となっているから、傾向を述べただけで、全員がそうであるとは「つぶやき」さんは言ってませんので、

>そうでしょうか。それは人に依るのでは

という「闇の仕掛け人」さんの意見と同じように見えます。

芋を洗って食べるサルがいるそうですが、若い一匹のサルが洗って食べ始めたら次々に他のサル達も洗って食べ始めたというんです。ところが、人間の年齢でいうと40半ばのサルは真似ができかなったという観察記録があるようです。もう二十年以上も前にNHKが何かの番組でやっていました。

40代半ばになると、新しい文化を受容できなくなるというのは傾向としてはあるのでしょう。
わたしがお仕えした最初の企業と二番目の企業の社長お二人がちょうどそのころそういう年齢で、企業経営の壁にぶつかっていました。それで印象深くこの番組を記憶しています。
20代、30代の成功体験をそのまま押し通して、環境が変化しても適応できず、経営がジリ貧になり倒産する例は少なくありません。

「人による」という具体例をたくさん挙げてくれましたね。近隣の町立病院も含めて、おかしな医師が流れてくることはあるようですね。
お書きになっていませんが、これらとは例が異なるが、やはり問題のある医師が比較的長く居続けることも・・・もちろんわたしも具体例は書けませんよ。(笑)
コメント欄で一つだけまた聞きの話として遠まわしに紹介しました。
もちろん、よい医師も何人もいらっしゃるのだと思います。市民は口コミでけっこう知っているのではないでしょうか。待合室で周囲の患者さんと情報交換してみたらいいのだろうと思います。通院している人が一番よくわかっています。
by ebisu (2013-12-23 11:30) 

闇の仕掛け人

40代半ばになると、新しい文化を受容できなくなるというのは傾向としてはあるのでしょう。

20代、30代の成功体験をそのまま押し通して、環境が変化しても適応できず、経営がジリ貧になり倒産する例は少なくありません。

俗に言う「昔取った杵柄」でしょうか。それは時代と共に通用しなくなる。それを認めたくない。だから「形は変わっても物事の在るべき本質は変わらない」と自分に言い聞かせて現役を続行。しかし或る日、普段何でもない事で躓いて己の歳を感じる。転んで肉体の老いを悟る。そんな時の寂しさはきっと耐え難いのでしょうね。
幸か不幸か、医師の場合は何処にでも仕事が転がっています。そして年齢不問の事が多い。再就職したくてもなかなか良い仕事に恵まれない人が多い事を考えるとそれは大変有り難い事ですが、しかし、だからと言ってその職場の仕事に甘えや手抜きは許されません。「診るならちゃんと診ろ」「責任を持て」「中途半端は許されない」。これは一度定年でリタイアした医師にとってはかなりキツイ話です。
こっとも、待合室で患者から色々悪い噂を立てられているのが分かっても、「俺は老後の蓄えのために働いているんだ」と割り切って平然としていられる神経の持ち主ならば気楽かもしれません。ただどの医師にも多かれ少なかれ”プライド”が有ります。それが悪い方に働くと、「こんな田舎に来てやってるのに、何だ、文句あっか」に成り、「嫌なら他の病院に行け」にまでエスカレートすることが有ります。

良い医師の条件とは、診療技術が優れている事は勿論ですが、技術の前に如何に立派な社会人(=常識を弁えた大人)であるかが問われると思います。
by 闇の仕掛け人 (2013-12-23 15:18) 

ebisu

対話をするのは楽しいですね。
仰るとおりです。

>良い医師の条件とは、診療技術が優れている事は勿論ですが、技術の前に如何に立派な社会人(=常識を弁えた大人)であるかが問われると思います。

これもそうでしょうね。

>。「診るならちゃんと診ろ」「責任を持て」「中途半端は許されない」。これは一度定年でリタイアした医師にとってはかなりキツイ話です。

そういう点では、責任の軽い療養型病棟が定年後の医師にとっては最適の職場かもしれません。過剰な治療は避けて、なるべく自然に近い形で死なせてあげる、そしてその過程を家族に見せてあげることも医の役割でしょう。
生きているものは死にます、高齢になれば死は避けがたいから、死にゆく者を看取ってあげる医の役割はたいへん重いものだと思います。

死んでいくものが痛みなく、苦しくなく、怖くなく死ねるように配慮してあげられたらいいですね。

ついでですから話しを少し脱線させてください。
先生とはご意見が違うかもしれませんが、わたしが少しの間常務理事として勤務していた300ベッド弱の老人病院(療養型病床の病院)の理事長は、「痛くない、苦しくない、怖くない」が治療の基本方針でした。70歳の総婦長は「縛らない看護」を実践してくれていました。
できれば自宅で、それがかなわないなら「痛みなく、苦しみなく、怖くない」死を、わたしもいつか迎えたいものです。
スキルス胃癌の手術後、生死の境を数時間さまよったので、死に対する恐怖心がなくなりました。死がどんなものだか擬似体験することで理解できたからです。たいへんありがたいことでした。
定年を過ぎた円熟したお医者さんこそ終末医療を担当するにふさわしいたくさんの経験をお持ちなのではないでしょうか。

