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#3444 人はどうやって言葉を習得するのか(1):2.5-3歳 Oct. 30, 2016 [50. 幼児期の言葉の習得]

 2歳半から3歳までに、こどもは言葉をどのように習得していくのだろう。
 周りにいる人やある物には名前がついている。

 おとうさん、おかあさん、おじいちゃん、おばあちゃん、・・・
 スプーン、はし、ちゃわん、フォーク、お皿、バナナ、りんご、かき、ヨーグルト、・・・

 やってほしいことと嫌なことに関する言葉を覚える。
 食べたい、食べる、見たい、見る、飲みたい、飲む、・・・
 ついで、否定語を習得する。同時進行と言ったほうがよいかもしれない。セットで言えるようになる。
 食べたくない、食べない、見たくない、見ない、飲みたくない、飲まない、・・・

 2歳半から気がついたことは、形容詞や形容動詞が使えるようになったことだ。
 すてきな棒だね、大きい棒、小さい棒、おばあちゃんは大きいうさぴょん、わたしは小さいうさぴょん、・・・

 艶のある小枝を拾って「すてきなぼうだね」と言った。秋だから、散歩すると道端に小枝が落ちている、かがんで一つ一つそれを右手で拾っては左手に集めて握っている。世の中の棒を「すてきなぼう」とすてきでない棒に2分しているようだ。
 「大きい棒」と「小さい棒」と区別がつくのは物の大小関係の判断が働いている。自分が見たり触ったりしているものの大小を判断している。「大小」という抽象的な概念が育っていくのが目に見えるようだ。
 1.3mほど細い枝が落ちていたので、それを振って蜘蛛の巣を払ったら、それが欲しいというのであげると、真似をして蜘蛛の巣を払う。大人の真似をしても片手では無理なので両手で振る。
 伐採した丸太が朽ちかけて転がっていたので、それを小枝で叩くと、自分が手にもっている枝で歌を歌いながら真似をして叩く。全身運動だ、キャッキャッと歓んでいる。

 毎日、すぐ近くにある「自然公園」へ散歩に出かけた。この公園には遊具がひとつもない、だからこどもはいくつど遊びを「発明」する。
 最初の日は、3mmぐらいのオレンジ色や黒っぽい木の実が気になって拾っていた。見つけるたびにかがみこみ拾う。クヌギの木があるからどんぐりも落ちている。両手にものを持っていると転んだときに危ないから、掌(てのひら)を広げて、「あずかってあげる」と言って受け取る。あっさりわたして、拾い集めに夢中だ。掌にびっしりになったので、「どこかに隠しておこう」と告げて、大きな木の根方の隙間に詰めて、見えないように葉っぱで隠すと、歓んで葉っぱを拾って乗せていた。あとで、違う木のところを探していた。十数本ほど似たような大きさの木が並んでいるので見分けがつかないようだ。端から2番目の木だよと指差すと、ちょこちょこ走り出す。見つけてまた歓んでいた。うれしいときには必ずアイ・コンタクトして、うれしそうな顔をする。一人で遊ぶよりも、だれか相手がいたほうが楽しいのである。人見知りは激しい。とくに男の大人がダメ。話しかけられても横を向いてしまう。自分の視野に入らなければ、いないのと同じと思っているようだ。

 二日目には側壁の雨水抜きのパイプの開口部に小枝を突っ込んで、遊び始めた。
 「なにしてんの?」
 「おそうじしてんの」
 うれしそうな顔で、パイプに詰まっているごみを小枝でかき出している。端から上下2段の手の届く範囲を次々に「おそうじ」して歓ぶのである。
 池の周りにはコンクリートの棒に穴をあけて紐を通した防護柵があった。その穴に細い小枝を通して遊んでいる。小枝を突っ込んでいるうちにこちら側からは抜けなくなった。どうするのか見ていたら、反対側に手を回して引き抜いた。
 「じょうずだね」
 「うん」
 と目線を合わせてにっこり、いい笑顔だ。幼児とのコミュニケーションはアイ・コンタクトが大事な役割を果しているようだ。

 散歩している途中で柿がなっていたので、指で触ってみせた。
 「柿だね」
 「とどかない! ○○ちゃんもさわりたい」
 よいしょと、抱え挙げて触らせた。
 公園管理の作業をしている人たちが5-6人来ていた。その中の一人が、
 「とってもかまわないけど、それ渋柿だから食べさせないほうがいいよ」
 と親切に教えてくれる。ごみを片付け、枝打ちや伐採をしていた。切り倒すときに、かなり大きな音がしていた、バリバリドッスン。
 ゴンズイという面白い名前の木があった。なんの役にも立たない木だからゴンズイという俗名がついたと由来の説明に書いてあった。ゴンズイはナマズの仲間の海水魚で、毒をもった棘があり、食用にはできないと思われているから、役に立たないものの代名詞として使われる。この木の実は硬くて赤い外殻の中に直径3mmほどの黒い実がついており、それが遊歩道に落ちている。
 「とって」
 「もうひとつ」
 「みっつとって」
 どうも「ひとつ」と「3個」というのが頻度が多い。「ひとつ」でなければたいがい「みっつ」「さんこ」と言う。

 ばあさんが手づくりのトンカツを1.5cm角に刻んで食べさせたときに、
 「このトンカツ、カリカリしておいしいね」
 顔を上げて、視線を絡ませながらうれしそうにそう言うのである。副詞句(カリカリして)を使いはじめるのは2歳以降のようだ。ただ「おいしい」だけでは伝わらない。「カリカリ」「サクサク」「パリパリ」「あったかくて」「冷たくて」「甘くて」など、どのようにおいしいのか語彙が多いほど表現は豊かになる。語彙を3つ覚えたら、世の中の食べ物を4分類して整理・表現できるということだ。苦味がわかってきたようだが、これは許容範囲が狭い、でも、幼児にもおいしい部類に属する苦味があるというのは発見だ。苦い味がするものはほとんど吐き出す。
 子どもは自分の身の回りの言葉を真似て使い始めるのだろうが、「アッカンベー」はどこで覚えたのか母親も知らない。そういうことがよくあるようだ。
 使役の助動詞、受身の助動詞はまだ使い分けられない、いつころから使えるようになるのだろう。助詞が最後になるのかな。

 こどもが自分の身の回りで飛び交う語彙群を吸収するものだと仮定すると、周りの大人たちが使う語彙群が問題である。少なからぬ影響があるだろう。幼児期よりも、その後のほうが影響が大きい。大人は子どもの前で使う言葉をよくよく吟味すべきと言うことになる。子どもの前では、乱暴な言葉を使わず、上品な言葉遣いを心がけたい。

<まとめ>
 「大きい」「小さい」という対立する語彙を覚えたら、世の中のものを三分類して捉えることになる。「大きいもの」「小さいもの」「どちらでもないもの」ということだ。「あまい」「しょっぱい」「辛い」「苦い」という語彙を覚えたら、食べ物や飲み物を4分類、否定語を交えると8分類して捉えることになる。人は言葉で考えるものだが、幼児も例外ではない。わずかの語彙を使えるようになることで、その子が認識する世界は急激に膨らんでいく。幼児における語彙の発達は、どうやら脳の発達と密接に関連しているようだ。

<わたしの視点>
 現在2歳9ヶ月だが、こどもの言葉の発達がどのような経緯をたどるのか、観察が楽しい。こどもの言葉の発達は、個人差が大きいから、どれくらいが標準なのかさっぱりわからない。遅い速いはあまり気にする必要はないだろう、一人ひとりそれぞれのペースがある。
 塾で中学生を教えていると、本を読まない生徒の語彙が貧弱で、数学の問題文を理解することすらできない例にぶつかることがある。本を読まないのでそういうことになったと思っていたが、どうやら読書習慣の前の段階があるようだ。幼児期の言葉の習得のどこに問題があると中学生になってどういう障害が起きるのか考えてみたい。語彙が多いほどニュアンスの違いを理解し、言い分けられる。それは「聴く・話す」のベースを造り、そのベースをどれほど充実させるかで「読み・書き」スキルの育成に大きな差を生み出しそうである。幼児とのコミュニケーションはいろんなことを教えてくれそうで興味が尽きない。

