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#3320 部活の「休養日」推進(いまさら?とは思うものの) June 7, 2016 [55. さまざまな視点から教育を考える]

 ブログ「情熱空間」が部活について取り上げているので転載します。
 部活のやり方って民間会社から見るととっても大事なんです、何が大事かっていうと、挨拶が大きな声できちんとできる、上下の立場をわきまえて言葉を使い分けられる、自分たちの短所と長所を分析して、日々トレーニングの仕方を工夫できることなんです。短時間で効率的なトレーニングを工夫することは、民間会社へ就職してから、短時間で効率的な動きをする上で不可欠な要素なんです。

 これにたいして、だらだら長時間毎日やる部活は最低で、そういう部活を3年間やった者は、すっかりそれが癖になって、社会人になってからも仕事の手は抜く、だらだらやる、お客さんへ口の利き方を知らない、とまあこんなことになります。

*http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8477481.html
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2016年06月07日

部活の「休養日」推進(いまさら?とは思うものの)

多忙感の解消。

そのお題目、正直気に入りません。そもそも本当に忙しかったなら、忙しいなんて感じる暇なんかありません(笑)からね。たまたま忙しいとか、中途半端に忙しいとか、繁閑の開きが大きいとか、そういう時にふと多忙感というものを覚えるものなのだろうと私は思っています。でも、経営者兼社会保険労務士としてやはり、業務の効率化は実に大きな宿題ではあります。はい、「多忙感の解消」ではなくて「業務の効率化」です。で、思うことです。

そんなに多忙感がどうのとか言うのなら、まず部活動から整理しましょうよ。
だって、やりすぎなんだもん。


でも、なかなかメールやらラインでのやり取りを終えられずに夜更かしをしてしまう中高生のように、「周囲がまたそうなんだからなかなかやめられない…」というのが本当のところなのでしょう。ならばもうトップダウンで決めちゃう以外にありませんね、それって。

世の中、週休二日制が主流なんですよ。土日を基本に週に二日お休みって会社が多い。なのにどうして、部活をやっている中学生には休みがないわけなんですか。それ、「おかしい」って、いや、「ものすごくおかしい」って思わないんですか。おまけに、効率とはほぼ無縁というケースがやたらに多いし。

大人は限られた時間(拘束時間)の中で日々仕事をしているわけですね。だからその時間内で仕事を終えるのが基本であって、終えられなければ残業なんですよ、残業。時間外労働ですよ。そしてその際には残業代、割増賃金がもらえるんですね。それなのに、子どもの部活は残業前提で組み立てられているって、誰がどう考えてもおかしくはありませんかね。

でもって、その子どもの部活が足枷となって多忙感云々ってのは、まさに本末転倒ってやつですよ。つまり答えは単純にして明快、ええ、これ以上明快な答えなんかありえないわけですね。

まず、部活の活動時間にルール(上限)を設けましょう。
子ども達には、きちんと休養日を確保しなさい。
休養日の確保ありきですよ、それが大前提。
そうしたならば、嫌でも「練習の効率」に目が向きますよ。
限られた時間の中、いかにして結果を出すかの研究になりますね。
限られた時間の中、子どもらも練習に全力集中ってことにもなります。
めりはり、そしてけじめというものを、子ども達は日々学ぶことになります。
子どもには休養時間が確保され、指導者の側の多忙感もまた解消される。
これでお互いに万々歳。
それでもまだ上を目指したい子は、休養日に少年団などに集約すればいい。


というわけで朗報です。子どもを休ませ、教員もまたそうしなさいとのお達しだそうです。でもしかし、正直「いまさらかい?」ってのが私の感想だったりしますが。(^∀^)

●日本経済新聞
部活に「休養日」推進 教員の長時間労働解消へ文科省
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG07H1Z_X00C16A6CR0000/

《追記》
北海道では、平成25年にこうしたリーフレットが配られています。全国に先駆けて「休養日」推進を呼びかけたということですね。

●北海道教育委員会
リーフレット「時間の目安を決めて子どもの生活リズムを整える!」
http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/gky/gks/jikan_meyasu.htm


