#4812 『英作文問題と解説』校正と追加編集作業完了:12000題1442頁 Aug. 22, 2022 [49-4 英作文トレーニング]
<最終更新情報>8/23午前10時
今日8/22の夜中1時ころに、ようやく校正と追加編集作業が完了しました。問題数は約12000題、A4判1442頁、厚さ16㎝です。あと3年強分あるので、高校1年生には大学受験までメール配信と添削に付き合えます。
和文に対応する英文は何通りもあるので、慣れてきたら、ひとつの和文に対して複数の解答を試みたらいいですよ。三つ書けるようになったらすばらしい。
三つの段階を想定しましょう。
1st:多少はブロークンでも、とにかく通じりゃいいだけの作文
2nd:気の利いたというか、オシャレな作文
3rd:平易な表現の作文
(日本語でもロジカルな文と平易な文と美文を書き分けられたら文章の達人です。稟議書等の社内文書は専門的な内容を平易な文でそして表や図を使って書くことが求められます。学術的な文章を書いてしまうと専門外の取締役に理解できません。誰でもできるわけではありません、スキルが必要ですよ。ちゃんと書ける人は一流企業でも部長クラスにはなれます。もちろんここにも例外はありますが、一流企業の部長職は概して文書能力が高いのです。高くないと提案を文書にして、社長や関係取締役を説得して業績を自らあげることができないからです。そういう部下がいれば別ですが…じきに追い抜かれます。)
メール配信方式での英作文トレーニングはもとはと言えば、旭川医大を受験する生徒が、高校教科書全部を2年の6月に読み終わり、7月からハラリの’Sapiens’を50頁ほど読んでいるときに、英作文の力を補強したくて500題くらい問題を作ってやらせてみようと思ったのがきっかけでした。2020年の1月14日からスタートして、目標の500題は通り過ぎ、1000題もするする通過して、5000題になったあたりで、生徒のO君は根室高校から旭川医大へ現役合格、もういいかなと思いながら、ブレーキが故障しているのか速度は下がらず、そのまま今年の3月まで作成し、そのご校正作業と追加編集を今朝までやってようやく完了したのです。
途中から、自分の勉強になっていましたね。(笑)
お陰で少し英語力がついたような気がしてます。
英文を書くトレーニングを積み重ねることで読みの深さが増しました。書き手がどういう意図で語彙を選び、そのような表現を選択したのかがわかるようになると、読みの力が増します。これは思わぬ副産物でした。
中3の生徒も高校生も、塾生たちはスマホのアプリ「ターゲット友」で語彙力強化にいそしんでいる様子です。1年後には語彙のベースができあがるでしょう。
たくさん読んでたくさん書く、そしてたくさん聴いたらいい。話すのもやってみたらいい。それぞれスキルとしては別物ですが、相乗効果がでてきますから、「読み・書き・聴く・話す」、それぞれのトレーニングを積むことは英語の学力をアップするために大切なことです。
いつか、読むのと書くのと聴くのと話すのが一緒になります。
日本語環境の中で英語を習得するのはとっても時間がかかり、たいへんなことです。1000時間や2000時間の勉強ではなかなかものになりませんが、めげずに頑張ってください。しんどい時は10分間音読するだけでいいんです。とにかく毎日続けることが大切です。わたしも500題のつもりが、いつのまにか24倍の12000題になってしまったのですからね。
3年分のストックができあがったので、3年先まで一緒に走ってくれる人がいたらうれしい。この英作文問題集ができあがったのは、トレーニングに参加してくれている塾生のみなさんのお陰です。どうもありがとう。
<16cmの厚さになりました、びっくり!>
左側の定規は15㎝まで目盛りがあります。長さは16cmです。
大西泰斗先生の『NHKラジオ英会話』の本文と解説に2倍ほど問題を増量してます。増量部分については引用した文献とそのページ数のメモが入れてあります。増量した文例の20%ほどが大学受験参考書、80%は受験参考書以外から拾い集めました。
10冊ほどの本を丹念に読み、例文をピックアップしてわかったことがあります。大学受験参考書では江川泰一郎著『英文法解説』が優れモノだということです。
大学受験レベルを少し超えていますが、安井稔先生の『英文法総覧』もよい本です。生成変形文法によるアプローチがいい。入門書としてはいいと思います。この本は元々は高校の英語教師用に書かれたものです。
ああ、ここまで書いたらPEUも紹介したくなりました。1978年に中途入社した軍事用・産業用エレクトロニクス輸入専門商社で仕事していた時に、業務課の連中がこの本を使っていました。教えてくれたのは中川さんだった。
