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#1541 疑問文と否定文の区別がつかぬ・・・ Jun. 5, 2011 [62. 授業風景]

 昨夜は雷鳴があり1時間ほど雨が降った。朝から晴れ上がって気温は上昇中。今日の最高気温は予報では17度、最近では一番暑い日となりそうだ。サイクリング日和。

【基本動作(=読み書きソロバン[計算])速度の重要性】
 中1で生徒は英語を習う、こちらは教えるのだが、これがなかなかたいへんなことがある。日本語を英語に訳すときに、日本語が理解できない生徒が少なからずいるのである。
 もちろんこうした生徒に数学の文章題の文意もつかめようはずがないし、かてて加えて基礎計算能力にも問題を抱えているケースがほとんどである。小数や分数の計算は半分もあわないし、計算スピードが極端に遅い。
 計算速度が速い生徒ほど結果は逆に正確なのである。それは読む速度の速い生徒ほど文意を正確に捉えているのに似ている
 計算に限ってみれば、速い生徒と遅い生徒の速度差は10対1より大きい。問題演習していると、速度の速い生徒は集中力が違うから、機が散漫になりお喋りしながら計算する生徒と実際にはさらに2倍、つまり20倍もの差がでてしまう。
 速度が10分の1だと単純計算でも90分の授業時間に計算の速い生徒の9分ぶんしか勉強していないことになる
 書くスピードも遅いから、黒板に書いて説明したことの半分も書き切れないし、新しいところの説明をしても、10分も前に説明し終わったところを必至に写しているから説明が聞けない。そしてつねにいま説明していることを聞き逃すことになる。計算スピードや書く速度が数分の一の世界とはそういうことなのである。基本動作(読む・書く・計算する)が人の3倍も時間がかかるとどれほどのハンディキャップになるかお分かりいただけたのではないだろうか

【国語が大切⇒小学校で英語教育の愚】
 小学校でこの4月から英語教育が始まっている。母国語という土台が半ば崩れているのだから、その上に作られる外国語教育へも影響が及ぶだろう。
 習得した外国語は母国語以上にはならぬ。その肝心の母国語の語彙力や運用能力がこれほど劣化してしまったら英語の能力も早晩落ちてくるだろう。会話重視で、日本語と同じようにレベルの高い本が読めなくなる。会話の内容も空疎なものにならなければいいが・・・。流暢に話すことよりも、話す内容が大切なことはいまも昔もそして未来も変わらぬ
 実際、日本人の標準的語彙力はガンガン落ちており、話の通じない、日本語の文書の読めない、書けない大人が増えている。30年経ったときに日本的情緒の微妙なニュアンスが理解できない大人たちが増えて日本文化が変質するのだろうか、それとも学力上位層の者たちによって日本的情緒と日本文化は引き継がれていくのだろうか、縄文以来日本列島で1.2万年をかけて培ったものがそう簡単に失われるとも思えない。

【具体例:生徒の質問"疑問文・否定文ってなあに?"】
 どういう状況か具体例を挙げてみよう。中1の生徒で英文和訳の問題文の日本語が平叙文か疑問文か否定文かの区別がつかないのである。
 新学期が始まってまだ2ヶ月だから難しい日本語の文章はでてこない。肯定文を否定文に書き換えたり、疑問文に書き換えたりしたあとに、それらがわかればできるような和文英訳の簡単な問題がでてくるのである。"あれは本です"、"これは本ではありません"、"これはバックですか?"等々。
 「先生!ぜんぜん分かりません」と言うので何が分からないのか確認してみると、そもそも疑問文や否定文という言葉が理解できない上に、どういう発話が疑問文なのか否定文なのか弁別もついていない。最初は冗談かと思った。
 ふざけている様子はないので、説明を始める。「~か」で終わっている文は疑問文、「~ではありません」という文は否定文という風に、日本語の文例をいくつも挙げながら仕分けをしてみせると、「わかった、そういうことか」と納得した。
 きちんと説明すれば分かるのだが、集中力が1分ほどしか続かない。すぐに他に気が行ってしまい、隣とおしゃべりを始める。何度注意しても3分たつと元の木阿弥状態が続くが、ここいらが大事なところ。生徒を見放してはいけない、こちらが根負けしてもならぬ、辛抱のしどころである。ここをクリアすれば一息つける"踊り場"にでる。

