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#4715 札幌の進学校の生徒は春休み?:うれしい訪問 Feb. 13, 2022 [65.a 成績上位層にかかわる問題]

<更新情報>2/14朝9時「余談-1」追記

 札幌光星高校ステラコースへ進学した生徒とお母さんが話に来てくれた。中3の時から噂は聞いていたので、かねがね一度会ってみたいと思っていました。H中で断トツ・ナンバーワンの生徒でしたが、わたしのところ(ニムオロ塾)の生徒ではありません。塾へ通わず独力で勉強していた生徒です。すごいね。
(春休みではなくて、Zoom授業なので、帰省して自宅学習だそうです。)
 
 要件は「雑談」です。(笑)
 でも、勉強に話になりますね。1時間半ほど、情報交換しました。高校時代はあっという間に過ぎ去ります。彼もあと2年間しかありません。受験勉強の狭い範囲ではなく、好奇心の赴くままにとことん勉強したらいい。
 話したことを箇条書にしてみましょう。

①解説を見て解き方を覚えるような効率的な学習はするな。
②良問や解けなかった問題にはチェックマークをつけろ。
③チェックマークのついた問題だけを復習すること。
④チェックマークのついた問題は、問題文を読み、解き方の手順を思い出すだけでもよし。そういう効率はとことん追求しよう。
⑤青チャートだけでは演習問題が少なすぎるので、「1対1」シリーズで補え。「シリウス」に替えるのもいい。重要な変更になるので、少し考えてから結論を出したらよい。どれがベストということはない、山の頂上へ上る方法はいくらでもある。
⑥しかし、整数問題は「マスターオブ整数」をやろう。(笑)

 以上は数学の学習についてのわたしの意見。これで共通テストは9割取れる。
 意外だったのは、数ⅠAに1月下旬までかかっていたこと。根室高校普通科も十数年前には1/21から数Ⅱをやっていました。首都圏の進学校ではありえない低速度の授業でしょうね。こんなペースでやっていたら、難関大学への合格は無理です。ペースアップすべきと伝えました。できたら夏休みが終わるときには数ⅡBは終わっていたい。夏休み明けから数Ⅲやらないと、二次試験対策が間に合いません。根室高校から現役で旭川医大へ合格したO君は、1年生の夏休みに『シリウス数Ⅰ』と『シリウス数A』を終了して、『シリウス数Ⅱ』と『シリウス数B』に取り掛かっていました。この2冊を全問やり抜くのに14か月かかっています。模試の問題で解けない問題はなくなっていました。青チャート数Ⅲは2年生の10月からスタートだったと思います。シリウスには複素数がないので、数Ⅲはしかたなく青チャートに切り換えました。英語の教科書も1~3年までの3冊を中2の夏休み前に終了し、7月からハラリ『Sapiens』を読み始めていました。これで英語は2次試験対策がぎりぎりでしたね。
 中高一貫のコースの生徒たちは首都圏の進学校の生徒と同じ進捗速度の授業を受けているのでしょう。つねに首都圏の中高一貫校の生徒たちをイメージして差がつかぬように配慮してました。
 土日は12時間前後勉強できますよ。没頭したら、時間は矢のように速く流れます。
 旭川医大や北大医学部と同じ偏差値65(みんなの大学情報)の旧帝大理系への進学をしたかったら、スケジュールは述べたものがスタンダードです。北大理系総合は62.5ですから、偏差値65の旧帝大理系学部は北大理系よりもかなり上です。

