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#1952 釧路の教育を考える会(5月例会) May 28, 2012 [64. 教育問題]

 今夜は冷え込んでいる。午後9時半の気温は3.8度、満開となった千島桜が散り始めた。葉桜だからソメイヨシノの美しさはないが、日本全国ソメイヨシノが咲き誇るよりも北の大地は芝桜や千島桜、国後桜で彩られるほうが風情があっていいのだろう。

 昨日(5月27日日曜日)に標記例会があった。ホテルの3階で珈琲を飲みながら2時間ほど2012年度の提案内容について意見交換をした。
 学校の先生の参加が増えてきたので、学校側の具体的な事情を踏まえて意見交換できるのは喜ばしい変化である。弁護士さんもお一人参加していた。

 ついでだから弁護士さんの数について耳にした情報をメモしておく。
 根室市はひまわり弁護士会の一人のみ。根室の人口は2.9万人、釧路は18.2万人である。では、釧路市の弁護士の数は?
 人口比なら6人となるが、実際には26人で市民7000人に弁護士一人の割合である。帯広市は人口16.8万人で弁護士数は二十数人。
 根室はやっぱり田舎だった。釧路や帯広に住みたい、あるいはそこで仕事をしたい弁護士さんはたくさんいるが、根室はたったお一人。人口当たりでいうと釧路や帯広の約四分の一。住み続けたくない市民が40%の町は、弁護士さんたちの評価も似たような結果になっているのだろうか?
 旧弊を廃し、自分たちが住み続けていたくなるような町をつくるのが先だ。豊かな自然に恵まれているという点では根室は釧路や帯広に劣らない。50年にわたって町づくりに失敗してきたのが根室。謙虚に反省して、前を向いて問題に取り組めばなんとかなるものだ。

(なぜこんな数字を掲げたのか?5日前の北海道新聞で根室の市議会議員定数が問題となっていたからである。人口5万人以下の北海道の市のみをピックアップして比較していたので、バランスをとるためにお隣の釧路市と市議定数を比較してみたい。釧路市は定数28人である。参考までに上げると帯広市は定数32人。市議一人当たり釧路は人口6514人、帯広は5250人、根室は1450人だ。)

 (人口当たりで見ると根室の市議数は釧路や帯広の4倍前後である。それでも市議本来の仕事を市議の三人に一人でも果たしていれば市議定数を削減要求が四市民団体から提出されることはなかったに違いない。
 市議本来の仕事とは市政チェックと政策提案である。市立病院事業や市立病院建て替えにかかわるかなり乱暴な市側の予算案をそのまま承認するだけでは市議会はあって無きがごとし、そういう市議会に市民は飽き飽きしている。
 残る任期は一年とすこしである。このままでは市議の意識と市民の意識はどんどんはなれていくように見える。学力問題でももっと積極的に動く市議が現れてほしい。)


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cccpcamera

 関係のないコメントで申し訳ないのですが、ちょっと教えてください。
 ここ数年、根室高校の進学実績は素晴らしいものです。今年は、札幌医大や旭川医大にも進学しているようで、このような実績を保てれば、医師不足の問題はおのずと解決します。根室高校快進撃の原因は何でしょうか。根室は、教育行政が成功しているのではないかと思いますが、いかがでしょう。
 札幌医大や旭川医大の数学入試問題は難しいですよ。よほど、問題をこなしていないと合格は無理です。それに、出題に癖があって、受験テクニックが必要な問題が多く、有名予備校に通わないと不利なので、田舎の子が合格するのは大変でしょう。
by cccpcamera (2012-05-29 08:51) 

ebisu

おはようございます。
cccpcameraさんは根室高校ホームページの進学実績をみたのでしょうね。
旭川医大は医学部です、新聞報道に載りましたから。根室市が奨学金を使ってほしくて申し出たという記事です。札医大のほうの合格者にはそういう申し出はなかったようですから医学部ではなかったのでしょう。保健医療学部があります。
事実確認はしておりませんが、どなたかご存知の方がいればコメント欄は書き込んでくれるかもしれません。

毎年医大へ合格者を出せるなら根室の地域医療は心配ありませんが、そういう状況にはありません。
次に、旭川医大へ合格者がでるのは8年後くらいになるでしょう。これではとても地元の医療を支えきれません。

根室の中学生1学年の人数は220人から280人ほどです。なかには群を抜いて学力の高い生徒がいます。そういう生徒たちはなにをどうしても勝手に自分で伸びて行く力があります。
学年に1~2人、そういうレベルの生徒がいます。学力テストで数英両方同時に100点を取るようなレベルの生徒は道内で行われている学力テストでは学力の測定はできません。そういう生徒でも中3の1月に東京都立高校の入試問題をやらせてみると、当初は70点台、85点くらいです。
(今年300点満点で200点の生徒が都立高校問題をやらせたら、どちらも90点いきましたが、入試の点数は240点まで伸びていました。)