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コメント 13

tsuguo-kodera

 おはようございます。久しぶりに昔話をコメントしたくなりました。
 部活は週3日、1日2時間でたくさんです。高校生でも中学生でもです。小学生なら部活はいりませんし、クラブ活動も勝手に下校時間まで遊んでいたら良いのです。
 昔の経験談を止めようと思っていたのですが、あまりにバカな話を管理人さんたちが書き合っていたので、またします。
 私の時代、水曜日と土曜日は午前中だけ、2時が下校時間でした。弁当を食べて遊んで帰る。先生は水曜日は職員会議をしていました。
 平日、小学校の先生は毎日下校時間の3時半に帰りました。生徒の下校時間と同じでした。週1回日曜が休み、土曜日はまさに半ドンでした。
 高校と中学の先生は週一で研究日があり、火曜日に父は家で数学の問題を作っていました。水曜日にやはり職員会議があり、6時に帰ってきました。2時間ほど職員会議があるのが普通のようでした。
 高校の非常勤を11年前に始めて、理事長に研究日は何時ですかと質問しました。お休みは何時ですか、と。何でしょう。日曜日は休みです。
 当時は土曜日も登校日、びっくりしました。今は知りませんが多分、皆さん仕事が好きですので、早朝から夜遅くまで、部活や補講をしているのでしょう。(笑)
 今の先生は部活や補講が好きな生き物なのでは。昔の生徒は勉強嫌い、部活嫌いが、私のように体制派。体制派はくだらない映画を新宿や銀座に見に行きました。
 今はそのような生活が私を創り良かったと思っています。やれば何でも得るものはあります。勉強でも部活でも講義でも。でもやる人が好きなことでないと得るものはない。好きにやれる、公序良俗に反しない、飲む打つ買うをしないことをさせることができないといけませんね。
 世事に疎い先生はますます仕事にならない時代なのでしょう。やはりこの国の未来はないですね。勉強も部活もクラブも花札も得意な私に教育界の人から仕事の依頼がないからです。
 今日もこれからバドおばさんクラブで遊んできます。そのうち、私のブログにクラブの子供の真の姿を投稿しましょう。しばらく投稿を控えて、依存症にならないようにしろと山の神が言っていますが。
 南無阿弥陀仏。
by tsuguo-kodera (2016-06-08 04:23) 

ebisu

koderaさん

おはようございます。
たいへん参考になるご意見、ありがとうございます。

koderaさんとわたしは3つくらいしか違わないはずですが、団塊世代のわたしは、水曜日が半ドンだったことはありませんでした。東京と根室は事情が違ったのかもしれません。

>勉強でも部活でも講義でも。でもやる人が好きなことでないと得るものはない。

そのとおりだと思います、そして、好きでもやり方が悪いと得るものは悪い癖や悪習慣が身につきます。根室では部活を熱心にやっている中学生の半数が家庭学習習慣がほとんどありません。週に4日間6時半までやると、7字に家に着き、ご飯を食べると疲れが出てきて、テレビかスマホ、そしてお風呂に入って就寝。土日も練習です。それでも10人に3人くらいは勉強している生徒がいます。基本的に気力と体力のある者です。体力がないのに部活をやっている生徒はつかれきって勉強どころではありません。普通は1年もやっていたら体力も気力もつくものなんですが、事実はそうではない者が3割いそうです。

昔は中学生で部活をする生徒は3人に一人もいなかった。「部活をやっていないと内申点が下がる」なんて神話もありませんでした。だから放課後は好きなことがやれました。
家の仕事や家事手伝いをしている生徒も多かった。小学生のころは冬は石炭ストーブでしたから、焚きつけ割りも子供の仕事でした。お風呂も石炭釜でしたから、沸かすのも子供の分担。小4のころに水道が整備されたので、それまでは井戸水汲みと運ぶ作業も子供の仕事でした。体を動かすことが多かった。

小学校では少年団活動は野球だけあったかもしれません。放課後はみんな学校で遊んでいました。冬になると放課後は花咲小学校の裏山がソリやスキーをすべる子供たちでにぎわっていました。とにかく外遊びが多かったから部活なんてやらずとも体力はついたし、運動音痴の子供も少なかった。

もうひとつ事情が違うのでそれも書いておきます。
ほかのクラスがどうだったのかは知らないのですが、小学校では担任のT木先生が、ときどき「算数授業がわからなかった人は放課後残れ!」って生徒に号令かけて、頻繁に補習してくれました。少数同士の乗除算や分数計算は昔も苦手な生徒が多くて、授業時間だけでは間に合わなかったのです。担任の先生はそれを放置はしませんでした。部活がなかったので、放課後先生が遊びや補習に付き合ってくれたのだと思います。

