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#2278 読書のススメ: 『謹訳 源氏物語九』 Apr. 30, 2013 [44. 本を読む]

 林望現代語訳の『謹訳 源氏物語九』を読み終わった。寝床で格調高い訳に誘われゆっくり流れる時間を感じながら読み、内容を思い出しながら眠りにつく、贅沢なひと時。

 第九巻では光源氏の正妻女三宮と柏木の不倫の子である薫が浮舟に出会う経緯が描かれている。光源氏はとうになくなり、生霊にたたられて亡くなった最初の正妻葵宮との子である夕霧、光源氏の後の正妻である女三宮と柏木の不倫の子の薫、そして今上帝の息子の匂宮が登場する。
 匂宮は光源氏の父帝の妾である藤壺を目の敵にした弘徽殿女御の血筋である。父帝である桐壺帝は息子の光源氏と藤壺の不倫の事実を知っていても何も言わなかった。桐壺帝は光源氏と藤壺の不倫の子を自分の子として育てた。後の冷泉帝である。女三宮に不倫されて薫を自分の子として育てることになった光源氏、因果はめぐる糸車。自らの出自を知った冷泉帝は早く朱雀院へ譲位する。桐壺帝と弘徽殿女御の息子が朱雀院で、その息子が今上帝、そしてその息子が匂宮。桐壺帝から見ると匂宮は曾孫である。血はつながっていないが薫は桐壺帝の孫にあたる。

 薫は一度言い寄り添臥した中君を匂宮に「差上げる」のだが、すぐに後悔しはじめる。匂宮と結婚した中君はその後薫にしつこく言い寄られて辟易している。そういう困っているところへ薫が思いをかけていた(亡くなった姉である)大君に生き写しの腹違いの妹の消息を知り、源氏の関心をそちらへ向けようとする。匂宮は左大臣夕霧の娘、六の君を正妻に向かえ、このところそちらへ行っていることが多くなる。中君にもかげりが見え始める。

 薫は不倫の子だから光源氏の血を引いておらず恋の駆け引きが実にへたくそだ。なにくれとなく細やかな配慮はできても強引さが足りぬ。今上帝の息子である匂宮は放蕩なタイプの男で恋の駆け引きに強引なところがあり、いい女だと思ったら見境なく手をつける。年頃の女に通う男がいるのはあたりまえのことだから、受け入れる女のほうもおおらかなもので、いい女のところには何人もの男たちが競うように通うことになる。それを咎めるようなヤボはこの時代にはない。もっとも、両親は変な虫がつかぬように用心はするが、もともといい虫がつくように、きれいな字を書き気の利いた歌が詠めるように育てるのだから無理な話である。年頃になった娘が恋愛に関しては親の思い通りにならぬのは昔も今も同じ。
 優柔不断の薫と放蕩タイプの匂宮、この二人が中君そして浮舟と二人の女性をめぐって二つの三角関係がもつれていく。

 千年前もいまも色恋にかけては変らぬ、平安時代の貴族の恋愛物語だが千年前の物語とは思えぬほど男女の心の動きはいまに共通するものがある。
 好きだと思ったらすぐ口説きセックスというのが平安時代の男と女のありよう。好きだという感情とセックスはほぼイコールというのがあの時代の男と女の暗黙のルール、おおらかなものだ。着物というのがそういうことをしやすいようにできている。ショーツ、パンスト、ズボンのいまとはまるっきり事情が違う。したくなったら着物の前を広げるだけでよい。性風俗は着ている物とも関係があるのだろうか。
 現代人は西洋文明の洗礼を受けた明治から数えて150年たち、セックス文化が先祖がえりしつつあるのかも知れぬ。平安期の貴族が女を見初めるとすぐに言い寄り、関係して、以後の生活の面倒を見るのは、(不特定多数を相手にするところを除けば)平たく言えば援助交際に似ていなくもない。召使の女房たちは主人に望まれればセックスに応じるのは当たり前のことで、そうしたことを歓び楽しんでいる。しかしそれは恋愛のうちには入らないようにみえる。たんなる「お情け頂戴」、妾も正妻も夫が召使と関係することにやきもちを焼くシーンはない。そういう関係はあっても、主人は召使に執着しないからだろう。妾は召使の女房たちに自分の地位を脅かされる心配がない。