昼休みにクラッシックギターの練習してました。ちょっと変わった個性的な人でしたね。もう一人面白い人がいました。技術課の課長の中臣さん。鎌足の子孫かもしれません。気が合いました。営業課長の遠藤さんもユニークな人でした。京セラの黎明期に直接稲森和夫の薫陶を受けた人でした。何度も転職しましたが、営業マンで彼以上の能力の人間を知りません。分野を超えて専門能力の高い人たちと横のつながりがあることは、仕事の上ではとっても大事なことでした。5つのプロジェクトを入社1週間目に背負わされました。オーナー社長の関周さんからそれぞれ課題が明確になった、社運を賭けたプロジェクトでした。全部クリアしたので、財務構造と収益構造ががらりと変わり、10年後くらいに株式上場を果たしています。為替差損の出ない仕組みを作りコンピュータシステムに載せました。「受注残管理・仕入処理」システム、同システムを利用した為替予約方式での為替差損ゼロシステム、3か月ごとに為替レートを反映した円定価表を作成するために「円定価システム」を創りました。これは営業課長の遠藤さんと一緒にやったプロジェクトでした。その後業界初の経営統合システムにそれら全部をまとめる仕事を独りで担っているときに、社長の関さんと開発体制について意見が衝突しました。一度はプロジェクトメンバーを集めて、厳重に抗議しました。その後大きな大きな違反がありました。それで信頼関係が破綻、辞表を出しました。1983年の12月でした。仕事の引継ぎをしてもらいたいとの申し出で、人選が決まり、1か月間退職日を伸ばし1月末で退職。1月に一日休みをもらいリクルート社で転職先を探して、SRLに2/1から勤務してます。営業部長の関さんと総務部長から課長職で転職先の斡旋がありましたが、そのときにはSRLで仕事してましたので、お受けできませんでした。帝人エレクトロニクスと日商岩井のシステム関連子会社でした。「そうだよな」と電話2週間後くらいに電話をもらいました。「オービックの取引先だけで20社ほど輸入商社があるので、移籍してパッケージ開発をしませんか?」という提案でした。それも同じ理由でお受けできませんでした。歩いて5分のところに、たしか三井ビルにオービック本社がありました。SRL本社は同じ西新宿のNSビル22階にありました。芹沢さんはそのご、開発担当役員になっています。
システム部門が実質1人の企業に、こんなに大掛かりなコンピュータシステムを開発できるエキスパートはいません。わたしがプロジェクトで提案したシステム開発をするために、新たなシステム部門を作ったぐらいでした。所属はわたし一人、部長は第2営業部長が兼務。もちろんド素人でしたから、一度も業務指示を受けたことはありませんでした。部長として何していいのかわからず困ったでしょう。引継ぎを命じられたH元さんは被害者でした。社内のパソコン同好会のメンバー。専門家ですらありませんし、アプリケーション分野についても業務課周りの仕事がわかるだけ。日本では経営管理システムではトップレベルのスキルを要するシステム開発でした。まったく経験のない業務課員を指名したのです。社長の関さん、よほど困り果てたのでしょう。経営統合システム開発はわたしが辞職表明をした時点で破綻でした。関さんはそれがお分かりにならなかった。6年間でわたしが国内トップレベルのSEに成長したとは想像できなかったのでしょう。NECにはトップレベルのSEを要求してT島さんというSEが来てました。外部SEがトップレベルでも、まったく新しい実務設計が必要ですから無力でした。自社の社員がそのレベルを超えているとは思わなかった、関周社長の判断ミスでした。わたしの要求を受け入れるしかなかったのです。お友達の外部コンサルのMさんを切ると約束したはずでした。オーナー社長と大事なところで意見が衝突したら、わたしには辞職という選択肢しかありませんでした。でも、あれだけ大きなプロジェクトを5つ、しかも実行部隊はわたし一人だけ、後は役員と部長クラス、それぞれのプロジェクトに課長職が一人ずつでしたが、任せてくれました。関周さんには感謝しているんです。関さんにしてみたら、任せてダメだったら、外せばいいだけ、大きな損失はありませんが、うまくいったら、会社は生まれ変わります。大きな経営改革プロジェクトでした。1978年です、財務委員会、長期計画委員会、収益見通し分析委員会、電算化推進委員会、為替対策委員会の5つ、それと利益重点営業委員会。こちらだけは遠藤営業課長の担当でしたが、営業事務の合理化のために円定価システムが必要なので、結局私が一緒にやることになりました。あれだけの実務を6年間で積むことは他の会社では不可能だと思ったのですが、SRLでもわたしは似たような歩みをすることになってました。社内の重要プロジェクトを任されることが多かったので、問題の解決に必要な部門へ次々に異動して仕事することになります。(笑)
