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#1032 佐賀県教育センター学力テスト分析用ツール May 19, 2010 [64. 教育問題]

  明光義愛国教室の代表がまたよい資料を発掘してくれた。
 http://blog.livedoor.jp/meiko_aikoku_blog/archives/51555633.html

 佐賀県が「全校学力・学習状況調査分析ツール」を開発して無償で提供してくれるという。面白そうなのでURLをクリックしてみた。
 文科省から返却された全国学力テストデータ・ファイルの入ったホルダーに分析用ツールをダウンロードするだけでいいらしい。エクセルのマクロでレーダーチャート他、いくつかの作表が自動的にできるようだ。

 レーダーチャートには16本のゲージがある。昔の映画に出てくる大八車の車輪を思い浮かべてもらえばいい。16本が自転車のスポークのような形で配置されている。たとえば、国語と数学のように一つ一つ異なるゲージだが、相互に比較できるようにゲージには標準偏差を使うのが統計上の常識だろう。
 このレーダーチャートは学力テストの学校別や地域別平均点が全国平均値や県別平均値と比べられるようになっている。基準値が1となっている。

 根室市教委もこのソフトをダウンロードして学校別にレーダーチャートを見たらいい。そして市民に公表すべきだ。何をなすべきかよくわかるはずだ。

 学校の教科担当の先生たちも利用してほしい。自分の教え方がどうなのか客観的にわかる。わかれば改善する意欲のある人は改善するだろう。教育への情熱を失っていない校長は教員に檄を飛ばすだろう。
 URLを貼り付けるので、とにかくサンプルを見てほしい。
 http://www.saga-ed.jp/kenkyu/gakuryoku/tool.htm


 レーダチャートを私も使ったことがある。1979年のことだ。勤めはじめたばかりの会社の過去5年間のデータと、通産省が公表していた中小企業データを組み合わせて、標準値をつくり、モデル化した。比較できるように標準偏差データも算出した。当時はパソコンがまだ出たばかりで、統計計算は無理だった。コモドール社製のオモチャののようなパソコンがあったが、キーのつくりがちゃちで押したら戻ってこないキーがあった。BASICでコマンドを入れて画面やプリンタに表示させる。まあ、オモチャだった。
 このころ、東芝から発売になったワープロが発売当初400万円のものが200万円まで値下がりしており、三菱製のA4用紙が縦に表示できる縦長ディスプレイのワープロを見積もり用に導入したら、利用したい社員が順番待ちしていた。
 そういう状況だったから、最初の分析は電卓でやった。何日も電卓を叩いて、過去5年分の決算データや人員データを比較可能なようにデータを整理してから、標準偏差を計算し、適当な補正を加えてモデルをつくった。
 計算は計測器制御用の科学技術計算用コンピュータを使えば可能だったが、値段が当時は200万円を超えていた。電卓での計算はチェックもたいへんで、2ヵ月後にはヒューレットパッカード社製の科学技術用ブログラマブル・キャリュキュレータHP97*を使ってプログラミングして基本統計量の計算を行った。
 プロッターが百数十万円もしたのでレーダーチャートは手描きした。月次決算と四半期決算、半期、年次決算で経営改善のために2年間分析を継続してみた。この期間にシステム開発関係の専門書を何冊も読んだり、オフコンのプログラミングを経験したので、システム開発スキルが顕著に上がっていた(統合システム開発のために作られた電算機室を任され、83年春頃、管理部から異動になった)。

 レーダーチャートは収益性、成長性、財務安定性、活動性、生産性の5つのデメンションで22群の経営指標を表すものだった。形でどのデメンションが強くどのデメンションに問題があるのか一目で判断できる便利なものだった。20年は時代の先を走っていただろう。

 5年分の業績を数値データで分析することで、過去5年間会社がどのように変化してきたのか、いまのままやるとどうなるのか、これから長期計画、中期計画、年次計画で財務体質や利益構造をどのように変えていくのかが、22群の経営指標を利用して目標値を設定した。

 数値目標による経営管理を実施したのである。5年の長期戦略と3年の中期実行計画それに年次予算が22群の数値目標の下に統合された。PDCAサイクルの歯車がカチッと音を立てて回るような気がしたものだ。目標値を設定して、結果を測定し、分析を行って、次の年度の計画に反映する。

