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#1158 過剰富裕化論(2):過剰富裕化とは何か Aug. 12, 2010 [A4. 経済学ノート]

 馬場宏二の過剰富裕化論を#1148で採り上げた。彼のいう"過剰"の意味を説明しておきたい。資料はコンパクトにまとまっているものを使いたい。2008年9月29日に青森大学でなされた特別講義「過剰富裕化と現代」が簡潔にまとめられているのでいいだろう。
 経済学部を受験する生徒にはいい勉強のテクストだ。興味をもつだろう生徒が一人いるから、コピーをあげることにする。もし根室の高校生でコピーが欲しい人がいたら、友人の塾生に頼めばいい。私はオリジナルを読む大切さを伝えたいので、好奇心旺盛な高校生のために写しを4部用意している(馬場先生は東大名誉教授で、オリジナリティのある日本ではトップクラスの経済学者だ)。

 キー概念の"過剰"を説明するのに馬場氏はダイエットとジョギングを例に挙げている。ダイエットのもともとの英語の意味は食事そのもの。ジョギングはノロノロ歩くあるいは居眠りをするなと突っつくの意味もある。
 カタカナ語で意味を判断すると「とんでもない間違いを犯す」と断った後で、ダイエットについて次のように述べている。
 「労働の目的が食うことだとすると、食いすぎになっちゃっているわけですからね、これは過剰というしかないでしょう。」
 「おいおいと突っつくではなく走る方、そのジョギングに関わることは、要するに生計のための労働の中で、肉体労働が著しく減っちゃったってことですよね。」
(ダイエット本来の意味は「きちんとした食事をする」ということ、ジョギングは「ノロノロ歩く」ということだから、きちんと辞書を引かないといけません。)

 鉄の製造を例にとって肉体労働がほとんどなくなってしまったことを詳細に説明している。労働だけでは運動量が不十分なくらいに経済が発展してしまった。
 「でそこまでくれば、経済は発展しすぎと言ってもほぼ間違いないでしょう。」

 次に論点を転じて、地球環境と生活水準に言及している。
 「先進国の人口は世界の6分の1ぐらいでしょう」、それに対して「一人当たりの所得水準が先進国とそれ以外の途上国との日は、たぶん20対1ぐらいでしょう」と説明し、「假りに人類皆兄弟で・・・皆さんひとしなみに豊かになりましょうと善良な人は考える」。
 そしてそんなことはできっこないことだと結論する。概算すると「世界経済の規模が5倍・・・250兆ドル・・・とんでもない数字になる」、地球環境がもたないというのだ。
 石油や希少金属などありとあらゆる有限な資源の奪い合いになる。(すでに中国がアジアやアフリカで国を挙げて資源の囲い込みに狂奔している。)

 「世界の森林がどのくらい持つかな、たしか35年ぐらいでした。35年たってパルプの原料がなくなるよっていう話ではないんですよ。地球上が酸欠になりますよってそっちの話なんです。」

 「水資源がだんだんおかしくなってきているし」と穀物生産のための水資源すら確保できなくなりつつあることを指摘している。

 さらにもうひとつ、「産業公害」の問題が地球環境にたいへんな負荷になることも指摘している。インドの化学工業の産業災害の例を一つ挙げている。原発も廃棄物の安全管理まで考えると数万年の管理が必要になるから、経済的にとても合わない。不要になった原発の跡地は他に利用ができなくなるから、日本の領土を少しずつ虫食いしているのと同じだと指摘する。

 「ここまで来れば今まで言ってきたことが、全部同じだということはお分かりでしょう。石油もそうだし、CO2もそうだし、食糧もそうだ。これが過剰富裕化というもんなんです。」

 「他の体制よりは資本主義のほうが経済発展力は高いんです・・・経済が発展しすぎたことが問題なんで、不景気だから発展しなかったとか、貧乏人が若干いたから問題なんだといったその程度の資本主義批判ではだめなんです。資本主義批判をするんだったら、資本主義がこのままやると地球をつぶしちゃうかもしれない、そっちでやんなきゃいけないです。」