<余談:逆上がり>
 敷地内に空き地があり、以前は小グラウンドとして使っていたが、子どもが減ったのでだれも遊ばない。高さの異なる鉄棒が3つある。鉄棒にぶら下がるのが好きなので、逆上がりをやって見せようとしたら、足が上がった後、反対側に行かない。スキルス胃癌の手術を10年前にしてから、体重が8kgほど減ったままだが、そのほとんどが筋肉だったようで、腕の力がなく逆上がりができない。懸垂も1回もできない。50歳を過ぎても8回ほどはできたのだが・・・女房殿が笑っていた。
 翌日少し腕を曲げ気味にして、思いっきりよくやってみたら、ちゃんとできた。
 「あらあら、無理したわね」


<余談>
 8畳の和室にカラフルなビー玉をぶちまけたあとに近づいてきて、
「おじいちゃん、一緒にあそぼ」
そう言いながら和室へ歩き出す。やにわに振り向き、
「おじいちゃん、うれしいでしょ」
と、アイ・コンタクトしながらにっこりする。損な言葉が出ることは予想外だったから、言葉が出てこなかった。
 こちらの心のうちを見透かしている、3月末に会ったときに比べるとびっくりするほどおしゃまなことを言う。たしかにわたしは「うれしい」のである。まだ小っちゃいのに小学生のようなセリフに苦笑いしながら、リビングから和室へ移動して一緒に遊んだ。
 人の心が読めるようになった、爺さんをおちょくれるのである、手玉にとられて歓んでしまった。



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 4日目、最後の日は
 


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後志のおじさん

お帰りなさいませ!

どうしたんだ?突然、と、いいこと悪いことあれこれ想定していました。二人めのお孫さんかな?と思っておりましたが…………。

2歳から3歳。発話がしっかりとしたお孫さんですね。お母さんが子供と日々真剣に向かい合っていることがよくわかります。お孫さんはたぶん女の子ですか。

じいちゃんには至福のときでしたでしょうね。でも、たまにだからいいのですよ(笑)。
東京に戻られたら、娘さんに相談されたときだけ自分の考えをいえばいい。あれこれ横から口出しすると、「うざいじじい」ですぞ。
私は、去年の冬から若い人にはいつもニコニコ、余計なことは言わず、頼まれれば何でもやる、便利なおっちゃんをやっております。みんなが楽しく動ける場を陰でこしらえるのが、年長者の役目。俺が俺がは禁物です。
ebisu さんの娘さんは、しっかりとしたお母さんに読めましたので。


釈迦に説法の余計なことを書きました。
我が息子は、フラフラ旅行するのが大好きで、(父親に似たのかなぁ。)当分身を固めそうにはありません(苦笑)。羨ましいなぁ。

多彩な記事の再開、楽しみです。



by 後志のおじさん (2016-10-30 21:32) 

ebisu

幼児期の言葉の習得に興味があって、観察してます。

年に一度だけでもある程度様子はわかるでしょうから、それで十分です。
相談事があれば聞いてやる、干渉しないのが一番、後志のおじさんの言うとおりで、そうしてます。

東京と根室、年に一度か二度しか行けませんから、距離があっていい。
最近ようやく、「いつになったら戻って来るの」と言わなくなりました。(笑)
by ebisu (2016-10-30 23:54) 

ZAPPER

実は、ほとんど同じ視点でウチの末の娘を観察しておりました。よく、生長の過程で「喃語〜単語〜二語文〜三語文」とか表現されますが、二語文を経て三語文が始まった段階から「形容詞」と「副詞」の出現頻度を観察しておりました(笑)。

やはり女の子は早いですね。女の子はおしゃまだと言いますが、それってつまり「形容詞」の出現頻度の差かな?などと思っていたところでした。

でもしかし、やはりこれは親との対話、とりわけ母親とのそれであって、良くも悪くも親次第ということを実感しております。ebisuさんの娘さんは、さすが、お見事!私もまた、妻に感謝であります。ebisuさんの、秋の日にお孫さんを見守る暖かな眼差し。目に浮かぶようです。^^;
by ZAPPER (2016-10-31 21:30) 

ebisu

幼児を眺めているのはとっても楽しいものですね。たった一週間ですが1年分楽しみました。
人見知りが激しいのですが、have空間にいる人には大丈夫なのですが、have空間の外側の人はダメです。
「こんにちは」と言われてもアイ・コンタクトを外してそっぽを向いてしまいます。
理由を聞くと、
「だって、はずかしいんだもん」
当分このままでいい、小学校に入る前に、知らない人とでも元気な挨拶ができるようになればいい。
躾けは親がやればいいのですから、わたしは観ているだけ。

形容詞や副詞句が会話に混ざるようになって、ふと自分の英語のほうのボキャブラリーに大きな穴が開いていることに気がつきました。形容詞や副詞の語彙が貧弱なのです。さまざまな分野の専門書を読むことで語学力を磨いてきたので、語彙群が偏ってしまったるのでしょう。システム関係や経済学や会計学、医学関係の専門書には形容詞や副詞が少ない。(笑)

改めて考えてみると、外国語の習得は、赤ん坊や幼児が習得していくようなやり方を、必ずしもしなくていいのではないか、そうは思いつつも、幼児が言葉を覚えるような仕方で言語を習得するのがやはり王道であることにあらためて気がつきます。

ZAPPERさんのところとは、1-2か月の違いでしたね。メンコイ女の子、目に入れても痛くないでしょ!

じっくり観察して楽しみましょう。
by ebisu (2016-10-31 23:52) 

後志のおじさん

ebisuさんの問題意識がどの辺りにあるのか、ちょっと掴みにくいのですが、

本欄タイトルは、どのように、の方法論。


幼児期の言語習得に家庭による差や男女差があるのは何故か、そもそもなぜ言語を習得しようとするのかといった、「なぜ?」論なら少し綴れると思います。

(私は文系ですが、小学生レベルの知識しかない井の中の蛙の釧路の理科好きには、想像もつかないレベルでの理科好きですから。)

by 後志のおじさん (2016-11-02 15:09) 

ebisu

単なる好奇心です。
自分が幼児期のころを思い出せたらいいのですが、それは無理ですから孫を観察してみようというだけのことです。

中高生を見ていると、コミュニケーションに障害を生ずるほど語彙力不足の生徒がたまにいます。
どこかで躓いたはずで、どこで何に躓いたのか、孫の言語獲得過程を観察すれば、どこかにヒントがあるかもしれないというくらなものです。

360度どこからでも結構です、どうぞ書き込みください。
どこへ行くかわからない旅もまた楽しいかもしれません。(笑)

by ebisu (2016-11-02 16:06) 

後志のおじさん

言語習得に限らず学ぶ楽しさは、脳にとっての快不快が原動力になると思いますが、

乳幼児期の言語習得は、zapper さんが書かれている「すごい、すごいはどこへ?」にある親の対応にかかっていると。

無差別微笑反応対して大人が、「かわいい」とか本能的次元からの声をあげる。これが自分からの働きかけの成功体験になります。

言葉を発し始めたときも同じように、喜びなどの感情のこもった音声が子供の耳に届いていること、これが更なる発話へのモティベイションとなります。

子供の目をみて話しかける、子供の発話に反応する、言葉のお手本をしめす、そんな人がいつも周りにいるなら話し言葉の習得は容易でしょう。

言語能力に劣る子供にしたければ、この逆をやればいいだけのことです。
無差別微笑反応を示しても親が反応しない。
外界への働きかけの意欲のない人に育つでしょう。
発話をしても、上の空の生返事だけを聞かせる。いろいろな言葉を覚えようという意欲がないぼーっとした人になるでしょう。