 この時代の恋愛には作法があって、歌を詠むのがルールである。見初めたら歌を詠んで文を遣わす。通い思いを遂げた夜明けには女の家から自宅へもどり、すぐに後朝の文を書き送るまめさが求められる。それができない男はヤボなのである。
 マメではない男が恋愛対象になりにくいのと同様に、歌の下手な女性は興ざめなつまらぬ人として恋愛対象から外される。だから、男も女もせっせと歌詠みや習字の腕を磨かなければならない。

 時代はだいぶ遡るが、万葉期の額田王はそういう観点から見たら素晴らしい女性だったのだろう。三ヶ国語を自在に操りながら、三通りの言葉でも読める短歌を詠んだ、こんなことのできる教養をもった女は他にはいなかったのだ。群を抜いた教養は男達をとりこにした。そういうわけで天智天皇と天武天皇がそろってほれてしまった。
 教養の深さが恋愛に奥行きを与える。へたくそな字で下手な歌しか詠めないようでは恋愛上手な相手を満足させることができない。
 たとえば、中君に聞かせようと薫が古歌を引いて口ずさむシーンがある。

「恋しさの限りだにある世なりせば年へてものは思わざらまし(もしこの恋しさというものが、限りのある世であったなら、何年か経っての後に、物思いをせずにいられるようになりますものを)・・・」
「とて、かの「恋ひわびぬ音(ね)をだに泣かむ声立てていづれなるらむ音(おと)なしの里(もう恋しさのあまり悲観して声を上げて泣きたい思いです。どこにあるのでしょうか、どんなに声を上げて泣いても音が聞こえないという音無しの里は・・・)という古歌を引き事にして、恋しさを訴える。」148ページ

 古歌を引いても相手が理解できないようではつまらぬことになる。こうした古歌の引用を理解できるだけの教養のある女たちは親が手塩にかけて躾けなければ育てられない。恋愛上手は親の躾でうtくられるのである。教養があるのは正妻や妾だけではない。
 薫が中君のところから退出するのを惜しむ女房が詠める歌。

「折りつれば袖こそ匂へ梅の花ありとここやに鶯の鳴く(香りの高い梅の枝を手折ったので、わが袖もさぞかぐわしく匂うのであろう。それでここに梅の花があると思って、鶯が近々と鳴くわ)とかいう歌みたいに、鶯だって尋ね寄ってきそうな感じがするわぁ・・・・・など、さも迷惑そうにいって可笑しがる若い女房もある」193ページ

 薫の身体から発せられる匂いのかぐわしさに召使の女房たちも発情して始末に困っている様子が歌に詠み込まれていて可笑しい。このように召人の女房たちだって状況に応じて気の利いた歌を詠める、いや、気の利いた歌も読めぬ若い女は女房として召し使ってはもらえないということ。今も昔も世間並み以上の就職口にはしっかりした立ち居振る舞いすなわちシツケと学力が重用されている

