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#3446 信頼の喪失と回復  Nov. 1, 2016 [17. ちょっといい話]

 根室の今朝7時の気温は4.1度、めっきり寒くなった。中標津では昨日の最低気温がマイナス8.8度で道内最低を記録した。中標津町が道内最低気温だというのは、わたしは初めて聞く。

 今日は気持ちのよい話が書ける。
 1年ほど前のことだったように記憶しているが、塾に来た生徒がこんな質問をした。

 「数学で自然数をnで書いてあったので、nは何ですかと質問したら、ナンバーのnだと先生が答えました」

というのである。勘のよい生徒はなんだかヘンな気がして、塾でも同じ質問をするから、生徒の動物的な勘は侮れない。

「自然数は英語ではnatural number だから、ナンバーではなくてナチュラルの方のnだよ、数学の先生、知らなかったんだろう。」
「わたしだって、わからないことはあるから、そのときは「調べて次の回に説明します」、そう応えることがあるし、とりあえず答えておいて、後でチェックして間違っていれば次回訂正します、おそらく君の数学の先生もそうするでしょう」

 そのときに高校の不定積分で出てくるCが ConstantのCであることや、(比例)定数を表すkはドイツ語の die Konstante のk。α、β、γはギリシャ文字だ、なんて説明も追加した。
 「Kの前についているdieってなんですか」
 生徒の好奇心は限がない、ドイツ語の説明をする羽目になった。好奇心は大事だから、他の生徒の質問を捌きながら、その合間に時間の許す限り付き合ってやることにしている。(笑)

 数学担当の先生から後日訂正があるだろうと気楽に伝えたのだが、次回も、その次も訂正説明がない、生徒はすっかりその先生への信頼をなくしてしまった。
 こういうことがあると生徒と先生の関係はギクシャクする。信頼感の有無はコミュニケーションの土台であるが、そこが崩れた。

 先週1週間塾を休んで東京へ行って心の洗濯をしてきた(その様子は#3444に書いた)。昨日の授業のときに、件(くだん)の生徒がこう話した。

「先週のことですが、数学の先生が、「自然数のnを以前ナンバーのnだと説明したことがありましたが、natural number のnですので訂正します」と言いました。」

 生徒は晴れ晴れとした顔で報告した。あれ以来ずっと胸の中にわだかまるものがあったのだ。よい経験をしたと思う。人からモノを訊かれたときに、答えに自身がなかったら、必ず後で調べてちゃんと訂正のできる大人になるだろう。

 だから教える先生は謙虚であれ。わかったつもりで教えても間違えることはある、ちらっとでも怪しいと思ったら、後で調べるくらいのことはしよう。そして、わからなければはっきり「次回まで調べてくる」と明言し、次回は必ず説明しよう(説明しない先生が多いのである)。調べてもわからなければ「わからなかった」と伝えればいいのである。そういう先生の姿から生徒たちは何かを学び、そしてちゃんとした大人になろうとするのだ。
 
 先生でもわからないことはある、もちろんわたしだって教師の端くれに過ぎないから、わからないことはたくさんある、だから日々学ぶことを怠らない、それがプロというもの。学ぶことに飽きたらそれは教師を辞めるときだと思っている。
 この経験で生徒はひとつのお手本を見た、そしてちょっと成長したようだ、件の数学の先生に感謝。お名前を書きたいのですが、ご迷惑がかかるといけないので書きません。


<余談>
 ブログ「情熱空間」に反面教師の実例が載っている。妙な社会の先生がいて、定期テストで「租税」だけが○で「税」や「税金」と答案に書いたらバツだというのである。租税には収入印紙が含まれないから税金とは違うなどと頓珍漢な説明をしたらしい。
 収入印紙は印紙税で国税であるから、「租税」である。中学公民の範囲では「租税」も「税」も「税金」も同じ物を指している。コメント欄に奈良時代の租庸調から租と税の説明を補足したおいたので、それもあわせてお読みいただけたら幸いである。

*「あの言葉、許しちゃいません」
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8630158.html

