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#5145 草彅剛の飄々とした演技に心惹かれた Jan. 13, 2024 [A8. つれづれなるままに…]

今朝(1/13)の拾い物
 NHK朝ドラ『ブギウギ』を5回くらい見たが、そのときに草彅剛の飄々とした演技に心を惹かれた。つかこうへいの影響が強いようだ、なるほどと思った。
人生の中で、だれもが異色の人材と出遭うことがあるが、そういうときにどれだけ触発され、自身の中にその人の才能の一部を写し取り、育むことができるか、それはその人間自身の能力にかかわる問題なのだろう。
 朝ドラでは志村けんが演じた作曲家小山田耕三の演技も凄みがあって目を惹いた。お笑い出身の人はシリアスな役を演じさせたら、凄みがでます。まったく別人に豹変します、凄い演技力です。登場してすぐに新型コロナで逝ってしまったが、あの演技の続きが見たかった。
 ときどきすごい演技を見せる人が現れる、いや、わたしが知らなかっただけだ。

<余談-1:脳の使い方からの印象>
 草彅剛の演技は力んでいないところに特徴があるように感じる。分散モードでその場の空気を吸収すると同時に創造しながら飄々と演技している。彼が現れることでそのシーンの空気感が変わるのを感じている視聴者は多いのではないだろうか?天性のものに何か触発があって磨きがかけられたとしか言いようがない。つかこうへいの影響があったと記事で読んで、納得がいったのはそういうことだ。異色の人材の出遭いは、必然なのか?
 こういう俳優は集中モードに切り替えたときに迫力のある演技ができる。
 同じジャニーズ出身でも、東山紀之とは対照的な演技をする俳優である。ジャニーズ出身者の木村某の演技は大根にしか見えぬ。


*文春オンラインより
世間では「棒演技」と見る声もあるが…朝ドラ『ブギウギ』草彅剛の「羽鳥善一」が主人公に見えてしまうワケ
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師匠・つかこうへいが草彅剛に与えた影響

 草彅剛の近年の当たり役となった映画『ミッドナイトスワン』のとき、彼は撮影前、主人公の部屋のセットにひとり佇んでいたらしい。理屈で、この人物はこうだああだと考えるのではなく、ただその場で耳をすます、感じる、そこに漂うものを身体に染み込ませる。こういうやり方を彼はどうして身につけたのだろうか、その発露を考えると、劇作家・つかこうへいの口立てにたどり着く。
 草彅の演劇の師匠であるつかこうへいは稽古場でセリフを作り、俳優に語りかけ、その通りに俳優は覚えて演じるという独特のやり方を行っていた。筆者は、その稽古場を見たことがあって、一度だけ、至近距離で草彅剛がつかの言葉で変容していくのも見た。
 当時は、つかが草彅のなかにある激しいものを引き出しているのだと思っていたのだが、そういうところもある一方で、いまでは草彅が自分の中に、つかこうへいを取り込んでそれを体現していたようにも思うのだ。
 ダンスの振りをまず覚え、そこに多少アレンジを加えるように、まず正確に作家の口調をなぞり、自分の肉体を通して表現してきたことが、その後の草彅の芝居に生かされているのではないだろうか。
 だからこそ、羽鳥善一を通して、音楽家・服部良一が主人公として、鮮やかに立ち上がり、ほかの登場人物を凌駕しそうになるのだろう。でも、決して出過ぎない。ある一線から出過ぎることを抑制して、本当のヒロインを前に立たせている。優しさというのか上品さというのか、この物語の主人公は誰なのか、わきまえる、そこが草彅剛である。
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