 はてさて、平安時代の結婚観に焦点を当てていう読むのも楽しい。正妻の地位はしっかりしており、強力無比と言ってもいいくらいに強い
 正妻の葵宮が年上の妾である六条御息所の生霊にたたられて夕霧を産むときに亡くなる。光源氏は独身となり正妻の座は空いたままとなる。
 そんなときに光源氏が10歳の紫の上を見初めて引き取り自分好みに育てるが、4年たったある夜強引に関係してしまう。それ以来紫の上は光源氏にとって最愛の人となる。しかし光源氏にとっては最愛の妾であるが正妻ではない。正妻はそれなりの身分の女でなければならぬ。身分的な釣り合いが最優先だ。紫の上の母親は召人で身分が低い。
 その後、帝の娘の女三宮が光源氏のところに嫁いでくる。当時の常識的な作法では妾のほうから正妻へ挨拶に出向かなければならない。紫の上は三十代半ばであり、もう二十五年も光源氏と暮らしているが、正妻が来たら自分のほうから挨拶に出向かなくてはならないのである。屈辱だっただろう、もともと身分が違うのだからしかたがない。
 三十半ばというと当時としては女ざかりを過ぎた姥桜、美しかった紫の上も容色の衰えは隠せない。女三宮は20歳前後だから、次第に光源氏は正妻の女三宮の寝所で夜を明かすことが多くなり、紫の上は一人寝の夜が増え心身ともにもんもんとして疲れ果てる。我慢が内にこもり心身を蝕んでいく。源氏物語は高校の教科書にも採録されているが、こんなシーンは授業ではとりあげられない。
 絶世の美男でかぐわしい体臭の光源氏を知ってしまうと他の男のことは考えられなくなる。10歳からそう躾けられてもきた。気持ちの遣りどころがを失い、紫の上はまもなく病に臥す。
 血の巡りをよくする健全なセックスは心身の健康維持に欠かせない。同じ敷地内の別棟に住み、妾であるがゆえに後から来た身分の高い若くて美しい正妻に遠慮せざるをえない紫の上、強く自分の感情を抑え苦しみ、その果てに亡くなるのである。
 惚れた男と暮らし、それを若い正妻にとられてもだえ死ぬのが幸せなのか、そんな世にも美しい男のことはさっさとあきらめ、他の女に目移りしないそこそこの男と暮らすのが幸せなのか、いまも昔も恋愛や結婚に悩みはつきない。
 平安時代の正妻の地位の強さに注目して読むのも一興。

 経済力に応じて妾は何人もってもいいが、正妻は一人である。この時代はすでに法律上、正妻の地位がしっかりしていたことが妾である紫の上と正妻の女三宮の関係からうかがえる。
 紫式部は紫の上を物語の中で「対(たい)の方」をいう呼び方をしている。正妻を意識してその住居の「対に住まう方」という意味なのだろう。正妻の存在を強く意識した言葉を選んでいる。光源氏の身分に見合う女が正妻となるのであって、母親の身分が低い紫の上は光源氏の正妻とはなれぬのである。いつかは光源氏が正妻を迎える日が来るのを承知で光源氏を愛し、そして心身ともにぼろぼろに傷ついて亡くなっていく。光源氏の恋愛相手も薫の恋愛相手もみな不幸になる。喜びと悲しみがセットで女たちを襲う。恋愛の歓びが増せば増すほどバランスをとるかのように深手を負うことになる。

 岩波文庫版の『源氏物語』の原文をときどき音読してみる。辞書を引かずにストーリだけを追ってひたすら音読する。名文は音読してこそその真価が味わえるもの。これも古典文学の楽しみ方の一つだろう。

 純情さとませたところがない交ぜになっていた高校生あるいは20歳のころに読んだらどういう感慨をもっただろう。思わせぶりなところは深読みできなかっただろうと想像する。大人の恋愛経験をいくつか積まないとわからないこともある。
 日本には素晴らしい古典がたくさんある。よく読んでみるとエッチ話満載で、古典文学は妄想好きのませた高校生にはおあつらえ向きの教材である。
 二十歳をすぎたら日本古典文学に親しむ時期があっていい。恋愛がテーマのものが多いから、片っ端から読んで、自分の恋愛のレベルを上げたらいい。男はいい女を見つける、女は自分を磨いていい男をみつける。私はとっくに手遅れだが、若いうちに品のある挙措と深い教養を身につけたいものだ。がんばれ若い人たち、たくさんいい恋愛をしたらいい。これも「文武両道」か、なにやらブカツを勉学の関係に似ている。(笑)

 林望訳の『謹訳源氏物語は』次の第十巻が最終回となる。




*#1871 ほんとうはとっても面白い古典文学:源氏物語を読む Mar. 8, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-03-08