10年ちょっと前に、身内の保育士から聞いたのですが、「最近(10年ちょっと前)だっこっていうと背中を向けて座る子が増えてるんだよね。」私は、母親がいつもケータイをいじってるな、と思いました。その頃の保育園児が今中学生です。無気力、無反応の一因がみてとれるのではないでしょうか。

by 後志のおじさん (2016-11-03 15:06) 

ebisu

宛てのない旅がスタートしたようです。
弥次喜多道中はじまりはじまり・・・

喃語(なんご)の時期を過ぎると、やって欲しいことややりたいこと、そしてして欲しくないこととしたくないことを言うようになります。1歳以降ですね。だんだん言える言葉が増えていきます。
意思が伝わるとうれしいのでしょうね。うれしいから次々に周りの人が話している言葉を真似してみる。

言語の習得は学ぶ歓びの原体験なのかもしれません。勉強がちっとも楽しくないという中学生がいますが、そうした体験を忘れてしまっているのでしょう。覚えている方がヘンかな。

言葉を発するときの声の調子や、アイ・コンタクトで感情の交換がなされます。コミュニケーションによって情緒が育まれるのでしょう。心の核を構成しているのかもしれませんね。
言語の習得には、まわりにいる大人や少し年長の子どもの影響が大きいことは確実なようです。

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言語能力に劣る子供にしたければ、この逆をやればいいだけのことです。
無差別微笑反応を示しても親が反応しない。
外界への働きかけの意欲のない人に育つでしょう。
発話をしても、上の空の生返事だけを聞かせる。いろいろな言葉を覚えようという意欲がないぼーっとした人になるでしょう。
---------------------

怖い話です。
幼児期に母親がスマホ中毒だとまさにそういう子どもに育ってしまいます。
幼児期に男親がゲーム中毒なのも同様にその影響が深刻ですね。

そういう育てられ方をした幼児がいま中学生になっているというのは的を射た指摘のように思えます。
極端に語彙が不足していたり、発話がはっきりせずにコミュニケーション障害をもった中学生がこの数年間増えてきているように感じます。
学力テストデータでも、学力下位層が十年前に比べて肥大化しているのははっきりしていますから、ご提示の仮説は状況証拠があります。

中学生になってから、「聞く・話す」「読み・書き」能力を回復するのは本当にたいへんです。1年間個別指導で補習をしても上位25%のとこらあたりが限界です。ほうっておいたら、成績下位20%ゾーン。

「話す・聞く」能力が著しく低いので、授業内容が理解できません。そういう生徒は「読み・書き」能力も著しく低くなっています。
音読トレーニングをしてもなかなか効果が出にくいのです。
by ebisu (2016-11-03 16:21) 

ZAPPER

ワクワクドキドキの旅の始まりですね。一番したかった、いや、お二方から一番お聞きしたかったのはこのお話であります。

世代という言葉は、その年代の最大公約数の物事の考え・価値観をも包含し、それを現すとの意味で考えますと、私の「世代」あたりからでしょうか。どんどん、人として子どもに対する想い・接し方・価値観というものが徐々に劣化してきているように(しかし一方では快復してきているようにも想います。二極化という意味において)感じております。

刹那主義。一言で言えばそうなりましょうか。換言するならば行き過ぎた個人主義。子どもを産んで育てることは、意識・無意識を問わずそれを侵害されるとの認識。だから子どもを産まない。産んでも常にそれとの天秤。

子どもはラ・フラ(あのお釈迦様が我が子に名付けた「障害・障壁の意)との、なんと言いましょうか、自分優先の刹那主義。いや、快楽主義か、それを表現する微妙なニュアンスの言葉を知りませんのでそう言いますが、ともあれ我が子とは、自分が最優先でその次の、そういう存在に成り下がっているような、そんな世の中の風潮を感じるのです。

教えていただきたいのは、このことは何を意味するのか?なぜこうなってしまったのか?では、何をどうすればいいのか?ということであります。例えばアメリカ合衆国。相変わらず、病的なまでに子ども好きの親が多いですよね。でも、我が日本はなぜ、いつから…。そんなことを考え続ける日々であります。
by ZAPPER (2016-11-03 21:15) 

後志のおじさん

女性ホルモンが優性であると、外界を平面的に捉える傾向が強くなり、男性ホルモンが優性であると、外界を縦深で捉える傾向が強くなる。米国医学者による軽い読み物にあった言葉です。
相手との関係を女性は水平に捉えたがるのに対して、男性は上下で把握したがる。
言語習得の速さの男女差は、ここに要因があると思います。
同じ言葉を聞いて、
男脳は、相手との上下関係を前提に内容把握に意識が向く。
女脳は、水平関係を前提にして自分に対する相手の態度に意識が向く。

だから、女性は世界中どこへ行っても、男の目からすると無駄話に明け暮れるように男からは見える。これは、女性にとっての言葉は自分に対する水平的な受容の表明の信号であり、音を聞くことそのものが脳に快だからなのです。
翻って、男性は人の気持ちを無視して理屈を捏ねるために言葉を使っているように女からは見える。これは、男性にとっての言葉は情報伝達の手段であり、自分の気持ちの中の上下関係を前提として最小限で済めばよいものだからです。

そうすると、女の子の方が、男の子より言葉の発達が速い理由が見当がつくのではないかと思います。女性ホルモンが優性な脳には、言葉の音声そのものが快の信号なのですから言葉を発することに積極的であるのは当然なのです。

この辺がわからずに男脳のままの会話を女性にやる奴は、まあ彼女はできませんね。(笑)

あと、お爺ちゃんにご注意しますが、手玉にとられて喜んでいると、それが原体験となって将来男を手玉にとる女性になりかねませんぞ。(笑)


 
by 後志のおじさん (2016-11-03 21:21) 

ebisu

ホルモンの影響ですか。
中1年生に立方体を描かせると、女子は3割は戸惑います。描き方を指導しなければなりませんが、男子はほとんどの生徒が教科書に載っている立方体を見ただけで描けます。
空間図形に認識に大きな性差があるのは、ホルモンの影響だったのですか。

無駄なおしゃべりが多いのもそういうことですか、それが女の子には心地よい。男はできるだけ短い会話で情報を伝達しようとします、だから女の子の話を聞き続けるのが苦痛になります。
無駄に長話するのが快感だとしたら、女子のほうが言葉が速く発達するのは当然。
そして女の子は長じてご婦人になってもずっとおしゃべりが大好き。
閉経するとホルモン分泌が急激に減少するので、おしゃべりではなくなるのでしょうか?
周りを見る限りそうでもなさそうです。

ふだん体験している現象にある程度説明がつきますね。ホルモンの影響だという仮説は説得力があります。更年期を過ぎたご婦人が相変わらずおしゃべりが好きなのは、すっかりおしゃべり好きが「鋳型」になってしまっているからかもしれません。お袋は75歳を過ぎたあたりからおしゃべりの頻度が落ちたように記憶しています。それから6-7年で認知症が始まりました。
会話が億劫になると脳の活動が低下して、認知症を発症させるのかもしれません。

農家のおばあさんのように、毎日畑仕事があって、人と会話していれば認知症の発症はかなり遅らせることができるのかもしれません。
幼児の話から婆さんの話へ、言語習得と言語喪失まで、話が飛びましたが悪しからず。
女房の話を気長にもっとよく聞いてやるようにします。(笑)
by ebisu (2016-11-03 22:29) 

ebisu

ZAPPERさん

そうですよね、米国は子どもが何人もいるのが幸せと感じる人が多いとNHKの何かの番組でやっていました。貧乏しても子どもを育てる。子どもが何人か居て、理想に近い家庭が完成する。
日本はまず自分たちの生活が最優先だから、少子化になっているようにみえます。

たとえば、根室ではお金に余裕が無くても、土日のどちらかは家族みんなで車に乗って釧路まで出かける家庭が多いようです。子どもも楽しいのでしょうが、親が遊びたいから子どもを連れて回っているというのが実情のようです。親中心です。団塊世代の親たちは子ども中心の生活をしていました。

