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#4958 自衛隊ヘリの墜落事故:幕僚長の胆力は大丈夫か? Apr. 6, 2023 [8. 時事評論]

 10人乗りの自衛隊のヘリUH60JAが午後3時45分に宮古島の基地を飛び立って10分後にレーダーから機影が消えた。当該機には第8陸上自衛隊師団長坂本雄一氏が搭乗していた。「操縦士2名、整備士2名、隊員6名」というのが当初の発表である。第八師団長の坂本雄一氏は「隊員」ではないだろう。
 機影がレーダーから消えた時間は、後から訂正があったが、重要な情報をなぜ間違えて公表したのだろう?

 発表したのは防衛省陸上自衛隊のトップの森下泰臣幕僚長である。記者から、なぜ第八師団長の坂本氏が搭乗していたのかを問われて、おろおろしているように見えた。
 第八師団長が搭乗していたことを森下幕僚長は当然のことながら知っていたはず。そんな重要なことを落として情報伝達するような軍隊組織はありえない。つまり、公表をどうするか躊躇して伏せていた。後から、追加公表せざるを得なくなって公表したところ、記者から質問があって焦ったのではないか。こういう時にこそ、胆力が試される。

 坂本氏は1週間前に第八師団長として赴任したばかりだから、いざというときに自分が守るべきテリトリーを視察するのは当然のことに思える。第八師団長がヘリに搭乗していたことの理由を問われて、このような程度のことでオタオタするようでは、戦時に軍隊の指揮ができるのか?

 どちらも防衛大学校出身者であるが、偏差値の高い防衛大学校出身者ばかりが自衛隊の幹部になるようでは胆力のある者が採用できていないのではないかと心配になった。
 1割ぐらいは、根室高校最後の総番長だったヒロシのようなタイプの人物が陸将にほしい。あいつの周りには人が集まる

<余談:陸軍士官学校と海軍兵学校>
 実践経験のない陸軍大学出身者や海軍大学校が帝国陸軍の幹部の大部分を占めるようになって、彼らが無茶苦茶な作戦(たとえば、インパール作戦、神風特攻隊、戦意向上のための南方前線への船での落下傘部隊派遣...)を立案して兵士をいたずらに消耗させた大東亜戦争を思い出した。
 陸大は陸軍士官学校出身者で優秀な者だけに受験資格が与えられ、海軍大学校も海軍兵学校出身者で成績優秀な者だけに受験資格が与えられた。

(わたしの勤務した企業に、陸士と海士の両方に合格したY口さんがいた。どちらへ進学したかは忘れました。直属の上司ではなかったが、仕事で関わることが多かったので、ご本人から直接聞いた。戦後は東大に入り直して都市銀行に勤務。専務取締役で上場準備中の最大手臨床検査会社へ出向、後に副社長となった。頭はそこそこよかったが、経営戦略や戦術面ではからっきし、戦争の作戦を立案できる人とは思えなかった。畑違いの臨床検査会社へ来て、どのようにふるまったらいいのか戸惑っていたのだろうと思う。上場準備要員として中途入社2年目くらいの時に、岩波新書の教育関係の本を読み終わったからと私にくれたことがあった。そんなところに関心があるのかとざっと目を通した。岩波新書はピンからキリまであるから、どのレベルのものを読んでいるのか興味があった。学術開発本部へ異動した直後に、経営統合システムのリニューアルをしなければならなくなって、管理会計課へ呼び戻す交渉をわたしの上司(学術開発本部担当役員)へしたようだが、Iさん、頑として断ったらしい。原価計算システムと購買在庫管理システムのリニューアルは私以外には担当できる者がいなかった。購買在庫管理システムは、関係会社管理部に1年半ほど、そのあと資本提携を担当した会社に15か月役員出向して、本社に戻り、管理会計課長と社長室、購買部課長を兼務したときに仕様書を書いています。人事に不満があったので、半年で子会社へ出向、原価計算システムはほったらかしにしました。項目別販売価格シミュレーションシステムを含む画期的な利益管理システムへの書き換えを1986年から考えていました。運用まで自分で見ないと、他の人には稼働できません。利益コントロール指向の画期的な原価計算システムの学術論文を書くつもりでした。面白いテーマでしたね。
 関係会社管理部ができるので社内公募があったので、応募したら、副社長のY口さん電話をよこして、「Iさんにはこの件内密にしてけ、そうしないとこの話は流れる」というと、その日の午後に八王子ラボまで会いに来た。「直属の上司には報告しないといけない」というと、ダメだと強硬だった。結局報告できず、人事が公表されるまで内緒にしておくしかなかった。Iさんには叱られました。本部内には開発部と学術情報部と精度保証部の3部あり、開発部をマネジメントできる人材が他にはいなかったのです。学術情報部の仕事であるラボ見学対応をできる人材も学術情報部の3人以外はわたしだけでした。3000項目もある検査がたくさんの検査部と検査課に分かれているので、見学者を連れて説明してラボ内を案内できるようになるには、1年以上かかるのです。わたしは、ラボの自動化や機器購入をしていたので、研修なしですぐに説明して回れました。担当者三人よりもずっと詳しかった。(笑)