問題のひとつはお金です。1浪すれば合格圏に入れそうな生徒がいても、家庭の事情でそういう選択肢を取れないケースがあります。
それから、地元には東進予備校を併設している塾がありますが、国立大学進学レベルだと医学部でなくても年間120万円の授業料負担という話しを耳にします。3年間で360万円の授業料負担のできる家庭は経済的に疲弊している根室には多くはありません。一浪すれば480万円の負担です。
こういう生徒の問題は社会人になってからです。受験勉強のやりすぎはパターン練習が癖になることが多いので、頭をかたくしてしまいます。「指示待ち人間」に育ててしまう危険が常に伴っています。

もう一点、公教育が成功しているかという点ですが、これは二つに分けて考えなければなりません。
根室高校は夏・冬・春休みだけでなく、普段から放課後の「レベル別進学講習」を繰り返し実施しています。正直頭が下がるし、ありがたい。高校の先生たちは生徒のレベルがこの数年どんどん下がっているのを実感しながら、何とか進学実績を落とすまいと必死なのだと思います。

中学校はひどい。中学生の学力上位層(学力テストで5科目平均点80点超の階層)が消滅しつつあります。7年前に20~25%いましたが、いまでは5%をはるかに割っています。実態は3%前後でしょう。東京都に比べると実施している学力テストの難易度はとても簡単なものです。(北海道と東京都の入試問題を比べてみるとよくわかります)
中学校がひどいということは、小学校の学校教育の破綻を意味しています。分数計算のできない先生が実際にいらっしゃった。驚いて三人の生徒のノートを確認しました。学習指導要領にこだわってヘンな教え方を編み出してしまったようです。学校行事で頻繁に授業をつぶしても市内の小中学校はどこも同じだからだれも違和感を感じていません。転勤族があきれています。

その難易度の低い中学校の学力テストを一例に挙げます。市街化地域のC中学校で行われた4月の中1の学力テストで4科目(新1年生だから英語テストがない)で平均点80点を越えた生徒は1人のみです。

市街化地域の3校の学力レベルが急激に下がっているので、根室高校の先生たちがいくら努力しても徒労になりそうな状況がまもなくはじまります。
学力テスト平均80点というのは進研ゼミの全国模試で偏差値45程度です。平均90点で全国偏差値50弱です。

根室は田舎ですが、ときおりとんでもなく「できる子」が出現します。ちなみにわたしのとなりの家に3学年下の男の子がいましたが、知能指数180でした。当時は塾もありませんし、さして勉強もしていませんでしたが、北大にすんなり合格しました。ああいう生徒が医学部進学を目指せば10年に一人は道内公立医大合格者がでるのでしょう。

by ebisu (2012-05-29 11:16) 

つきた

遅くまで御苦労さまでした。
私は、次の日のことがあって2次会で失礼しました。
次回は6月下旬になろうかと思います。
また是非、お越しください。
新しいゲストも検討しています。
by つきた (2012-05-29 12:53) 

tosshi

こんにちは。
いつもブログを読ませていただいております。

ebisuさんの記事はいつも興味深くて同感です。ただ今回のebisuさんのコメントにどうしても納得できず、絶対に間違っていることが書かれていたのでコメントさせていただきました。


>地元には東進予備校を併設している塾がありますが、国立大学進学レベルだと医学部でなくても年間120万円の授業料負担という話しを耳にします。3年間で360万円の授業料負担のできる家庭は経済的に疲弊している根室には多くはありません。一浪すれば480万円の負担です。


このことに関してですが、実際にかかる金額は全然違います。
東進では1講座(20回分の授業)受講するのに73,500円かかります。そして東進に通う生徒達は自分達のレベルに合わせて、どのレベルの講座を取るか、何講座取るかを決めます。

実際に生徒達が取る年間の講座数は3~7講座くらい、あったとしても8講座くらいではないでしょうか。(私は多い時で6~7講座だった気がしますが・・・) つまり講座の受講料にかかる金額は22.0500~514,500円(3~7講座)です。
ただしレベルが高い、または難関大を目指せるという生徒で7講座です。なぜなら学力が高くなければそんなに多くの講座を1年間で処理できないからです。毎回授業を見たら知識を定着させるために復習、その他講座の内容を確認するテストをしなければいけませんし、、単語を覚えるためのツールが使えます、というか使わなければもったいないです。そして、あまり理解できなかった回の授業、さらに知識を定着させたい場合は繰り返し同じ授業を見ます。また、講座とは別に自分たちで問題集を探して自習します。

年間120万円ですと、1講座(20回の授業)73,500円なので
1,200,000 ÷ 73,500 = 16.32635
つまり年間16講座受講、
16(講座)×20(回) = 320 
ということになり、年間に320回もの授業を受けなければなりません。(ちなみに1回の授業は90分です)

