#5135 ブログ発信開始からこれまでの経緯:データ Dec. 28, 2023 [A8. つれづれなるままに…]
ブログを書き始めたのは2007年11月下旬でした。スキルス胃癌と巨大胃癌の併発で2006年7月20日に手術をして、1年たって体力は回復せず、体重も手術前に比べて12㎏ほど減少して、集中力の著しい衰えを感じていました。ライフワークだったマルクス資本論の論理構造を明らかにするというテーマについて書けないのではないかと不安が萌し、文章が書けるかどうかを試すために、ブログで地域の学力問題や医療問題を採り上げました。
書き始めのころは、アップした記事を読み直すと、漢字変換ミスや文章になっていないところがたくさんあって、ひどかった。直しきれずにミスが残っていれば、ありがたいことに読者の誰かが指摘してくれます。そうして、時々読者のみなさんと対話しながら、先月下旬で16年間が過ぎました。
アップした記事は5134本ですから、
5134÷(16年+1か月)=319(本/年)
年間319本もアップしていたのですね。これでは多すぎます。(笑)
平均して4000字だとすると、岩波文庫版は17行×43字=731/ページですから、400ページの本を70冊ほど書いたことになります。テーマが異なっても内容が重複していることが多々ありますから、ご覧の通り、中身はそれほど濃くありません。
ついでですから、1日当たりのPV(Page Viewer)数も計算してみます。昨日までのPV数は7525530ですから、
7,525,530 PV÷(16年×365+30days)=1282 (PV/day)
記事ひとつ当たり、PV数がどれくらいなのかも計算してみます。
7,525,530 PV÷5134タイトル=1465(PV/タイトル)
タイトルひとつ当たり1465回読まれていますね。どうもありがとうございます。
2002年の11月から昨年(2022年)9月まで古里で学習塾をしていましたが、「塾の先生一日中ブログ書いている」なんて噂もありました。ほぼ毎日アップしてましたし、長い記事もあるのでそういう誤解が生じる余地がありましたね。
四百字詰め原稿用紙10枚分くらいなら、内容にもよりますが、おおむね30~90分でアップしています。見直しやデータの追加をするために翌日以降に修正・編集・追記を随時しています。そちらの方に同じくらいの時間がかかっています。長いものだと四百字詰め原稿用紙で40枚程度のものもあります。
発信している記事が多くても、それほど時間を費やしていないのは、タイピング速度が大きいことと、文書作成ソフトWORDの編集機能が強力だからです。思いつくまま”バチバチバチ”とタイピングしてからチェックを兼ねて後編集して体裁を整えたらいいだけです。
冬は雪が降ると4~5時間も家の前の雪かきをよくしていました。バス停があるのできれいにしておきたいからです。きれいにするとブルドーザーが回ってきて、雪を置いていく、それでまたその雪を道路の向こう側の空地へ運ぶという風に。全身汗びっしょり、ついには、水分補給が追い付かなくて、尿管結石で苦しい思いを5日間ほどしましたね。(笑) 冬はブログをタイピングする時間が少なくなっていました。
胃と胆嚢の全摘、胃の周辺のリンパ節切除、癌が浸潤していた横行結腸の一部切除をしているので、コップ一杯の水でも30分はかけないと下痢してしまいます。だから、東京へ引っ越しましたが、命懸けでした。夏場の水分補給が追い付かない可能性が7割くらいありました。過酷な環境の中で、身体の方が驚いて、水分吸収がよくなりましたよ。そして3月に古いエアコン2台を取り換えたので、例年になく暑い夏でしたがなんとかなりました。
修士論文を書くときにドイツ語文献の引用があるので、20代(1970年代)の時にOLYMPIA製(スイスメーカー)の欧文タイプライターを買って、タイピング教本でタッチタイピングの練習をしたので、それ以来ブラインドタッチで入力できます。機械式のタイプライターよりも、パソコンはキータッチが格段に楽です。
1990年頃、ワープロを仕事で使い始めたときに、「ebisuさんと同じ年代の人は人差し指でタイピングしてます。10本全部使う人は見たことがありません」と褒めてくれた新入女子社員がいたことがありました。いまじゃ当たり前ですが、当時はタッチタイピングは「特殊技能」でしたね。
ワードの編集機能の良さとタイピング速度の大きさの両方の相乗効果で、手書きしていた時の3~5倍の文書処理ができます。ワープロやパソコンのお陰で、こなせる仕事量が飛躍的に伸びました。重要な仕事は提案書の作成や協議書や稟議書などの社内文書作成を含みます。文書による定期的な報告も必要です。2年ほどOASISという富士通製のワープロを使った後で、社内にパソコンが導入され、文書作成にはワードを使うようになりました。
臨床検査センターのSRLには1984年2月から1999年の9月末まで勤務しましたが、その間に発信した文書は8㎝のファイルで8冊ありました。その後3年間で3冊増えています。発信文書に連番を振る習慣は、1978年に産業用エレクトロニクス輸入商社に勤務してからのものです。文書管理の基本は大事です。
要するに長い時間をかけて文書作成になれちゃったというわけです。
ブログを始めた一番の動機はライフワークをやれる文書作成能力と体力や集中力があるのかを試すためでした。