 アダム・スミスは「自由市場で神の見えざる手が働く」と『諸国民の富』の中で説いたが、資本主義は発展しすぎて、このままでは神の見えざる手は地球環境破壊による人類絶滅という結果をもたらすということだろうか。

 米国では大恐慌前の1920年代のアメリカが過剰富裕社会が成立した最初であり、第2次世界大戦後イギリス、ドイツ、フランスが1960年代初めに過剰富裕化し、日本はさらに遅れて1973年ころに過剰富裕化したと、世界経済を概観している。

 分配や社会保障制度をきちんとすれば、「先進国の生活水準をいまの3分の1、4分の1に下げても大丈夫なんです。成長しなければならないというのは迷信なんです」と生活水準の切り下げを提唱している

 過剰富裕化説が経済学者に受け入れられない現状を嘆いて次のように語る。
 「仲間のつもりであった経済学者はほとんど反応しません。彼らはどうも経済成長主義で頭が汚染されちゃったんですね」と、しかし理解してくれた経済学者3名の名前を挙げている。講演の中では4名の名前が上がっている。三和良一、中山弘正、戸塚茂雄、田中史郎の4人の経済学者である。

 この論に従えば、高齢化や少子化による急激な人口減少は歓迎すべきことになる。経済規模の縮小こそが人類が生き延びる唯一の選択肢となるだろう

 余暇の時間は増える。物質的豊かさという呪縛にとらわれない社会では人は手仕事や知的遊びで時間をつぶすことになるだろう。食料採集に数時間しか要しなかった縄文時代は生活に使う土器に美しい縄目の文様をつけて楽しみ、時間をつぶした。江戸時代には私塾が3万もあり、高度な和算の問題を出し合って遊んだ。そういう社会が現代に甦るのだろうか。日本人は知的な遊びで時間を費やす名人である。

 さて、この過剰富裕化への対処の要点が当日配られたレジュメの中に書かれている。それを紹介するのは次回にしたい。

【過剰富裕化論と職人主義経済】
 資本主義経済批判であると同時にマルクス経済学批判でもある職人主義経済は過剰富裕化論といくつか接点をもつことになるだろう、そういう予感がする。
 資本主義経済で生産力の発展と拡大再生産が至上命題になってしまったのは、労働概念にもかかわりのある問題である。労働力は資本の拡大再生産のための歯車のひとつでしかない。
 名人の仕事を想起すればいい、全人格的な職人仕事は生産力を発展させない。利潤追求も至上命題にはならないから、拡大再生産とも無縁である。
 ひたすらいい仕事をするために技術を磨き、道具の手入れを怠らず、仕事の手を一切抜かない。ごまかしのない誠実・正直な仕事をする。
 職人主義経済は正直・誠実を旨とする。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」には地球環境との調和も入っている。「世間よし」はまさにそういう価値観の表明である。自分だけがよければいい、自分の会社だけが儲かれば地球環境はどうなってもいいなどとは考えない。馬場先生と一度話してみたいな。

*#1148 「馬場宏二 過剰富裕化論」 Aug. 5, 2010 
    http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-05-2
 
 #1162 「過剰富裕化論(3): 経済学部を目指す高校生へ」 Aug. 16, 2010 
  http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-16

 #1164 「過剰富裕化論(4):人類史上最短労働時間の社会への道」 Aug. 18, 2010 
  http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-18

  #1165 「過剰富裕化論(5):節度ある明るい未来」 Aug. 19, 2010
  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-19 

 #1182 民主党代表選挙と国家財政の現状:過剰富裕化論  Sunday, Aug. 29, 2010 
  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-29

  #1689 経済格差解消の先にあるもの:馬場宏二先生と過剰富裕化論 Oct. 16, 2011 
  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-10-16

   #2237   過剰富裕化論提唱者の福島原発事故処理構想:遺稿    Mar. 4, 2013
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-03-04




新資本主義論―視角転換の経済学

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  • 作者: 馬場 宏二
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もう一つの経済学―批判と好奇心

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