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#5088『資本論』の論理と背理法:労働価値説の破綻を証明 Oct. 17, 2023 [A2. マルクスと数学]

<最終更新情報>10/23朝6:40 ヒルベルト『幾何学基礎論』と平行線公準に言及 11/12追記

 数学の証明法のひとつである「背理法」を知らない人はほとんどいないでしょう。
  中3で無理数が出てくるので、中学校の数学の先生の中には√2が無理数であることを背理法で証明して見せる人が少なからずいるはずですし、もちろん高校の数学授業では背理法による証明は「定番」ですから、皆さん記憶の隅っこにいまでも残っているのではないでしょうか。今回は、背理法を使ってマルクス『資本論』の労働価値説が成り立たないことを証明してみようと思います。そんなことを試みた経済学者はいません。マルクス経済学が根底から崩れます。

 まず背理法のおさらいです。
 √2が有理数であると仮定して矛盾に導くことで、√2が有理数(分数)ではないことを証明するのが背理法です。
① √2は分数で表せるので、m,nを互いに素とし、「√2=m/n」とする。⇒√2は分数で表せるという假定
 両辺を2乗して、「2=m^2/n^2」⇒式変形操作
② さらに、両辺をn^2倍すると、「2(n^2)=m^2」⇒反例
③ ところで、mとnは互いに素(互いに素というのは最大公約数が1ということ)ですから、2という約数をもつことは最初の前提に矛盾します。
④ したがって√2は分数では表せない数、無理数だということが証明されました。

 もう少し一般的な言い方をすると、次のように定義されます。
「結論の否定を仮定して矛盾を導き、そのことによって結論が正しいとする証明法」(松坂和夫著『数学読本1』岩波書店 p.10)
 背理法とはある假定(命題)を措定して、その命題を矛盾に導くことで反例を一つ示して、最初の假定が成り立たないことを証明することなのです。

 わたしはこれから、労働価値説が成り立たぬというころを論証するために、労働価値説が成り立つという命題を假定をして、矛盾を導き、労働価値説が成り立つという命題の假定が偽であるということを証明したいと思います。

 わたしがここで何をやろうとしているのかをあらかじめ説明しておきます。
「資本論第1巻の商品分析の端緒に措定された抽象的人間労働(労働価値概念)を正しいと仮定して市場論で矛盾に導くことで、労働価値説が成り立つという命題が「偽」であることを証明します。」
 これが証明されたら、公理が崩れるのでマルクス経済学、なかんづく『資本論』が学問として成り立たないということになります。公理が偽ならそれに基づいて演繹的に記述された経済学体系は成り立たないのです。
 わたしは資本論が演繹的な体系をもっていると前提して議論を進めています。そういうことを述べているマルクス経済学者は皆無ですので、もし反論があれば聞きたいと思います。資本論体系がどのようなものであるかについて、確たる見通しもなしに資本論成立(1867年)後、さまざまな議論が157年間なされてきたのです。いまある『資本論第二巻』と『資本論第三巻』はマルクス死後にエンゲルスが編集して出版したものです。

 資本論第1巻は、資本家的生産様式の社会の富は商品として現れるので、それゆえ我々は商品の分析から始めると、体系の端緒を措定しています。そして商品を概念的に定義します。抽象的人間労働が商品の価値として現れ具体的有用労働が使用価値として現れるということです。これが『資本論第1巻』でなされる商品のの最初の概念規定ですから、公理的な演繹体系では公準や公理にあたります。公準や公理が否定されたら、その学問体系が根底から崩れます。
(少し横道に分け入ります。平行線公準に対する疑義が持たれていました。それを外して公理を整理したのは19世紀の数学者ヒルベルトです。『幾何学基礎論』(1899年)の中でユークリッドの公理を整理しています。公理が普遍的なものですから、球面幾何学では成り立たない平行線公準を公理群から外しました。たとえば、ユークリッド幾何学で平行線公準を否定すると、球面幾何学が定義できます。対象とする幾何学が別のものになるので、普遍的ならざるものとして平行線公準を公理群から外したのは当然のことでした。
 なお、ヒルベルトはユークリッド『原論』では区別されていた公準と公理という概念の使い方をやめて「公理」と書いています。わたしもヒルベルトの用語に倣いたいと思います)