SRLへ転職して東証2部上場準備プロジェクトで、予算が十倍以上の経営統合システムプロジェクトを担うことになりました。8か月で二つのシステムを本稼働してます。2か月の並行ランをへて旧システムからトラブルなしの移行でした。もちろん臨床検査業界初のシステムでした。一度、国内最先端レベルの経営統合システム開発をしてみたかったのです。思いっきり仕事して吹っ切れました。
エレクトロニクスの輸入専門商社はそのご「セキテクノトロン」と社名を変え、2010年頃に業績不振で吸収合併され消滅。同じ年代の同僚たちは持ち株がほどんど無価値になって、たいへんだっただろうと思います。偶然かどうか、三代目の社長は東大出でした。
初代はスタンフォード大でヒューレットやパッカード(HP社の創業者)と同級生。2代目の関周さんは慶応大学大学院経済学研究科のご出身。わたしと専門分野が近かった。三代目はわたしはお会いしていません。1浪して東大に合格したと辞める前の年ころに聞いただけ。わたしが辞めてから25年がたってましたから、もう一度、社内改革が必要だったのでしょう。そういうレベルの仕事を担える人材がいなかった。企業の経営構造を改革できる人材がえられるのは、どの企業だってその規模に関わらず10年に一人くらいなものです。
20年後に、根室の地元企業の半数が人材難で消滅するのではないかと危惧しています。根室高校生の学力の劣化が激しいからです。外部から優秀な人材がそんなに来るわけもないことはみんな知っています。根室市役所はふるさと納税のバブルに踊っています。病院の経営悪化で財政破綻寸前でした。あのきつさを忘れたのでしょう。当時の財政課長はKさんは本気で心配してましたが、彼は仕事中に急逝してます。ふるさと納税制度ができる前のことです。
話を戻しましょう。語彙のニュアンスが他の本ではいまいちわからないときは、しばしばこの本 'PEU' が判断の基準になりました。
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今日8/22の夜中1時ころに、ようやく校正と追加編集作業が完了しました。問題数は約12000題、A4判1442頁、厚さ16㎝です。あと3年強分あるので、高校1年生には大学受験までメール配信と添削に付き合えます。
和文に対応する英文は何通りもあるので、慣れてきたら、ひとつの和文に対して複数の解答を試みたらいいですよ。三つ書けるようになったらすばらしい。
三つの段階を想定しましょう。
1st:多少はブロークンでも、とにかく通じりゃいいだけの作文
2nd:気の利いたというか、オシャレな作文
3rd:平易な表現の作文
(日本語でもロジカルな文と平易な文と美文を書き分けられたら文章の達人です。稟議書等の社内文書は専門的な内容を平易な文でそして表や図を使って書くことが求められます。学術的な文章を書いてしまうと専門外の取締役に理解できません。誰でもできるわけではありません、スキルが必要ですよ。ちゃんと書ける人は一流企業でも部長クラスにはなれます。もちろんここにも例外はありますが、一流企業の部長職は概して文書能力が高いのです。高くないと提案を文書にして、社長や関係取締役を説得して業績を自らあげることができないからです。そういう部下がいれば別ですが…じきに追い抜かれます。)
メール配信方式での英作文トレーニングはもとはと言えば、旭川医大を受験する生徒が、高校教科書全部を2年の6月に読み終わり、7月からハラリの’Sapiens’を50頁ほど読んでいるときに、英作文の力を補強したくて500題くらい問題を作ってやらせてみようと思ったのがきっかけでした。2020年の1月14日からスタートして、目標の500題は通り過ぎ、1000題もするする通過して、5000題になったあたりで、生徒のO君は根室高校から旭川医大へ現役合格、もういいかなと思いながら、ブレーキが故障しているのか速度は下がらず、そのまま今年の3月まで作成し、そのご校正作業と追加編集を今朝までやってようやく完了したのです。
途中から、自分の勉強になっていましたね。(笑)
お陰で少し英語力がついたような気がしてます。
英文を書くトレーニングを積み重ねることで読みの深さが増しました。書き手がどういう意図で語彙を選び、そのような表現を選択したのかがわかるようになると、読みの力が増します。これは思わぬ副産物でした。
中3の生徒も高校生も、塾生たちはスマホのアプリ「ターゲット友」で語彙力強化にいそしんでいる様子です。1年後には語彙のベースができあがるでしょう。
たくさん読んでたくさん書く、そしてたくさん聴いたらいい。話すのもやってみたらいい。それぞれスキルとしては別物ですが、相乗効果がでてきますから、「読み・書き・聴く・話す」、それぞれのトレーニングを積むことは英語の学力をアップするために大切なことです。