死に逝く老人には積極的な治療は不要です。過度な点滴は苦しみを与えるだけでしょう。
自然死になるべく近い「看取りの治療」プロトコルが作成され、学会のガイドラインとして公表されたらありがたい。
自分がどのように死んでいくのか選択できるような世の中になってほしいと思っています。

by ebisu (2013-12-24 02:02) 

闇の仕掛け人

そういう点では、責任の軽い療養型病棟が定年後の医師にとっては最適の職場かもしれません。過剰な治療は避けて、なるべく自然に近い形で死なせてあげる、そしてその過程を家族に見せてあげることも医の役割でしょう。

う~ん、「責任の軽い療養型病棟」ですか。ここは療養病床だからそれなりに患者さんに接する・・・と割り切るのは、今まで一般病院で戦闘的にやって来た医師にとっては結構難しいものです。つまり”積極的に治す(戻す)”医療から”消極的に守る(時に、見送る)”医療に方向転換する訳ですから。前者と後者では医療保険も違います。出来高払いの前者は(保険がカバーする範囲内で)医師が動けば動くほど収益が上がりますが、後者は幾ら頑張っても保険支払いが一定の”まるめ”です。つまり動けば動くほど赤字に成るわけです。これは言い換えれば「、一定の保険枠内で診てやるのだから、或る程度の事は我慢しろ」ですね。

中央の役所で数字ばかり見ている厚労省のお役人には頭の中でこの2つのタイプの医療行為を分けられて当然ですが、では実際に患者さんに接している現場の医師ではどうでしょうか。長い事医師をやっていると、それなりに物の見方や行動が生まれます。それが良くも悪しくも”経験”と呼ばれるものですが。「Aが起きればBを調べCの処置をする」習慣が身に付いた医師が、「Aが起きても療養病床だから見送る」事を強いられるわけです。そしてその行為を「ここは療養病床だから」と割り切って自身に納得させます。「積極的治療」の世界で優秀な医師だった者ほど、この対極の世界にトラバーユしたら精神的に苦労するでしょうね。有能な人間ほど「昔取った杵柄」を手放す(忘れる)のは辛く難しいと思われるからです。
「仕事に貴賤は無い」と言われます。これはまた、「同じ仕事なら、そのジャンルに貴賤は無い」と言う事でしょう。だから一般病棟の医師も療養病棟の医師も、どちらが云々ではありません。双方とも必要不可欠な存在です。要は最初からそのどちらかを選んでいれば問題ないのでしょうが、人生の途中で路線変更をする場合、積極的治療世界に舵を切れば肉体的に過酷な世界が待っているでしょうし、消極的治療世界に身を投じれば、自身の人生を改めて問い直す時間と場所を得られるかも知れません。


by 闇の仕掛け人 (2013-12-25 09:26) 

ebisu

質問にお答えくださりありがとうございます。

なるほど、人間はそんなに簡単には頭の切り替えができるはずもない、でも訊いてみないとわからないことでした。
ターミナルケアにはターミナルケアならではのプロセージャーがあり、それは長年やっていた、治療⇒退院という流れとは根本的に違う。一時的に治せば治せるが、それをせずに緩和ケアに留めておくのはストレス。まったくやり方が違います。
治してもまたすぐにどこかが悪くなり、次第にあちこちがダメになって行くのを診続け、不安や痛みを取り除いてあげるだけ。
分野の異なる一般病院で一生懸命に治療をしてこられた医師の側には大きなストレスがかかるということは知りませんでした。
ただ、理屈で竹を割るようにはいかない、なにか問題があるのだろうと漠然とした思いがありました。

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長い事医師をやっていると、それなりに物の見方や行動が生まれます。それが良くも悪しくも”経験”と呼ばれるものですが。「Aが起きればBを調べCの処置をする」習慣が身に付いた医師が、「Aが起きても療養病床だから見送る」事を強いられるわけです。そしてその行為を「ここは療養病床だから」と割り切って自身に納得させます。「積極的治療」の世界で優秀な医師だった者ほど、この対極の世界にトラバーユしたら精神的に苦労するでしょうね。有能な人間ほど「昔取った杵柄」を手放す(忘れる)のは辛く難しいと思われるからです。
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いずれは療養病床の患者になるかもしれません。こうしたことに知識があればターミナルケアを受けるときに、ドクターと良好なコミュニケーションがもてるかもしれません。いずれはみんな死ぬのですからね。最後の在り方は大事です、60代も半ばになるとそう遠くない未来のことです。他人事ではないのです。(笑)

地域医療政策上にミスで根室には不幸なことに療養病床がひとつもありません。

by ebisu (2013-12-25 10:36) 

闇の仕掛け人

歳と共に老い行くのは患者さんも医師も同じです。そしていわゆる定年を迎えた医師(宮勤めの場合ですが)の第二の職場として療養型病院は一考の価値は有るでしょう。実際北海道の多くの地域の病院で募集している医師の”年齢不問”には「定年後の人生を当院で型の力を抜いて医者としてお過ごしください」と言う病院側の期待(親切?)が垣間見えます。勿論数合わせの一端の意味もあるでしょうが。