 英語のリスニングの点が伸びないというので、『声に出して読みたい日本語』に載っている早口言葉を言ってもらったら、口が重い。男の子は口がよく回らない生徒が多い。英語の音読トレーニングをやる前に早口言葉で「暖機運転」してからやった方がよさそうです。口がよく回って耳の良い生徒は大した苦労なくリスニングで高得点が獲れる(女子に多い)が、男子で口が重ければかけた時間の割には得点が上がってこない。利回りの悪い投資ということです。
 戦略を変えるべきです。リスニングは6割でいい。2次試験の英語で点数を稼げるような勉強の仕方をすればいいだけ。ハラリ『Sapiens』のようなものを選んで読んだらいい。もちろん好きなジャンルから自分が読みたいものを選んでいいのです。弊ブログのカテゴリー欄44-3. 原書講読講座 Sapiens(47)」に解説が載っていますから、それでよければ利用すればいい。自分で辞書を引き、和訳してから解説を読むこと。翻訳を見ながらやると、どんどん消化できていかにも効率がよさげに見えますが、力はサッパリつきません。外国語の勉強法は片っ端から声に出して覚えてしまうやり方と、悪戦苦闘・呻吟しながら和訳して習得する方法があります。後者は福沢諭吉が大阪船場にあった緒方洪庵の塾塾頭だった時のオランダ語と英語の勉強法です。『福翁自伝』に載っていますから、是非読んでください。受験勉強だけでは、将来使い物にならない社会人になります。後で理由を述べます。

 共通テストで高得点を獲るような、過剰に受験に特化した勉強をしていると、難易度の高い2次試験問題では高得点できない。 受験勉強への過剰適応はもちろんダメ。 人間精神のバランス破壊という強い副作用が出ます。
作文問題でも問題を抱えているというので、いま、中3と高校生に配信しているメンバーに参加してみるかと誘ってみました。  英作文スキルがアップすると、読みも深くなり相乗効果が期待できます。
 英語は音読、ひたすら音読、そして英語の語順通りに理解するトレーニングを積み重ねたら、チャンク単位で先読みがある程度できるようになります。
 日本語の先読みトレーニングの仕方とその効果を説明しました。
 物理は米国の標準的な物理の教科書ぐらいは読んでおくべきです。 専門用語に慣れておいた方が、大学院受験の時に有利です。 大学へ入学したら、物理の専門書を数冊読んでさらにブラッシュアップしたらいい。 理系は大学院でドクターの学位をとらないと通用しない時代です。
 高校2年で英検準1級が取れたら、カーネギーメロン大学やスタンフォード大学、マサチューセッツ工科大学への進学を考えたらいい。
 例えば創薬の分野は生物と化学と物理屋(そして地学も)さんがしのぎを削っている分野です。 九大の角田教授は真菌の研究者、創薬にかかわる研究をしていますが、先端研究分野はこれら生物・物理・化学の垣根がなくなっています。釧路の教育を考える会の角田会長のお子さんです。現在の根室の教育長さんのお父さんと角田さんがお付き合いがあったそうです。旭川の自宅へ伺ったときに、まだ小学生だったと仰っていました。「根室市の新しい教育長はどうですか?」と角田会長。

 お母さんの方と話したことは一つだけ。
①彼は高校生だからもう9割大人として扱おう
 目標設定も、それに向けての努力も自分次第、もう放っておこう。 それが母親にいまできる最大の仕事。 自立を促すのは母親の大切な役割。 それで自分も子離れできるし、子どもも自立できる。 よく世間には子どもをがんじがらめに管理して東大医学部に入れましたなんて母親がいますが、あれは最悪です。 自立の機会を奪ったのですから、社会人になっても自立できず、深刻な副作用が出ます。 受験勉強しかできない専用マシーンになってしまうんです。精神を病む確率が一桁あがります。
 そういうことを踏まえてとっても大事な要点を書きます。 中高の時代は思春期、思春期は一度っきりです。 その時期に経験して学ぶべきことがあります。異性関係も含めて 対人スキルですよ。 コミュニケーションスキルやリーダシップはこの時期でないと獲得できないのです。 背伸びしてレベルの高い本も読まないといけません。 受験勉強が忙しくて難易度の高い本を読む時間がないなんて言うのは論外です。 意見が分かれるでしょうが、大学のランクを落としても読むべきです。