いつか、読むのと書くのと聴くのと話すのが一緒になります。
日本語環境の中で英語を習得するのはとっても時間がかかり、たいへんなことです。1000時間や2000時間の勉強ではなかなかものになりませんが、めげずに頑張ってください。しんどい時は10分間音読するだけでいいんです。とにかく毎日続けることが大切です。わたしも500題のつもりが、いつのまにか24倍の12000題になってしまったのですからね。
3年分のストックができあがったので、3年先まで一緒に走ってくれる人がいたらうれしい。この英作文問題集ができあがったのは、トレーニングに参加してくれている塾生のみなさんのお陰です。どうもありがとう。
<16cmの厚さになりました、びっくり!>
左側の定規は15㎝まで目盛りがあります。長さは16cmです。
大西泰斗先生の『NHKラジオ英会話』の本文と解説に2倍ほど問題を増量してます。増量部分については引用した文献とそのページ数のメモが入れてあります。増量した文例の20%ほどが大学受験参考書、80%は受験参考書以外から拾い集めました。
10冊ほどの本を丹念に読み、例文をピックアップしてわかったことがあります。大学受験参考書では江川泰一郎著『英文法解説』が優れモノだということです。
大学受験レベルを少し超えていますが、安井稔先生の『英文法総覧』もよい本です。生成変形文法によるアプローチがいい。入門書としてはいいと思います。この本は元々は高校の英語教師用に書かれたものです。
ああ、ここまで書いたらPEUも紹介したくなりました。1978年に中途入社した軍事用・産業用エレクトロニクス輸入専門商社で仕事していた時に、業務課の連中がこの本を使っていました。教えてくれたのは中川さんだった。
昼休みにクラッシックギターの練習してました。ちょっと変わった個性的な人でしたね。もう一人面白い人がいました。技術課の課長の中臣さん。鎌足の子孫かもしれません。気が合いました。営業課長の遠藤さんもユニークな人でした。京セラの黎明期に直接稲森和夫の薫陶を受けた人でした。何度も転職しましたが、営業マンで彼以上の能力の人間を知りません。分野を超えて専門能力の高い人たちと横のつながりがあることは、仕事の上ではとっても大事なことでした。5つのプロジェクトを入社1週間目に背負わされました。オーナー社長の関周さんからそれぞれ課題が明確になった、社運を賭けたプロジェクトでした。全部クリアしたので、財務構造と収益構造ががらりと変わり、10年後くらいに株式上場を果たしています。為替差損の出ない仕組みを作りコンピュータシステムに載せました。「受注残管理・仕入処理」システム、同システムを利用した為替予約方式での為替差損ゼロシステム、3か月ごとに為替レートを反映した円定価表を作成するために「円定価システム」を創りました。これは営業課長の遠藤さんと一緒にやったプロジェクトでした。その後業界初の経営統合システムにそれら全部をまとめる仕事を独りで担っているときに、社長の関さんと開発体制について意見が衝突しました。一度はプロジェクトメンバーを集めて、厳重に抗議しました。その後大きな大きな違反がありました。それで信頼関係が破綻、辞表を出しました。1983年の12月でした。仕事の引継ぎをしてもらいたいとの申し出で、人選が決まり、1か月間退職日を伸ばし1月末で退職。1月に一日休みをもらいリクルート社で転職先を探して、SRLに2/1から勤務してます。営業部長の関さんと総務部長から課長職で転職先の斡旋がありましたが、そのときにはSRLで仕事してましたので、お受けできませんでした。帝人エレクトロニクスと日商岩井のシステム関連子会社でした。「そうだよな」と電話2週間後くらいに電話をもらいました。「オービックの取引先だけで20社ほど輸入商社があるので、移籍してパッケージ開発をしませんか?」という提案でした。それも同じ理由でお受けできませんでした。歩いて5分のところに、たしか三井ビルにオービック本社がありました。SRL本社は同じ西新宿のNSビル22階にありました。芹沢さんはそのご、開発担当役員になっています。