 定期試験問題についても、勘違いや憲法学の定説に反するような出題例を取り上げて解説しています。興味があればそちらもどうぞご覧ください。社会科担当の先生にもぜひ見ていただきたい。

*「間違いを出題してはいけません(定期試験問題から)」
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8630112.html


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#2477 笑顔 Nov. 7, 2013 [17. ちょっといい話]

 今日は、中学1・2年生は学力テストだ、がんばっているかな。

 一昨日のこと、生徒が席につくなり、
S1「先生、聞いて、テストしたの○○点だったよ」
T 「え、すごいな、もってきてる?」
S1「あるよ」
T 「みせてごらん」
S1「はい」
 うれしそうな顔してる。
T 「ほう、惜しいもうちょっとで90点超えだ、90点超えるとそれ以後は80点台があたりまえで、三回に一度は90点を超えるようになる生徒が多いんだ、木曜日に学力テストがある、がんばってみな」
S1「学テで90点は無理だと思うけど...」
T 「いい顔してるよ、笑顔だ、チャレンジしてみな」
S1「やるだけやってみるね」
T 「その意気だ」

 そうしたら、目の前に座った生徒が、
S2「先生、私の話しも聞いて、小テストしたの、14題の内11題正解だった、すごいっしょ!」
T 「ほう、○○にしては上出来だ、百点満点換算で80点なんてとったことがない、すごい!やればできるじゃないか」
S2「うれしい!」
T 「学テがあるぞ、よろこんでばかりはいられない。一次関数の問題、今日しっかりやっておけ。高校数学の半分は関数だから、重要性が大きい」

 二人ともいい笑顔をしていた。

 いい得点(笑顔)⇒ 自信が生まれる⇒ さらにいい得点⇒ 勉強が楽しくなる

 いやいややる勉強は集中力がないから、長時間やってもあまり成果が出ない場合が多い。しかし、政策が上がりだすと、面白くなるから集中力の上がるのが目に見えるようになる。こうなったらしめたもの。
 学力不振の生徒はいい得点の経験がないから、勉強が面白くない。きっかけをつくってあげるのは塾教師の役割の一つ。だから、学力不振の生徒には2ヶ月くらい週に2度ほど学校が終わったらすぐに塾へ来るように伝える。補習をするためだ。ここがガマンできた生徒は、勉強が楽しくなる。
 入塾当初のこの数学補習で得点10点台だった生徒が80点台の得点をたたき出したことがある。そういう例はさすがに少なくて、いままでに5人、全員が女子だというのも不思議だ。みないい笑顔を見せた。生徒の笑顔をみるとこちらも幸せを感じる。そのうちの一人は、今年になって結婚した。ふるさとに戻って塾を開いて11年か、ジジイになるわけだ。

(例にあげた生徒の普段の点数は、悪くない、そこそこの得点をとっているから、90点台をたたき出して、「90点超の世界」を経験してほしい)

(この2ヶ月間の特訓補習の敵はブカツである。週に一度ブカツを休んで補習に参加するのは勇気のいることらしい。レギュラーから外されることが耐えられないのである。人数の少ないブカツだと、その生徒が休むことで、やれなくなるメニューが生じる。迷惑かけたくないと生徒は葛藤している。
 理解のある先生もいた。わたしは生徒に自分で顧問の先生に理由を告げて2ヶ月間週に一度休み塾通いすると話しをするようにいう。理解と納得が大切だ。自分で交渉することが生徒の精神的な成長(自立)の助けになる。こういうチャンスは逃さない。全部がうまくいくわけではなく、それどころかうまくいくほうがすくない。それでも学力不振の生徒には何度も「ブカツよりも学業が優先だよ」と伝える。根気がいるから、気が長くなるかもしれない。)

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#2349 七夕の朝の朗読 「月とウサギ」(仏典童話より) July 7, 2013  [17. ちょっといい話]