<余談-1:個人的な経験から>
 京大理系や一橋大学や慶応大学、東大理三(院卒)などの出身者十数人と一緒に仕事してきました。 東大理三は使い方次第でしたね。 器の大きい上司が仕事の差し立てをちゃんとしてやればいい仕事ができます。 使う人間の力量次第です。
 一流大卒の半数はアウトでしたよ。 マネジメントができません、理由があるのだと思います。 部長職にしたら問題が出て、降格あるいは心の病で会社を退職せざるを得なくなるようなきつい状況に追い込まれます。 役職が高くなると責任も重くなるからです。 コミュニケーションスキルやマネジメントスキルを育てる大事な中高生の時期を受験勉強に時間を割きすぎたのだと思います。 わたしの推論です。
 一流大卒でも例外がいます。どんな大学でも、マネジメントスキルと対人スキルの両方が高い人間は3%くらいなものです
 関商事(上場時には社名変更し「セキテクノトロン」)の社長だった関周さんは慶応大学大学院経済学専攻科修了、SRL社長だった近藤俊之さんは慶応大学医学部卒(慶応大大学院医学研究科で特別講義を「もっていたことがあるので博士かもしれません)、東和フードの岸野社長も慶応大学卒でしたが、三人とも出色の経営者でした。 20代後半、40代、50歳前後にこれら三人の社長にお仕えしましたが、それぞれの社長の片腕、経営参謀でした。臨床治験のデータ管理会社の合弁相手だった帝人の石川常務と松崎専務はどちらも一橋大でした、なかなかの人物でした。赤字部門の合弁会社を3年で黒字にしてから申し入れましたが、合弁解消と帝人の臨床検査子会社買収の提案を笑って受け入れてくれました。「合弁やると決まって経営が行き詰まり、帝人側でひきとることになるのがいつもの例、まるで逆、こんな申し入れは初めてです」、社員ごとSRL(臨床検査の最大手の企業)で引き取ることで応じていただきました。帝人本社のエリートは一ツ橋が多かった。以上は、一流大卒の中の優れた経営者たちの例です。出身大学のレベルに関わらず、優れたマネジメントのできるのは3%以下でしょうね。

 わたしは、小学生の時からビリヤード店の店番を任されていたので、大人と毎日話したりお客さんのゲーム相手をしてました。 夢中でするゲームには人間の本性がでます。 さまざまな職業の人が常連客でした。 視界の先生たち、腕のよい大工や肉屋さん、根室信金職員、銀行員、個人商店主、学校の先生、珠算塾の先生、さまざまな職種のサラリーマン、人間観察とそれぞれの人ビリヤードをすることでどういう仕事の仕方をするのは推察がつくようになりました。 正確性と美的感覚を追求する根室信金職員のO田さんはサラリーマンには向いていませんでした。 腕の良い大工のH田さんは人っ子がよすぎて危なげ、よく働き、よく遊び、よく飲んでました。 ときどき、工事代金を取り損なって困ってました。 昭和天皇のビリヤードコーチだった札幌の吉岡先生は白髪の品の良いお爺さんでした。 札幌で彼女と歩いていた時に「トシボー」と大きな声で呼び止められて吃驚したことがありました。ライオンズクラブで献血運動のお手伝いをしてました。にこにこしながら「トシボー献血していけ!」、「はい!」、彼女にちょっと待ってもらいました。 歯科医の福井先生は根室新聞へ連載小説を5年間は寄稿していました。歯科医の 田塚先生は短歌を詠む人でした。軍医で華北平原へ出征して、敗戦後引き揚げています。その折々の風景と感慨が短歌に読まれています。国後島の蟹の大漁師の一人息子でした。若い衆を何人も使って漁をしていたそうです。当時は蟹が多かったから、大金持ちでした。 先生の遺稿集は根室印刷の創業者で考古学者・文学博士の北構保男氏が編集者となって根室印刷で印刷・発行しています。 彼らお二人は根室商業の同級生でした。 高坂さんと北構さんと田塚先生の3人で一緒に東京へ進学しています。東京のデパートで三人で撮った写真を弊ブログのどこかにアップしてあります。田塚先生だけハットをかぶりウールのコートです。北構先生は根室商業の学生帽と学生服姿です。田塚先生は仕事が終わるといつもハットをかぶって来られました。店にあった帽子掛けはオヤジが田塚先生のために備えたものだとわかったのは、二人とも亡くなってから、昔を思い出して気がついたことです。オヤジも中国大陸を歩き回った後で落下傘部隊へ入隊しているので、気が合ったのでしょうね。「五郎さん」「田塚先生」、田塚先生が2つくらい年長だったかな。ああ、そうです、田塚先生は大正8年4月1日生まれです、遺稿集に載っていました。二女の恵子さんが、小中高と同級生でした。