57年前とはずいぶんと事情が変わっています。

>私のブログにクラブの子供の真の姿を投稿しましょう。

期待してます。(笑)

by ebisu (2016-06-08 08:58) 

ZAPPER

上司に多少叱られてもへこたれない。
根性もある。

会社で体育会系が好まれたのはこの点です。ところが最近は様変わりした感があって、「本当に君、体育会系だったの?」と驚くくらい、へこたれるわ根性もないわ、そうした若者が増えちゃったんですね。で、なんでそうなっちゃったのかを考察してみると…。

1.好きな部活だけはやるけれど、挨拶をちゃんとするとか生活習慣をきちんとするとか、勉強も手を抜かないとか(親も子も部活指導者も)、そうしたことを軽視してきた。

2.ただ闇雲に長い部活の練習時間、効率とは無縁のそれが、子ども達から「めりはり」「創意工夫」、そして「考えること」をすっかり奪ってしまっている。

そこに帰着してしまいます。短期集中、メリハリ重視。しかも楽しく。そうあってもらいたいですが。
by ZAPPER (2016-06-08 10:45) 

ebisu

ZAPPERさん

たしかに、部活をやっていても打たれ弱い生徒が増えました。
なぜそういう変化が起きているのでしょう?
上下のけじめがなくなったことが主要な原因のような気がします。先生と生徒、部活の先輩と後輩、言葉のけじめがなくなっています、タメ口です。
後輩が両足をそろえて、姿勢をただし、気合の入った挨拶を先輩にする、なんてこともなくなりました。

そういうところをおろそかにしてきた結果です。
礼儀はちゃんと教えてもらいたい。
しかし、先生自身が挨拶をちゃんとやれているのか、そこから点検ですね。
by ebisu (2016-06-08 12:33) 

tsuguo-kodera

 この領域になるとコメントが止まりません。我が同級生の抜群の乱暴者は今は成城学園の中等科から大学までの野球部総監督です。
 小学校時代、私しかキャッチャーができないほど速い球、ホークボールもあり、ショートバウンドで金的を当てるのが怖かった。
 中学高校と3年生の時エース、大学も3年4年エース。彼が中等科から大学まで落第がなかった理由は分かりますか。
 彼は夏休み強化練習がある日に帰りがけ家に来て、「先生落第しそうだから教えてくれ」と寄って帰りました。急に予約もなく、上半身裸でです。父はお金もとらず彼に数学を教えてもらっていました。
 逆に家の兄は高校3年で理科が1をくらい、大学推薦不能になりそうでした。平均点が3マイナス以上でないと進級できない仕組みでした。
 父が仲良しの理科の先生に夏休み家庭教師を頼みました。成城学園中学の校長でしたので暇人、兄は二学期は4、3学期は5になり、楽に平均点でも3近くになり合格となりました。
 兄は全く勉強しない生徒でした。大学で野球部のエースになり、東海大学と優勝争いを毎シーズンしていました。首都大学シリーズは兄と東海大学の野球人脈が作ったものだと言えるでしょう。毎晩のように大学時代は午前様、それなのに阪神に行った人とも投げ合っていたのです。アンダースローの10勝前後の人、村山の次の時代だったのでは。
 要するに昔は先生が勝手に教えてくれたのです。行けばすぐに、その場でただで。ゼロ円ですよ。個人塾などなかったからです。あったのは代ゼミと駿台程度でしょう。
 代ゼミで受験の神様と言われていた先生も成城学園高校の日本の歴史の先生でしたよ。でも私は彼は全然信用できなかった。敗戦で転向した軍国主義の先生だと叔父たちから言われていたからです。シベリアの生き残りでもありました。シラミの話しか面白くなかったし。
 現実に、彼の大学受験問題予想は大外れでした。明治以降が出ると言ったのに問題は皆無。そこを中心に勉強していたので、危なく落ちるところでした。全集物を眠気覚まし読んだのが救ってくれただけでした。
 一方、父は何も教えてくれませんでした。でも私が退屈し、暇になり、父に練習問題をお願いしました。試験の1週間前のこと。
 何と父の作ってくれた練習問題4つのうちの1つに、数一の問題、しかも一番の難問が瓜二つだったのです。それで私は調子に乗り、多分数学は満点に近かったと思っています。予想問題が当たるのは運でしょうが、でも運も実力のうちでしょう。
 今は学校で勉強など無理ですよ。だから塾経営が流行っているでしょう。結局、貧乏なお母さんも学校と塾に二重取りされている。
 だから私は寺子屋が理想、せめて最低価格の個人塾だけになるべきだと考えています。志で塾を経営すべきでしょう。年寄りがです。私の所に来る人がいたら、無料で早慶に入る指導をしてみたい。簡単だと思っています。本当です。言うことを聞けばですが。
 根室の中学生だろうと、3程度の成績を根室の高校の英数国でとれるなら、誰もが簡単に早慶程度なら入れますよ。簡単ですよ。
 こんな話など信じる人は居ないでしょう。私の自業自得なのでしょう。だからこの世は面白いのです。ブログの記事を期待してください。少し真面目に書くつもりです。今までは白けていて、表層的な見方しかできていなかったようです。
by tsuguo-kodera (2016-06-08 12:49) 