 話を元に戻しましょう。
 マルクスは資本論冒頭で、次のように述べています。
「商品は、まず第一に、外的対象である、その諸属性によって人間の何らかの種類の欲望を満足させるものである。」(カール・マルクス著『資本論第1巻第1分冊』47ページ、青木書店、1968年第Ⅱ刷)
 体系の公理はこれでよかったのです。商品の価値を規定するのは人間の欲望=ニーズであると体系の公理を規定したらよかった。なぜ、そうできなかったのか?
「ある一つのものの有用性は、そのものを使用価値にする。しかし、この有用性は空中に浮いているのではない。この有用性は、商品体の所属性に制約されているので、商品体なしには存在しない。それゆえ、鉄や小麦やダイヤモンドなどという商品体そのものが使用価値または財なのである。... 使用価値は、ただ使用または消費によってのみ実現される。」(同書48ページ)
 このあとから、スミスやリカードの労働価値説とヘーゲル弁証法の二元論に引っ張られていくように見えます。

「使用価値は、富の社会的形態がどんなものであるかに関わりなく、富の素材的な内容を表している。われわれが考察しようとする社会的形態にあっては、それは同時に素材的な担い手になっているー交換価値の。交換価値は、まず第一に、ある一種類の使用価値が他の種類の使用価値と交換される量的関係、砂割り割合として現れる。それは、時とところによって絶えず変動する関係である。」(同書49ページ)
 この部分は価値形態論へのプロローグです。そして、抽象的人間労働による商品の価値概念規定が現れます。これで、スミスやリカードの労働価値説とつながるのです。生産過程はそれで説明が可能です。しかし市場関係では労働価値説が破綻します。投下労働量で市場価値は決らない、消費者のニーズで決まるというのが反例です。投下労働量の大きさによらす、消費者のニーズで市場価値が決まります。たった一つの反例で、労働価値説が崩壊します。リカードは比較生産費説で、国際的な商品価格と、国内市場に置ける生産性と商品の価値の関係を分析しています。マルクスの研究がこの分野に及ぶのは『資本論第一巻』を出版したあとでした。かわいそうなマルクスは、後で労働価値説が市場関係では展開できないことに気がついてしまいました。

 端緒に措定した商品の最初の概念規定であり、価値と使用価値に次いで、<価値表現の関係>が分析されますが、そこでは抽象的人間労働に還元することで使用価値の異なる商品が等価であるとされます。次に展開されるのは<交換関係>である交換過程です。交換過程では商品の価値は交換価値として現れ、客観的なものになります。このように商品の価値は次第に豊かでより具体的なもの・現実的なものになっていきます
 交換価値は貨幣へ転化し、生産過程では貨幣が資本へ転化します
(本源的な貨幣は金だとマルクスが言明しています。これは「真」です。紙幣はその発行の裏付けがなくなればただの紙切れ、あるいは価値が著しく低下するリスクがありますが、本源的な貨幣である金にそうしたリスクがありません。いつでもどこでも貨幣として通用します。)
 貨幣が資本へ転化すると、そこから<生産関係>で資本の生産過程論が開始されます。生産過程論で不払労働として剰余価値が定義されます搾取理論は不払労働にあるという説明です。労働価値説が偽であれば、剰余価値も不払労働による搾取も偽となります資本論の公準が「真」であればいいのですが、それが「偽」なら、資本論という経済学体系が根底から崩れます。必要なのは高校数学だけ、後で証明してみます

 マルクスは資本論第1巻を1866年に出版します。それから1883年3月14日に死ぬまでの17年間、資本論の続巻を出版しませんでした。膨大な遺稿を整理して資本論第2巻と3巻を出版したのはエンゲルスでした。
 なぜ、マルクスは資本論続巻の膨大な遺稿を残しただけで、資本論第2巻を出さなかったのかについては、疑問に思ったマルクス経済学者もその理由を論理的に突き止めたマルクス経済学者もいません。