 #2027 『謹訳源氏物語六』を読む  July 26, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-07-26

 #2046 『謹訳源氏物語七』を読む
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-09

  #2278 『謹訳源氏物語九』 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-04-29

 #2395 『謹訳源氏物語十』を読む:至玉のひと時 Sep. 4, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-09-04

  #2396 ヨーロッパと米国の性風俗事情(ジャパンタイムズ記事より) Sep. 4, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-09-05


 


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Hirosuke

当時は十五から成人で、
同時に多くが結婚しましたからねぇ。

こういう制度なら、
医療が未発達な時代でも、
健全に人口が増えますよね。

安倍政権の政策課題の一つに、
成人年齢の引き下げを目的とする民法改正があります。

現代では成人も結婚も、
男女ともに十八が適正でしょう。

学が伴えば…ですが。

by Hirosuke (2013-04-30 08:40) 

ebisu

15で成人、そして結婚なら子どもは増えますね。30歳まで考えたってたくさん産めるでしょうから。

時代小説を読んでいると、商家で主人が使用人に産ませた子を引き取り、それなりのお金を渡して暇を取らせ、実子として育て、店を継がせるという風なことはあったようです。これなら子が産めなくてもお店の女主人の座は揺るがない。お店の継続にとっても便利なやり方だったのでしょう。
朝廷も武家も商家もお家大事で似たようなやりかたをとっていた。正妻の他にセックスのお相手が何人もいるのが家制度存続の安全弁だったのでしょう。子どもができるできないは相性の問題もありますから。

>現代では成人も結婚も、
>男女ともに十八が適正でしょう。

>学が伴えば…ですが。

アハハ。
精神的にはどんどん幼児化していますね。高校生に毎週宿題を出しているくらいですから。団塊世代の頃は高校に宿題なんてほとんどなかった。勉強は自分でするもの、学習塾すらありませんでした。
(珠算塾が流行っていたおかげで、小学生のうちに基礎計算能力だけはいまの子たちよりよほどしっかりしていました。小数を含む乗除算は日本商工会議所珠算能力検定試験の3級から、ましてや整数の3桁×3桁の筆算のできない高校生は珍しかった。いまは高校生のおおよそ3割はできないでしょうね、もっと多いかもしれません。)

いつまでも宿題漬けにしていたら、自主性や自立性がいつ育つのでしょう?
by ebisu (2013-04-30 10:24) 

Hirosuke

>ショーツ、パンスト、ズボンのいまとはまるっきり違う。
>性風俗は着ている物とも関係があるのだろうか。
  ↓
ズボンの発明は、
アジアや中東の騎馬民族に遡ります。

それまではワンピース風の貫頭衣が、
男女共通の衣服でした。

馬に乗って戦うのは男衆でしたから、
騎馬民族の中でも女衆にはズボンは不要です。

こんな背景から、
世界的な騎馬・乗馬文化の発展・拡大に伴って、
世界中で「貫頭衣⇒ワンピース」が女服として定着しました。

日本は古来から農耕民族でしたので、
武士の時代になっても庶民は馬に乗る機会などなく、
したがって「二股」などの「ズボン」は庶民の男衆にさえ普及しませんでした。

日本の庶民がズボンを履くようになるのは、
文明開化が始まる明治以降。

こう考えると、
【鎖国】には絶大な意味があったのですね。

by Hirosuke (2013-04-30 17:06) 

ebisu

女がショーツをつけてズボンをはく。
そして高校全入にしてしまったら、20歳前後で子どもを産む女性が激減するのはあたりまえ。

考えてみたら、少子化になるように高校の間口を広げ、服装にに関するよき伝統を棄ててきたようです。

鎖国したままなら、日本の女性たちはこんなにズボンをはいていない。半数以上は着物を着て、下はスースーしていたのでしょう。
もう元には戻せませんね。
ナカミがどんどん薄くなる高学歴化と並行して少子化の流れは止めようがありません。

50年経って、日本の人口が半分になったら、食糧は自給できるし、土地は安くなるし、いまよりずっと住みよくなっているかもしれません。
by ebisu (2013-04-30 23:35) 

団塊の世代の一人

>団塊世代の頃は高校に宿題なんてほとんどなかった。勉>強は自分でするもの、学習塾すらありませんでした。

Objection!?