1年間は365日です。
講座のレベルが上がるにつれて、授業を1回見るだけで全ての授業を完璧に理解できる人はいませんし、もう一度同じ授業を見ること、また復習や問題集をやるための自習時間を考えると、1年間で320回もの授業を処理するのは難しいです。また休日がある、受験生であればセンター試験や赤本対策をすること考えればほぼ不可能ということが分かります。
それだけ受講したとしても処理できずにお金を無駄にするだけです。よほどの天才で経済的に余裕がある人だとあり得るのかもしれませんが。


つまり年間に120万円も授業料がかかるというのはあり得ません。


ちなみに講座の受講料とは別に入学金31,500円、指導費31,500円というのがかかるみたいです(毎年色々と仕組みが変わるためはっきりとはわかりませんが)。
5回や10回の授業で1講座という値段の低い物もありますが、それらも考慮して全部でどれだけ講座を受講するかを決めます。私の場合、通常の講座(1講座20回ののやつ)にセットとしていくつか付いてきました。

どちらにせよ、年間学費が120万円というのは到底あり得ない話です。



その塾の経営者は、年間学費が120万とか150万かかるという噂があることは昔から知っています。しかし、いつ、どこから、なぜそのような噂ができたのかはわかりません。
また、その噂が全くのデタラメであることは、塾に通っている生徒全員、そしてその保護者達は全員知っています。
私はその噂を知っているので、ebisuさんも含めて根室の多くの人達がその噂のせいで誤解をしているということも分かります。ですが、それは全くのでたらめであるということを分かってもらいたいです。




さて、ここからは私の考えです。

>こういう生徒の問題は社会人になってからです。受験勉強のやりすぎはパターン練習が癖になることが多いので、頭をかたくしてしまいます。「指示待ち人間」に育ててしまう危険が常に伴っています。


地元の東進予備校を併設している塾に関して話します。
東進では全ての勉強を映像を見ることに費やすわけではありません。復習や自習も当然します。そしてこの根室の塾では、自習室でそれぞれの生徒達が勉強をし、分からないところはお互い教えあったり(違う学年の人に聞いたり)、塾の先生、大学の休み期間にアルバイトをしにくる塾を卒業した大学生達に教えてもらいます。

どの生徒達、先生、大学生達も映像の授業だけで行きたい大学に合格できるとは思っていません。映像の授業でやった内容に似た問題やレベルの違う問題集をやってより理解し、、苦手なところはもっとやって苦手分野を無くす。映像授業が一つの大きな柱となって、それに自分たちで肉付けをしてその柱を強くしていく、といった感じでしょうか。自分たちで考え、必要な問題は何かを探し、勉強をする。何度言われてもその通りにしない生徒もいるので100%ではないですが。

そして、ときどき塾の先生が黒板で授業をしますし、大学生がいるときは大学生達が黒板で授業をしてくれることもあります。
つまり、この塾は映像授業を柱としているけれどもそれが全てではありません。

コミュニケーション能力がありアクティブな人もいれば、シャイで消極的な人もいる。これはどこも同じだと思います。私がその塾にいた時はオリエンテーションを開いた時などに先生が、「ただ勉強ができるだけでは人間力のある人に育たないし、就職もできない」という感じのことをよく言っていました。生徒の将来の事も考えて話をします。先生はただ勉強ができれば良いとは思っていませんでしたし、私も思っていません。最終的にどうなるかはそれぞれの生徒次第でしょう。変わる生徒もいれば変わらない生徒もいます。


つまり、少なくとも根室にある東進を併設している塾に通っているから「指示待ち人間」に育つ、ということは言えないと思います。


根室以外の東進はほとんどが大学がある町に存在しているので、根室と違いいつも大学生が講師としています。大学生に直接教えてもらえるわけです。他の東進でも同じく「指示待ち人間」に育つことは多分ないのではないでしょうか。通ったことがないので「多分」に留めておきます。


もし授業内容が映像だけで、昔からずっと一人だけで勉強ばかりしていると、たしかにebisuさんの仰るように「指示待ち人間」に育つかもしれません。あとは小さい時からずっと与えられた物だけやって、敷かれたレールの上だけを通ってきた人達の方がよほど「指示待ち人間」に育ちやすいと思います。



by tosshi (2012-05-29 16:57) 

ebisu

つきたさんへ

ますますメンバーが充実していますね。意欲的な学校の先生たちと話しができる機会が増えそうです。

なかなかいけませんが、日曜日に開催されるときはできるだけ都合をつけようと思います。
by ebisu (2012-05-29 22:43) 

ebisu

tosshiさんへ

一生懸命自分の経験上、知りえたことを書いてくれたことを感謝します。
納得できないことはそう表明する、根室の大人たちにはなかなかできないことです、その点も好感がもてます。

>その塾の経営者は、年間学費が120万とか150万かかるという噂があることは昔から知っています。

わたしは120万円とは書きましたが、150万円とは書いていません。
私が聞いたのはある国立大難関校受験者の話です。そのケースが一般的でないことはもちろん承知しています。詳しい話は個人が特定されるので書きません。おそらくそれがマックスなのでしょう。