医師の職場の話として少し外れますが、保険会社の医師など典型的かも知れません。僕も生命保険に入っていますが、入る際に必ず健康診断の医師が保険会社からやってきます。先方にはこちらの職業や勤務先が分かっていますので、現れる嘱託医は結構歯切れが悪い・・・と言うか、少々自嘲気味な時が有ります。
「先生は何科ですか」
「僕は〇〇科です」
「そうですか。実は僕も〇〇科だったんです」
「ほー、そうでしたか」
「まあ色々有りまして、今はこんな事をやっておりますが」
”こんな事”と言う所に相手の人生への蟠り(?)を感じます。

医師には様々な職場が用意されています。大学病院の臨床医や基礎教室の研究者、一般病院の臨床医や病理医、老人病院、老健施設、身障者施設、保健所関係、厚労省などの役人、いわゆる開業医、産業医、保険会社の嘱託医、船会社の船医、刑務所の医務官etcと実に多岐に渡ります。このように医師は何処でも求められています。そしてそのどれを選ぶかは全く自由です。その点では医師と言う資格は非常に恵まれていると言えるでしょう。俗に言う「食いっぱぐれ」が無い職業です。しかし”医師”と言う国家資格は全く同じでも、中身(出来る事)は全く異なります。一応医師として国家資格は持っているが毎日試験管を振り顕微鏡を覗いて患者を診たことが無い大学の研究者でも医師として扱われます。勿論大学の安い給料では食って行けないので、時々外にアルバイトに出たりします。結構良い稼ぎに成る地方病院の週末当直などです。そこで何かが起きたら? 心配ありません。そのような時にはちゃんとその病院の常勤医に連絡が行くような約束に成っています。そして何度も医療現場に顔を出すうちに「門前の小僧、習わぬ経を読む」です。「あれっ、医者は学生の時に全部の科を勉強しているんじゃ?」。それはあくまでも机上の話です。現場は全く違います。教科書に書いてあることは原則論で、現場はバリエーションの上に成り立っています。そのバリエーション一つ一つに考え対応することが経験と成ります。ですから現場に出た事のない医師は臨床医としては役に立ちません。
かってこんな事が有りました。大阪で開催された「花博」だったかな。夏の暑い日に会場で倒れた年配者が救護所に運ばれて来ました。今で言えば「熱中症」だと思います。治療はクーリングして適当な電解質溶液を500ml位点滴して脱水状態を改善してあげれば良いのですが、其処に居たアルバイト医は血管に針も刺せず状態が悪化し、その事が後日世間で問題に成りました。その医師を攻撃する勉強不足のマスゴミ側は、医師は皆同じだと思っている訳です。しかしそのアルバイト医には彼なりの言い訳が有りました。「この話が出た時に、自分が行っても構わないが、何か起きても何も出来ない(しない)よ」「それでも結構ですから、宜しく御願い致します」との約束だったとか。
これは大勢の人間が集まるイヴェント会場ですので、「最低限(どんなんでも)医師一人を配置しておけば良い」と考えたのでしょうが、それをずっと縮小した現場が航空機内や列車内でのドクターコールです。勿論この場合に医師には名乗り出る”義務”は有りません。応じるとすればそれはその医師のボランティアです。医師としての応召義務が生じるのは、医師が登録されている診療機関内でそこの医師と分かり、また所定の(勤務)時間内だけです。つまり診療機関への往復途中や旅行中など自分の医療機関の外では身分上は医師でも実務的には医師ではありません。ですから、よくドラマなどで「主人公のスーパードクターが出先で急患に遭遇。カバンから手術道具を取り出し見事な手捌きで・・・」などは現実を知らぬ作者の絵空事です。ブラックジャックの読み過ぎです。大体医師がどこかに移動する際に診療器具など携帯することは有りません。手術道具を持ち歩く外科医も知り合いには一人も居ません。仮にそんな物を携帯して航空機に乗ろうとすればゲートで捕まります。その際「自分は医者だ」と言っても通りません。航空会社から依頼されている訳では無いからです。そのくせ機内で病人が出ると「お医者さんはいらっしゃいませんか」と来る(笑)。機内にはAED以外には医療器具など有りません。代替え出来そうな物も無いようです。つまり徒手空拳で敵に立ち向かう主人公みたいなものです。

これは余談ですが、ちょっと海外に旅行した際に或るグループでバスに乗って遠出する機会が有りました。そのバスに乗る前にホテルで挨拶を交わしたご婦人が大阪の看護師で、その際にこちらは北海道の医師だと自己紹介してありました。そのご婦人、バスに乗るとマイクを取って「皆さん、このバスにはあそこに座っているお医者さんと私オタンコナースが乗っていますのでご安心ください!」。それを聞いた車内のツアー客十数人は一斉に安堵の表情。これには参りました。
by 闇の仕掛け人 (2013-12-25 13:29) 

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