 このところ雨の日が続いていたが、昨日朝から晴れ上がった。今日はA中学校とB中学校の体育祭である。C中学校は数日前に水曜日に順延を決めている。天気予報では土日は雨の予報だったからだろう。C中学校のグラウンドは水がたまってカモメが遊んでいるのだろう。水はけが悪いから数日雨が降り続くとグラウンドが乾くまで数日かかる。
 2校の中学生は日焼けしてマッカッカになるだろうな。(笑)

 日曜日9時少し前のNHKラジオ番組で「月のウサギ」という話しを、『仏典童話』の著者が朗読した。
 著者は「夜間高校」(定時制高校とは言わなかった)を卒業後、しばらく期間があったかなかったか、初期仏教経典に興味があり大谷大学へ進んだ。たまたま経済的に余裕のない家に育ったが、学ぶことをあきらめなかった。
 南伝の初期仏教経典はパーリー語で書かれているから、パーリー語も勉強したという。勤勉な学生であったといえるだろう。こういう素直な向学心を根室の子供たちに伝えたい。学ぶ心を生涯もち続けてほしい。
 わたしも30歳代は原始仏教経典群に興味が湧き、神田の信山社でパーリー語の辞書を見つけたが、後で買おうと思って半年くらいしてからいったらもうなかった。本は出遭った時に買わなければダメなことがある。

 『仏典童話』はジャータカといって、お釈迦様やその弟子の前世の物語の一つである。お月様とウサギの話しを聞いたことのない日本人はいないだろう。
 旅のバラモン僧になにも供養する物をもたぬウサギが、焚き火をたくように告げてその炎の中に自分の身を投ずるのである。お釈迦様の前世譚の一つである。
 もうすこし具体的な話しをすると、天上の世界で地上界になにか瑞祥が現れる予兆が起きる。帝釈天がなんだろうとボロ衣を着て旅のバラモン僧になって出来事を確かめに地上界に現れる。カワウソ、狐、猿そしてウサギがボロをまとった旅の僧に食べ物を供養するのである。何もないウサギは自分を食べてくださいと言い残して燃え盛る焚き火の炎の中に身を投ずる。すると帝釈天は真の姿を現し、ウサギをその掌に受け止めるのである。
 
 もし、旅の僧がほんとうに食うや食わず、腹ペコだったらどうするのだろう。帝釈天ならぬ旅の僧はウサギを助ける術はない。涙を流しつつ食べて自分の命をつなぐことしかできない。ウサギの命を受け止めた僧はその後どのような生き方をすることになるのだろう。じつに厳しい問を発しているようにも読める。
 よく考えてみたら、わたしたちは毎日他の生き物の命をいただくことでしか自分の命を維持できないのだから、食事のたびに感謝と祈りを捧げずには食事をいただくことができない。そして自らにこう問わざるを得ないのである、汝は今日一日他の命の供養を受けるに値する行いをしたかと。

 人生は長くもあり短くもある。まれにこのウサギと似たような場面に遭遇する人があるかもしれない、そういうときに躊躇せずに炎に身を投ずることができるかとこの物語は問うているとしたら、人の生き方に鋭い刃物を突きつける物語である。
 また、命とは何かを問う物語だとすると、一つの命は常に他の命をいただくことで成り立ち、こうして何万年何億年も命がつながってきたのだということに大きな感動を抱かざるを得ない。どう読めるかはそのときの読み手の心次第。

 「月のウサギ」は皆さん知っているお話です。この物語を通して読んだ人のこころに感動の輪が伝わっていく、なんらかの縁を感じた人は本を求め、声に出してお読みください。



仏典童話I

仏典童話I

  • 作者: 渡邉 愛子
  • 出版社/メーカー: 東本願寺出版部(真宗大谷派宗務所出版部)
  • 発売日: 1993/02/08
  • メディア: 単行本

仏典童話II

仏典童話II

  • 作者: 渡邉 愛子
  • 出版社/メーカー: 東本願寺出版部(真宗大谷派宗務所出版部)
  • 発売日: 2003/09/01
  • メディア: 単行本





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#2275 白鳳と蒼国来 相撲稽古総見の場でみた日本人の心 Apr. 27, 2013 [17. ちょっといい話]