子どもを育てることに歓びを見出せる若者が少なくなっているというのは事実でしょう。思いつく理由を挙げてみます。

①非正規雇用割合が40%にもなって、子どもをもつ経済的な余裕がなくなったカップルが増えた。あるいは非正規雇用で結婚すらできない若者が増えている。
②なにか根本的な価値観が深いところで変化しつつあり、貧乏人の子沢山に幸せを見出せなくなってしまった。
③核家族化が進んで、乳児を見てくれるお婆さんお爺さんがいない。子育てに不安や負担が大きすぎる。
④ネット関係費用が優先で、食費が後回し、そして自分の趣味が最優先。
⑤コンビニやファストフード店の増加で食生活が変わってしまった。手づくり料理を一家団欒で食べる家庭が急激に減っている。

③はペケですね。団塊世代は田舎から大量に首都圏へ流失しましたが、婆さんや爺さんがいなくても子どもを育てていますから。
いまの若い人は、子どもを育てる能力が弱くなっているような気がします。

一家団欒の風景といえば、朝食と夕食を家族全員が一緒にテーブルを囲むことですが、急速に失われつつあります。今の若い人たちは、一家団欒で食卓を囲むというような、家庭が楽しいという経験をしていないのではないか。だから、楽しい家庭生活が描けないのでは。

もうすこし深いところを掘り起こしてみます。
古代から子沢山は作物の豊穣と同じことで、歓ぶべきことでした。そういう価値観がずっと受け継がれてきました。それが敗戦で日本的価値観が否定されることで、失われたという仮説を立てて考えてみたいと思います。
エッチは子沢山につながり作物の豊穣と同じように神意にかなうことですから、性風俗は実におおらかでした。盆踊りやお祭りの数日は日本全国どこでもおおぴらに乱交がなされていました。
明治になって、西洋と伍していくために、日本人が古来から受け継いできた性風俗を蛮俗として文部省主導で否定あるいは廃止してしまいました。明治の文明開化を価値観切断の第一段階とすると、大東亜戦争の敗戦による価値観の大転換が第二段階です。

それにしても、戦後はハリウッド映画や米国のテレビ番組など米国の価値観が流入したのですから、日本のみが少子化の道を歩んでいるのは説明がつきませんね。

わいわいがやがややっているうちに、きっとなにかが見えてきます。
by ebisu (2016-11-03 23:27) 

ZAPPER

色々な要素があるのだろうと思いますが、やはり戦後の「権利教育」によるものが大ではないかと個人的には感じております。

自分らしく。そうした価値観が広く浸透しているようですが、家庭を築いても、子どもを授かってもなお、そこを主軸に考える男女が多いのではないか感じています。

結婚とはその価値観の足かせ。子育てもまたそう。自分らしさの追及の障壁になるもの(こと)は迷惑で残念でもったいないこと。大学進学率の高まりゆえ晩婚化は仕方ないにせよ、婚姻率の低下・少子化の背景にはそうした価値観が横たわっているのだろうと考えています。

アメリカナイズされたのに、そこの部分だけはアメリカとはまったく違う方向へ突き進んでいること。実に不思議です。
by ZAPPER (2016-11-04 10:39) 

ZAPPER

経済的に苦しいので教育費にお金をかけられない。だから子どもが勉強がダメなのも仕方ない。そんなことを言いながら、スマホの使用料は家族全員で月に3万円オーバーとか。

同じく、お金がないので食材は毎度、安いものばかりを買っている。とか言いながら、当の子どもはジャンクフードをバンバン食べては肥満状態に。

何なんだろう?と思うのです。おっと、話の方向性がずれてきましたが(笑)。
by ZAPPER (2016-11-04 10:51) 

後志のおじさん

NHKの外国報道は(NHKに限りませんけど)信用しない方がいいですよ。どういう調査をどんな対象に行ったかが明らかにされていませんし、番組に不都合な事実は報じられない可能性が高い。

2年前に、実践ビジネス英語でChildhood Hunger (子供の貧困)というテーマで放送が行われたことがあり、20%以上の子供達が定期的な食事がとれずにいると語られていました。杉田先生は元新聞記者(米国の)ですから信憑性は高い。

私は、日本も米国も事情は変わらない。かえって、米国よりは日本の方がまだましと思います。

zapper さんの他の問題意識に関する私の考えはまた後程投稿します。

by 後志のおじさん (2016-11-04 14:58) 

ebisu

ZAPPERさん
戦後の権利教育が「子育て=余計なもの」という感覚を育んでしまったという仮説を承認したとして、団塊世代はまだ戦前世代と家族に関しては共通のものが大きかったような気がします。
たとえば、「若者たち」なんて大人気の青春番組(1966年フジテレビ)がありました。あの時代は貧乏でも家族とか一家団欒を大事にする価値観が濃厚でした。両親をなくした五人兄弟姉妹が喧嘩しながら助け合って生き抜いていくドラマでしたから、子育てというより、成人して働く長兄を頭に、助け合って生きていく。
兄弟姉妹っていいな、そう思わせる番組でした。

いまは五人兄弟姉妹の家族なんて本当に珍しいから、ピンと来ないでしょうね。

大学進学率はいまや半数ですから50%、50年前に比べて3倍ほどにもなっているので、教育費だけでも、3倍かかります。そりゃあきついわけです。

大学進学率の上昇による親の教育費負担増代も少子化の一因でしょうね。

家族で助け合って生きていく、一家団欒がいいことだという共通認識がなくなってきているのは、テレビが各人に1台あるとか、家族全員がそれぞれスマホしてるとか。ひとつの家族で一緒に何かしている時間が激減していることも「家族が多い=楽しい」という価値観を失わせているのでしょう。
電子機器の発達と普及が一家団欒の機会を奪っているということも言えそうです。

by ebisu (2016-11-04 23:15) 

ebisu

後志のおじさん

NHKのテレビ番組を鵜呑みしてはいけないというのは本当ですね、うっかりしていました。
たくさん家族がいて一家団欒を楽しんでいる米国人の家庭など、滅多にあるものではないでしょう。そこにスポットを当てて番組を作ると、そういう家庭が主流に見えてしまいます。
「20%のこどもが定期的な食事を取れないでいる」というのが実態なのでしょう。

米国と日本はそうは変わらない、「米国よりは日本の方がまだまし」、議論してみないとわからないものです。
by ebisu (2016-11-04 23:21) 

後志のおじさん

ちょっと脱線させてください。

ebisuさんのおしゃまなお孫さんが、
知らない人には、目を反らす。
理由は、
「恥ずかしい」
目をそらせば、自分の世界には存在しなくなる(でしたっけ。)

というくだりは、逆に幼児性の象徴として示唆に富むものです。
「恥ずかしい。」という言葉を、恥ずかしいという言葉の意味で理解するのではなく、ただ、「不快」の表明と捉えることも可能です。
よくありませんか?目を反らす子を周りの大人が、笑いながら「恥ずかしいんだよね。」と口にする場面。大人が、感情移入しているだけなのですけどね。
幼児の側からすると、「恥ずかしい」は「不快の表明」を正当化する言葉と捉えうる。だから自分に不快な場面では「目を反らす。」理由は「恥ずかしい。」から。

私は、大人と子供の違いはここにある、と信念としてもっております。
不快であろうとなかろうと、周囲に存在するものは存在そのものを冷徹に認識できる。その認識を元に自らの言動を決めていくことができる、その結果は自らの責任と受け止める覚悟がある。これが大人。
不快な現実、事実からは目を反らす。自分に不快な事実を突きつけられると必死になって自分を正当化しようとする。