 さて、背理法による証明です。資本論第3巻は<市場関係>論です。個別企業の市場競争が扱われます。「もっとも単純な市場関係」が分析されています。「剰余価値の利潤への転化」や「市場価格と市場価値、超過利潤」が扱われます。
 ところで、市場では需要のない(=使用価値のない)商品は価値がありません。これは自明です。需要と供給曲線の交わるところで市場価格が決まることは経済法則のひとつです需要がなければ投下労働量が大きくても市場価格はゼロです。いまでは再生産に労働力を要しない商品すら存在しています。デジタル商品です。消費者がネットからコピーするだけで再生産されます。
 デジタル商品の存在はともかく、マルクスだって需要と供給の経済法則に気がついたはずです。それが何を意味しているのかは明らか、投下労働量は市場価格には関係がないということです労働価値説は市場関係論で破綻するということ、そのことに気がついたので、マルクスは書き溜めた膨大な原稿を没にしました。資本論の続巻が出版できなくなったのです。体系構成に関わる破綻、労働価値説が「偽」であることがわかってしまったのだろうと想像します。
 『資本論第1巻フランス語版(1872年)』がマルクスの著作としては最後のものです。そこから数えると、11年間、研究生活を続けていながら、1冊も本を出していません。それどころか資本論第1巻をフランス語版では書き直しているのです。フランス語版はドイツ語版の翻訳書ではなかったのです、書き直しでした。11年間の沈黙は異常なことだとわたしは感じます。それが感じられないマルクス経済学者は感覚が鈍すぎます。

 おさらいしましょう。マルクスは『資本論第1巻』を商品分析から始めて、その概念規定をします。商品には価値があり、それは抽象的人間労働の現象形態であると、同時に商品には使用価値があり、それは具体的有用労働の現象形態であると、仮定したのです。
 その仮定が、市場関係論で破綻するということは、労働価値説が偽であるということを意味しています。
 資本論第1巻の仮定、商品の価値とは抽象的人間労働の現象形態だという概念規定(公準=要請)が「偽」だということが背理法で数学的に証明されたということを意味しています
。背理法で偽であると判定されたら、覆しようがありません。背理法という真偽の判定法が偽であるという証明をしなければなりません。それは無理というもの。背理法で労働価値概念が否定されたということは、√2が分数では表せないこと(=無理数)であることと同じくらい確かなことだということ。
 資本論という経済学体系が根底から崩れていく音がします。

 マルクスは『資本論第1巻』を出版した後に『資本論第2巻』と『資本論第3巻』の原稿を書き貯めましたが、市場関係論を書き始めてようやく論理的な矛盾、ヘーゲル弁証法の破綻に気がついたのだとわたしは推測します。
 エンゲルスと共同執筆で『共産党宣言』(1848年)を出版して、世界中をあおっておいて、いまさら『資本論』は誤りでしたとは言えなかったのでしょう。矛盾に気がついたからこそ、第2巻と第3巻が出せなかったのですから、死ぬまで悶々としていたと思います、自分の犯したミスに気がついてしまった不幸な人でした。いまさらミスとは言えない状況だったことは理解できます。

 マルクス経済学者は『資本論第1巻』とその前に書かれた『経済学批判要綱全6冊』をもっと読むべきです。『人新世の資本論』の著者の斎藤幸平氏のように翻訳されていない膨大な遺稿を読むのも結構ですが、まずは『資本論第1巻』と『経済学批判要綱』をしっかり読んでもらいたい。マルクスが残した唯一の経済学の体系的な記述である『資本論第1巻』もきちんと読めていないマルクス経済学者が多すぎます。
 視野を数学にまで広げないと、マルクスと同じところで躓くだけです。最初から正解がないところで思考しているだけ。実数の範囲では解けない複素数の問題を、実数の範囲内で考えているようなものです。問題の的を射る前に、的のある方を向いていないのですから、外してしまいます。

 皆さんが高校数学で習った背理法で、資本論体系がガラガラと崩れることが、こんな簡単な操作=背理法でできます。労働価値説は「偽」なのです。したがって、剰余価値学説も偽となります。生産過程論よりも、より具体的な市場論で展開すればすぐにわかることです。
 方法論をヘーゲルに依拠したことが間違いでした。紀元前3世紀にユークリッド『原論』が学の体系構成の方法を明らかにしました。公理論的な演繹体系です。背理法もその中で紹介されています。背理法はユークリッドの考案ではありません。紀元前4世紀の数学者エウドクソスの発見と言われています。
*『原論』第1巻47章に三平方の定理があり、第10巻30章に背理法が載っています。

