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#4149 第45回柏陵中学校吹奏楽定期演奏会:文武両道の悩み Dec. 14, 2019 [87.根室の話題]

<最終更新情報>
12/15朝10時半

 今日(12/14)午後7時から、総合文化会館大ホールで柏陵中学校吹奏楽部の定期演奏会があった。
 地区大会で金賞を射止め、札幌キタラホールへ。そのときのエピソードを副顧問の先生が面白おかしく語ってくれた。ひとつは男子部員のズボンのファスナーが上がらなくなったこと。応急処置で事なきを得た。(笑)
 慌てたけど、緊張がとれたそうな。

<演奏曲>
●第一部
♪ マーチ「プロバンスの風」
♪ 繚乱~脳「桜川」の物語によるラプソディ
♪ ミュージカル「ミス・サイゴン」より

●第二部
♪ Pretender
♪ 北酒場
♪ 3年生によるアンサンブル
♪ 千と千尋の神隠し組曲
♪ クリスマスメドレー~同様Ver.~

 30人も部員がいるから、市街化地域の3中学校では一番大きい編成である。これだけ人数がいると音の迫力が違う。パーカッション担当の人、とっても忙しかったね、よく眠れると思うよ。(笑)
 根室高校の吹奏楽も新入生がどーんと入部してくれたらいいね。さて、何人が高校でまた「文武両道」を貫くのだろう。スキルは上がるが両立は根性いるよ。高校は予習方式で勉強しないと間に合わないから、すぐにでも切り換えたらいい。トレーニングメニューが大切だね。基本は毎日繰り返していないと感覚が鈍ります。楽器の扱いはわたしにはわからないが、ビリヤードのスキルはセミプロクラス。基本トレーニングメニューはノート-20枚くらいあります。高度な技術に関するものもあるから、50ページほどあるかな。アーティステック・ビリヤード世界第2位の町田正さんは、鉄のキューをつかって素振りしてました。わたしは町田先生(お父さん)に数回習ったことがあります。スリークッション世界チャンピイオンの小林先生にもね。だから、基本トレーニングの大切さや、理論研究の大切さを知ってます。素振りを毎日欠かさず、基本トレーニングを毎日1時間ほどやり、理論研究しながら高度な技を磨いたら、驚くほど高速で上達できます。小林先生の新大久保のお店の常連会仲間に駿台の荒木重蔵先生(数学)がいましたが、かれは五種目チャンピオンのディリスのサマースクールに何度かヨーロッパに行ってました。とっても上手でした。研究ノートを見せてもらいました。それからわたしも研究ノートをつけるようになったのです。
(ヨーロッパでビリヤードは貴族のたしなみなんです。幼いころからコーチがついて、ビリヤードを習います。キャロム・ゲームが主流です。穴の開いた台でやるゲーム、ポケットは米国で流行したものです。あれは品がありません。昔はボールに象牙をつかってましたから、数年使うと瑕がついてしまうので、削ります。小さくなったボールを集めて始めたのがポケットでした。わたしは、昭和天皇のビリヤードコーチの吉岡先生、平成天皇のビリヤードコーチの小林先生に習ったことがあります。令和の天皇のコーチは町田正さんです。かれとは3ゲームだけボークライン・ゲームをしたことがあります。もちろん、問題外でした。八王子駅前のシルクハットというお店で。どういうわけか先生には恵まれてます。先生という職種であるお医者さんにも、幸せ者です(笑))
 楽器の扱いもおんなじでしょうね。基本トレーニングを欠かさず、理論研究を続け、スキルを磨きながら、30年は楽しんでください。毎日1時間、30年続けたら、1万時間を超えます。そこまでやると、別の世界が見えてきますよ
 柏陵中の吹奏楽部の定期演奏会に行ったのはこれで3度目。趣向が毎年違うから楽しい。心の洗濯になった、どうもありがとう。心の底から感謝。

①第一部は制服姿で登場
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②第2部はジーンズ
SSCN3226.JPG

③3年生のアンサンブル
アルトサックスに持ち替えて、ソロパート
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④3年生、全員集合
 小さくて、ピンボケでごめん。
SSCN3245.JPG


<啓雲中学校吹奏楽部第29回定期演奏会は明日!>
 14:30開場 15:00開演
 総合文化会館大ホール
 再来年、光洋中と統合されるので、啓雲中としてはあと2回で終わりです。時間があったら、聴きに行ってあげてください。聴衆が多い方が演奏する方は気合が入ります。

<余談:文武両道>
 吹奏楽部は練習がきついから、どの中学校も週に6日ぐらいの練習は普通だった。文武両道が北海道教育委員会からも言われて久しいから、この数年間で状況が変わってきているのだろう。大谷翔平の「文武両道」ポスターが道内の中学校全校に掲示されたいたことがあったのは5年前。
 練習の質を高くして、短時間でトレーニング成果を上げるのはなかなかたいへんだ。がっちり「文武両道」なのは10人に一人くらいなもの。柏陵の3年生は二人だったかな?我慢強い子だろう。10人中6人は両方の間を行ったり来たりして、勉強のほうに焦りを感じている。それが普通だ。3人は勉強がお留守になっているということかな。家に帰ったらスマホをお母さんに預けて、勉強し終わってから受け取らないと、いつまでも勉強しないことになる。預けてみたら?悩みながら、「文武両道」続けたらいい。素晴らしい演奏だった、来年も楽しい定期演奏会を期待している。