tsuguo-kodera

 先のコメントの文法がめちゃくちゃなのは急いで書いたためと私が国語が弱いからです。笑ってやってください。
 さてもう一度読んで大事なことが抜けているのが分かりました。何故中等科の校長が兄の理科を教えてくれたかの話です。
 中等科の校長の息子は3人いました。3人とも、東工大と早稲田の理工に進学しました。父が担任で教えていてお世話になったからでしょう。時々夜に東工大に行った、確か一番下の息子さんが夜に家に聞きに来ていました。当然無料で父は教えていたのです。
 そう言えば、成城学園の先生は貧乏でした。私の初等科の担任は馬小屋の隣の休憩所でした。そのような簡易宿泊施設があったのは、馬の世話を戦争中は夜中もしていたからです。馬は教練の必須科目だったそうです。
 貧乏人同士が助け合い、学び合い、自分の子弟も東大や東工大にいれていたのです。お金など払えるはずはないですが、それだけではありません。
 結構有名な大会社の社長の息子も家に押しかけてきていました。月謝は勝手に父兄が届けていたようです。合格のお礼もありましたが、誰も何も言わないで、それぞれの言えば感謝の程度に応じてお礼をしていたようです。
 父は私が生まれるまでお礼は受け取らず、返していたようです。でも、私が意地汚しで、大ぐらい。喜ぶ顔を見て受け取るようになったと愚痴をこぼしていました。
 再度いいます。先生同士は仲良しで皆さん家庭教師をしあっていたようです。理系を志望した誰もが、早稲田慶応理工レベルは合格したようです。当時は理解は東工大が一番難関だったようです。でも助け合って行けました。
 ここで自慢。私は姉の都立の英語の先生の家庭教師2年弱で全部合格しました。特別な考え方の人でした。彼は外大卒の天才。
 私は中学の時、馬小屋のような家に住んでいた東京女子大卒のお婆ちゃんの塾に通いました。私が静かにしていると寝てしまう人でした。女で一つで外大に息子を入れました。
 彼女は若い時は天才と言われていたようです。いろいろな思い出話があります。結構、関係者がたくさんかぶっていました。世田谷の世界は狭かったのです。今は成城町もグローバルですが。物理的にも住民もです。
 グローバルは長短がありますね。グローバリズムの陥穽について輸出組合の機関紙なので私は連載記事を書いていました。組合はJETROの傘下でした。
 もう時効ですので言いますが、城携華と言うペンネームだったかも。笑えます。でも日本は真逆に進みました。これもリライトしたら面白そうです。
by tsuguo-kodera (2016-06-08 14:12) 

ZAPPER

身近ではない、一部のハイソサエティな階層の連中の話なんかを論じられても、見聞きしている方は見下されているみたいで「ただ気分が悪い」だけですね。ならば、その主張がどんなに的を射ていたとしても、誰も聞く気なんかしないし、陽の目もまた見るわけもなしってなもんですね。だって、つまんないんだもん。
by ZAPPER (2016-06-08 20:49) 

ebisu

koderaさん

学校を卒業してから10年ほど経ってから、大正10年生まれの指導教授のところへ先輩に誘われてお邪魔したことがあります。そのときに、「40代になるまで飯が食えなかった、貧乏だった」そうおっしゃっていました。奥様が一六銀行(質屋)へ着物を持っていったこともあったそうです。
3年で母校へ戻る約束があったそうですが、手違いでそのままずっと専修大学にいて定年を迎えられました。日本でも有数の哲学者学者です。
昭和30年代はそういう時代でした。
だから、koderaさんの話は共感を持って読めるところがあります。