私が、他人をみる日頃の判断基準です。
ですから、ebisu 、zapperご両人には申し訳ないのですが、私の目には、Hirosuke 、Kodera - Tuguo 、合格先生と理科好きが
同じに見えるのです。



by 後志のおじさん (2016-11-05 10:13) 

ebisu

脱線してませんね、本筋です。

>おなじみ見えるのです。

シャープな観察眼です。

2歳9ヶ月の孫が目をそらすのは不快だから。それを覚えた語彙「恥ずかしい」で表現しているとしたら、すでにひとつのタイプの人格形成が始まっています。不快な現実から視線をそらすのは、それがそのまま大人になれば、不快な現実を見ようとしない、現実を直視できない人格が形成される可能性が大きい。
論理的にはそういえそうです。
(本当に恥ずかしがっている可能性もあります。私に対してはすこし時間が経つと恥ずかしいという感情が吹っ切れる様子。不快が快に変化したとも言えますが・・・
感情が高まりすぎると、ドモリます。じいちゃんとばあちゃんとたくさん遊んだ後に、娘が帰るよと宣言して服を着させるときに、「かっかっかっかっか、帰りたくない!」て詰まっていた感情を吐き出すように大きな声で言いました。こういうときは実にはっきり発音します。孫を観察するのはほんとうに楽しい。「帰りたくない」は初めてしゃべった語彙でした。次に会うときにはどのような語彙が使えるようになっているのか楽しみです。)

その一方で、人は誰でも不快なことから遠ざかりたいという気持ちがあるのは事実です。それをどうやって乗り越えていくか、幼児期のあとが大切ですね。人間誰しもがもっている、こうした性格傾向をどうやって乗り越えていくのか。精神の鍛錬期間は小中高大とずっと続きます。何があろうとも逃げない、そういう覚悟を選択する人もいれば、不快なことがあればさっさとそこから逃げ出すというのも利口な処世術です。たぶん、後志のおじさんはわたし同様不器用な人なのでしょう。あなたやわたしのような不器用な生き方は良いとも悪いとも言えません。不器用さゆえにあちこちで無用の軋轢を起こしたでしょう。
あなたもわたしも、そしてたぶんZAPPERさんも、ただ、不器用に生きてきただけ、これからもそれを変えるつもりがないということだけは、たしかです。そうでしょ?
生き方はどちらでもいいんですよ。自分の生き方とは違うから嫌いだとは思えないのです。いろんな色があったほうが楽しいとすら感じてしまいます。そういう情緒がこころのセンターにあるようです。

おそらく40歳代半ばを超えたら、ほとんど修正が利きません。長年繰り返してきたことが習慣となり、いつしか性格にまでなっています。企業経営でも同じことが言えます。40歳代半ばで限界にぶつかる人が多いですが、それまでの学び方や生き方に問題があったのです。それらは性格を形成しています。
あなたもわたしも、不器用にしか生きられないという性格的なものがあるように、不快からさっと遠ざかって上手に生きるのもそれまでに培った性格のなせる技。

いい加減に聞こえるかもしれませんが、わたしは、ひとそれぞれ、あるがままでいいのだと思います。選択したものが違うだけで、それまでの生き方にこだわるところは一緒なのです。だから違う選択をした人も自分を見ているような気がします。分けているのは紙一重のところですから。(笑)


後志のおじさん、もうひとつ鋭い分析でドッキリする予言をしてます。こっちの方がわたしには気になります。

>あと、お爺ちゃんにご注意しますが、手玉にとられて喜んでいると、それが原体験となって将来男を手玉にとる女性になりかねませんぞ。(笑)

そうなるかもしれませんね。
わたしは手玉にとられっぱなしでした。まさか、とどめに孫に手玉にとられるとはね。死ぬまで手玉にとられて歓んでいたいと思います。(笑)

人と議論するのはとっても楽しいものです、いろいろなことに気づかされます。
by ebisu (2016-11-05 11:26) 

ebisu

1時間ほど前から根室は雪が降っています。
初雪です。
大粒の雪が静かに舞い降りてきます、めずらしく風が無い。

昨日午前中に冬タイヤに交換しました。
by ebisu (2016-11-05 11:28) 

ebisu

後志のおじさん

「だって、はずかしいんだもん」

わたしに久しぶりに会ったときに母親の後ろに隠れて、すっと視線をそらせて知らん振りするので、「おじいちゃんいやなの?」と訊くと、「だって、はずかしいんだもん」と答えるのです。嫌ではないけど恥ずかしい、そう言っているように聞こえました。毎朝、バス停に迎えに行くと、両手を広げたわたしの横をすっと通り過ぎます。ちょっとの間は「はずかしい」様子なのです。階段に近づくとすっと手を伸ばして、つなぎます。そこからはにっこり微笑みながらいっしょに階段を上ります。恥ずかしいのは1~2分間ほどのこと。

ご機嫌斜めな場合に無視することがありますが、訊いてみると「ツンしてるのだもん」と言います。これは不快なことがあったときです。「はずかしいんだもん」と「ツンしてるのだもん」をどうやら使い分けています。

目の前にあるものを見ないというのはご指摘の通り「幼児性」の残滓だとわたしも思います。
人はどこかでそういうものを抱えています。わたしも「少年っぽさ」があります。幼児性よりも少し年齢をへたものですが、たいしてかわりません。
100%の爺にはなりたくないから、数%の少年っぽさでささやかな抵抗を試みているのかもしれませんね。(笑)
よく見ていたら、孫はいろんなことを教えてくれています。

根室はお昼から雨に変わりました。正午には0.7度だった気温が午後4時には3.4度にあがっています。
はて、夜になったら雪に変わるかな?


by ebisu (2016-11-05 16:19) 

後志のおじさん

お孫さんが可愛くてどうしようもない感じですね。私のコメントが思いだしのきっかけになるならいくらでも乳幼児に関わるコメントを入れますよ(笑)。重ね重ね羨ましい限りです。息子はあんなだし、下の娘はデザイン系の仕事をしていますがアスペルガー傾向が残っており幸せな家庭を造っていけるか、そもそも相手が見つかるか親として不安。

zapper さんの問題意識の在処ですが、世代が下がるにつれて子供に向かう意識が劣化するという事実が、果たして存在するのか?課題を投げかけられたつもりで考えてみたのですが、変わってはいないのではないか?が私の結論です。私の少し上の学生運動世代ですが、あの人達がやっていた学生運動というものは私の目には、「ちょっと遅い第二次反抗期」。彼らの親は「子供の将来のためになるから、少しでもいい大学へ。」との意識が強かったのでしょう。zapper さんがブログで架空の対話をした、子供を医者にしようとする親と同類の親ですね。もちろんその世代の親全てがそうだ、とは言いませんが昭和一桁生まれの世代は子離れの下手な親の世代であったと思います。あの浅間山荘事件のときの、立てこもり犯に対する母親の呼び掛けなど、何とみっともないことか。ニュースで聞いて、聞いているこっちが恥ずかしくなる代物でしたよ。

また、別の例として「巨人の星」という漫画では初めの内は父親の星一徹は酒乱の父親として描かれていました。酒乱という、家庭を壊す行動が、多くはないけれど事例として読者に受け入れやすい、つまり身近にいそうな父親だったのではないかと。その5年後くらいには、大和和紀さんが「はいからさんが通る」で女性の主人公を酒乱に仕立て上げるに至りましたが。(この漫画を知っているとしたら、ebisuさんの奥さまくらいかなぁ。)

結論。世代による差はない。行動の現れ方によって違って見えるだけ。

知識と責任意識の差による行動の違いは、また改めて投稿させて頂きます。


追記。ebisu さんへ。
阿呆のために中断を余儀なくされた、zapper さんのところでの「仕事と学力」ですが、「仕事」をどう分類するかで必要とする知性のレベルが異なるはず。そもそもどんなレベルの「仕事」かを、定義しないと想定する具体物に食い違いを残したままの空理空論となります。そのことを述べるつもりでいたところ、阿呆の横入りがありましたが、第一部は入れました。あと3回投稿するつもりですので目を通して頂いて所感を頂ければ幸いです





by 後志のおじさん (2016-11-05 23:04) 

ebisu

後志のおじさん

年に1度か多くても2度しか会えません。爺と孫の間には天の川がかかっています。(笑)