#2615 「文武両道」 大谷翔平からのメッセージ:北海道教育委員会制作ポスター Mar. 13, 2014
https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/2014-03-13

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 演奏会が終わって歩いて家へ戻ったが、雪が降り始めていた。午前零時半になって窓の外を見ると、銀世界である。

<余談-2:OBたち>
 柏陵吹奏楽部、ニジ(クラリネット)、スガ(フルート)、アヤノ(パーカッション)、ユウカ(テナーサックス)、リョウタ(トランペット)、卒業年次が違うがみんなしっかりしっかりやっている。一番勉強しなかったユウカが帯広畜産大だから、人生はわからないものだ。テナーサックス担当だった。今日の演奏ではだれだったかな?リョウタだけが商業科へ進学した。朝起きられない生徒で中学時代は遅刻ばっかりしていたが、高校では遅刻しなかったようだ。学力高いのに普通科行かずに商業科へ、そして五種目1級を取得して卒業していった。道内のどこかの大学へ推薦入学したのだろう。あいつに簿記は教えていない。そのまえの五種目1級はセイジだった。高校入試当日の夜から簿記を教えた。5か月前から普通科志望のカズノリに簿記を教えていた。カズノリは公認会計士資格とって数年仕事してから、医学部へ進学という夢を描いていた。「セイジは事務情報科だから本職、負けるな」と叱咤激励。負けん気が強くて努力家だった。情報科目のプログラミングの1級を卒業直前の2月に受験して合格しているから、6種目1級取得、北海商科大へ進学したと聞いている。とっくに卒業したはずだが、就職の心配はなかっただろう。普通科1年生の11月に日商簿記2級(全商簿記実務検定1級相当)に合格したのはセイジと啓雲中で同級生だったN村君だった。あれが、根室高校歴代最速記録だ。中3の10月ころから簿記を教えた。学校と地域の協力があれば、力のある生徒はどこまでも伸びる。
 僻地の根室で、高学力の生徒たちの能力を存分に発揮させてやるには、学校と私塾の連携が大切なのである。


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コメント 2

とんとろ

お久しぶりです。いつも楽しく記事を読んでいます。ebisuさんのご実家のビリヤード店は今喫茶店の所ですか?親戚がご近所物語だったかもしれません。[ウッシッシ]
by とんとろ (2020-12-07 16:19) 

ebisu

とんとろさんへ

ビリヤードは2軒ありました。家は昭和25年ころの創業です。もう1軒は昭和39年ころ、歩いて2分ほどの距離でした。
お店の場所は北海道銀行の真向かい、梅ヶ枝町3-26です。北海道銀行の建物は元NTTでした。小学生のころ基礎工事が始まり4mくらい掘り下げていました。うっすらグリーンがかった灰色の粒子の細かい粘土層でしたね。帯水層があってあの辺り一帯は地盤が弱いのです。
信金さん前の交差点は小学生のころに根室で初めて信号がついた場所です。早朝に陸揚げされたサバを花咲港から荷台に満載してトラックが信号で止まると、サバがばらばらと道路に落ちるんです。缶詰工場に急いて運ばなきゃいけませんから、運転手が「拾って食べて!」と叫びます。近所ん皆さんとアスファルトで跳ねているサバを数匹いただきます。30-40㎝の丸々太った脂の乗ったサバでした。
花咲通り沿いに角から順に、緑菓子店(二女のヤッコが幼馴染)、そこからお菓子の卸のお店の第一商事、奥田時計店、北球ビリヤードの順でした。居酒屋「酒悦」の名前を憶えている方は60歳以上でしょうね。お袋が始めた店でした。根室で一番お酒の量が売れた店です。
途中からオヤジが参加して焼き肉屋になった。若い時に釧路で修業したことがあるんです。釧路の屠場の責任者が兄弟子で、直接いい肉を仕入れることができました。ずいぶん流行ったお店でした。お陰で大学進学させてもらいました。小学生低学年から高校卒業までずっとビリヤード店の手伝いをしてました。勤労少年でした。(笑)
球を撞くのが楽しかったんです。夢の中でもビリヤード台が出てきてずっと撞き続けるんです。たのしかった。
御贔屓にしてくれたみなさんたちどうもありがとうございます。
歯医者の福井先生、田塚源太郎先生、阿彦さん、中央ハイヤー社長だった斎藤さん(腕がよかった)、警官の照井さん、信金の太田さんともうお一人いらっしゃった。高校生のときから通い詰めた青年実業家だった西井さん(構えが精悍で全日本チャンピオンクラスのキュウの切れのもち主)、その同級生の浅草軒の息子さん、運動神経抜群で何をやらせても切れのいい「やんや」のケンジさん、弟の「タケシ」。大工の羽田さん、明光商事創業者の稲葉さん(兄のほう)、ヘンミの土田さん、ヤクザともめごとを起こした北洋相互銀行員の血の気の多い職員さん。ヤクザの親分のTさんが幹部3人しか店への出入りを許しませんでした。3人とも礼儀作法はしっかりしてました。必要に応じて豹変できるんです。店では一度も見たことありません。わたしが高校生のころはカニの密漁を始めてずいぶん儲けていたようです。「特攻船」なんて言ってました。船外機を3基もつけて、ソ連に見つかったら、かごを棄てて逃げるんです。もさもさしてると拿捕されたり、機銃掃射されかねません。命懸け。
みんな若くて元気でした。
by ebisu (2020-12-07 22:33) 

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