書き始めのころは、アップした記事を読み直すと、漢字変換ミスや文章になっていないところがたくさんあって、ひどかった。直しきれずにミスが残っていれば、ありがたいことに読者の誰かが指摘してくれます。そうして、時々読者のみなさんと対話しながら、先月下旬で16年間が過ぎました。
アップした記事は5134本ですから、
5134÷(16年+1か月)=319(本/年)
年間319本もアップしていたのですね。これでは多すぎます。(笑)
平均して4000字だとすると、岩波文庫版は17行×43字=731/ページですから、400ページの本を70冊ほど書いたことになります。テーマが異なっても内容が重複していることが多々ありますから、ご覧の通り、中身はそれほど濃くありません。
ついでですから、1日当たりのPV(Page Viewer)数も計算してみます。昨日までのPV数は7525530ですから、
7,525,530 PV÷(16年×365+30days)=1282 (PV/day)
記事ひとつ当たり、PV数がどれくらいなのかも計算してみます。
7,525,530 PV÷5134タイトル=1465(PV/タイトル)
タイトルひとつ当たり1465回読まれていますね。どうもありがとうございます。
2002年の11月から昨年(2022年)9月まで古里で学習塾をしていましたが、「塾の先生一日中ブログ書いている」なんて噂もありました。ほぼ毎日アップしてましたし、長い記事もあるのでそういう誤解が生じる余地がありましたね。
四百字詰め原稿用紙10枚分くらいなら、内容にもよりますが、おおむね30~90分でアップしています。見直しやデータの追加をするために翌日以降に修正・編集・追記を随時しています。そちらの方に同じくらいの時間がかかっています。長いものだと四百字詰め原稿用紙で40枚程度のものもあります。
発信している記事が多くても、それほど時間を費やしていないのは、タイピング速度が大きいことと、文書作成ソフトWORDの編集機能が強力だからです。思いつくまま”バチバチバチ”とタイピングしてからチェックを兼ねて後編集して体裁を整えたらいいだけです。
冬は雪が降ると4~5時間も家の前の雪かきをよくしていました。バス停があるのできれいにしておきたいからです。きれいにするとブルドーザーが回ってきて、雪を置いていく、それでまたその雪を道路の向こう側の空地へ運ぶという風に。全身汗びっしょり、ついには、水分補給が追い付かなくて、尿管結石で苦しい思いを5日間ほどしましたね。(笑) 冬はブログをタイピングする時間が少なくなっていました。
胃と胆嚢の全摘、胃の周辺のリンパ節切除、癌が浸潤していた横行結腸の一部切除をしているので、コップ一杯の水でも30分はかけないと下痢してしまいます。だから、東京へ引っ越しましたが、命懸けでした。夏場の水分補給が追い付かない可能性が7割くらいありました。過酷な環境の中で、身体の方が驚いて、水分吸収がよくなりましたよ。そして3月に古いエアコン2台を取り換えたので、例年になく暑い夏でしたがなんとかなりました。
修士論文を書くときにドイツ語文献の引用があるので、20代(1970年代)の時にOLYMPIA製(スイスメーカー)の欧文タイプライターを買って、タイピング教本でタッチタイピングの練習をしたので、それ以来ブラインドタッチで入力できます。機械式のタイプライターよりも、パソコンはキータッチが格段に楽です。
1990年頃、ワープロを仕事で使い始めたときに、「ebisuさんと同じ年代の人は人差し指でタイピングしてます。10本全部使う人は見たことがありません」と褒めてくれた新入女子社員がいたことがありました。いまじゃ当たり前ですが、当時はタッチタイピングは「特殊技能」でしたね。
ワードの編集機能の良さとタイピング速度の大きさの両方の相乗効果で、手書きしていた時の3~5倍の文書処理ができます。ワープロやパソコンのお陰で、こなせる仕事量が飛躍的に伸びました。重要な仕事は提案書の作成や協議書や稟議書などの社内文書作成を含みます。文書による定期的な報告も必要です。2年ほどOASISという富士通製のワープロを使った後で、社内にパソコンが導入され、文書作成にはワードを使うようになりました。
臨床検査センターのSRLには1984年2月から1999年の9月末まで勤務しましたが、その間に発信した文書は8㎝のファイルで8冊ありました。その後3年間で3冊増えています。発信文書に連番を振る習慣は、1978年に産業用エレクトロニクス輸入商社に勤務してからのものです。文書管理の基本は大事です。
要するに長い時間をかけて文書作成になれちゃったというわけです。
ブログを始めた一番の動機はライフワークをやれる文書作成能力と体力や集中力があるのかを試すためでした。
ライフワークは「マルクスと数学」というカテゴリーにまとめてあるのでそちらをご覧ください。『資本論』の構造が明らかになっています。ヘーゲルとの関係も。マルクスが『資本論第一巻』でその方法的な破綻に気がついてしまいました。
これはまったくの新説です。マルクス資本論の論理構造全体を俯瞰できた学者はいません。同時に、マルクス批判でもあります。マルクス自身が『資本論第一巻』を世に出した後、体系構成の方法にヘーゲル弁証法を利用したことの誤謬に気がついたというのがわたしの推測です。だから死ぬまでの16年間、続巻を出さなかったのです。出せなかったといった方が精確ですね。16年間の空白の期間の意味を考えたマルクス学者がいなかったというのはとっても不思議です。