「逢瀬」の後は笑顔や「はずかしいんだもん」「ツンとしてるんだもん」の表情を思い出して楽しみます。胃袋がいくつもあって反芻する牛みたいなものです。
昨日は「おばあちゃんの家」へ来て、玄関に入るなり、
「おじいちゃんは?おじいちゃんどこ行ったの?」
と大きな声で訊いたそうです。バス停でまっていたら、恥ずかしそうに横をすり抜けたでしょう。

ところで学生運動世代というと、団塊世代ですね、わたしが真っ只中。高校生のときに4つ大仕事をしているので、大学生になって全共闘も各セクトも子どもの喧嘩に見えました。戦略がありませんでしたから、ただのお祭り騒ぎです。全共闘議長だった東大大学院の山本義隆も副議長の日大全共闘の秋田明大もマネジメントができませんでした。山本は湯川秀樹がノーベル賞に最も近い若手の研究者だとべた褒めでしたから優秀な若手研究者だったのでしょう。ですが、マネジメントは下手でした。
わたしもノンセクトで何度かデモはしました。学部の同じゼミには赤軍のさらぎ派のS藤がいました。他のセクトにみつかると命が危ないというので、朝5時頃に登校してきてゼミが始まるまで隠れていました。ゼミを終わった後は護衛しながら丘陵の山道を下って帰ることが何度かありました。ゼミで勉強したくて命がけで週に一度来ていました。

学生運動に幼児性が強かったのは事実です。まともな反抗期を大学生になるまで経験しなかった者たちが多かったのでしょう。

学生運動やるなら、垂木を貨車で一台送ってやるから、やるならトコトンやったらいいと母親にけしかけられました。
高校時代にやりましたから、ばかばかしくってどのセクトにもはいるつもりがまったくありませんでした。
あとで、当時日大応援団の団長をやっていた男と、仕事でちょっとかかわりがありました。学内右翼です。裏社会で生きていました。表の仕事がほしかったのでしょう。

巨人の星は少年マガジンだったかな、ずっと読んでいました。お父さんは酒乱でしたか、酒を飲んでいるシーンは覚えています。昔はいましたよ、アルチュウで酒癖の悪い人が。
高校生になったときに、オヤジから「今日から家で酒を飲んでいい、ただし酒は楽しく飲め」と言われました。土曜日は学校から帰ってくると冷蔵庫を開けてビール瓶を取り出していました。
「ハイカラさんが通る」は少女マンガ風ですから、ほとんど見ていません。中1のときに週間漫画、少年マガジンと少年サンデーがでたので、創刊以来20年間ぐらいは読んでいました。この2誌をやめたのは35歳くらいです。ヤングジャンプへ切り替えました。ビッグコミックも面白かった。「ゴルゴ13」が面白かった。同級生のK田が斉藤タカオの一番弟子(主作品は『御用牙』)になっているので、劇画に一時期はまっていました。
わたしはずっと漫画の本を読んでいたのですが、女房殿は一度もわたしが買ってきた漫画を読んだことがありません。まったく興味が無いようです。漫画やアニメは興味がないのです。

いろいろ話が飛びましたが、結論は世代による相違は無い、行動の現れ方が違うだけということですか。

いろんな角度から、またさまざまな仮説があったほうが、見落としが少なくなるので歓迎です、続編を期待しています。

仕事と学力の関係については、ZAPPERさんの投稿欄は800字の制限があるので、長くなるようなら、弊ブログ本欄で描くことになるかもしれません。これはこれで面白くなります。
最近、チーフマネジメントという語彙を知りました。そこに収斂する話です。

by ebisu (2016-11-06 00:37) 

ZAPPER

>結論。世代による差はない。行動の現れ方によって違って見えるだけ。

ありがとうございます。納得です。ただ、受けた教育(主に倫理面)による差異、多寡があろうかと思うのですが、そのことをどう考え、理解して捉えるべきなのかが分からなくなります。

一方ではまた、こんなことも思うのです。

魂レベルの差。

お釈迦様が説法をなさっていたとき。イエス様がそうなさっていたとき。その場をただ通り過ぎた人も多かったはずですから。
by ZAPPER (2016-11-06 13:21) 

ZAPPER

>不快な現実、事実からは目を反らす。自分に不快な事実を突きつけられると必死になって自分を正当化しようとする。

鋭い…。

後志のおじさんもebisuさんも、「言い訳無用」の道を歩んでこられた、と解しました。

>不器用な生き方

おもしろいものですね。当人にはそうした意識はまるでありませんから(笑)。
by ZAPPER (2016-11-06 13:34) 

後志のおじさん

zapper さんの疑問をずっといろいろ考えていました。失礼ながらzapper さん自身が言葉を疑問として発してはいるもののご自分の疑問がつかみきれていないのではないか?まで考えて、私のresponseを

受けた教育にはあまり違いはないだろう。昭和20年に、昨日までは「天皇陛下」を何かに付けて叫んでいた教員が、手のひらを返したように「民主主義」をわかりもせずに唱える。今も変わらないでしょう。

全共闘世代の親の頃から親の劣化が感じられるのは確かですが、宗教を絡ませるのは「思考を禁じる」行為と、私は感じてしまいます。私なりの、結論には至っていない仮説の仮説ですが、

一つには親の子に対する「自己同一視」が60年代辺りから恥ずかしいものとは見なされなくなってきたのではないか?
ebisuさんが書いておられた、週末毎に自分が遊びたいがために釧路に子連れで出かける親など、本心から「自分が楽しい=子供が楽しい」と思っているだろうと思います。
また、「少年団」なるもの、私は北海道に移住して初めて語彙に加えた語なのですが、親が好きだから子供も同じor 自分の代わりに活躍して欲しい、というのが入るきっかけなのではないでしょうか。


ふたつめには、保護とか権利を守る制度がどんどん細かくなって、自己責任に基づく判断をしたことがない年齢だけの大人が増加し、「子供が子供を育てている」社会になっているのだろう、と(これは確信です。)

一例ですが、賞味期限を過ぎた食品はどうするのかなぁ?

追記。
私は、あぶり出し役に適任だと思っております。zapperさんのほう、丸く収まってなによりです。

by 後志のおじさん (2016-11-10 23:02) 

ebisu

大きな柿の皮をむき終わって、4等分してつるつる滑るので危ないなと思いながら、さらに半分にしたときに刃が滑って左手の人差し指を切りました。15分たつのに血が固まらない。納豆の食べすぎかな?
さて、本題に。

仮説その1:いまも昔教員のレベルは変わらない。

戦前戦後のまったく違うことを同じ先生が口にしました。天皇陛下万歳、鬼畜米英を叫んでいた先生たちが、親米に変わりました。食べるためだからしかたがなかったのでしょう。
ですがそれはいまも同じです。職業ですから同じことはいつでも起こりえます。別に自分の思想信条で教えているわけではありませんから。
先生ばかりではありません。国会議員も同じです。食うための政治家ですからね。あれは職業です。
職業だから不変なのでしょう。

>一つには親の子に対する「自己同一視」が60年代辺りから恥ずかしいものとは見なされなくなってきたのではないか?