>講座のレベルが上がるにつれて、授業を1回見るだけで全ての授業を完璧に理解できる人はいませんし、もう一度同じ授業を見ること、また復習や問題集をやるための自習時間を考えると、1年間で320回もの授業を処理するのは難しいです。

これもその通りでしょう。「難しい」。
90分を年間320回とることは難しいとあなたは書いています。難しいことと、そういう事実があるかないかは別問題です。それはおわかりでしょう。

通常の受験生がそんなにたくさんの講座を採る必要がないことは根室高校の進学実績をみても理解できます。偏差値55を超える学校は概ね1割の10~15名前後ではないでしょうか?偏差値55~60の学校の受験者はあなたがいうようにチャンピオンデータの四分の一から半額くらいの25~60万円なのでしょう。それを否定するものではありません。

わたしはチャンピオンデータの話しを書きました。町に流れている噂を書いたわけではありません。
わたしはブログに具体的な裏付けのないことはなるべく書かないようにしています。それはわたしのブログをお読みいただいていればお分かりでしょう。

それから、そういうチャンピオンデータのような塾の利用の仕方をすれば、コミュニケーション能力や学習習慣に極端な偏りができてしまいます。それは社会人になってからはリセットできない性質のものです。だから社会人になってから何年もたって深刻な影響が出るのです。モノには限度があります。
(この点も理由があってこれ以上言及しません。)


高校時代の勉強は受験だけでなく、興味のある分野の専門書や文芸・文学書、そしてできれば哲学書もいくつか読んでみたほうがいいのです。
そういう指導はされませんでしたか?

受験勉強ばかりしていたらカタワになります。東京で働いていると有名大学出身者がいくらでもいますし、一緒に仕事をする機会もあります。受験勉強をやり過ぎた人が30代や40代でつぶれるケースが目立ちます。
高校時代は受験勉強もすべきでしょうがそれ以上にレベルの高い本をたくさん読むべき時期です。この時期は感受性が違います。頭のよい生徒たちはレベルの低い受験参考書などほどほどに切り上げて、文学・哲学などへも興味を広げたらいかがでしょう。
英語だって、ジャパンタイムズをテクストにすればまるで世界が違ってきます。大学院受験レベルまでストレートにつながっていきます。

若者らしい元気のよい率直な意見に触れてわたしのコメントも幾分長くなりました。

いい時代です、見知らぬ人とネットで議論ができます。
反論や異論があればどうぞコメント欄へ書き込んでください。歓迎します。(笑い)
by ebisu (2012-05-29 23:31) 

Hirosuke

>「指示待ち人間」

「ロボットのような人間」と感じているかもしれませんので、別の言葉で言い換えましょう。

「重大な事実が起きない限り、問題に気付かない人間」

20代後半までの僕の姿です。

by Hirosuke (2012-05-30 01:03) 

Hirosuke

>重大な事実

何が起きたのかは、コレを読んで下さい。

YAMATO高校♪合唱部 「わが◆マイルストーン」2
http://hironagayuusuke.blog.so-net.ne.jp/

by Hirosuke (2012-05-30 01:08) 

cccpcamera

 旭川医大合格は突発的ですか。それは残念。でも、北大に3人も合格しているので、やはり、根室高校の実績は大きく向上しています。根室高校の努力により達成したのであるならば、将来は明るいはずです。
 中学校のレベルの低さを御懸念のようですが、数学・物理は高校+1浪で十分に取り戻せます。世界史・古文は元々中学校では少ないので、気にすることはない。ただし、英語は気になりますね。

 東進は首都圏にも有り、知り合いの子供も通っていたので、根室の東進の内容や授業料も推測できます。駿台・河合などと同様、安価な塾です。
 安価な塾に年間100万以上払う人もいますが、たいてい失敗します。子供が勉強できないとき、勉強したことのない親は、塾に行かせさえすれば成績が上がるような錯覚に陥り、塾の時間を長くする。しかし、本人は自分で勉強しないために、成績が上がらない。そういう子供を何人か知っています。
 もっとも、塾代を払っても有効活用しない場合があります。取りあえず、必要と思われる授業を取っておいて、必要な時に使う生徒です。無駄に塾代を使う、お金持ちのすることだけど、勉強のうえで悪いことではない。塾に年間120万円使って国立大に合格した子もいるだろうけれど、120万円使わないと合格できなかったわけではないでしょう。
 以上は、駿台・東進のように安価な塾の話です。東京だと、平岡・トッフル・SEG・テツロクなどは、塾代も高くなります。