ところで、資本主義経済の分析と新しい経済社会のデザインはまったく異なる分野の仕事です。方法的に破綻したマルクスは晩年の研究テーマをそこに移しています。
新しい経済社会の建設は企業のマネジメントが鍵です。わたしはそこへの言及も始めています。
新しい経済理論が書けたら、ライフワークを超えることになるでしょう。
ブログを書き始めてから、1年後くらいに体力的にきつくて、ブログをやめようかと悩みました。そのときに、SRL社長だった近藤さんから「続けたら...」というメールをもらって、何とかつなげることができました。近藤さんにあらためて、「ありがとうございます」です。
近藤さんは2009年10月31日に根室まで来てくれました。養老牛温泉へ泊って、地域医療問題と都会との学力格差の問題を語り明かしました。カテゴリ―「養老牛温泉夜話」にまとめてあります。
SRLは創業社長の藤田光一郎さんが小児科医、近藤さんも医師免許持っている元厚生省の技官です。2人とも異色でしたが、お二人の色は違っています。幸いなことに、両方の社長の特命係として仕事したことがありました。厄介ごとが持ち上がるとお呼びがかかるのです。厄介ごとは扱いにくい人間でなければ適切に処理できません。(笑)
厄介な仕事を請け負うたびに、必要な人材が周りにそろっているのです。戦略は自分で考えます、しかし実際の仕事はチームでやるので、それぞれの分野でトップレベルの人材がそろわないと不可能なのです。それがちゃんとそろってしまう、つまりふだんから異分野のトップレベルの人材とのネットワークが自然発生的にできあがっているということ。社の内外を問いません。やって楽しい仕事は社内の人間だけで間に合うようなものばかりではありませんから。何か仕事をするたびにネットワークが広がり、パイプが太くなります。
塵も積もれば山となるの譬え通り、16年間で5100タイトル、750万アクセスを越えました。
お読みになってくださっている読者の皆様に心より感謝申し上げます。
*この記事は文字数は3096字です。最初にアップしてから1日で、編集と追記で300文字ほど増えています。
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これはまったくの新説です。マルクス資本論の論理構造全体を俯瞰できた学者はいません。同時に、マルクス批判でもあります。マルクス自身が『資本論第一巻』を世に出した後、体系構成の方法にヘーゲル弁証法を利用したことの誤謬に気がついたというのがわたしの推測です。だから死ぬまでの16年間、続巻を出さなかったのです。出せなかったといった方が精確ですね。16年間の空白の期間の意味を考えたマルクス学者がいなかったというのはとっても不思議です。
ところで、資本主義経済の分析と新しい経済社会のデザインはまったく異なる分野の仕事です。方法的に破綻したマルクスは晩年の研究テーマをそこに移しています。
新しい経済社会の建設は企業のマネジメントが鍵です。わたしはそこへの言及も始めています。
新しい経済理論が書けたら、ライフワークを超えることになるでしょう。
ブログを書き始めてから、1年後くらいに体力的にきつくて、ブログをやめようかと悩みました。そのときに、SRL社長だった近藤さんから「続けたら...」というメールをもらって、何とかつなげることができました。近藤さんにあらためて、「ありがとうございます」です。
近藤さんは2009年10月31日に根室まで来てくれました。養老牛温泉へ泊って、地域医療問題と都会との学力格差の問題を語り明かしました。カテゴリ―「養老牛温泉夜話」にまとめてあります。
SRLは創業社長の藤田光一郎さんが小児科医、近藤さんも医師免許持っている元厚生省の技官です。2人とも異色でしたが、お二人の色は違っています。幸いなことに、両方の社長の特命係として仕事したことがありました。厄介ごとが持ち上がるとお呼びがかかるのです。厄介ごとは扱いにくい人間でなければ適切に処理できません。(笑)
厄介な仕事を請け負うたびに、必要な人材が周りにそろっているのです。戦略は自分で考えます、しかし実際の仕事はチームでやるので、それぞれの分野でトップレベルの人材がそろわないと不可能なのです。それがちゃんとそろってしまう、つまりふだんから異分野のトップレベルの人材とのネットワークが自然発生的にできあがっているということ。社の内外を問いません。やって楽しい仕事は社内の人間だけで間に合うようなものばかりではありませんから。何か仕事をするたびにネットワークが広がり、パイプが太くなります。
塵も積もれば山となるの譬え通り、16年間で5100タイトル、750万アクセスを越えました。
お読みになってくださっている読者の皆様に心より感謝申し上げます。
養老牛温泉夜話(1) #780 Nov.1, 2009 [23. 養老牛温泉夜話]
*この記事は文字数は3096字です。最初にアップしてから1日で、編集と追記で300文字ほど増えています。
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2023-12-28 11:33
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