【書き言葉が理解できない成績下位15%層】
 学年成績下位15%くらいの生徒は日本語能力や集中力の持続にこのような大きな問題を抱えていることがままある。文意がつかめないだけではなく、これが日本人かと疑いたくなるようなボキャ貧層が大きくなっているのは私塾の現場の実感である。
 団塊世代に比べると総ルビを振った本が激減しているので、児童書段階まででその後本を読まなくなることも影響しているのだろう。

親は子供に良質の日本語テクストを与えよ:待っていてはダメ】
 こういうことにならないように良質の日本語テクストを小学校時代にたくさん読ませてもらいたい。文庫本で文学作品がたくさん出ている。新潮文庫の50冊か、ネットで検索すればいくらでも本のリストを手に入れることができるだろう。できれば過渡期は総ルビの本がいいから、そういうものを選んで親が与えるべきだ。
 たとえば、斉藤孝の「音読破シリーズ」は右側にルビを振ってあるし難しい熟語には小さい字で左側に意味を書き込んである。
 読書については塾生でなくても相談に乗るので遠慮せずにきてほしい。取扱説明書すら読めないようではまともな仕事に就くことすらできなくなる。

【家でも音読トレーニングをすべし】
 ニムオロ塾では中1に斉藤孝著『読書力』(岩波新書)の音読トレーニングをしているのだが、学年で後ろから15%の生徒には難しい漢字はもちろんのこと基本漢字すら読めないものが頻出する。先読みができないからひらがなの長いところはそこで区切ったらよいか分からず、とまってしまう。読むスピードが遅く"てにをは"を頻繁に読み間違えるから、文意が頭に入らない。
 
つかえつかえ読むからまるで意味が理解できない。文意を理解するためにはある程度の速度が要求される。もちろん国語ばかりでなく社会や理科もテキストが日本語で書かれているから読む速度が遅かったり音読が下手だと意味が理解できない。
 悪いことに、わずか3行ばかりの日本語の文章すらアレルギーをおこして読まなくなることだ。どうせ読んでもわからないと思い込んでいるから、読まないのである。たとえば数学の短文章問題を読まなければ、その先の"考える"というという領域に踏み込めないことになる。もちろん国語の記述式問題にも同じことがいえる。"考える"ことをストップした子供の脳は発達をやめ、子供の脳のまま大人になってしまう

 こうして前頭前野が未発達で我慢のできぬそして自分の頭で考えることのできない大人へ成長し、取扱説明書が理解できない、マニュアルの意味すら分からぬ、領収書にお客様の名前が漢字で書けない仕儀となるのである。こういう「大人」は社会的適応力や仕事のコミュニケーション能力が著しく劣るから、社会人としてたいへんなハンディキャップを負うことになる。自分の子供をそういう風に育てたくはないだろう。
 台所で料理しながら、そばに子供をおいて大きな声ではっきりと音読トレーニングさせ、聞いてやればいい。スムーズに感情を入れて読めるようになったら褒めてやろう。

【読書力はトレーニングで身につくもの:スポーツと同じ】
 必要なものは二つ。良質の日本語テクストと早口の音読トレーニング。
 
日本語読解力は自然に身につくものではない。良質の日本語テクストをたくさん読むことで身につけられるものだ。運動と同じである程度の量のトレーニングを必要とする

 来週6月12日に市立図書館で毎年恒例の「古本市」が開催される。販売価格は定価の10%ととっても安いから子供が興味をもったらたくさん買い与えると良い。読み終わったら翌年「古本市」に出そう。そしてボランティアで「古本市」を開催してくれている人たちに「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えたい。