こちらも面白い指摘ですね。
その通りに見えます。車で一家そろって釧路行きの例や親が野球をやっていたことがあれば、こどもに野球の少年団に入らせる。これはよくある例です。
そして家庭学習習慣の育成を破壊してしまう。文武両道でやっていた親なら、子どもにもそうさせるでしょうが、そうでない例が多いところを見ると、親もまた、少年少女時代に家庭学習なんかしないで少年団活動や部活狂いしていたのでしょう。
文武両道だった親が、子どもを少年団活動や部活三昧で、勉強の躾をしないなんてことは考えにくいですから。

つまりは、自己を再生産しているわけです。自己同一視どころではなくて、自分のコピーを再生産しているのでしょう。

>自己責任に基づく判断をしたことがない年齢だけの大人が増加し・・・

これもそうでしょうね。自己責任に基づく判断というのは、自分の頭でいったん事象を理解した後で下せるものです。外的な事象を言葉で理解できない。つまり概念として組み立てて理解することができない、だから、自己責任での判断が下せないのでしょう。

賞味期限を過ぎた食品をどうするかというのはいい設問ですね。
食品の種類と保存状態によるでしょう。切れたあと何日までなら大丈夫か、匂いや味でおかしいと思ったら食べるのをやめればいい。表示日付だけで判断するのはいかにも情けない。

追記の件ですが、ずいぶん損な役回りをさせてしまいました。
三人三様+フロムAさん

あれ、血が固まっています。

by ebisu (2016-11-10 23:40) 

ebisu

学校の先生も国会議員も職業だと書きました。
貧乏でも信念を押し通すという覚悟のある人種が絶滅したのかもしれません。

いい加減な年齢になれば、世の中お金だけではないこともわかってくるのですが、・・・
死ぬまで毒っ気が抜けない人が増えているような気がします。

ところで、少子化の原因を探っていたんですよね、
価値観の転換、断絶がどこかで起きたのではないかという仮説を、起きたならそれはどのあたりから、そして何がどのように切断されたのか。

戦中と戦後で天皇陛下万歳と叫んだ教師たちが、卒業式で君が代すら歌わなくなった。これはひとつの切断ではありますが、生活のためにしかたのないこととして受け入れたのなら、それは今すぐにだって再現しても不思議は無いこと、そう考えると、切断ではなく、普遍的な事象として捉えることができます。
普遍的だとすれば、それは教師という職業に限定されません、国会議員だった同じこと。

また他方で、自分の頭で考えなかった、自己責任において判断していなかったことを問えば、それもまた、状況はなんら変わっていないことになります。
わたしたちはいつでも自己決定せずに、誰かが決定したことに自分を合わせて生きているのです。
流れにあわせなければ、時にあるいは状況しだいといってもいいのでしょうが、生きるか死ぬかという選択を迫られます。

大きな流れがあれば、それに抗わず、流されるのが楽なのでしょう。
でも、そうしていたら、東京大空襲で一夜で10万人の人が死ぬ、広島で、長崎で、そして根室でも二日間の空襲で500人がなくなりました。
流されているだけでも、命の保証はありません。ただ、流されていれば、その場は凌げます。
刹那刹那を流されて生きるように遺伝子によってプログラミングされているのかもしれませんね。ときに違ったタイプの遺伝子の担い手が現れて、大きな流れに抗う人が出るのは、遺伝子の多様性のなせる技かもしれません。

人間のあり方は戦中戦後を通じて換わっていないとすれば、決定的に変わったのは何か?物質的な豊かさでしょうね。その豊かさが人間の心を変えているような気がします。
物質が豊かになり、それ以上に欲望が拡大再生産されているというのが世の中の実態でしょう。
その拡大された欲望から眺めると、子どもを持つことは自分の欲望の実現の幅を狭くするだけにしか見えない。
by ebisu (2016-11-11 00:47) 

ebisu

戦後の「大量生産⇒大量消費⇒量ゴミ処分」という生活スタイルが、価値観あるいは日本列島に住む住民の精神構造を根底から変えてしまったように見えます。
江戸時代は循環型社会でした。人糞ですら重要な資源として農業の肥料として売り買いされ、流通するシステムがありました。長屋の家主が店子の糞尿を売買する話が江戸期の資料には出てきます。

生活スタイルは人間の意識に作用するもののようです。

「大量生産⇒大量消費⇒量ゴミ処分」と生活スタイルは、他方で、人間の欲望をそれ以上の速度で拡大したようです。
だから相対的飢餓感があります。
戦中を体験した世代がよく言ってました、
「わたしたちは財産を全部失っても生きていけるけど、いまの若い人には無理だね」
飢餓あるいは手持ちの財産を失った経験したことが無い、だから打たれ弱い。「温室育ち」ということでしょ。

物質的豊かさの拡大速度を、欲望の再生産速度の方が上回っていた。
だからその肥大化した欲望から見ると、家庭をもち、子どもを巣立てることは自分の欲望実現の妨げにしかならない。
家庭をもったとしても、自分の欲望を実現するのが先、子どものために自分の欲望実現を我慢したくないし、我慢できない。

戦前・戦中を体験した団塊世代の親たちまでは、自分たちが飢餓状態を経験してきたから、子どもたちにはそういう思いをさせたくない、戦争で進学ができなかったから、子どもには思いっきり学ばせたい、そのためなら、どんな辛抱もする、そういう親が少なくありませんでした。
わたしはそうしてくれた両親に感謝しています。
結婚するときに、子どもができたら、子どもたちの前では夫婦喧嘩をしないと約束したんだそうです。
高校卒業するまで夫婦喧嘩を見たことがありませんでした。子どもたちが結婚して家を出て、二人だけの暮らしになってからは、たまに口喧嘩することがあったようです。オヤジが折れていました。(笑)
カカア殿下にしておけば、家の中は丸く収まります。男の智慧ですね。
九州は男を立てて女が実験を握る、それでうまくいく、北海道とは真逆です。その方が離婚が少なくなる。

歴史と伝統が関係しているのでしょう。北海道は古い家系が少ないから、何が何でも家を絶やさないという意識が薄い。だから、簡単に離婚できるのでしょう。
by ebisu (2016-11-11 09:51) 

ebisu

物質的豊かさの拡大のほかにもうひとつ最近5年間で大きく変わったものがあります。
電子媒体によるアダルトビデオの普及です。
パソコンやスマホでいくらでもアダルトビデオが見れます。中学生や高校生の多くが見ています。
あれが性意識を根底から変えつつあります。
日常見ていれば、人間の意識が影響を受けます。

男子学生は「たいへんだな」と思う者が増えているのではないでしょうか。
2003年頃の根室高校の生徒の性体験率が北海道新聞に載っていたことがありました。女子は30%くらい。男子はそれよりも6%くらい低かった。数年前の調査では女子が25%くらいで、男子は20%ほどだった気がします。

男女ともに性体験率が減少しています。

「アニメの方が肌が美しい、シミひとつない、現実の男の顔も肌も汚い」
「2次元の女のこの方がずっと素敵だ」
「現実の関係はリセットできない」
「セクハラだと訴えられたら困るから、女の子にキスできない」
「アダルトビデオのようなことをするのはたいへんだ」
「・・・」

性に対する意識が変わりつつあるようです。30歳代の未婚女性の3割がバージンであるという調査もあります。相手を見つけるのが受難の時代ですね。
その一方で、というより性に対する飢餓感が募っているので、SNSで知り合った異性とすぐにエッチしてしまう、そしてそういうことを繰り返すようになる女の子も増えています。当然相手があるのだから、男も増えます。

スマホは手軽に持ち運べるパソコンです、もはや「携帯電話」ではありません。電話機能はたくさんあるアプリのひとつに過ぎません。

スマホはますます高機能になります。これからも子どもたちを含めた若年層の意識を変えていきます。子どもたちは10年たったら大人です、。30年たったら社会の中堅層です。
性意識変化の動向からは、ますます少子化が進むという結論が導き出せそうです。

読み直したら、ずいぶん誤変換や、タイプミスがありますが、正しい語彙に変換しながらお読みください。すみません。

後ほど本欄にアップするつもりです、そのときには気が付く範囲で手を入れます。
by ebisu (2016-11-11 10:06) 

ebisu

スタートは幼児期における言語習得のメカニズム、あるいは男女差がどうして生ずるのかということでした。
そこをスタートに「宛てのない旅」に三人ででたわけですが、話が少子化問題や、戦前・戦中と戦後で価値観の変容があったのかなかったのか、はたまた、戦後76年間のどこかに価値観の切断があるとすれば、それはどこなのか、そういうことに話が飛んでいきました。

順不同で、それぞれが面白いと思うところから、切り込んでください。
サロンになってきました。いままで議論をご覧になってきた読者の皆さんも、どうぞ参戦なさってください。遠慮は要りません。
by ebisu (2016-11-11 10:16) 

ZAPPER

>失礼ながらzapper さん自身が言葉を疑問として発してはいるもののご自分の疑問がつかみきれていないのではないか?