 受験勉強ばかりしていたらカタワになるとのご意見については、若干異論があります。
 本を読まないで、百升計算の練習ばかりしている小学生がいたら、人間的におかしくなるかもしれません。そういう低レベルの受験勉強で、低レベルの大学に入る子には、受験勉強の弊害が現れるかもしれません。
 しかし、Time誌を英語の勉強で購読しても、社会を知るための趣味で購読しても、同じことです。古典を古文の勉強で読んでも、趣味で読んでも同じものです。そう言う訳で、高度な受験勉強は青少年の人間形成に大いにプラスになります。東大・一橋大の世界史の入試問題を見てください。受験勉強の中で、人間的に成長していないと歯が立たない問題です。数学だと、あまり気が付かないかもしれないけれど、東大・京大の問題などは、まともに成長した子でないと、難しいでしょう。旭川医大の数学入試問題は、偏狭な受験勉強が必要な面もありますが。
by cccpcamera (2012-05-30 10:01) 

ebisu

Hirosukeさん、おはようございます。

「指示待ち人間」の意味についての補足ありがとうございます。社会人経験がないとなかなか伝わらない語彙だということがわかりました。

単純化して言うと、自分の頭で考えることの苦手な人、自立して考えることの苦手な人とでも定義すればニュアンスが伝わるのかもしれません。

人間というものはある時期毎日繰り返したことが習慣となり、それはやがて基本的な思考パターンとかその人の基本的な行動パターンを形作ってしまうものなのです。それは気がつかないうちに人間の基本的性格にまでなってしまいます。だからそこのところを規定する中高生時代の学習習慣をわたしは重視します。

tosshiさんのコメントにありましたが、5講座も塾に頼る生徒はその時点でほとんどアウトです。すでに依存体質が出来上がっていますが、本人も親もそのことには気がついていないのでしょうね。おそらく一生懸命にやっているのです。
自立的に学習することのできない性格を一生懸命につくっていることに気がつきません。
3講座くらいにとどめるべきでしょう。ほかは自分で参考書や問題集を選んで勉強する。わからないところは学校の先生に聞く。親切な先生ばかりではありませんから、塾に通っていれば塾先生に質問する。
人とか塾とか何かに過度に依存する勉強スタイルはいけません。

カルトのオーム心理教の信者は教祖麻原への依存が顕著でした。「帰依」という言葉でもいいでしょう。信者は自分の頭で考えることを停止した。教祖の言葉がすべてです。本来宗教とはそういうもので、たぶんに危険性も孕んでいます。だから、教祖が本物かどうかを見極める判断力や思考力が必要なのです。

そういう思考力や判断力は思春期にある程度のトレーニングで意識的に形成することができます。何者にも頼ることなく独力で勉強する部分を半分くらい残しておくのです。
受験勉強は学習レベルの中ではうんと低いものです。それに気がつくのはその上のレベルの勉強を開始したときです。
サリン事件の時には、なぜ理系の優秀な学生がカルトに簡単に引っ掛かるのかということがマスコミで取りあげられましたが、それは当たり前のことなのです。受験勉強のやりすぎで、傾向や分野の異なるたくさんの本を読み「地頭」を鍛えなかったからです。

たとえば、源氏物語を繰り返し音読してから100ページくらいノートに写して、単語を一つ一つ辞書で引いて書き写し、自分の現代語訳をつけていく。百ページ終わったら、林望『謹呈 源氏物語』の格調高い現代語訳と自分のものを一文ずつ比較対照して、なぜそういう訳になるのかじっくり考えてみる。

たったこれだけのことでも無限に大きなものを手に入れることになるでしょう。自分の頭で考えるというトレーニング時間を数百時間もつことになる。そのことがそういう作業をした人の基本的な学習スタイルを形作る。
社会人となって、困難にぶつかったときに、自分でなにを調べたらいいのか、誰に聞くべきかの判断力はもちろん、ある程度のところまでは自力で険しい山道を登ることができるようになっています。

わたしは高校2年のときに公認会計士2次試験の勉強を始めました。もちろんそういうレベルの指導ができる先生は根室高校にはいませんでした。だいじな分野は学説の異なる2人の学者の書いた本を読みました。受験勉強にとどまっておられず、近代経済学に飽き足らずに、図書室にあったマルクス『資本論』やヘーゲルの著作を読むことになりました。もちろんさっぱりわかりませんでしたよ。ニーチェやハイデッカーは自分で本を買って読みました。
わからないながらもストレスを感じながら半分でも読んでみるという経験があの時期には必要なのでしょう。マルクスやヘーゲルの著作を読むときにはページに1日かかっても意味がわからないことが度々だった。わかったつもりで数ページ進んで、ではどういう意味合いがあってこういう順序で説明がなされているのだと考えたときに、わかったものが崩れて再び森のまっただ中に取り残されている自分に気がつく。何度も何度もそれを繰り返しました。高校生の時期にです。今から考えるとそれがよかった。