【生活習慣の基本は家庭のしつけ】
 日本語読解力の貧弱な生徒に限ってブカツに熱心で、小学校時代に家で勉強する習慣がついていないケースがまま見受けられる。もちろんブカツをやっていて学力の高い生徒がいることは否定しない。
 子供たちの様子と学年全体の学力テストの点数分布を見ていると、小学校低学年で親が家庭学習習慣の躾をしていない家庭が半分はあるとわたしは推定している。テレビは見放題、ゲームはし放題だから、生活時間の中に勉強する時間の余裕はでてこない
 私塾にとってはこういう生徒が手ごわいのである。授業中は落ち着きがない。当の本人が分からないから説明しているのに、説明途中で横を向きお喋りしだす始末。しまいには座っていられなくなり歩き出す。
 育てたように子どもたちは育っている

 

【たまには叱るぞ、ダメなら何度でも叱る、いよいよダメならビンタだ】
 ついに先日勘弁しかねた。度重なる注意をしても効果がないので、「今度後ろを向いてお喋りはじめたり、立って歩いたら、平手で頬をひっぱたくからそのときはメガネを外せ、先生の平手はとっても痛いぞ」と言い渡したら、30分ほどは静かになった。先生をやってから足掛け12年を数えるが幸いなことに生徒をひっぱたいたことは一度もない。10年くらいは怒鳴ったことすらなかっただろう。
 度が過ぎれば周りの生徒に迷惑であるし、塾に来たってきちんと勉強しなければ成績が上がるはずもない。いま一クラスだけ問題児が数人いる。
 でも、1年もするうちにずいぶん変わるのも事実だ
「周りにも迷惑だし、自分の成績上がらぬから、机の中に足をきちんと入れて姿勢をまっすぐにして先生の説明を真剣に聞け」
と繰り返している。辛抱すべきか、我慢の限度とひっぱたくべきか、モンモンとしながら授業をしている。

 今月下旬に期末テストがあるから、そのあとで親と生徒と「三者面談」をする。ルール違反があり何回注意しても授業態度が変わらないときはひっぱたくがよろしいかと保護者の許可をもらうことになるだろう。同意いただけないなら他の生徒の迷惑だから、反省のために理解と納得ずくで1ヶ月の休塾をお願いすることになるかもしれない。

<2021年4月29日追記>
 この生徒たち(4人だったかな)に家庭学習習慣をつけるために宿題を出したが、やってこない。業を煮やして、保護者へ連絡して、塾で最後までやらせてから車で送るので、12時ころになるかもしれない、鍵を開けて待っていてもらいたいと伝えて了解をもらった。3回ほど夜中の12時までやらせた。「初めてこんなに勉強した」なんて、生徒たちは喜んでいた。「もっとやりてぇ」、意外な反応で驚いた。ここまでひどくなったら、親がいくら言っても聞かないし、塾の方も本気で取り組まないと生徒はやる気を起こさない。傑作な生徒たちだった。全員野球部、文武両道を部活指導の先生たちが日ごろから生徒に伝える必要を感じた。勉強しない生徒は部活停止でいい。

【生活習慣を変えるのは至難の技⇒根気と努力と辛抱】
 小学校の6年間で生徒はそれぞれ固有の生活習慣を身につける。これを中学校で変えるのはたいへんなのである。大人のアルコールやタバコやパチンコの習慣と同じだ。自分ではほとんど抜けられない。この時期に人としての躾を怠ったり、健全な学習習慣の育成をしなかった場合は、治すのが大事(オオゴト)になる。家庭も協力してもらわないとなかなか変えられない。何が何でも変えてやるくらいの強い意志をもたないととても変えられるものではない。
 だから、毎日やること一つ一つを好い加減にしてはいけない。繰り返すことは習慣となり、習慣は年数を経てその人の性格を形作ることになる。
 子供の生活習慣の基礎を造る小学校6年間はとっても大事な時期なのだ。学習習慣も生活習慣の一部をなしている。高い学力の基礎=良い学習習慣はこの時期に育まれる