 先ほど(4月27日)お昼のNHKニュースを見ていたら、相撲の稽古総見が流れた。

 白鳳が片手を挙げて小さく「オイデ、オイデ」をした。蒼国来を土俵に呼んでいる。最初の稽古相手に横綱が蒼国来を指名したのだ。

「しばらく稽古ができなかっただろうから、オレが稽古をつけてやる」

 白鳳は一言も言葉を発していないが、あのしぐさ(オイデ、オイデ)には言葉も必要ないほど思いがこもっていた。

 意外なできごとに、蒼国来うれしくてうれしくて、何度も頭を下げながら土俵に駆け寄り、こどもが横綱にじゃれるように白鳳にぶつかっては転がされていた。背中についた土が勲章に見える。

 蒼国来、(あらぬ疑いをかけられていろいろ苦労があったが、)心はすっかり癒されただろう。
 それどころか生涯忘れえぬ思い出の日となったのではないだろうか。

 稽古で人の心を癒すことができる横綱、白鳳は心技体ともに立派な横綱、理想の日本人だ。
 日本人の誇り、
「いいぞ、横綱、日本一!」


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#2233 生きる力を失いかけている人たちへ Mar. 2, 2013 [17. ちょっといい話]

 ブロガー仲間のお一人、miopapaさんのブログ記事を読んで、みなさんにぜひ読んでもらいたくご紹介させていただきます。URLをクリックしてください。
(今回は下手な解説はやめます)

「母は強し」
http://kids-dream.blog.so-net.ne.jp/2013-03-01



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#2197 直木賞作家を生んだのは学校の先生の指導があってこそ Feb. 2, 2013 [17. ちょっといい話]

 ブログ「情熱空間」の記事を転載します。新聞記事をクリックすると全ページみることができて拡大もできます。感動しました。心の洗濯のような記事です。プロフェッショナルとはこういうこと、なかなか遠い。そこへ向けて一生努力すると覚悟を決める、それがプロ。


http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/6263298.html
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2013年02月02日

直木賞作家を生んだのは学校の先生の指導があってこそ

直木賞作家を生んだのは、学校の先生の指導があってこそ。

感動しました。
残念なことに、学校現場、特に小学校現場では「作文」が軽視される状況になっています。
結果、要領を得ない文章を書く若者、まともな文章を書けない若者が増えてしまいました。

すべての小学校の先生にお読みいただきたいものだと、強く思いました。
感動しました。
すばらしい。
(2013.02.01 北海道新聞夕刊より)

CCI20130202_00001



































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#2039 1948年のロンドンオリンピックは敗戦国日本参加できず Aug. 4, 2012 [17. ちょっといい話]

 昭和23年というと団塊世代が生まれた年である。1948年にロンドンで2回目のオリンピックが開かれたが、日本は連合国の敵国で参加が認められなかった。1951年のサンフランシスコ講和条約締結までそうした扱いが続いた。

 日本水泳連盟はオリンピックの決勝と同日、神宮プールで国内大会を開いた。そこで古橋廣之進がオリンピック金メダルの記録を次々に塗り替えた。ウィキペディアによれば次のようになっている。

「古橋は400m自由形4分33秒4、1500m自由形で18分37秒0を出し、ロンドン五輪金メダリストの記録および当時の世界記録を上回った。同年9月の学生選手権の400m自由形では自己記録を更新する4分33秒0、800m自由形では9分41秒0を出しこれも世界記録を越えた。これらの記録は日本が国際水泳連盟から除名されていたため世界記録としては公認されなかった。敗戦直後で日本人の多くが苦しんでいる時期に、世界記録を連発する古橋は国民的ヒーローであった。」