高校生の時期に公認会計士2次試験受験参考書レベルを超えて自分の頭で問題意識を育て考え抜いたことが私の基本的な学習スタイルを形作ってくれました。

もちろん失敗もありましたよ。大学に行こうと決めたのは高校3年の12月ころでしたね。受験は失敗でした。なめていました。勉強しなけりゃ合格しない単純な事実に気がつきました。
1年間代々木ゼミに通いましたが、この期間は神田や高田馬場の古本屋回り。本を買い込んで片っ端から読んでいました。経済学や哲学の専門書や専門雑誌が主体でした。それでよかったのだと思います。脳内の神経ネットワークが高校時代と予備校時代に飛躍的に拡大したのでしょう。そういうことが必要な時期でした。脳の成長期に必要な滋養を大量にインプットしていました。

社会人となってからは、実力がものをいいます。それは自分の頭で考え抜く力です。一流企業に新入社員で入るためにはそこそこの大学を出ている必要があります。旧帝大や慶応、早稲田がそうでしょう。でもそこからは競争です、実力の勝負。「地頭」のよさが武器です。受験頭は時間をかけて仕事の責任が重くなるにしたがって脱落していきます。具体例をいくつか見ました。

いい会社にはいらなくてもいいのです。入社した会社を上場させるくらいの気概と実力がもてるかどうかです。入社した会社を一流企業にすればいい。20~30年でそれができないなら、それはあなたの能力が低かったということ。「地頭」を中高生で鍛えた人は可能性があります。チャンスはいくらでも転がっているものです。

何かを犠牲にしないと得られるものなどないのだと思います。
高校時代の勉強スタイルは何にもましてだいじなものだとわたしは確信しています。高校を卒業して根室を離れて東京で暮らした35年間の経験の裏付けをもった言葉です。
40代になってから大きな挫折をする芽を育てないようにしてください。中高時代に勉強スタイルをきちんと確立しておくことはワクチンのようなものです。(笑い)
by ebisu (2012-05-30 11:11) 

ebisu

cccpcameraさんへ

じつは今年の春の進学実績がよいことは2年前から予測のついていたことでした。
私の母校のA中学校から根室高校普通科へ進学した生徒は通常は学年10番以内に2人くらいしかいませんが、半数を占めていました。つまり、「豊作」の学年だったのです。レベルの高い生徒が5人揃うと、その生徒たちが競争するので上位層のレベルが上がります。
ひとつの中学校で5人くらい群を抜いている生徒の集団があることが進学実績を上げるメルクマールなのかもしれません。
そうならば、小中学校の統廃合を急ぐべきなのでしょう。市街化地域の3中学校はおおむね学年50~80人、2クラスです。

> 中学校のレベルの低さを御懸念のようですが、数学・物理は高校+1浪で十分に取り戻せます。世界史・古文は元々中学校では少ないので、気にすることはない。ただし、英語は気になりますね。

 「高校+1浪で十分に取り戻せます」、そこまで枠を広げるなら同意できますね。英語はセンスだけではなんともなりません、たくさん読まないといけないし、時間がかかりますが、英字新聞を1年半読めば大学入試レベルの長文ならほとんど問題がなくなります。勉強の仕方と投入時間と本人の士気次第でしょう。
北海道の学力テストで5科目合計点が400点を越えられない中学生は高校に入って顕著に伸びるのは本当に珍しい。そういう学力上位層が市街化地域の3校でたった4人しかいない学年が出始めているから、今後の進学実績に懸念をもたざるをえません。7年前には50人を超えていました。根室高校の進学講習というシステムが同じでもインプットされる生徒の質ががくんと下がってしまいますから、アウトプット(進学実績)に影響がでます。

大事な論点がありましたね。
>受験勉強ばかりしていたらカタワになるとのご意見については、若干異論があります。

通常レベルの受験勉強は興味の範囲を限定せざるを得ませんから、そういう学習スタイルの定着が危険性を孕むと書いたつもりです。

> しかし、Time誌を英語の勉強で購読しても、社会を知るための趣味で購読しても、同じことです。古典を古文の勉強で読んでも、趣味で読んでも同じものです。そう言う訳で、高度な受験勉強は青少年の人間形成に大いにプラスになります。

「高度な受験勉強」というと少し話しが違ってきます。高度になればなるほど興味の範囲が自然に広がってくるものです。広げすぎると時間をとられるので自己規制がかかる。問題はその自己規制が癖になることです。繰り返すうちに習慣となってしまうことです。高校時代の3年間にそういうスタイルを確立してしまったら無意識ですから社会人となってから容易には変えられません。
そうした弊害をなくすためにはどのような学習スタイルを中高生のときに確立すべきかというのが、ふるさとへもどって塾を開いた動機のひとつになっています。

假説に過ぎませんが、ある範囲に興味を限定してしまう勉強スタイルを習慣化することには社会人となってから問題があるということです。

ところでcccpcameraさん、あなたの北方領土に関するブログは、自分の興味のままに自在に多方面から資料を収集し、分析して、ご自分の論を披瀝している。まさに興味のままという自在性をわたしは感じます。人並みはずれた能力を感じます。
あなたの中高時代の学習スタイルに何かヒントは隠されていませんか?
by ebisu (2012-05-30 12:03) 

tosshi

ebisuさんへ


>わたしは120万円とは書きましたが、150万円とは書いていません。私が聞いたのはある国立大難関校受験者の話です。そのケースが一般的でないことはもちろん承知しています。詳しい話は個人が特定されるので書きません。おそらくそれがマックスなのでしょう。