団塊の世代ですが、小学校6年の頃から学習塾(進学教室)に通っていました。勿論東京の話ではあります。

国立志望組と私大(早稲田・慶応)志望組に分かれていて、小生は普段は国立志望組に居りました。国立組はすなわち東大志望です。とにかく勉強に関してはスパルタ教育でした。そのおかげで地元の進学系で有名な中学(誰でも入れる公立なのに、500人の内100人が越境入学。因みに英語の平均点があの麹町中学より10点も高かった)に進んでも勉強せずに何時も上位の成績だった程です。まあ、勉強の内容もさることながら、勉強の必要性や勉強する習慣が身に付いては居ました。その進学教室の夏期講習で隣に座っていた友人が先日駐米大使の任を終え日本に帰国しました。彼はやはり父親が外交官で中学から慶応に入りそのまま大学まで進みました。そして大学半ばで外交官試験に合格し慶応を中退。そのままアメリカの大学に進学。以後エリート外交官の道を歩み続け、今年定年を迎えました。確か彼が北米局長だった頃、TVの国会中継で外務省側の役人として答弁に立っていた記憶が有ります。ネットで彼の事を調べると、勿論駐米大使としてオバマ大統領やクリントン国務長官などと遣り取りしていたエピソードが垣間見え、昔の知人の凄い人生経験に尊敬と嫉妬の思いを抱く事すらあります。きっと彼にとっては小学生時代の進学教室がスタートラインだったのかも知れません。
ただ、その元駐米大使は小生に対して「もう私たちは人生の舞台から去るのみです」と寂しい事を言います。そう言われた小生は、世間的にはもう定年の年齢でありながら生活の為も有って、ひたすら現役を続行中です。

今思えば、当時のスパルタ教育は、このところずっと続いている”お受験”と言うのとはちょっとニュアンスが異なるように思います。当時は都立高校の全盛時代で、「男なら堂々と公立で勝負しろ!」と言う気風が有りました。小学校からそのまま大学まで遊んで進める私立など”負け犬の金持ち”の末路だくらいに思われていました。

何でもかんでも東大至上主義の教育環境が良いか悪いかは別にして、そんな少年時代を過ごしてきた小生は複雑な思いでEbisuさんの教育話を読んでいます。

(一応)先進国>日本>東京>北海道>道東>根室

この表現に全てが表されるのかも知れません。

「根室は猟師町。漁師の跡を継ぐんだから学校は最低レベルの義務教育だけで良いんだ」で良いのでしょうか。
この行き先が見えない時代、沿岸で細々と営む漁師ならば別ですが、船団を組んで広く世界中に魚を求め、また諸外国相手に取引を出来るだけの腕と度胸と教養に支えられた新しいタイプの漁師の出現は無理なのでしょうか。

かって知っていた珸瑤瑁の漁師の爺様はこんなことを言ってました。「不思議なもんで、良い漁師は遺伝みたいなもんだ。一生懸命勉強したり努力しても何時まで経ってもさっぱり魚が獲れねえ奴も居る。その点うちの孫は未だ中学生だが、あいつは見込みが有る。その下は、ありゃあ駄目だ」
その爺様は他界しその息子が跡を継いでいます。その息子に「あんたの親父さん、こんなことを言っていたよ」と言うと、「うん、親父は正しい」と笑います。「俺も全然勉強はしなかったけど、親父の息子だから魚はそこそこ獲れる。うちの長男はもっと良い漁師に成る」。

ローカルで、何とも風土の生活が滲み出た話ではあります。
by 団塊の世代の一人 (2013-05-02 10:03) 

ebisu

オブジェクションありがとうございます(笑)

