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常用対数を利用した桁数問題と教科項目としての「偏差値」にまつわる問題 #842 Dec.26, 2009 [62. 授業風景]

常用対数を利用した桁数問題と教科項目としての「偏差値」にまつわる問題 #842 Dec.26, 2009
 一昨日のことである、高2の生徒が「2の50乗は何桁の整数か」という問題がさっぱりわからないと『4TRIAL』の問題を材料に質問を投げてきた。この生徒からこういう質問があるときは、何か根本的な問題を内包している場合が多いから、解説をおろそかにできない。
 実際の問題は、2の右肩に指数が50と書いてあるのだが、このソフトでは数学記号を書くことができないので、文章で表記する。回りくどい表現はお許しいただきたい。

 2の50乗を真数とする常用対数をとればいいのだから、そうしてから指数部を対数の前に持ってくる。20×「2の常用対数」を計算する。「2の常用対数」は0.3010になっていたはずだ。掛け算すると15.05である。だから、16桁の数字であると答を黒板に書いたら、生徒の反応は、
 「さっぱりわからない」

 「よ~し、別の説明をしよう」
 15.05を常用対数で書くと15.05×「ログ10」だ、つまり「ログ10の15.05乗だ。これとログ2の50乗が等しいから、真数部分も等しい。よって、2の50乗=10の15.05乗だ。

 「ところで、10の1乗は2桁の数字、10の2乗は3桁の数字、10の3乗は4桁・・・、では10の15乗は何桁の数字かな」
 「16桁」

 「どう?すこしわかったかな?」
 「な~んだ、そうか・・・わかったような気がする」

 高校数学の「対数」理解を難しくしている原因のひとつに、中学数学から記数法がなくなったことが考えられる。
 2進数はコンピューターではお馴染みだし、16進表記もアッセンブラーをいじったことのある人にはお馴染みだろう。10進記数法の仕組みを、一番簡単な2進法や16進法と比較して見たことがあれば、桁数問題で10を底とする常用対数をつかう理由が即座に飲み込めるはずだ。
 33年前に渋谷駅前の進学塾で数学を教えていたときには、中学数学に記数法が含まれていた。いつ中学数学からなくなったのか、しばらくサラリーマンをしていたのでその辺りの事情はわからないが、ゆとり教育で削除されたのではないだろうか。当時の文部省や日教組は何を考えていたのだろうか。結果として高校生の数学能力を低下させたことになる。
 
 高校数学では数Bに「プログラミング」があるが、「記数法」の項目はない。そこで使われている言語はインタープリタのBASICである。現実に使われることはほとんどないだろうが、原理や基礎を学ぶためにはそれでいいのかもしれない。しかし、数Bの授業で「プログラミング」の章が教えられることはない。40代以降の数学の先生にプログラミングの経験のない人が多数いるからだろう。先生の都合でプログラミングが授業から排除されてしまうのはおかしな話である。必要なものは教えるべきだろう。
 いまや一人一台の時代であるのに、中学数学や高校数学に記数法の章がないことと「プログラミング」の章があるのに教えられていないことも不思議な感じがする。記数法は三十数年前には中学数学にあった。

 もうひとつなくなったものがある。統計分野の標準偏差である。これも30年前には中学数学にあった。
 偏差値教育が現場の先生たち(主として日教組だろう)の強い批判を浴び、標準偏差が中学数学からなくなった。現在は数C「統計処理」で教えることになっているが、ほとんどの生徒は数Cは選択しない。理系の大学を受験する生徒だけの選択科目である。
 偏差値は統計上正しい方法で、これ以上のものはない。中学で生徒に教えてしまうと、偏差値評価をやめる理由を生徒に説明できないだろう。科学的に正しい方法で現実に有効な方法だから、否定する理由がない。教えてしまったら、中学校で偏差値評価を否定する合理的理由がなくなる。もともと偏差値を否定する合理的理由はないのだ。それでも教育現場は「偏差値」を拒否している。生徒を偏差値で評価することになれきった先生たちは、同じ「刀(偏差値)」で自分たちが評価されるのが嫌いなのだろう。問答無用で授業技倆の程度や教育への熱意が数字に表れてしまうからだろう。
 道立高校で大学進学に偏差値を使用していない学校は一校もないだろう。進路指導に大手テスト会の偏差値は欠かせないツールである。根室高校の進路指導室ももちろん利用して生徒の進路指導の資料として使っている。駿台模試、河合塾模試、進研模試などの全国模試を学校で実施し、そのデータを使わなければ進路指導は不可能だ。

 つまり、教育現場は広く使われている「標準偏差」を数学から放逐する一方で、進路指導に利用しているという、「二枚舌」ともいうべき姿をさらしている。
 生徒の実力を偏差値で適確に判定できるように、科目ごとの生徒の偏差値の平均値を比べることで現場の先生たちの授業技術の優劣が適確に判定可能である。日教組や文部科学省にはそれが怖い。
 偏差値による生徒の実力判定は、一生懸命に教えている先生には歓迎すべき評価方法である。中学数学から偏差値の章を除外したままでは、統計の素養が身につかないし、一生懸命に生徒の学力向上に努力し、授業技倆を磨いている先生たちが報われない。教育現場がこのような状態で良いわけがない。
 教育は生徒のためにある、そして学校も先生のためにあるのではなく生徒のためにある。教育改革はこういう具体的なところからはじめるべきではないだろうか?
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