年間学費が120万とか150万かかるというのは、根室に出回っている噂のことで、ebisuさんが150万と書いていないことはわかっています。誤解を生む表現でしたら申し訳ありませんでした。

年間学費が120万かかるという話(一人にかかった金額だとしたら私はまだ信じられませんが・・・確認したいです)はあったとしてもほとんど無い例です。
ebisuさんのコメントは、東進について知らない人が読むと「難関大に行くには年間学費が120万円かかるのは珍しいことではない」と受け止められてもおかしくないものです。チャンピオンデータを使ったことに対して不満を持ったわけではありません。チャンピオンデータが一般的でないとわかっているのなら、通常の学費はは25~60万円であることも書くべきだと思います。正確にわからないなら、チャンピオンデータよりもずっと金額が低いということでも。
データが偏っていたと思います。

ここの塾では本をたくさん読みなさいとよく言われます。何か良い本があれば先生が本を紹介しますし、なぜ本を読まなければいけないのかも言っていました。もちろん最終的に実行するかしないかは生徒次第ですが。
本をたくさん読むことはとても大切なことだと私も思いますし、そういう人には優秀な人が多い気もします。ある程度まで学力が達したら、そこからの差は国語力によるものであり、国語力が全ての科目に影響してくるとすら言われるのを聞いたことがあるくらいです。
読書をたくさんすることは、国語力を鍛え受験に強くなるだけでなく、気が付かないところで感性、知識、人間力を高めてくれる最高のツールでしょう。

ただ受験においては読書だけでなく受験勉強も不可欠になってしまいますね。
優秀な生徒はどちらもやっている、ただ優秀だが読書を全くしていないとどこかで勉強の壁にぶち当たってしまい偏差値がのびなくなる。

読書って大切ですね。


by tosshi (2012-05-30 17:18) 

tosshi

×ここの塾では・・・
   ↓
〇ここの塾でも・・・

が正しいですね(笑)
by tosshi (2012-05-30 17:20) 

ebisu

tosshiさんへ

しっかりしていますね(笑い)
チャンピオンデータだとわかったのはあなたの書き込みがあったからで、それまでは知りませんでした。
そういう具体例を個人名まで耳にして、そのときに驚いたからです。たくさん「講座」を受講したのだろうくらいの印象でした。もちろん本を読む暇はなかっただろうし、学習スタイルも大きく影響されたのでしょう。

標準がどうなのかもあなたがコメント欄に書かれたことを反復しただけです。そしてその辺りが妥当な数字のだろうなという印象ももちました。経済的に疲弊している根室で年間50万円もの授業料を支払えるのは両親ともに公務員とか、裕福な漁師とか、きわめて限定された家庭のお子さんでしょう。それはそれでいい。いろんな人がいていいのです。
その上で、自分に合った塾を選び、塾はほどほどに利用すればいいというのが私の持論です。依存してはいけないし、依存するような指導の仕方は慎むべきというのも持論です。

最後は国語力ですから、塾の先生ならほとんどの人が同意見でしょう。わたしは中学生の全学年に日本語テクストを使った音読トレーニングをしています。
中1は斉藤孝著『読書力』(岩波新書)、中2は藤原正彦著『国家の品格』、中3は林望現代語訳・世阿弥著『すらすら読める風姿花伝』 藤原正彦『日本人の矜持』です。

>読書って大切ですね。

そうですね。
迷わず大いに勉強してください。

どうやら意見の対立や食い違いがなくなったようです。
また暇をみて書き込みをどうぞ。歓迎します。
by ebisu (2012-05-30 22:42) 

Hirosuke

「人は何かの犠牲なしに、何物も得る事はできない。」

from 【鋼の錬金術師】

by Hirosuke (2012-05-30 22:52) 

ebisu

【鋼の錬金術師】はアニメですね。
よく行くラーメン屋にはたくさん漫画の本が置いてあるのですが、ずいぶん前に何冊か読んだような気がします。

ときどき本を入れ替えているのでもうあるかどうかわかりませんね。
医の全摘手術を境に漫画の本をあまり読まなくなりましたがどうしてだろう?急激に興味が薄まったのです。
by ebisu (2012-05-30 23:22) 

cccpcamera

お尋ねのようなので、自分のことを書きます。

 私の高校生時代の勉強法は変わってます。中学は田舎の公立なので、ほとんど勉強していなかった。
 高校時代は地元の公立進学校(高崎高校)です。数学の勉強法は、高崎市の大型書店で、数学の参考書や問題集を片っ端から買って、すべて解きました。校2・校3では授業は聞かないで問題集を解いていました。
 都会の子は有名塾で正しい受験指導を受け、適切な参考書や問題集が分かっているだろうけれど、自分はそういう立場ではないので、普通にしていたら負けるに決まっている。負けないためには、すべての問題集、すべての参考書をマスターする以外に方法はないと思いました。物理・化学・英語・体育以外の授業中は、たいてい数学の問題を解いていましたし、電車の中や、学校の休み時間も数学の問題を解いていました。自分よりも数学の問題を解いている奴は日本中に居ないと思っていました。
 物理は数学のおまけで楽勝だったし、化学のうち、無機は中学のとき理科部で理科室に入り浸っていた関係で、楽勝でした。化学のうち有機分野は苦手で、英語は出来なかった。それ以外は、メタメタだけど気にしていなかった。