 営業課長に抜群に能力の高いEさんがいて、彼の協力で仕組みを変え、2年間で売上高経常利益率を28%から42%に引き上げた。数千項目の産業用エレクトロニクス製品の定価計算をシステム化し、複雑な見積もり計算作業から営業マンを解放すると同時に、納期管理システムや外貨決済と連動させて、為替予約をすることで、為替変動の業績への影響を消すことに成功した。輸入商社でありながら、業績は為替変動の影響を受けずに安定した利益構造を維持することが可能になった。
 為替変動に連動させて三ヶ月ごとに改訂する定価計算システム導入により営業マンを営業活動に専念させることができるようになった。E課長の狙いはそこにあった。それまで営業マンとそのサポートデスクの仕事の半分以上は、客先から引き合いのあった製品の見積書を計算することだった。
 私がいくつかの会社で見た営業マンの中では彼に最高の評価をつける。営業も営業管理もどちらにも他の者と比肩できないほど頭抜けていた。有能な者とのコラボレーションはじつに楽しいものだ。
 会社の規模は1980年の頃、社員数150人前後、年間売り上げ35~40億円規模だったと記憶する。
 産業用エレクトロニクスの輸入商社だったので為替変動の影響を受けて業績が左右されていたが、為替予約と一連のサブシステムを組み合わせて利用することで売上高比1.5%前後の為替差益が確実に入るようになった。
 日米金利差が縮小してしまった昨年まで、この仕組みは30年間有効だった。為替予約は日米金利差を反映する金利裁定取引で決済額の2%くらい為替差益がでる。

 粗利益率アップと為替差益で、売上高比で15%ほども経常利益率が上がったが、利益配分を株主と成長維持の投資のための原資、社員への配分に3分割することに決めて、その通り実行した。同族会社だったが、社長はこの点の約束を守った。その結果、売上高経常利益率は7%前後も跳ね上がった。その利益をもとにその会社は後に店頭公開を果たした。

 たいていの会社は、視点を変えて観察し、仕組みを変えると売上高経常利益率を10%程度は改善できるものだ。業種の異なる複数の会社でそういう場面に、応援を含めて5度かかわった。社長の信頼さえあれば相当大きな仕事を任せてもらえるし、期待に見合うだけの実績は必ず出せるものだ。

 仕事の仕組みを変えると、業績の安定しない企業も安定させることができるし、利益率の悪い企業を利益率の高い会社にも変えられる。特定の分野の仕事をパッケージシステム化することでコストを10%程度まで下げることもできる。仕事はやり方次第だとつくづく思う。
 仕組みを変えると、社員はまったく違った仕組みのなかで働くことになる。コンピュータシステムを中心にまったく異なる実務設計がなされ、業務のやり方が変わるのである。そういう仕事をやりうる人材のいる会社の業績は伸びる。全員正規社員で会社の運営がやれる。そうすれば、いい意味で社内に共同体意識が生まれる。それぞれが自分の仕事を一生懸命にやれば結果がついてくるものだ、会社が儲かれば自分たちの生活も安定するのだという自覚が出てくる。会社の雰囲気が変わってしまう。

 同じ仕組みを、別の会社でエクセルを使ってパソコンに載せ換えたのは1993年だった。十数社の子会社管理に利用した。その企業の年間売上規模は600億円、従業員数は2000名をたぶん超えていただろう。
 84年当時携わった東証Ⅱ部上場のための統合システムは会計情報システムを中心に、予算管理、原価計算、購買在庫管理システムを月次バッチ処理でつないだものである。会計システムと支払管理システム仕様書と各サブシステムとのインターフェイス仕様書はすべて自分で書いた。8ヶ月で本稼動だった。新旧システムの切り換え時の暇つぶしに固定資産管理システムにも作り直してつないでしまった。統合システムは当時国内最大クラスの汎用大型機2台を使った贅沢なものだった。会計情報システムは1ヶ月の並行ランでデータをチェックし、ノートラブルで稼動した。 
 業務系基幹システムは別の大型コンピュータで動いていた。国内メーカーの最大クラスの新製品だったから84年導入新システムへの移行時にはOSを含めてトラブルが多発した。それも全社を挙げての応援体制を数ヶ月維持してで凌いだ。まるでお祭り騒ぎのようだった。困難なときも対応の仕方如何で「お祭り騒ぎ」の陽気さ、楽しさがある。いまとなっては懐かしい思い出である。