 敗戦後の混乱時代、当時の日本はエンゲル係数が80%だった。収入の80%を食費に使わなければならないほど窮乏化していた。そういう時代に国民を励ます効果があった。
 日本水泳連盟の企画力と情報発信力に驚くとともに、江戸末期や明治期の日本人が培った国際的な信用の大きさにも思いをはせないわけにはいかない。
 日本人は侍であってなにより不正を嫌う、だから、日本人が水泳の記録で計測をインチキするはずがない。そんなことをすれば、最大の恥辱であり、やった当人は腹を切ることになる。そういう価値観のなかで日本人は生きていたし、国際的にも倫理性について評価が高かったのだ。
 「日本の時計はゆっくり進むのではないか?」という声はすぐに聞かれなくなり、「日本人はすごい」という賞賛の声が各国から湧き上がったのは当然の成り行きだった。敗戦後の日本人がどん底から這い上がるにはこうしたエピソードもあった。

 今朝7時25分頃、NHKラジオでの解説から。いい話だったので紹介したくなった。

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#2033   表情   July. 31, 2012 [17. ちょっといい話]

 柔道57キロクラスで金メダルだった松本薫の写真が道新朝刊一面の載っていた。ロンドン時事発の写真だが、準決勝で松本が襟首を捕まえて相手を押さえつけている。その表情が般若のようだ。何度か歯をむき出し、闘争心をあらわにし、攻めて攻めて攻めまくった。とんでもない闘争心の選手がいる。夕刊の一面にも金メダルをとった後の写真が載っているが、こちらの表情はやさしく、喜びが顔に出ていた。勝負中とこんなにも表情が違う。

 重量挙げの三宅親子の表情もよかった。ジャークであげたときの表情はずいぶん澄んだ表情だった。おじさんが金、父親が銅、そして自分が銀、実に素直な喜びの表情で清々しい思いがした。

 水泳の寺川綾の銅メダルの表情も清々しいものだった。心から喜んでいるのが伝わってきた。

 卓球の石川佳純がベスト4に残っている。思い切りがいいからどこまで届くのか楽しみだ。 


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#1985 水辺の遊び、ウチダザリガニ獲り : NEMUROざりがに探偵団  June 24, 2012 [17. ちょっといい話]

 1週間毎日雨だったが、ようやくあがった。根室の気温は9度、曇り空。
 NEMUROざりがに探偵団主催のざりがに獲りイベントが明治公園ひょうたん池であった。ebisuは1時間前に池の周りを回ってみた。カモメが数十羽池の中央付近で水浴びをして遊んでいる、ここはカモメの餌も豊富なのかもしれない。20年程前には大きな鯉が何匹もいたが、まったく見当たらない。

 高橋代表の車にはザリガニ獲りの網が積んであったのですぐにそれと知れた。30分前になってネイチャーセンターのMさんが捕獲用の網を十数個積んで到着して高橋さんと話し始めたので、ご挨拶。高橋さんは中学時代の同級生ヨッコに似た感じの人で、親しみがわく(ヨッコは自分の考えがしっかりある奴で、普段は柔和だがだいじなところは頑固一徹、人として深く深く信頼でき、仲間からの信頼が厚い)。
 1時ころには小さな子供たちとお母さん、お父さんが20名ほど集まった。参加者にパンフレットが配られて、バーベキューハウスで30分ほど説明あり。
*「ザリガニひみつ」(パンフレット)
 ザリガニと身近な水辺を考える会
 http://zari-mizu.com/

 ウチダザリガニが食用として日本に輸入され、摩周湖で養殖されて、それを捕獲して根室へもってきてひょうたん池に放した人がいて、今に至っていると説明があった。
 代表からざっと説明があったあと、色白美人のお姉さんがスケッチブックに描きためた自作のザリガニのイラストを使ってアメリカザリガニ、ウチダザリガニ、日本ザリガニの説明をしてくれた。イラストの他に写真も貼り付けてあってわかりやすい。
 特定外来生物法があって、飼育・保管・運搬・譲渡等が禁止されていることが小さな子供たちにも理解できるように説明された。
 NEMUROざりがに探偵団は環境省の認定を受けた団体で、駆除について許可をもらっているので、運搬が可能だ。獲ったザリガニは煮て食べる、本来食用として輸入養殖されたものだから食べることは「供養」。
 説明が終わってからこどもたちから質問を受けると、一人が熱心にいくつも質問をし、終わる気配がない。高橋さん困ってニコニコしながら「では次で質問終わりにします」と宣言、周りから笑い声がもれる。