>根室の中学生だろうと、3程度の成績を根室の高校の英数国でとれるなら、誰もが簡単に早慶程度なら入れますよ。簡単ですよ。

これはほとんど不可能にわたしには思えます。今年の春に早稲田の商学部に入った生徒がいますが、中学時代は何度も学年一番でした。

地方から早慶はけっこうたいへんです。英数国の成績が3の生徒が早慶へ合格なんて話を聞いたら、どんな魔法があるのだろうと思います。
論より証拠です。

>私のブログにクラブの子供の真の姿を投稿しましょう。

これが魔法なのです、期待しています。(笑)

by ebisu (2016-06-08 22:08) 

ebisu

ZAPPERさん

成城学園高校は進学校の中でも、「お坊ちゃん、お嬢様」の多い学校です。釧路や根室のわたしたち普通の市民から眺めると、まるで別世界です。

でも、話の大筋は共感をもって聞くことができます。
早慶へ合格することがそんなに簡単とは思いませんが、方法がないかというとそうでもなさそうです。オール3ではどうにもなりませんが、4なら言うとおりにやってくれたら、半分以上は合格できるかもしれません。生徒のガッツしだいです。
小寺さんのいうオール3は釧路や根室基準ではオール4か4.5ですよ。「全国基準」ですから、そういう話しとして聞いています。(笑)

koderaさんのブログでそのうちに明らかになります。それを見てから判断してよいのではないですか?
koderaさんは次のように書いています。

>私のブログにクラブの子供の真の姿を投稿しましょう。

何かありますよ、わたしはマジで期待しています。
by ebisu (2016-06-08 22:25) 

tsuguo-kodera

 魔法はありません。怒る気になりませんし、そうだろうと思うだけです。あきらめかも。いいえ違います。親鸞は食うにも困っていたでしょう。そうだから私も浄土に行きやすくなるだけと思っています。
 日本語を話せる中学生、1年生ならできると言うことです。偏差値など関係なし。平均点で良いと言うこと。条件は、小学校の時に家のバドクラブに来ればいい、保育園や幼稚園ならベスト、だけ。それがシチズンシップ教育の効果なのでしょう。バドは上手くなりませんが。
 それはウィキでも何でも調べられるから見てください。再度言います。魔法はありません。体育館で小説を読むし、塾の勉強をするし、礼儀作法だけでなく、清掃を自分で始めます。保育園児や幼稚園児がです。されるからなかなか終わらなくて大人が困っています。誰も何も言いませんよ。
 子供の実例、多分100人近く居るかもしれません。30年クラブをやってきたし、今は近隣のバドおばさんクラブ3つに通っていますので。
 今はマレーシア人の子供が良い子です。貧乏です。おばさんクラブ会員はほとんど非正規社員の貧乏人ですよ。子育てできる人と下手な人は確かに居るけど、数回一緒に来ると抜群の成長が見られるのです。バドをしたいだけが魔法かも。
 話を信じないから。信じない人のいるブログになど、自分のブログでも書く気にはならない。だからブログなど意味がない。マスターベー何とかなのです。気持ち悪いと言う人は都庁のトップのように私には感じます。
 嘘や上流でない証拠に付言。中等科の校長は毎週日曜日に川にザリガニとりや森にハチの巣取りなどに行っていました。一家でですよ。私が小学校6年間、本当に貧乏な一家でした。
 小学校の校長は確か数人兄弟の父親。私と同期が末っ子でした。なぜ学校の先生にたくさん子供がいたか分かりますか。先生の家でなくても、私の世代は末っ子が多いのです。昭和20年生まれです。特攻隊要員として日本人は男の子を拡大再生産していたのですよ。いつも私は聞かされていた。
 父は身体が弱く、麻布育ち、与えられた畑で芋も麦も無理でした。何故麻布か次の説明を読めばわかるはず。根性悪でなければです。
 祖父は岡山から裸で追い出された没落家の末裔だったので、祖母が着物の仕立てで父を物理学校に入れたのです。だからお金持ちの麻布に住んでいたのです。父は全寮制の国立旧制高校は身体検査で落第。徴兵検査は丙で合格、甲乙丙の丙。落第は検査になかったから。
 私も借りたリヤカーで参加した記憶があります。手足が藪蚊に刺されて酷かった覚えだけ。そんなわけで我が家の芋雑炊には芋のツルも入っていることもありました。芋のツルは苦くて不味いが腹持ちはするのです。一家でひまし油の天ぷらを食べたこともありますし、腐ったようなコンビーフも。配給は酷かったのですよ。
 生き残れたのは母のヤミ米購入と父と叔父たちが母の実家、川越から芋をリュックでもらってきたからだし、どこの先生の家もそんなもの。母は嫁入り道具や着物は全てなくなった。百姓も漁師も大嫌いな人になりました。騙されたことがあったから。
 今の人は恵まれていすぎるのです。グローバリズムの陥穽でこの国は破たんするでしょう。そうすると昭和20年代の再現になるでしょう。私の経験ほどではないでしょうが、きっとしますね。
 息子も娘も私と同じような考え方のようです。我がバドクラブ育ちだからでしょう。家のクラブに来なければ何を言っても無駄なのだと悟りました。南無阿弥陀仏。