 小学校のころから国語や文学は嫌いで、不当な勉強だと思っていました。高校2年のとき、哲学書(カント・ヘーゲル・エンゲルスなど)を読んで、自分の考えが正しい確信しました。哲学は書いてあることが書いてあって、書いてないことは書いていない。数学の問題と同じです。文学は書いていないことを読む。数学の問題と違って、違和感があります。
 
 国語重視の教育姿勢は誤りだと思います。文章は、書いてあることと、書いてないことを正確に分別すべきで、それは、算数の応用問題など、国語以外で培われる能力です。書いてあることと書いてないことを混乱して、書いてないことに対して、推測で書いてあるかのごとき空想をするのが国語教育です。それだけではないけど、極論すれば、そういう面があるでしょう。
 私の北方領土問題のページの、もうひとつの意図は、算数応用問題が好きだった元少年による、国語教育への不信です。
by cccpcamera (2012-05-31 12:34) 

ebisu

cccpcameraさんへ

やっぱりね、とてもユニークだった。
すばらしい、そして愉快です、どうユニークなのかが知りたかった。

数学にのめりこんだのですか、他のいくつかの科目を棄ててまで。徹底してましたね。棄てるものをハッキリさせ、優先順位をつける。高校生時代のあなたはすでに立派な仕事人でしたね。

塾育ちのひ弱な子供たちが増えています。
高校生の時期に誰にも頼らず自力で勉強を続けた者は芯が太くなるようです。社会人となってどのようなもまれ方をしても大丈夫だ。
あなたのコメントを中高生のたくさんの人に読んでもらいたいと思います。
先日、コメントを書いてくれたtosshiさんはもう大学生のようですが読んでくれるでしょう。

国語教育への不信はいまの国語教育が「筆者はどう考えたのか?」というような愚問に埋め尽くされているからでしょう?
私もあれは大嫌い。高校1年生のときに担任のN先生が現代国語と古典を受け持っていました。現代国語は一度も先生が黒板に書いた「作者はこう考えた」という文を答案に書いたことがありません。だって違う考えでしたから、点数を取るために自分が思っていることと違うことを書くのは潔しとしなかったからです。
文章の読解力ではその先生よりも自分のほうが上と感じていました。読みの深さが違う、じつに生意気な生徒でした。以心伝心、その先生からは嫌われました。当然です。成績は50点に甘んじました。あえて一番をとらなかったのは現代国語。バカバカしくて点数にこだわる気にもなれませんでした。

受験勉強を離れて一冊丸ごと味わえば文学もとてもたのしいものです。漫画の本も楽しいですがそれの百倍も楽しいことが実感できます。
その点ではcccpcameraさんにもおそらく異論はないでしょう。
受験勉強で読む文学と趣味で読む文学はそういう設問があるかないかを比べてみても同じ作品の味わいがまるで違う。

じつは高校2年生になると特別に優秀な生徒とは距離をおくように心がけています。
塾への依存から脱して自力で勉強してほしいからです。そこそこ優秀な生徒や並の成績の生徒はずっとお付き合いします。大学生になっても休みになると勉強に来る人がいます。それはそれでめんこい。

高校時代の勉強方についての情報開示、ありがとうございます。
by ebisu (2012-05-31 13:15) 

Hirosuke

第1回目の共通一次試験、
その当夜のニュース番組での、
【現代文】に採問された作者に対するインタビュー。

「正解は何番でしょうか?」
「どれでもイイんじゃないですか。」

高校生だった僕は、
「ははーん。本当は、『ドレデモナイ』って言いたいんだな。」
と思ったのでありました。

by Hirosuke (2012-05-31 19:12) 

ebisu

ははは、笑い話ですね。
作者に聞いたら答えは、
>「どれでもイイんじゃないですか」

作者はどう考えたかというような愚問をつくるのはやめてもらいたいですね。作者ではない問題を作った人の考えに過ぎないのですから。
読解力の低い人が一生懸命に頭をひねり愚問を作って国語嫌いを増やすだけ。

ネットで調べたら、第一回共通一次試験は1979年とありました。
by ebisu (2012-05-31 22:43) 

Hirosuke

>1979年

ということは、
中学生の時の記憶ですね。

「客観式テスト」って一体・・・。


by Hirosuke (2012-05-31 23:27) 

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