 ああ、もう二つ思い出しました。沖縄米軍から出生前診断検査MoM値の導入要請があり、学術営業部のS君が担当してました。学術開発本部の東さん(在米25年の臨床検査技師の女性)にニューヨークから資料の取り寄せを依頼していました。S君はシステム本部に持ち込み、不可能だと断られました。妊婦の体重や人種、妊娠週令などが計算式の変数になっていたので、それを入力し中ればなりません。ところがそんな項目をを入れるスペースがありません。不可能でした。それを見かねた東さん、まだ学術開発本部に異動して2か月ぐらいだったかな、取り寄せたMoM値に関する学術論文を向かいに座っているわたしの机にポンと投げてよこして、「ebisuさんならできるでしょ」、「とりあえず資料に目を通してみます」と伝え、「なるほど、システム本部が負荷のだといった理由がわかりました、やってみましょう」と返事。HP41cを使ってカーブフィッテイング(線形回帰分析ですが二次関数です)してAFPとhCGとエストリオールの3項目のデータから計算式を導きました。この計算機が使えるのはSRLでは研究部に2人いるだけ。管理部門ではわたしだけでした。偶然のたまもの。わたしはそれまでに12年間で3台HP社の科学技術用計算機を使っていました。パソコンを使って足りない入力項目を沖縄営業所で入力させ、関係する3項目の検査値を沖縄営業所のパソコンで計算処理して報告データとファイルの結合処理してを出力する仕様書を書きました。システム本部へはC言語のできるプログラマーを1か月貸してもらう交渉をしてプログラミングを担当してもらいました。上野君だった。1か月で完成して、沖縄米軍へ説明に行きました。沖縄米軍の司令官、歓迎してくれました。米国の法律で女性兵士が妊娠したら、出生前診断検査が義務付けられていたからです。それまで法律違反になっていました。
 出生前診断検査の基準値は日本人の基準値がありませんでした。白人を100とすると黒人が120でした。日本人基準値は?と考えたのは慶応大学産婦人科のドクター。やはり、学術営業部のS君が担当でした。製薬メーカー2社の営業に学術案件なので必要な試薬を無償提供するように依頼しました。必要なら社内稟議の案文はこちらでつくるよといいましたが、不要でした。取引先製薬メーカーとはすべて価格交渉で面識がありましたから、一も二もなく要請に応じてくれました。6000人の妊婦のデータをとるのに3年くらいかかったかな。多変量解析は研究部のF君が担当してくれました。日本人基準値は130でした。画期的な研究になりました。こういう他分野の知識とコネクションが必要なマネジメントは学術開発本部にはそれまで担当できる人がいなかったのです。だから、直属上司のIさん、副社長のY口さんの異動要請を突っぱねたのでしょう。でも、購買在庫管理システムと原価計算システムの機能アップは社内でわたしにしかできない仕事でした。結局、3年後に兼務で購買在庫管理システムの仕様書を書くことになりました。半年ぐらいしかいなかったので、購買在庫管理システムだけ。かかったのは1週間でしたね。価格シミュレーションシステムを含む原価計算システム構想は1986年に概略を書き留めてありましたが、本稼働して、運用トレーニングを担当する数名の人のトレーニングもしなければならないので、仕様書を書きませんでした。半端な知識の者が担当すると何が起きるかわからないからです。) 

<余談:フライトレコーダ>4/23追記
 海上自衛隊のヘリには洋上で墜落したときのために、外付けのフライトレコーダがついており、墜落すると自動的に浮かんでくるようになっている。ところが、陸上自衛隊のヘリコプターは海上を飛ばないということになっているらしくて、そういう装備(外付けのフライトレコーダーで浮かび上がって来るもの)がついていないのだ。
 すごいね、陸自だから海上は飛ばないなんて発想するんだ。こんな発想で国土の防衛できますかね?
 フライトレコーダに関する防衛省のたまげた説明



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