*特定外来生物法解説(環境省自然環境局)
 
http://www.env.go.jp/nature/intro/

 ネイチャーセンターのMさんは「タモ」と「つなぎ」をいくつかもってきてくれていた。これなら池の中まで入って底をさらえる。半円状になったタモなので、池の底をさらいやすい(昆虫捕獲用の丸いタモでは底をさらいにくい)。
 ウチダザリガニは冷水の水がきれいなところでないと生きられない。ウチダザリガニは冷水性の水生生物で、この点はニホンザリガニと同じだが、かなり汚い水でも生存可能。だからこそ、北海道のいたるところで生息を拡大している。
 もうひとつの問題は根室の湿原に固有の生物種を捕食していることだ。ウチダザリガニが繁殖するには餌が必要で、湿原の固有種が餌になっていることが推測できる。安定した生態系を維持し、固有種を絶滅から防ぐためにはウチダザリガニを定期的に駆除する活動が大切だ。そうしたことも、水辺でザリガニ獲りを楽しみながら体験的に学べるようになっている。根室のお母さんやお父さんたち、来年のイベントには子供をつれて参加したらいい。

 ひょうたん池は湿原から冷たい小川が流れ込んでいるのでウチダザリガニにとっては環境がいいのだろう。牧の内ダムやナンブトウにも棲息している。午前中にナンブトウでとってきたザリガニ十数匹を見せてもらった。5センチほどもあった。
 イラストで説明をしてくれた人は防水のつなぎを着て池の中に入って縦横無尽に池の底をさらってザリガニを捕まえていた。なかなかタモ捌きがいいので見とれてしまった。
 幅1m弱の湿原の小川からから絶えず流入してくる水は冷たい。池の水はきれいで川海苔のようなものが多い。タモで掬うと3~5cmも泥と一緒にたまる。それを水中ですこし揺らしながら泥成分を落とすと、ザリガニを見つけやすくなる。

 1時間ほどこどもたちと大人たちがタモ(アイヌ語で網を意味する言葉だそうだ)を使ってたくさん獲った、小さいのは1cm大きいのは8cmくらいある。
 中学生のシン君は高橋代表から「私よりもザリガニ獲りが上手だ」と言われるほどの"ザリガニ獲りの名人"、片腕を池の水につけて探りながら素手で何匹もつかまえていた。皮膚を挟まれても平気だ、指がちぎれたり皮膚が切れることはない(笑)が、はさむ力はけっこう強い。わざとはさませて引っ張ってどれくらい力があるか見せてくれた。
 初参加の大人3人も楽しそうにザリガニ獲りを楽しんでいた。ちっちゃな女の子がズボンを泥だらけにして、獲っては白いバットに移し、キャッキャとはしゃいでいる。小学生の男の子が自分のタモの中にザリガニが入っているのを確認したが、つかめない、他の子にとってもらう。「カブトムシは平気でつかめるんだけどザリガニはダメ」と3尾とも隣にいた男の子に頼んで白いバットに入れてもらっていた。「ぼく、みっつもつかまえたよ!」、来年は自分の手でつかめるだろうか?トンギョが何度もタモに入る、十数年もののカラス貝も3個入った。トンギョとカラス貝はリリース。

 水辺で遊ぶのは楽しいものだ。このイベントは市役所の許可を取っているから、鉄柵の内側に入ってザリガニ獲りを楽しめる。小さな子供は保護者がついて見守っている。普段は鉄柵の中に立ち入ることはできない。
 こういう水辺が花咲小学校グラウンド横の「底なし沼」、市立病院の下の「古川の池」、花咲小学校下の「砂の渚」、本町下の「石の突堤」と4箇所、子供が自由に遊べる水場があった。そして4箇所ともなくなってしまった。自然になくなったわけではない、全部人間が変えてしまった。50年経つと水辺の楽しい遊び場がほとんどなくなっていることに気がつく。子供たちが外で遊ばなくなるわけだ。根室はまちづくりの長期ビジョンを間違えたようにみえる。間違えたことは仕方がない、素直に反省し、こどもたちの遊び場を考慮したまちづくりのビジョンをこれから創ればいい。

