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#1665 インドの社会活動家アンナ・ハザレ:印度と日本、風土・伝統・価値観の相違 Sep. 28, 2011 [13. 東日本大震災&福島原発事故]

 5時半頃になると日没、暗くなるのが早くなった。根室には冷たい秋風が吹いている。

 毎朝ベッドの中でNHKラジオを聴いている。8時5分からのニュース解説でアンナ・ハザレという社会運動家を取り上げていた。インドには現代のガンジーと崇められる非暴力主義の活動家がいる。彼の手段は命を懸けたハンガーストライキである。
 アンナ・ハザレ(男)は元軍人で農民を助ける運動を始めた。お金のかからない結婚式を求める運動、と言っても日本人の私にはピンと来ないが、カースト社会のインドでは持参金の少ない嫁は虐待を受けたりはなはだしい場合には焼き殺されるというような事件がインドではあったようだ。カースト制度のない日本では考えられないが、インドでは広く人々の共感を得られるような問題なのだろう。

 最近は、汚職防止法案の実現を求めてハンガーストライキに入り、議会が汚職防止法案制定を約束した。ところがその案を見て手ぬるいとまたハンガーストライキに入り、警察に逮捕されると今度はもっと厳しい汚職防止法案を求めて出所を拒否するという行動に出た。インド議会はまたもアンナ・ハザレに法律案を見直し、厳しい者に作り変えることを約束した。

 ハンガーストライキという命を懸けた非暴力主義による抵抗が国民の圧倒的な支持を集めるという伝統的な背景がインド社会にある。それがガンジー以来なのかもっと前からある伝統なのか私は知らない。アンナ・ハザレはチームで動いており、社会運動として組織的な広がりをもっている。

 その国の伝統や風土にあった社会運動は根強い支持を受けるようだが、日本ではどうなのだろう?日本で同じことをやっても国民的な共感や広がりはないだろう。

 原発事故への政府の対応は実に遅いのだが、どういう社会運動が立ち上がってくるのだろうか、それとも社会運動にはなりえないのだろうか。
 広く国民の共感を集めていると思われる武田邦彦氏、小出裕章氏、児玉龍彦氏のような一部の学者の反乱が日本人の風土や国民性にあった運動なのだろうか?かれらに触発されて主要な政治家が動くという気配はない。政治家と官僚たちはこの二人を無視している。
 除染や除染によって出る高濃度の放射性廃棄物の処分をどうするのかすら6ヶ月たっても決まらない。政治の世界は声だけはするが、実際の動きは遅々としている。
 この問題に関しては、東電、官僚、政治家、マスコミが一致して原発推進派となって良心的な学者と対峙しているようにみえる。なぜ、そのようなことが日本では可能なのだろう?

 インドとニッポン同じ俎板に載せて比較してみるのもいいだろうと思って採り上げた。お国柄、国民性、伝統的な価値観、カースト社会とカーストのない社会、それらのいずれもが異なっている。おそらくは政治や社会運動のあり方も・・・
 


*「【インド】汚職防止法案に抗議のハザレ氏、出所を拒否」ヤフーニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110818-00000003-indonews-int

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コメント 6

miopapa

あの60年代の学生運動のエネルギー
私は、少し年が若すぎ、
事の是非や深い意味にまで考えが及ばなかったものの
でも、あのすごさだけは今もしっかりと感じているだけに
あの団結力?とエネルギーが、
こそが、今の日本に必要であり抜け落ち、
なくしてしまったもののような気がしてなりません。

期せずして、今朝
3日前に経産省を辞めた元官僚がテレビの中で
根本的な財源の見直し、掘り起こしをする前に増税ありきの
政府の姿勢について話されているのを聞いた後で
きょうのUPを拝見し、鷲には上手く紹介できませんが
規制緩和をすることで、産業の活性化が計れ
そこから新たな財源の捻出も可能なのに、
東電のような企業が日本の基幹産業を握っていて
規制緩和が容易に出来ず・・・・・

>この問題に関しては、東電、官僚、政治家、マスコミが
>一致して原発推進派となって良心的な学者と対峙して
>いるようにみえる。
>なぜ、そのようなことが日本では可能なのだろう?

このことにも、まさに当てはまっているように思えています。


by miopapa (2011-09-28 18:51) 

もやしさんま

山本太郎ガンバレ
by もやしさんま (2011-09-28 19:16) 

カミオカンデ

>この問題に関しては、東電、官僚、政治家、マスコミが一致して原発推進派となって良心的な学者と対峙しているようにみえる。なぜ、そのようなことが日本では可能なのだろう?

独占企業で宣伝する必要もないのに、東電の年間の広告費は250億円。使途を辿っていけば答えは言わずもがなでしょう。御用聞き学者へ直接的にではなく研究費という名目で金が流れていたりしてね。某新聞社なんか、年間どれほどもらっているか、原発に対する論調みればそういうカラクリかと思える。マスコミ記事を根拠に、それが正しいと思って物事を考える時代はとうの昔に終わっています。真実はいつも現場にあり。
by カミオカンデ (2011-09-28 21:18) 

ebisu

miopapaさんへ

60年代後半の学生運動のエネルギー、すごかった。
団塊世代の私はあの渦中にいました。
あれはエネルギーのみ、勝つための戦略なしのお祭り騒ぎでした。でもたしかに何か地鳴りのようなすごさはありましたね。

いまの大学生をみると、そういうエネルギーがまるでなさそうです。就職もままならぬ状況では元気もそがれるのでしょうか?

60年代後半は、若者たちの大きなエネルギーが社会問題に向かった時代でした。
by ebisu (2011-09-28 22:38) 

ebisu

もやしさんまさんへ

そうでしたね、学者だけでなく役者もがんばっていますね。

山本太郎もがんばれ!
by ebisu (2011-09-28 22:39) 

ebisu

カミオカンデさんへ

たったの250億円で世論操作ができるんですね。10年間で2500億円、結構な額ですね。

大学へは研究費がどれほどばら撒かれているのやら。
学者としての良心を売り渡した御用学者たちが原子力安全委員会や外部応援団になっていますね。
「ただちに健康に被害があるわけではない」と2ヶ月近く言い続けていたNHKの科学文化部員のMもそうですね。

みんな食うためには平気で学者の良心を悪魔に売り渡します。
新聞社やテレビも大口顧客には報道機関としての中立性や独立性を忘れ、批判精神を麻痺させて、お金をくれるスポンサーとして崇め迎合するのみ。
なんとも情けない日本人が多すぎるような気がしますが・・・

>真実はいつも現場にあり

そんなマスコミに惑わされてはいけませんね。
by ebisu (2011-09-28 22:47) 

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