 そうでした、中高の時代に経験しておくべき大事なことがあるという話でした。 わたしは根室高校生徒会会計でした。 その当時は生徒会・会計は選挙ではありませんでした。 学校側の任命制でしたが実質的には先輩からの指名です。 仲野先輩がわたしを指名してくれました。 その時まで一度も口をきいたこともありませんでした。 生徒会会計は生徒会の入出金の帳簿をつけて、決算をします。 だから簿記に堪能な生徒が選ばれていました。 全クラブの予算は生徒会室に個別に部長と副部長を呼んでわたし一人で予算折衝をしてました。各部の 部長は先輩ですが、割り振った予算がなぜその金額なのかの説明をします。 活動実績を見ながら公平にやっていました。 どういうわけか、転職の都度、予算編成と管理をいきなり任されてましたが、40億円の予算規模でも300億円でも、やり方は同じでしたね。 事業部ごとに実績と将来性を判断して理解と納得ずくで予算割りしていくだけ。 1兆円の予算でも同じことです。
高校の時に「丸刈り」の校則改正をやりました。根室高校男子生徒は丸刈り坊主頭にしなければならなかったんです。 校則改正を提案したら生徒会の副会長の先輩2人(古御堂さんと端谷さん)が1年生のわたしに「お前がやれ」というのです。 父兄にアンケートをとって、修学旅行の3か月前に全校集会を開いて校則改正し、髪を伸ばして修学旅行へ行きました。東京・大阪・京都・奈良、11泊12日の修学旅行でした。 こういう経験が後にいくつもの会社で経営参謀として経営改革をやるのに役に立っているんです。 権限がなくても、権限をもっている人間がバックで支えてくれたら、どんな経営改革でもできます、実際に何度もやってきました。
 ⅢGには総番のヒロシもいました。 とってもユニークなクラスでした。 あいつとも馬が合いましたね。 ヒロシは自分の損得では動かない男でした。 大学行こうってわたしを誘ったのは総番長のヒロシなんです。 わたしは大学進学のつもりがありませんでした独学で勉強して公認会計士になるつもりだったのです。 ヒロシは恩人の一人ですよ。
大事なことを思い出しました。 根室商業時代から続いていた総番制度の廃止です。 同じクラスだった郡部の青野とヒロシとわたしが相談して決めましたが、やったのは100%ヒロシです。 青野は郡部の悪(ワル)の系譜に連なっていたし、わたしは5つ年上の親戚Mさん(じっさいには「Mちゃん」とちゃん付で呼んでいました)が野球部キャプテンで総番長でしたから、その縁で関わることになりました。この3人を2年の時に同じクラスにしたからやれたんです。 高校1年生の時にそのMさんがわたしに根室商業時代から伝わった仁義を実演して見せてくれました。 「お控えなすって、さっそく控えなすって下さったありがとうにござんす、手前生国発しますところ...」というあれです。 小さく折り畳んだ台詞を書いた小さな紙をその時にもらいましたが、机の中に入れてたまま、高校を卒業してから紛失してしまいました。 昔は元気のいい生徒が少なくなかったので、やくざとのもめごともたまにはあったんだそうです。 そういう時に、根室高校を代表するのが総番長でした。 「台詞を間違えたら、殺されたって文句は言えない」、そう言ってましたよ。 やさしい「お兄さん」でしたが、お祭りの時だけは目つきの鋭いのを十数人後ろに従えて、足駄を履いて肩で風切って歩いてくるんです。 その日だけはおっかない顔してました。