 もう一度怖いことを繰り返しておく。育てたように子は育つものだ

【日本語の意味を理解できる基礎学力だけはしっかり身につけよう】
 高学力の子供に育てるには家庭のしつけが基本だ。やりそこなったと思ったら、塾の先生と相談して早く軌道修正しよう。ほうっておいたら、マニュアルも読めず、マニュアルの意味もわからぬ大人になってしまう。
 今回の震災で心ならずも園児を数十人死なせた幼稚園があった。災害時マニュアルがあったが職員に周知徹底されずに園長は書庫にしまったままにしていた。マニュアル通りにやっていたら、園児は一人も死なずにすんだかもしれない。
 結果論ではあるのだが、この園長先生は非常時マニュアルの意味すら理解していなかったようだ。きちんと勉強し、言葉の意味を理解して行動できる人間を小中学生のうちに作っておかないと、責任ある立場になったときにとんでもない人災を引き起こし、たくさんの命を奪うことすらあることを肝に銘じて子どもを育てよう
 恐ろしいこと、怖いことだが、育てたように子は育つ。あなたは大丈夫か?


*「釧路の教育を考える会」は学力を上げるために、いま小学校低学年での学習習慣の育成の重要性についてメンバーのみの掲示板上で議論をしている。「言うは易し、行うは難し」でしばらくは呻吟と試行錯誤が続くのだろう。
 具体案が決まれば、元気のあるメンバーが何人かいるので、根釧地域の子供たちの学力向上のために具体的な行動を起こすことになるのかもしれない。さまざまな立場のメンバーがそれぞれアイディアを出しながら協力し合って、小さなこと、やれることから手をつけていく。
 私はこの会に期待している。

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ZAPPER

通塾組であっても、その1~2割はまさにebisuさんのおっしゃる通りの状況にあります。私見ですが300点満点の難しくも何とも無い学力試験(中3生)で学年平均が100点を切る状況にあっては、全体の2~3割がそのレベルにあるだろうと思っています。

体は半分大人。ところが知能レベルはかつて(親の世代の)小3生程度しかない。そういった中学生を相も変わらずに量産し続けていると言うことです。悲しいかな、自身の感情表現も意思表示するらままなりません。それでいて素直な良い子もいるわけですが、発する言葉は「うざ」「だる」「きも」「ありえなくね?」程度なものといった子も必然的に多くなります。

彼らは机に座り続けることができません。人の話を集中して聞くことができません。極々易しいものであっても「考える負荷」を与えると途端に逃げ出そうとします。さて、彼・彼女達は社会へ旅立って行き(しかし現実には社会の入口にたつこと=就職がままなりませんが)やがて子どもの親になります。

釧路・根室の公教育は目も当てられない状況にあります。(大阪や沖縄も同様らしいですが)まさに公教育日本最劣化地域。絶対に何とかしなくてはなりません。「よーし、一肌脱いでやろうじゃないか!」という方はぜひご一報を。
by ZAPPER (2011-06-05 15:54) 

ebisu

ZAPPERさんへ

中1の段階では問題児は20%前後ですね。
しかし、個別指導が主体ですから1年間で10%以下に減ります。
「中学生は半分大人として扱う」と宣言しているので、小学校から中学生になったとたんに塾での「しつけ」もちょっと厳しくなります。通塾生全体でみると問題児は8%程度いますね。
学力レベルの低い生徒が多いクラスだと、個別指導は8人くらいが限度です。
予習の習慣と自学自習の習慣がついてしまえば15人同時に個別指導可能ですね。

東京と違って小学生が一番たいへんです。
予習方式では授業できませんし、集中力も著しく劣っています。私立中学受験がないからしかたがない。
子供よりも親の教育に対する意識の差のほうが東京と比べると格差が大きいように感じます。東京は有名私立中学や高校がたくさんあり、高学歴の親が多いですから、切磋琢磨で自然に学力レベルが上がってしまいます。
根釧地区は意識して仕掛けを作って学力レベルを上げないといけません。

授業中の集中力はやはり小学校低学年での家庭での学習習慣のしつけの役割が大きいのではないかと思っています。
新しいことを学び、分からなかった問題が解けるようになるのはうれしいものです。そういう体験を小学校低学年でさせてやることが大事でしょうね。

>「よーし、一肌脱いでやろうじゃないか!」という方はぜひご一報を

なるほどブログ上で協力者を募るという手がありますね。
例の家庭学習習慣形成に関するミニ説明会も新入学児童をおもちのお母さんたちの協力があれば前に進みそうです。何人か集まってもらえるといいですね。
by ebisu (2011-06-05 23:38) 

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