>宗教を絡ませるのは「思考を禁じる」行為と、私は感じてしまいます。

はい。どうしても宗教的価値観、自分の持っているそれを通してものを見てしまう自分がいます。それ、ちょっと排除して考え直してみます。

それにしても、後志のおじさんの【剣】は怖い。どこから飛んでくるのか分からない。しかし確実に急所に突き刺さる。前世は高名な剣豪だったのかと。おっと、それが余計な発想ですね(笑)。
by ZAPPER (2016-11-11 10:35) 

ZAPPER

すでにここまで「進化」しているそうです…。

http://kai-you.net/article/29998
by ZAPPER (2016-11-11 10:55) 

ebisu

ZAPPERさん

>すでにここまで「進化」しているそうです…。

世も末ですね。
まだまだ進化します。
指数関数的に性能が向上するので、30年後を予想するのも恐ろしい。
中毒性があるでしょうから、ヘッドギアつけてよだれ流しておかしくなる人がでそうですね。
by ebisu (2016-11-11 22:57) 

後志のおじさん

今日はebisuさんzapperさんともお忙しいと思われます。12月から2月一杯は、私も忙しくなるので、のんびり議論をできるのも今月までかな?

お誉めの言葉、有難うございます。でも剣豪よりも、明石元二郎が私の理想ですので。(笑)

これまでは、子育てに関して述べてきましたが、少子化の原因についての私の仮説はズバリ「食生活」です。

生殖機能に特に重要なのは、ビタミンBと亜鉛で、過去の日本の日常食(diet )ではビタミンBは糠や海藻から、亜鉛は貝類や海藻から摂取しておりましたが、
最悪の食生活が、ジャンクフード(デンプンを油で揚げて塩か砂糖で味付けしたもの)で腹をふくらましてしまうもの。
外食の弁当、カップ麺、お握りなどは「だけ」を食べていると不足します。


また、野菜に含まれるミネラル、ビタミンの量が、口当たりのよさを追求する「品種改良」により、昔のえぐみのある野菜にくらべ激減している。

結果生殖細胞の生成が不活発になり、少子化が進展しているのだろうと。


男も女も中性化しているように感じます。
流行っている歌を聴くと、年々男声の高音化女声の低音化が進行しているように感じられるのです。



by 後志のおじさん (2016-11-11 23:08) 

ebisu

明石元二郎が理想ですか、わたしはこの人を知りませんでした。
司馬遼太郎『坂の上の雲 (六)』に出てくるんですね。わたしは(三)までしか読んでいません。司馬遼太郎の小説を途中でやめたのはこれが初めてです。大学1年生の5月の連休に『竜馬が行く』全6冊を読んで、連休をつぶしてしまいました。面白くてやめられなかったのです。その反省から、大学時代は小説を読むのをやめました、時間がもったいないからでした。哲学や経済学の専門書や雑誌を読み漁っていました。

明石元二郎は日露戦争前後でスパイ活動で帝政ロシアを撹乱した人ですね。語学に堪能でないような振りをして、ヨーロッパで語学のスキルを生かしてスパイ活動をした。なんだか、後志のおじさんと二重写しになります。
『坂の上の雲』の残りを読んでみようかな。

生殖機能に重要なのはビタミン(B)とミネラル(亜鉛)だから、食べ物の変化による影響があるという仮説は説得力がありますね。

三人三様の問題意識や視覚から、それぞれの仮説の提示がありました。
生態系に表されているように、物事は複雑系の中で動いていますから、さまざまなことが影響して現実が変化していくのでしょう。

こうして議論してみて、意見の違う人、視点の違う人、経験の違う人との対話の重要性に気が付きます。
それぞれが補完しあって、問題の核心へ迫れるのでしょう。

by ebisu (2016-11-12 12:42) 

ZAPPER

後志のおじさん

>男も女も中性化。

ここもまた色々とご意見をうかがいたい部分です。声もそうですが体型(毛の濃さもそうかな?)もまたそうなってきているように感じています。男子が中性化したなりゃ、そりゃ子どもの数なんか増えっこありません(笑)。

>品種改良。

これもまた気になります。ニンジンやピーマン、それにホウレンソウなんかはまさにそうですよね。食べやすく雑味がない。食べ残す子どもも少なくなった。でもどうなんだろう…。

以上二点。土日とずっと引っかかっておりました。
by ZAPPER (2016-11-14 10:50) 

後志のおじさん

自分で「ズバリ、食生活です。」と書きつつ、「男も女も中性化」と書いて、zapperさんに「中性化」に関する問題意識を逆提起されてみると改めて考え直さざるを得なくなって、う~んと唸りつつ私の根底にある本当の理科好き(あんな半端大学での理科好きとは次元が異なります。彼女の知識レベルは私の小4相当と確信しております。)の発想に引き戻して考えた結論ですが、

環境ホルモン。

高度経済成長期に撒き散らされたものだけではなく、次々に作り出される化学物質がもたらす未だ解明されていない影響の可能性がある。

私にとっての新たな発見です。

あと、念のためですが、私は、「女性、男性」での区分はしておりません。「女性ホルモンが優越、男性ホルモンが優越」で区分しております。



by 後志のおじさん (2016-11-14 23:01) 

ebisu

環境ホルモンとしてはベンゼン環を持つ物質群が知られており、PCB、DDT、ダイオキシン類、ビスフェノールAなどがあります。

ピルに含まれている合成エストロゲンも対外へ排出されるので、環境ホルモンとして作用しています。

しかし、ベンゼン環やピル以外にの物質で環境ホルモン作用の強いものがあるかもしれません。
なにしろ毎年数千の化学物質が巨大化学メーカによって開発され、そのうちの一部は商品化されて世界中にばら撒かれています。生態系の中でどのような作用を及ぼすか判明しないまま、便利でどんどん使われます。

すてられたプラスチックは最後は海に流れ出して紫外線でもろくなり、次第に小さくなります。マイクロプラスティックが生態系の中で濃縮されて、魚食を通じて人間の体内へ蓄積されます。
こちらの研究は進んでいないようです。

環境ホルモンのほかに、原発事故による放射性物質の拡散も気になります。細胞分裂が盛んなときほど遺伝子に傷がつきや類ので、生殖に強い影響が出るでしょう。

環境全体を俯瞰すると、どうやら生殖機能に対してマイナスに作用する物質で大規模な汚染が起きているというのが20世紀に始まって、21世紀にさらに加速しているようにみえます。
人間ばかりでなく、他の生物も影響を受けているはずです。

日本人の食卓には海産物が多いので、人体実験しているようなものです。
中国の化学プラントが火災を起こしてベンゼンがアムール川に大量に流出したことがありましたが、オホーツク海を汚染しました。影響調査がなされていませんね。
by ebisu (2016-11-14 23:38) 

ZAPPER

後志のおじさん

いわゆる植物ホルモン(化学合成されたもの)も環境ホルモンの類と解してよさそうですし、農薬もまた同様だと思います。実は私が農業の真似事をしようと思ったのには、この農業用資材にピン!ときたからであります(http://www.biomajor.jp/qanda.html)。100%天然由来の抽出植物ホルモン、これに無農薬を掛け合わせて真に安心といえる野菜を生産できないものか…。

さて、60年代の核実験によるフォールアウト。それに食品添加剤に環境ホルモン。例えば子どものアトピーや喘息がこれで多いこともまた実はそれにつながっているのではないか?との疑念を抱いております。食べ物、まさしく薬品漬け状態でありますし。
by ZAPPER (2016-11-15 11:41) 

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