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#2981 中学生は高校全国模試国語の問題文の量を知っておけ Feb. 18, 2015 [71.データに基づく教育論議]

 2月7日に進研模試があり、試験を受けてからまっすぐに塾に来た生徒がテスト用紙を見せてくれた。高校2年生の国語の問題をみて、問題文の量の多さにびっくりした。B5版の大きさのテスト用紙に最初の問題が12.5ページ、次の問題が8.5ページ、三番目は古典で1ページ、四番目は漢文で1ページ、合計23ページも問題本文を読まなければならない。そのほかに設問があるから、半端な量ではない。これを80分で「処理」しなければならない。
 設問に答えられる程度に理解して、時間内に全部読み切るには、高速の読書力が要求される。根室高校普通科でそんな読書技能をもつ生徒は5%以下だろう。正解80%をクリアできる生徒はせいぜい2、3名程度だろう。

 社会人になっても、専門書を読むために、ある水準での読書スピードと深い読みが必要になる。部活で忙しいから本を読まない、ゲームで忙しいから読書をしない生徒はいくら問題集を解いても70%を超える得点は難しい。
 高校の全国模試レベルになると、小学校や中学校で質の高い本をどれだけの量読んだか(濫読期を経験しているか否か)で模試の国語の点数が殆ど決まってしまう。

 文脈を読む問題は英語の長文問題でも要求される。生徒から質問があったので、今日の授業である大学の入試問題をみた。英国と米国の古いものと新しいものに対する価値観が逆であることを論じた論説文だった。英国では古いものが価値をもち、米国では新しいものが価値をもつ、そんな文化的な背景知識があれば、長文の理解はそれほど難しくないが、そうした周辺知識がまったくない者には難易度が上がってしまう。DHAやEPAなどのオメガ3脂肪酸が脳の発達にいい影響があることをを扱った論説文もあったが、これらのことに周辺知識がある者とない者では、英文の理解に格段の差がつく(ebisuの「濫読のススメ」に耳を傾けてほしい)。
*ω-3脂肪酸
http://ja.wikipedia.org/wiki/%CE%A9-3%E8%84%82%E8%82%AA%E9%85%B8

 だから長文対策には好奇心をもっていろんな種類の本や新聞記事、できれば英字新聞記事もたくさん読んでおくことが望ましい。受験問題集をやるだけの者がセンター試験で8割以上の得点を確実にゲットするのははなはだ困難である。お受験問題集やお受験参考書で勉強することだけが、受験勉強ではないのである

 中学校の学力テストや、定期試験の国語問題なら、分量が少ないから70%の得点はそうむずかしいことではないが、高校の全国模試の国語は別だ。分量が多いので、速度が小さければ処理しきれない。

 「読み・書き・そろばん(計算)」速度の大きさが基礎学力の大半を決定しているのである。速度が標準の2倍の生徒は、一日48時間ある。それに対して速度が半分の生徒には一日が12時間しかない読書時間は「読み・書き・そろばん(計算)」速度を大きくすることで、自分で創り出せる、わたしは家業のビリヤード店を手伝いながら小学4年生からそうしてきた


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<余談>
 ebisuは小4のときに母親から、北海道新聞の「卓上四季」を読めと指示された。面白いので国語辞典を引きながら社説や政治経済欄も同時に読んだら、3ヶ月目には語彙が増えて辞書がほとんど必要なくなった。当時の道新はルビが振ってあったので、子供でも読むだけは読めたのである。だから知らない言葉が出てきたら、国語辞典でたしかめたらよかった。ビリヤードの店番をしながら、大人たちに質問してみるのも楽しいことだった。きちんと応えてくれる親切な大人が何人かいた。次々に繰り出される質問に辟易する大人もいた。

(スリークッション世界チャンピオンの小林先生やアーティステック・ビリヤード銀メダルの町田正先生はどちらもビリヤード店の息子である。私同様に、小学生のころから店番を手伝っていたのだろう。東京新大久保駅前の小林先生のお店の常連会のメンバーだったので、何度か直接教えてもらったことがある。町田さんにはボークラインゲームを3回だけ付き合ってもらった。もちろんわたしの惨敗である。キューの切れがよく、やわらかい。切れのよさは根室のN井さん、柔らかさは中央ハイヤーの社長だったS藤さんの若いころにそっくりだった。どちらも根室で1・2位の腕前。世界レベルになるとこのお二人の長所を兼ね備えていた。ebisuのレベルとは次元が違った。
 皇族はビリヤードを習う。霞会館というのがあるようて、そこにビリヤードテーブルがある。昭和天皇のコーチは札幌の吉岡先生、実に品のよいおじいさんだった、毎年根室に来てくれたから、小さいときから知っていた。小林先生は現在の天皇のコーチだった。そのあとを継いだのは町田さんで皇太子のコーチである。わたしはこれら3人の先生に直接教えてもらったから、日本一の幸せ者だろう。ビリヤードはそれほど上手でなかったからプロにはなれなかった。駿台予備校の数学教師のA木重蔵さんはプロ並みの技倆をもっていた。)

 小学生のときにも読書はしたが、中学生になってからは当時生徒が1500人もいた光洋中学校図書室にあった空想科学小説を片っ端から読み漁った。中学1年生のときに週間漫画誌の少年マガジンと少年サンデーが創刊されて、それも毎週読み漁った。それまでは漫画の本は月刊誌しかなかったのである。SF小説では『海底二万里』が印象に残っている。映画になったときはうれしかった。頭の中で想像していた映像と映画の潜水艦が重なっていた。好奇心が原動力となって中学生時代に濫読期が始まったのである。SFは1年間ほどで図書室の本をあらかた読んでしまい飽きた、同じレベルのものを読み続けると飽きるものだ(あの図書室の蔵書はその後焼失した)。そうして高校時代には分野を問わない第2の濫読期が訪れた。
 高校生になると分厚いものに手を出すようになった。パールバックの『大地』はそのころに読んだ。同時に哲学書や会計学の専門書、経済学の本を読むようになった。北海道新聞を読み続けることで、語彙が増えたから、たいがいの専門書は時間がかかったが独力で何とか読めた。わからなくて、1行に3日も1週間も考え続けなければならないことはたまにあった。それはそれで楽しかった。考え続けているといつかわかってくるもので、本の文章をそのまま頭の中に放り込んでおいて、ときどき引っ張り出して「反芻」してみるのである。そうしている内に、意味の消化がなされていった
 高校生になったら、少し背伸びするくらいの難易度の高いものをたくさん読もう。この辺りになってくると勉強は(感覚においては)遊びと変わらない
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