 ところで、マスクスを信奉している経済学者もマルクス主義者にとってもがっかりさせられる事実なのですが、マルクスは数学音痴でした。『数学手稿』を読むと微分の無限小概念が理解できなかったことが明らかにされています。あれはマルクスの単なる数学・学習ノートでした、公刊するようなものではありません。『数学手稿』から推して、ユークリッドの『原論』もデカルトの『方法序説』も、読んでも理解できなかったでしょうね。苦手ですから、読もうとすらしなかったと推測します。数学嫌いの高校生を思い浮かべたら、遠からず当たっていますよ。(笑)
 マルクスって、できの良いところとできの悪いところ、生真面目なところと放縦なところが共存していて、かわいいんですよ。
 彼のところにはお手伝いさんがいましたが、その人が産んだ子供はマルクスの子供だったことがわかっています。男の子だったかな。マルクスは神様ではありませんね、平平凡凡で、とっても人間臭いところがあります。
 共産主義で世界中を嵐に巻き込んだアジテータ、そして論理的に破綻したことに気がついて晩年は絶望の淵に沈んではいます、が優秀な経済学者でもありました。その実像は性欲の点からもごく普通の人でもあったのです。周りの人たちはもちろん知っていたでしょうね。でも、内緒にしたようです。わたしにはとっても親近感のわく人物です。

 泉下のマルクスはいま喜んでいると思います。資本論第1巻を出版してから死ぬまでの17年間、悶々と苦しむだけで自分の口には出せなかったことが明らかにされたのですから。
 今よみがえったら、資本論の書き直しはしないでしょう。コンピュータと数学の素養がないので無理なことは彼にも理解できます。別の課題があります、新しい経済社会のデザインに興味が湧くでしょうね。それは企業のマネジメントに関する研究です。私有財産の否定で生産手段を共有化しても理想の社会はつくれません。ロジックが子供じみていた粗雑すぎます。心根の曲がったテクノクラートに支えられた独裁者が支配する恣意的な経済社会に化けてしまうだけです。共産主義や社会主義経済というのは異様な経済体制です。秘密警察と労働者同士が互いの政治傾向を秘密警察に通報することでした維持できない、異様な経済体制です。
 なぜマネジメントが鍵なのはは別稿に譲ります。個別企業で賃金格差を生んでいるのは強欲なマネジメントです。企業間での賃金格差を生じさせているのは経営者のマネジメントの巧拙が深くかかわっています。赤字の企業にはボーナスが出せないことはだれでもわかります。業績の思わしくない企業の平均賃金は、高収益の企業の従業員の平均賃金よりも低くなるのはモノの道理です。労働組合も社会主義国家もマネジメントを敵視してきました。阿呆な話です。マネジメントの重要性を主張したマルクス経済学者はわたしの外にはいないでしょう、だから別稿で改めて書きます。
 もう少し、マネジメントとビジネス倫理について言及して置きます。
 マルクスの関心はビジネス倫理とマネジメントの研究に向かうはず、つまり私と楽しく共同研究をするということ。面白いでしょ!
 そのビジネス倫理とは
●「信用が第一」
●「売り手よし・買い手よし・世間よしの三方よし」
●「浮利を追わない」
●「足るを知る」
 これらの当たり前のことを、現実の企業経営で遵守していこということが新しい経済社会の建設のカギですよ。労働という概念は消滅します。日本人が昔からしてきたのは労働ではなくて仕事なのです。だから、21世紀になっても、日本では職人仕事の世界がますます広がっています。あれは苦役ではないのです。自己実現の手段でもあります。仕事は自己表現の場でもあるのです。芸術活動とかわらない、どんな仕事も極められます。より高いところがあります、完成することがありません、無限ですから楽しい。
 わたしは、51歳まで、そういう方針(ビジネス倫理)で民間企業をいくつかわたり歩いて仕事していました。そのうち3社は上場企業になっています。ぎりぎりのところで、意に添わなければ辞表を書いて他の企業へ転職しました、何度も。だから、衝突するのは決って社長です。社長の特命の仕事が多かったからです。約束した仕事はどれも期限内に約束通りに実現しています。そのあと、自分の意にそわないような事態になったら、進退を明確にするだけ。わがままとも言えますね。(笑)