by tsuguo-kodera (2016-06-09 05:00) 

ebisu

koderaさん

やっぱり魔法がありましたね。

>日本語を話せる中学生、1年生ならできると言うことです。偏差値など関係なし。平均点で良いと言うこと。条件は、小学校の時に家のバドクラブに来ればいい、保育園や幼稚園ならベスト、だけ。それがシチズンシップ教育の効果なのでしょう。

そんなことだろうと見当がついていました。
別にkoderaさんのバドクラブでなくても、挨拶ができて、たくさん遊んで、部活もやって、そして自ら進んで勉強する子供たちがいます。(笑)
そういう子達は、根室市内の中学校ではトップクラスです。
何年か前に中高と野球部に所属し東北大へ入った生徒が同級生たちから耳に入ってくる限りではそういう生徒ではなかったのかと想像します。

一昨日から中3の新しい生徒が来ています。koderaさんのバドクラブではないですが、ちゃんとそういうふうに育っています。
koderaさんが主張するような結果をたたき出すでしょう。

結論を言うと、中学校になってからでは手遅れです。小学校6年間のうちに、たくさん遊んで、自ら進んで清掃し、ちゃんと挨拶できて、家庭学習習慣がついていれば、中学1年からでも着てもらえれば早慶クラスの大学には合格できます。それはわたしも断言できます。

今年、早稲田大学商学部だったかな、合格した生徒を中学生のときに教えましたが、中高とサッカー部でした。koderaさんのいうように育った生徒です。もちろん挨拶もちゃんとしていた、すがすがしい生徒でした。同じくらいの生徒がいましたが、高校に入ってから差が出ました。どこに違いがあったのかは、koderaさんの主張される線にそった話でしょう。

残念ながら、小学生低学年にそういう躾をする機会がわたしにはありません。koderaさんはバドサークルをお持ちだ、うらやましい限りです。
でも、そういう育ち方をした生徒が来てくれたら、おっしゃるような成果は出せます。勝手に成長してくれるのですから、ちょっと手助けするだけで、早慶クラス以上の大学へ合格するでしょう。教える先生次第です。
最下層の成績の生徒に8年間付き合ったことがあります。自閉症児で言葉もままならなかった。でも2浪してちゃんと医科大学へ合格し医師になっています。素直な魂をもち、ひたむきに努力できる生徒でした。バドはやっていませんでしたが...同じことです。

昭和20年生まれと書いてありました、わたしは昭和24年の早生まれですから、koderaさんが遅生まれだとすると3学年上ですね。

戦後の貧乏を経験した世代は強い、食べるのに困った経験があれば、大概の困難にへこたれぬ根性を培っています。
過剰富裕化の時代に生まれ育った子供たちはひ弱です。
これから起きる日銀の破綻、政府財政の破綻はかつてのような食べるにも困る時代をまもなく招来します。
戦後の物資のなかった時代を経験していませんから、たくさんの人が大きな困難の前に死んでいくでしょう。人口は急減します。
それから長い時間をかけてゆっくりと再生です。
日本人は縄文時代以来培ってきた価値観へと回帰します。未曾有の経済危機を経験することで日本人は強くなります。