 やくざの親分のTさんもビリヤードの常連でした。 幹部4人ほどしか店への出入りを認めてませんでした。 三下が一度用事があって来たら、「この店へは来てはならん」と叱ってました。 お店ではとっても紳士ですが、一度お祭りの時の場所割りで、何か意に添わなかったことがあったようで、屋台を一つぶっ壊すところを通りかかってみたことがありました。 お袋が、亡くなる数年前に、「お前が高校生の頃、Tが言ってたよ、「息子に何かあったら、俺に言ってくれ」」と、笑ってました。 Tさん、人を見る目はたしかでしたね。 わたしの中に隠してあるものを見抜いていました。 一つ間違えたら、危ない奴だったんです。
(小学生の時に石炭ストーブの焚き付けを素手で叩き折ってました。たまに生木も混ざっていました。しなるのですが、打撃速度が大きいと折ることができるんです。拳と手刀で叩き折っていました。大きな鉞で五寸角の廃材を数十回叩いて叩き折って焚き付けにしてました。あれは背筋力を異常に大きくします。200㎏前後ありました。踏み込まないで腰のひねりだけで、180kgの打撃力がありました。感情が激して人を叩いたら殺してしまいます。一度も人を叩いたことがありません。)
 暇なときはお客さんのビリヤードの相手をしますが、Tさんは一度もわたしにゲームしようと言ったことがありませんでした。 元落下傘部隊員のオヤジには一目置いていましたから。 Tさん、ご同業でもないのにわたしの母親のことを「姉さん」と呼んでいました。 Tさんを見ていたから、目の奥に危ない光が宿る紳士的な人にはアラームが自然に鳴ります。 予測の範囲ですから、豹変しても驚きません。 平然と相手の目を見て受け止められます。にこっとするだけでいい。そうするとこいつには脅しは利かないと相手にも伝わるんです。落ち着いてるから、何が出てくるのか相手には読めない、危ない感じはするのでしょう。そういう勘はこの種の人たちはとってもいい。東北の臨床検査会社に1億円の出資交渉をまとめて、出向したら、3人そういう類の人とのお付き合いがありました。君子危うきに近寄らず、誘い方がうまい、でもちゃんと距離を置いてました。

 こうした対人スキルとリーダーシップはすべて中高の時代に身につけたものです。 無駄なようですが、人生に無駄なことなし。 無駄と思えることほどあとから効いてきます。 (笑)

話したいことがあったら、ニムオロ塾生や元ニムオロ塾生でなくても遠慮しないで来たらいい。 大人と話す機会は視野を広くする。 頑張れ、根室っ子!

<余談-2:昨年O君の成し遂げたこと>
偏差値65の旭川医大へ偏差値45の根室高校から現役合格したO君のことを書きます。道北・道東推薦枠への応募者26名のうち、半数を共通テストの得点で足切り、残りの13人を面接試験と小論文テストで審査。 共通テストの得点との合計点で10名の合格者を決めています。 トップ合格は道内の進学校の浪人生ですから、現役生ではトップ合格でした。 だから、医学部現役合格でも値打ちが違うんです。 道内外の名だたる進学校からの現役受験生をなで斬りにしての合格だったのです。 そんな大それたことが、根室高校からだってやれるのです。 やりかたは弊ブログに書いてあります。


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