<余談-1:数学的帰納法>
 数学の証明法には古典的な証明法である背理法の外にもう一つ、新しくて有力なものがあります。それはドミノ倒しのような数学的帰納法です。現代数学の証明にはこれが頻繁に使われています。高校数学では、数Bの数列の分野で出てきます。
(古里にある根室高校普通科では、十数年前は数ⅡBは必修科目だったことがありますが、数年前から、数Bだけでなく数Ⅱも選択科目になってしまいました。生徒の学力レベルがこの十年間で、数Ⅱすら必修科目にできぬほどに激落ちしたということ。これから人材確保で困るのは地元企業です。2040年に生き残っている地元民間企業は半数程度になりそうです。地元の民間企業の採用も半分程度になれば、人口は現在の2.3万人から1.5万人前後へ減少するでしょう。地域の高校生の学力低下は、地元経済の活力を奪い、人口減少の主要な要因になります。だから、まず小中高生の学力低下を止めなければいけません。2002年11月から、2022年10月までの20年間、古里で小さな塾で子どもたちを教えてきましたが、塾に来ていた生徒たちの学力に劣化は感じませんでしたが、学力テストや全国模試での得点の分布をチェックしていると、中高生の学力低下は否定できない事実です。釧路根室管内の中学校では、根室市内の中学校は最底辺です。それでも、国立大学医学部へ現役合格できるレベルの素質をもった生徒は毎年数人います。小4から育てたら間に合いますが、そういう意識がないので、高校生になってから全国模試で実力を知ってからではアウトです。それほどむずかしくない北大へ現役合格だって数年に一度しか現れません。能力の高い子どもたちを育てそこなっています。じつにもったいないことです。育った地域で大半の子どもたちの学力レベルが決まります。)

<余談-2:公理的な演繹体系の俯瞰>
 学問(科学・学問:英語ではscience、ドイツ語ではdas Wissenshaft)の体系構成方法には公理に基づく演繹体系しかありません。ユークリッド『原論』がその端緒です。デカルトが17世紀に『方法序説』(1637年刊)で「科学の方法・四つの規則」で言及しています。デカルトは哲学者や物理学者であっただけではなく数学者でもありました。次に言及し、ユークリッド『原論』の公理群を整理したのはヒルベルト『幾何学基礎論』(1899年)でした。
 19世紀のヘーゲル弁証法は流行り病のようなものでした。哲学者たちがこぞってかぶれました。新型コロナのようなものです。二項対立でものごとが記述できるほど現実は単純ではありません。
 20世紀になってから、二コラ・ブルバキというペンネームを使って、フランスの若手数学者の集団が現代数学の体系化を試みました。1934年がスタートですから、90年にもなりますね。集合論を核にして現代数学を演繹体系として統一的に記述しようという試みです。数学の細分化の速度が大きすぎて、いまだに理想は実現されていませんし、今後も完成する見込みはないでしょう。でも、公理的な体系構成法以外に、学問(科学)の体系構成法は発見されていません。やるなら、公理的な体系構成しか選択肢がありません。
 数学以外の学問分野で、演繹的体系構成にチャレンジしたのは経済学でマルクスのみです。その点ではわたしはマルクスに敬意を払っています。たとえ失敗していても、失敗自体が大きな意味のあることでした。

<余談-3:文系と理系の区別は幻想>
 学問に文系と理系の区分は意味がありません。とくに両方にまたがる分野についてはそれが言えます。現在経済学は数学が得意な理系分野の学生たちが選択し、マルクス経済学は数学が比較的得意ではない文科系の学生たちが選択してきました。だから、マルクス経済学者の視野の中に公理的演繹体系構成法が入って来ませんでした。愚かな話だと思います。学問の体系構成法のお手本にはユークリッド『原論』しかないのに、それを読みもしないから、160年間誰もマルクス『資本論第1巻』の体系構成上の論理的な破綻に気がつきませんでした。マルクス自身は気がついて17年間沈黙を守りました。
 企業経営でも、文系理系の区別はありません。困難な問題はこれらの複合分野として現れていますから、両方の素養がなければ、複雑な問題を解決できないのです。もちろん、新しい経済社会の建設はその先にあります。どのように企業経営をデザインするのかということが、問題を解くカギです。

#5113 公理を変えて『資本論』を演繹体系として書き直すことは可能か? Nov. 13,2023



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 数学史はもう一冊読んでいました。おや、これも絶版ですね。1975年の初版1刷りが本棚にあります。数学史に関してはこの本が最高なのですが、読む人が少ないのか、絶版になってしまいました。日本人の知的レベルの低下を表しているようで、悲しいです。経済学者はもっと視野を広げてこういう分野の本も読んでほしい。
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