 佐賀県教育センター作成のレーダーチャートをみて昔を思い出した。


*HP97とプログラミング
 この計算機と出合ったのは1978年のことだった。感熱式のプリンターがついた科学技術計算用キャリュキュレータである。左側の上に1センチ程度の開口部があるが、ここから12ミリ×60ミリくらいの磁気カードを挿入して、ブログラムやデータをロードできる。
 この便利な計算機がなかったら、レーダーチャートを手描きするためのデータ計算が継続できなかっただろう。3ヶ月ほど手計算したが、計算とチェックで毎月2日はかかりっきりだったのが、20分ほどですむようになった。データの解析と経営改善のための経営分析レポートを書く時間的余裕が生まれた。データの解析が目的ではなく、それを使って会社の財務体質と利益構造を変革することが目的だった。そうした具体的な目標設定をして、役員が主体の6委員会を立ち上げ、それぞれに課題を割り振ったのは2代目社長だった。慶応大学大学院で経済史を勉強したことのある人だったが、委員会の作り方と課題の割り振り方から判断しても経営者としてすぐれていたことがわかる。入社してまもなくできたこの委員会のうち5つの委員会のメンバーに指名されたのだが、それぞれの委員会で実際の仕事の90%は私がすることになった。なにしろ役員ばかりだから、平社員のわたしが仕事をするのは当然だった。利益重点委員会に営業課長、例のE課長が一人混ざっているだけだった。
 話しをHP97に戻そう。プログラムしてしまえばあとは入力データのチェックだけでいい。HP97は逆ポーランド式の使いやすい計算機だった。入社2ヵ月でHP67(当時11万円)を、その一月後にHP97(22万円)を気前よく買ってくれた社長に感謝している。
 朝、会社についたら自分の机の上にHP97が載っていた。秘書に聞いたら「社長からです」という。マニュアルは英文で2冊、500ページほどもあったが、HP67をいただいたときに1週間で読んでしまった。うれしかったのだ、お陰でその1週間は睡眠時間がひどく少なくなったのを覚えている。プログラミングをして遊んでいるうちに空が明るくなり、慌てて2時間ほど仮眠して仕事に行った。その後いくつかの重要な仕事でこの計算機でのプログラミングやデータ分析の経験が武器となった。

 HP67とHP97でプログラミングを一通り覚えた後で、会社にあったオフコン用のダイレクト・アドレッシングのCOOLというプログラミング言語を使ってみた。アッセンブリー言語に近い原始的なものだったのだが、コマンドは12桁の数字で最初の3桁がオペコード、残り9桁が3桁×3のオペランドで構成されていた。その半年ぐらい後にオフコンを入れ替えたので、PRPGRESSⅡというコンパイラー系の言語も修得した。RPGⅡに近い言語といえばIBMユーザにはわかるだろう。90年代には興味があってC++もすこしいじってみた。これは仕事で使う機会がなかった。遊びである。アッセンブラーに近い言語とコンパイラー系の言語を使ってみたことは多少視野を広くするのに役立ったかもしれない。汎用機やパソコンのOSが何をしているのかプログラミングレベルで見当がつくことがある。

 プログラミングを知っていれば、ディスプレイやプリントアウトがプログラム仕様書レベルで記述可能になる。統合システム開発にユーザ側で携わる場合にもプログラミング知識があるとないとでは、開発工数が2~3倍は違ってくる。知っていれば短い工数でプログラミングできる仕様書が書ける。システム開発技術に関する本は和書では間に合わなくて、最新の英書を何冊も読み漁った。PERTも専門書を何冊か目を通したが、意外と薄い本が役に立った。システム開発技術には他の用途に転用できる汎用技術が多い。

 84年に転職した別の会社での汎用大型機での統合システム開発に、それまで培ったすべての技術が生きることになった。オービックや日本電気情報サービスのトップレベルのSEとの仕事は、かれらの仕事を傍らでみせてもらうだけでたいへん勉強になった。84年に一緒に仕事をしたNCDの2人のSEも優秀だった。オービックとNCDのSEはそれぞれ役員になっている。日本電気のSEのその後の消息は知らない。

 人生とはわからないものだ。だから、そのときそのときで渾身の力で仕事をすればいい。進路は天が用意してくれている。

 プログラミング技術を修得して必要なデータを自分で取り出せるというのは便利なものだ。好奇心の塊のように、システム開発用の技術解説書を何冊も読み漁り、必要があって翻訳の出ていない会計情報システム関係の専門書"Accounting Information System"まで読むようになっていた。日本のアカディミズムには会計学とコンピュータの両方に明るい専門家がほとんど存在していないから、こういうクロスオーバーした分野の専門書は翻訳できる人が見つからないのだろう。
 経営改善のために必要なサブシステムをいくつか開発した後で、3年後には統合システム開発を担当していた。1983年の話だから、国内では会計情報や納期管理、在庫管理、為替管理、外貨決済管理の統合システムはまだほとんど例がなかったはずだ。連日終電の仕事が続いたが、仕事が楽しかった。スキルがやればやるほど上がるのである。一番面白かったのは実務設計である。当該実務に関する知識とその分野の専門知識、それにシステム開発技術がぶつかり合うところで仕事をする。経営改善効果もここが一番大きい。実務デザインを変えると大きな利益が出る。売上高経常利益率で10%~15%違ってくる。仕事はやり方次第、異なる業種で三度そういう経験をした。

