SSブログ

晩酌+高島野十郎の世界 [86.酒と肴]

             晩酌+高島野十郎の世界

 ナスを油で揚げニンニクを刻んでかりっと揚げたものと酒と醤油でさっと炒める。少し濃い目の味付けがたおやかな酒とあう。不思議とどんな料理の味も邪魔しない酒だ。スルメイカの刺身と秋刀魚の刺身でも一杯やる。三枚に下ろした後で冷凍庫で3時間ほど寝かせてから解凍した物だ。活きがよくて薄皮をはいだ後の肌がきれいな色をしている。日本料理は色彩の美しさが身上だ。新鮮なイカとダイコンの煮物でも試してみた。やはり何のさわりもない。しとやかな酒である。銘柄は千葉県夷隅郡大多喜町の豊乃鶴酒造『大吟醸銭神』。
 そうこうするうちに、玄米ご飯が炊き上がってでてきた。キュウリと茗荷の和え物もあっさりして口当たりがいい。出来立ての味噌汁に刺身のイカを放り込でみた。すぐに白くなり、あっさりと食べやすい。ぐい呑みでゆっくり味わいながら飲む酒は楽しい。料理はすべて女房の手作りだ。

 晩酌をしながら8時になり教育テレビへチャンネルを変えたたら高島野十郎という画家を特集していた。久留米の造り酒屋の息子で東大で水産学を修め、官僚としての将来を嘱望されながら、画家への道を選択する。画壇に所属せず、生涯師にもつかず、ひたすら写実の道を究めんとした孤高の画家である。
 『流』というタイトルの秩父の渓流の絵は2週間も渓流を見続けた末に流れが停止して見えたという。その停止した様を絵にしている。また、お世話になった人たちへ蝋燭の絵を送っているが、60枚描かれた蝋燭の炎にどれ一つとして同じものがない。『烏瓜』は写実を極め、質感や一つ一つの実の重量感さえ伝わってくるかのようでありながら、どこか現実離れした宇宙を感じさせる絵である。蔓の一本一本が目の前に現存しているかのような存在感をもつ。烏瓜の実ひとつひとつも、どれも動かしてはいけないほどの絶妙のバランスと存在感をもって描かれている。なんという絵だろう。かつてこのような絵を見たことがあったろうか。一枚の静物画の中に宇宙の秘密を凝縮したような、全宇宙がそこにあるかのような、不思議な存在感のある絵である。テレビでこれだけの迫力なら実物のそれは10倍を超える。ゲストで出ている和太鼓の名手が羨ましく感じた。『睡蓮』というタイトルの絵はモネのそれとはまるで作風が違う。独自の世界観の表明だ。多数の菜の花を画面いっぱいに描いた絵は不思議な世界をみせる。写実でありながらシュールである。画面いっぱいに無数に描かれた菜の花が一斉にこちらを見つめている。絵を見るというよりも菜の花に絵を見るこちらが興味をもって観察されているといった風のある絵だ。菜の花の1本1本が意思をもっているかのような錯覚が置きそうだ。『法隆寺』は11年かけて描いた。もうこれ以上筆を入れるところがないと言ったという。完成までに30年筆を入れ続けた絵もあるという。写実といってもこれだけの執念をもって描いた画家が他にあっただろうか。
 画家になろうと決意したときに、親戚が「食えないよ、一生嫁はもらえないかもしれないよ」と説得するのに答えて曰く、「それでいい」。まことにすさまじい覚悟の人である。曰く「世の画壇とまったく無縁であることが精進です」と。世の中には怖ろしい人がいるものだ。

 高島野十郎の生き方に羨望と軽い眩暈を感じつつ、やさしい酒が運んできたやさしいひと時とともに日曜の夜は静かに更けゆく。

 2008年9月1日 ebisu-blog#285
  総閲覧数:30,460/280 days(9月1日0時05分)

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0