アベノミクスはそういう大転換を日本人が成し遂げるために、天からのありがたくない贈り物です。
安倍晋三、舛添要一、どちらも天からの使者で、絶妙のタイミングでその社会的地位についています。
すでに大転換の扉が開いてしまったようです。
by ebisu (2016-06-09 05:41) 

tsuguo-kodera

 バドクラブである必要はなしです。その通りです。野球なら実技も一緒に教えられたのに、娘の中学校にはソフトも軟式野球もありませんでした。
 キャッチボールもコントロールもバッティングも抜群でした。今なら女子野球をしていたかもしれません。バドは柏市の地区大会は中高と優勝。私は教えていません。私の方が中学2年から弱ったから。
 中高と自流の遊びだけで県大会に出場できました。先生は教えていなかったから上手くなったのです。そう言う地区、ダメな先生が集められたと言う東葛地区の教育だったから。今は優れた先生が多く、一般的な地区でしょう。勧誘で何度も見たから分かります。詰まらない高校ばかりです。
 一点訂正です。父は丙種ではなかった。丁種合格でした。私の母方の祖父は、父と母のお見合いの席で、父が私は丁種だと言ったら、えっ結婚しているの、これからなるのでしょう、皆さんのように、と言ったと酔っぱらった叔父がいつも笑い話でしていました。落語になりますね。
 母は自分のことを17で人身御供で家の犠牲になったといつも言っていました。3人の弟の寮母をさせられたのです。おまけに顔も見たことがない人と新婚旅行に出かけてしまい、夜になり、人格者が鬼になったと思ったそうです。落語話になりますね。なお芋は叔父たちの食事が一番の目的だったのです。芋をいろいろな保存食にしました。おやつはほとんど川越の意もでした。
 叔父たちは母が長男だったら石山家は没落しなかったと言っていました。石山家は川越の旧家でしたが、今は跡形もなく、石山医院の看板だけがロスにあります。
 なお、ロスの従弟もいつかは病院再建と考えて遺産相続し、結局できず、今でも貧乏です。税金の支払いだけで結局全部を失ったのです。だから子孫に美田を残すなといつも父に言われていました。でも今は従弟はUCLAの教授、耳鼻科を背負って立って居るのです。
 彼は中学校は劣等生。野球と柔道だけでした。2浪でも大学に合格せず、ニコヨンをして渡航費を稼ぎました。柔道でMIT入学、学費を稼いだそうです。
 今は日系三世と結婚し3人の子供、男は2人。私が見学に行った7年ほど前、UCLAでイチロージュニアの父と尊敬され、病院内で皆さんが挨拶してくれていました。南ロス地区のジュニアリーグのホームラン王でした。
 私も病院もジュニアコーチ法も見学しました。皆さんは私にいろいろ見せてくれました。日本とは大違い、彼は日本人は可哀想になると私たちを憐れんでくれました。
by tsuguo-kodera (2016-06-09 06:57) 

ebisu

「亭主合格」「丁種合格」、音が同じですね、そりゃあ間違えるわ。叔父さん、面白い人ですね。

ないものを数える日本人がほとんどになりました。戦争でほとんどの人が財産をなくしましたから、ないものを数えるのではなく、必死に努力して生き抜いてきたのが敗戦を生き抜いた人々です。団塊世代のわたしは小学生のころまでほとんどの家庭が貧乏でした。弁当におかずは梅干ひとつだけ、腕で隠して食べている生徒もいました。1~2週間もお風呂に入れない女の子もいました。すえた匂いがします。
でもそういう時代でした。貧乏にも差はありましたが、みんな貧乏で一緒でしたから、笑って遊べたのです。

税金の支払いに困ったということから、「子孫に美田を残すな」ですか。貴重な「経験論」ですね。財産を残すとトラブルのためになることがあります。兄弟姉妹の仲が決定的に悪化してしまう、そんなことが世間にはよくあります。
財産さえのこ差なければ兄弟姉妹は死ぬまで仲良くつきあえたのに...

何が幸福かわからないものです。

今までの話が一本の糸でつながりました。ようやく、なるほどそういうことだったのかという思いがしています。
ありがとうございます。
by ebisu (2016-06-09 09:14) 

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