 教えている教室の机の上に使い古したHP41c(84年に購入、(グラフ機能のついたHP48は数年で壊れてしまった))が載っている。生徒が「先生、それな~に」と聞くことがある。「1+2をやってごらん」というと、いろいろやってから「できない、どうやるの?」と訊いてくる。"1"を入力した後に"enter"キーを押し、そのあと"2"を入力して、+の演算記号を押す。入力方式が電卓とは違う。面倒なときは高校数学の一部の問題はこの計算機を使うことがある。そして答えの確認用でもある。家では昨年買ったHP35sを使っている。
 統計計算ではもうこれらのプログラマブル・キャリュキュレータを使うことはないだろう。EXCELの機能が充実して、90年代には十分使用に耐えるものになったからだ。

 米国では大学入学資格試験にこの種の計算機を持ち込める。もちろん高校数学授業もグラフ機能のついたプログラマブル・キャリュキュレータを使っている。生徒の基礎計算能力が低いからだろう。日本でもそのうちそうなる。生徒の基礎計算能力の衰えは目を覆うばかりだ。
 こうしたプログラム機能付きの計算機を高校生が使うことに積極的な意味はある。理系の大学では関数電卓を使うから、慣れておくという意味と、たとえば三角関数は倍角公式とか半角公式とか加法定理などを使う必要がなくなる。問題を特殊角に限定する必要もない。現実で扱うデータはつねに半端な数値である。
 だが、思考訓練という点では、あまり便利なツールを使うのは考えものだ。マイナスもある。「計算プロセス」が見えなくなることだ。こういうツールを使って育った世代はプロセスを知らないから、ツールを生み出す能力が低くならざるを得ない。インドが数学やコンピュータ科学に強い理由がここにある。
 技術立国を今後の維持したいなら、日本人は伝統技能の珠算で基礎計算能力を叩きなおした方がいい。小学校での珠算教育を復活させるべきだが、教えることのできる教員はほとんど存在しないだろう。やるならいまのうちだ。後一世代、30年したら珠算の学校教育への復活は不可能になる。教えることのできる人がほとんどいなくなってしまう。

 文系でも数学は数ⅢCまでやっておけ。高校でやれなかったら大学でやれ。大学へ行けなかったら、就職してから勉強しろ。わからなかったらわかる先輩や大人に聞け。英語も勉強しろ。先端で仕事をするときには英語の文献を読まなければならないときが来る。そのときに必要な能力は会話ではなく、読みだ。間違えるな。英語の勉強は何かへ興味が出てからでも遅くはない。早すぎると日本語能力の面で支障が出る。一人一人違うから、タイミングを見極めろ。日本の古典をたくさん読んで日本語のセンスや、日本的な情緒を磨いておけ。それが勝負を決める鍵だ

 こういう昔話が、進路に悩む高校生や大学生の役に立てばうれしい。好奇心の大切さや、自分に与えられた仕事に没頭することの大切さを感じてくれれば幸いだ。今も昔も仕事や進路の悩みはそれほど変わらないだろう。

http://www.google.co.jp/imglanding?q=hp%EF%BC%99%EF%BC%97&imgurl=http://www.albion.edu/math/MBollman/HP97.jpg&imgrefurl=http://www.albion.edu/math/MBollman/HPZone.html&usg=__yEjn5K3ylSBTd7W-MrF0JhM70hs=&h=785&w=1017&sz=182&hl=ja&um=1&itbs=1&tbnid=Dw2z2tjLvEfZWM:&tbnh=116&tbnw=150&prev=/images%3Fq%3Dhp%25EF%25BC%2599%25EF%25BC%2597%26um%3D1%26hl%3Dja%26sa%3DX%26rls%3Dcom.microsoft:ja:IE-SearchBox%26rlz%3D1I7SUNA_ja%26tbs%3Disch:1&um=1&sa=X&rls=com.microsoft:ja:IE-SearchBox&rlz=1I7SUNA_ja&tbs=isch:1&start=1#tbnid=Dw2z2tjLvEfZWM&start=5


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