システム部門が実質1人の企業に、こんなに大掛かりなコンピュータシステムを開発できるエキスパートはいません。わたしがプロジェクトで提案したシステム開発をするために、新たなシステム部門を作ったぐらいでした。所属はわたし一人、部長は第2営業部長が兼務。もちろんド素人でしたから、一度も業務指示を受けたことはありませんでした。部長として何していいのかわからず困ったでしょう。引継ぎを命じられたH元さんは被害者でした。社内のパソコン同好会のメンバー。専門家ですらありませんし、アプリケーション分野についても業務課周りの仕事がわかるだけ。日本では経営管理システムではトップレベルのスキルを要するシステム開発でした。まったく経験のない業務課員を指名したのです。社長の関さん、よほど困り果てたのでしょう。経営統合システム開発はわたしが辞職表明をした時点で破綻でした。関さんはそれがお分かりにならなかった。6年間でわたしが国内トップレベルのSEに成長したとは想像できなかったのでしょう。NECにはトップレベルのSEを要求してT島さんというSEが来てました。外部SEがトップレベルでも、まったく新しい実務設計が必要ですから無力でした。自社の社員がそのレベルを超えているとは思わなかった、関周社長の判断ミスでした。わたしの要求を受け入れるしかなかったのです。お友達の外部コンサルのMさんを切ると約束したはずでした。オーナー社長と大事なところで意見が衝突したら、わたしには辞職という選択肢しかありませんでした。でも、あれだけ大きなプロジェクトを5つ、しかも実行部隊はわたし一人だけ、後は役員と部長クラス、それぞれのプロジェクトに課長職が一人ずつでしたが、任せてくれました。関周さんには感謝しているんです。関さんにしてみたら、任せてダメだったら、外せばいいだけ、大きな損失はありませんが、うまくいったら、会社は生まれ変わります。大きな経営改革プロジェクトでした。1978年です、財務委員会、長期計画委員会、収益見通し分析委員会、電算化推進委員会、為替対策委員会の5つ、それと利益重点営業委員会。こちらだけは遠藤営業課長の担当でしたが、営業事務の合理化のために円定価システムが必要なので、結局私が一緒にやることになりました。あれだけの実務を6年間で積むことは他の会社では不可能だと思ったのですが、SRLでもわたしは似たような歩みをすることになってました。社内の重要プロジェクトを任されることが多かったので、問題の解決に必要な部門へ次々に異動して仕事することになります。(笑)
SRLへ転職して東証2部上場準備プロジェクトで、予算が十倍以上の経営統合システムプロジェクトを担うことになりました。8か月で二つのシステムを本稼働してます。2か月の並行ランをへて旧システムからトラブルなしの移行でした。もちろん臨床検査業界初のシステムでした。一度、国内最先端レベルの経営統合システム開発をしてみたかったのです。思いっきり仕事して吹っ切れました。
エレクトロニクスの輸入専門商社はそのご「セキテクノトロン」と社名を変え、2010年頃に業績不振で吸収合併され消滅。同じ年代の同僚たちは持ち株がほどんど無価値になって、たいへんだっただろうと思います。偶然かどうか、三代目の社長は東大出でした。
初代はスタンフォード大でヒューレットやパッカード(HP社の創業者)と同級生。2代目の関周さんは慶応大学大学院経済学研究科のご出身。わたしと専門分野が近かった。三代目はわたしはお会いしていません。1浪して東大に合格したと辞める前の年ころに聞いただけ。わたしが辞めてから25年がたってましたから、もう一度、社内改革が必要だったのでしょう。そういうレベルの仕事を担える人材がいなかった。企業の経営構造を改革できる人材がえられるのは、どの企業だってその規模に関わらず10年に一人くらいなものです。
20年後に、根室の地元企業の半数が人材難で消滅するのではないかと危惧しています。根室高校生の学力の劣化が激しいからです。外部から優秀な人材がそんなに来るわけもないことはみんな知っています。根室市役所はふるさと納税のバブルに踊っています。病院の経営悪化で財政破綻寸前でした。あのきつさを忘れたのでしょう。当時の財政課長はKさんは本気で心配してましたが、彼は仕事中に急逝してます。ふるさと納税制度ができる前のことです。
話を戻しましょう。語彙のニュアンスが他の本ではいまいちわからないときは、しばしばこの本 'PEU' が判断の基準になりました。
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わたしが使っているのは第3版ですが、第4版がでているので、こちらを紹介します。
わたしがもっているのはkindle版ではなくて、2004年の第2版「NEW EDITION」です。コーパスが基になっているので、これはこれで使い勝手がありました。
English Usage (Collins Cobuild) (English Edition)
- 作者: Collins COBUILD
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2022-08-22 10:48
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