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#1667 琴奨菊と中島敦『名人伝』 : 大関昇進おめでとう Sep. 29, 2011 [17. ちょっといい話]

 琴奨菊の大関昇進を祝いたい。
 テレビでどのチャンネルも報じていたが、その表情がよかった。こういういい顔をテレビではメッタに見られない。政治家や官僚でこの半年間にこういう邪心のないいい顔をした人を知らぬ。

*「琴奨菊“万里一空”の境地目指す」デイリースポーツオンライン
http://www.daily.co.jp/sumo/2011/09/29/0004510471.shtml

 「万里一空」は五輪書の一節にある言葉だそうだ。ネットで検索したら「常に冷静な気持ちを保って事にあたるという、状態にあるべきだと指南したもの」と解説をしてくれている人があった。

 中島敦の著作に『名人伝』というのがある。名人の域に達したと自認している修行者紀昌が西の彼方にいる真の名人と言われた老人を訪ねる。紀昌が自分の技倆を見せた後、その老人は紀昌に「不射之射を知らぬ」と告げ、断崖絶壁に張り出した危石の上で今一度射てみよと紀昌に問う。その石に上がり射ようとしたが石がぐらりと動く感じがして小石が先人の谷へ転がり落ちていくのを目の当たりにしたとたんにへなへなと紀昌は石にはいつくばってしまう。

 高所恐怖症の私にはこの場面を想像しただけで這いつくばってしまいそうだし、腰が抜けて断崖絶壁のそんな危ない石の上に乗れるわけもない。
 どのような状況に遭遇しても「平常心」を保ち切るということは至難の業であるということだろうが、この話しには後段がある。紀昌は9年の修行を終えて帰ってきて名人の名をほしいままにするが、弓を手にしない。しまいにはその用途すら忘れて真顔で「これはなに」と人に尋ねるようになる。

 真の名人とは何か、この後段の部分だけでも読んで欲しい。なんという境地だろう、中島敦でなけれ描けないと思わせるシーンだ。
 作者はまぎれもなく稀代の書き手であった、30代前半で亡くなったから「夭折」と言っていいだろう。残念だが、日本文学にこういう書き手は二度と現れそうもない。漆黒の闇に一本明るい線を引いた流れ星のような存在であり、すでに夜空の中に消え去った。彼のように漢文の素養と日本語表現の巧みさを兼ね備えた書き手はもう現れないだろうと思う。私たちに素晴らしい作品をいくつか残して逝った。
 幸いに原文テキストをネット上で公開してくれている。『名人伝』のテキスト原文が載っているURLを記しておくので、ぜひ全文をお読みいただきたい。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/card620.html

[ その話といふのは、彼の死ぬ一、二年前のことらしい。或日老いたる紀昌が知人の許に招かれて行つた所、その家で一つの器具を見た。確かに見憶えのある道具だが、どうしても其の名前が思出せぬし、其の用途も思ひ當らない。老人は其の家の主人に尋ねた。それは何と呼ぶ品物で、又何に用ひるのかと。主人は、客が冗談を言つてゐるとのみ思つて、ニヤリととぼけ[#「とぼけ」に傍点]た笑ひ方をした。老紀昌は眞劍になつて再び尋ねる。それでも相手は曖昧な笑を浮べて、客の心をはかりかねた樣子である。三度紀昌が眞面目な顏をして同じ問を繰返した時、始めて主人の顏に驚愕の色が現れた。彼は客の眼を凝乎《じつ》と見詰める。相手が冗談を言つてゐるのでもなく、氣が狂つてゐるのでもなく、又自分が聞き違へをしてゐるのでもないことを確かめると、彼は殆ど恐怖に近い狼狽を示して、吃りながら叫んだ。
「ああ、夫子が――古今無双の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや? ああ、弓といふ名も、その使ひ途も!」
 其の後當分の間、邯鄲の都では、畫家は繪筆を隱し、樂人は瑟の絃を斷ち、工匠は規矩を手にするのを恥ぢたといふことである。]


 "斉藤孝の音読破シリーズ"『山月記』にも所収されているので、紹介したい。ニムオロ塾では小学生の国語の授業で音読テキストにこのシリーズの本を使っている。ルビが振ってあるので、小学生や中学生のいるお母さんたちはこのシリーズの本を子どもに買い与えて欲しい。児童書の世界から大人の世界へとこどもを誘ってくれる。精神の成長にこういう名著がその糧となるだろう。日本語語彙を楽しく豊かにするのにもとっても役に立つ。何より何より内容が素晴らしい。こどもたちと一緒に繰り返し読んでもらいたい。

 思春期にこういう本を読んでいたら、スポーツや勉強がちょっとできたくらいで威張るような狭量な子になることはないだろう。謙虚でまっすぐな広い心をもった大人へと育っていくだろう。
 福島原発事故を振り返ってみて、著名な学者たちが自分の名声や職や研究費のために学者の良心を平気で悪魔に売り渡すことを知ってしまった。マスコミも広告費を払ってくれる大口スポンサーのためなら詐欺ともいえるような偏った報道を繰り返して世論操作に協力することを知ってしまった。これ以上だまされ続けるならそれはもうただの愚か者でしかない。
 世のため他人のためにならぬことには敢然とノーといえる人格をつくり上げることは楽なことではないだろう(「敢為和協」はわが母校根室高校の校訓)。情けない学者やジャーナリストを出さないためにも、子どもの頃にこういう本を読ませてワクチンとしておきたい。

斎藤孝の音読破〈5〉山月記 (齋藤孝の音読破 5)

斎藤孝の音読破〈5〉山月記 (齋藤孝の音読破 5)

  • 作者: 中島 敦
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2005/04
  • メディア: 単行本



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