 3時少し前に終了宣言し、みんなで数を数え始めたら、158尾。数え終わった後で代表が子供たち一人一人に感想を聞いていた。こういう体験が教育には大事なのだろう。「去年も来たよ」という小さな子が数人いた。
 全員、長靴を消毒して終了。
 ここでebisuに小さな事件が勃発。消毒粉を入れた水槽の中に両足を入れたら、右側の靴に消毒液が侵入してきた。ゴム長にひびが入っていた。挨拶もしないで、あわてて車に載って家にもどり足を洗った。失礼しました。いい長靴を買わないといけませんね。(笑)

 北海道新聞の記者と読売新聞の記者さんが取材に来ていたから、写真入で明日載るのかな。

 5月6月は抱卵時期に当たるが、200ほど卵を抱えている5~7cmのものが3尾確認できた。5cm以上のものが30尾ほど捕獲できたが抱卵しているのは少なかった。すでに卵が孵化してしまった個体が多かったのかもしれない。この池では日本ザリガニは確認されていない。

 いい日曜日だ。


*#1977 外来ザリガニ駆除 :根室の自然を守る転勤族の戦い  June 17, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-17

 #1979 NEMUROざりがに探偵団代表からのコメント  June 19, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-19


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【追記】
 6月25日北海道新聞夕刊に記事が載っていた。プロだから文章のまとめ方は言うに及ばず、写真の構図がなかなかいい。


#1984  歯舞コンブの浜 初夏 (1) June 23, 2012 [17. ちょっといい話]

 6月19日(火)からはじまった「―初夏」は北海道新聞の5回シリーズ記事で、通し番号No.3。栗田記者の企画・取材、記録しておく値打ちのある記事だ。
 コンブ浜固有の語彙やモノを織り込み、それに係わる人を登場させて、いきいきと解説している。こういうところにこの記者の持ち味があったのだとようやく気がつく。みればいい花が咲いている。

 紹介した浜の語彙は・・・カギ棹
 「長さ13㍍ほどまで成長するコンブが海中を漂う向きに対し、カギ棹を直角に入れて引っ掛けるのが理想。しかし、貝殻島付近は潮が速く複雑なため、コンブの流れも不安定になりがちだ。おまけに、強い風が吹けば船は流される。前浜に比べ経験や技術が必要と言われる理由だ。
 いいところに陣取っても形勢が変わりいつの間にか相手が有利になるときもあり、その逆もある。中堅漁師の飯沢裕樹さん(42)はいう。「潮と風の流れを見極めベストを尽くすけど、その日の状況で漁は変わる。そこに難しさと面白さがある」
 身一つとカギ棹だけを使う肉体労働のコンブ漁は運不運にさらされる心理戦であり神経戦である。」

 初回の記事でカギ棹を「作り手」のほうから紹介したが、今回は「遣い手」の方から解説。美味しいところだけ抜粋させてもらったが、全文掲載したい内容だ。

 中高生諸君、この「春」⇒「初夏」シリーズでオリジナルな視点、問題意識をもって事物や人を観察し続けることの大切さを学んでほしい。もちろんベースの技(書くこと≒読むこと、そして聞くこと)を磨き続けての話だ。
 人の話しを理解するには基礎学力の高さがモノをいう、そのベースは中高生のときに自分で育てるのだから、本を読めそして勉強しろ。

 記事を楽しみながら思い出したことがある。高校生になってからこの地区に友人が何人かできた。カナメ、ケンキチ、マサキ、ヒロボー、一人一人の顔といくつかのシーンが思い浮かびなつかしい。ヒロボーは卒業した年の8月16日に交通事故で亡くなった。浜のあいつらは笑顔がいい。

*#1954 味わいのある記事:「歯舞 コンブの浜 春」 May 30, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-05-30

 #1955 タクヤとカズキのデビュー :「歯舞 コンブの浜 春(下)」  May 31, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-05-31


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