同じ団塊世代でも東京と根室ではまるで違いますね。学習塾一つとっても50年前にスパルタ進学塾があったのとまるでなかったのと。
都会と根室の学力格差は50年前のほうが大きかったかもしれませんね。
当時は都立日比谷高校⇒東大が最高の進学コースの時代。

団塊世代で東京と根室に共通するのは、激烈な競争が存在したことでしょう。

夏期講習で隣に座っていた友人が外交官、しかも父親が外交官なんて例がねむろにはあるわけもありません。中央官庁のエリート官僚ももちろん一人もいません。だから、中央官庁のエリート職員がどのような生活をして、子どもがどのような塾に通い、どのような勉強の仕方をして進学するのかを知るよしもない。都会にいれば、そういう実例を自分のまわりで目にすることになります。周りを見て、比べてそして奮起するこどももでる。

漁師町の教育への関心はご指摘の通りです。勉強よりも、漁をするときのセンスがよければいい。
そういう意識だから、北方領土問題も具体的な戦略を描いて中央官庁と渡り合う人材がでてこなかった。旧ソビエト時代から続く漁獲割り当て交渉についても堂々と渡り合えるような人材を輩出できなかった。

減船に次ぐ減船で、漁師の数は激減しました。都会へ進学してそのまま都会へ住むのが三人に二人ですから、勉学の重要性は昔よりは格段に重要になってきています。

例を挙げると、団塊世代の頃は成績が中の上なら旧根室信金(大地みらい信金)へ就職できました。成績上位の者たちは富士銀行、拓銀、北海道銀行などへ就職していましたが、いまでは地元高校採用は一人か二人です。採用のほとんどが大卒に変わりました。
都会は有名大学卒でないと上場企業に就職が難しい。学力格差がそのまま経済格差になっています。親の経済格差が子どもの学力格差となるのですから、経済階層が固定化するのは当然のこと。

>、「男なら堂々と公立で勝負しろ!」と言う気風が有りました。

こういう気概がほしい。

男なら損をしてでもだめなことはだめだと言う、そういう気概が根室の活性化に必要です。健全な批判精神はみえず、できない言い訳ばかりでは町が衰退するのは当然、教育こそ根室再興のカギのように思えるのですが、これは多数派の意見ではありませんね。(笑)
by ebisu (2013-05-02 11:17) 

Hirosuke

◆中学生・高校生むけ【解説】◆

平安の当時、
【紫(むらさき)】には、
特別な意味がありました。

聖徳太子が定めた【冠位十二階】を知っていますか?

位によって冠が色分けされていたのですが、
その最高位が実は【紫(むらさき)】なのです。

つまり【紫の上】とは、
源氏物語に登場する数々の女の中でも、
【最高位の女】を意味しているのですね。

さらに作者は、
自分にまで【紫(むらさき)】とか付けちゃって、
「それってば、実は、ワ・タ・シ!」
なーんて仰っているのですよ。

紫式部という人は、
こんな風に教養の高さを派手に自慢したもんだから、
地味な清少納言には嫌われちゃったんですね。

2人とも天皇・皇后お付きの女官で、
しばらく同じ屋敷に住んでいたので、
お互いをライバル視していたのですよ。

おしまい

by Hirosuke (2013-05-02 20:01) 

ebisu

Hirosukeさん、解説ありがとう!
by ebisu (2013-05-03 00:31) 

Hirosuke

春夜-A Night in Spring 
[【世界】の【古典の世界】]
http://hironagayuusuke.blog.so-net.ne.jp/2013-05-02

by Hirosuke (2013-05-04 23:45) 

ebisu

漫画になっているのですか。
絵が美しいとamazonの読者コメントにありました。
いろんな『源氏物語』を楽しめますね。
描き手の解釈の挿入や、創作部分、カットなど違いがあるようなので、なお楽しいかもしれません。
by ebisu (2013-05-05 00:15) 

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