#2044 『漫言翁 福沢諭吉 時事新報コラムに見る明治』 (2) Aug. 8, 2012 [44. 本を読む]
著者から謹呈いただいた『漫言翁 福沢諭吉 時事新報コラムに見る明治』(発行所:未知谷)をじっくり楽しんでいる。さっと読み流してはもったいない本だ。前回の著作の『明治廿五年九月のほととぎす 子規見参』では、俳句を使って新聞の時事評論を書いた子規の斬新な発想と突出したセンス、そしてラフカディオ・ハーンにも1章を割いて明治というエネルギー溢れる時代をとりあげていた。
『漫言翁』のほうも福沢諭吉が新聞に載せた時事評論、言いたい放題、諧謔を交えて限度を超えたディフォルメをしていながら、内容は啓蒙的でもあった。反骨精神が西洋思想に出遭い花火が炸裂するがごときに面白い時事評論が次々と飛び出してくる。
時は平成、新聞社は規模だけは大新聞社となったが、福沢諭吉や正岡子規のようなレベルの高い時事評論がさっぱり見当たらぬのが寂しい。
今宵は福沢の反骨精神の一端が出ている箇所を紹介する。
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福沢に言わせれば、そもそも「国益」ということを真に考えるならば、徴収した年貢をもとにして国全体の生活レベルの向上に幕府が全力を尽くすべきであり、そうであってはじめて幕府は国を代表する政府といえるのである。ところが、国全体の生活レベル向上に必要な洋書を独占的に手に入れて、しかもそれを高く売り抜けて、儲けを独占しようというのである。それで福沢は怒った。それが何で国益か、私利をはかっただけではないかというのである。
・・・おそらく、このとき幕府の同僚には、福沢は「別世界の住人(エイリアン)」のように見えたことだろう。
このアメリカ行きのとき、福沢は全私財を投入したうえ、に手を尽くして五千両ほどの金を用意し、慶応義塾、和歌山藩、仙台藩のために洋書を購入して、日本に持ち帰った。慶応義塾はこのときに福沢が持ち帰った洋書で塾生に英文テキストを貸与するシステムを整えたので、学生はそれまで苦しみぬいたテキストの書写という難行からようやく解放されたそうである。しかしながら、これは本来なら、昌平黌その他の幕府の学校が率先して行うべきことであった。ところが、そこには思いが至らずに、原書を売って儲けることが「御国益」だというのでは、幕府の信望は薄れるばかりであろう。
しかし、ことはそれだけではすまなかった。この書籍が詰まった梱包は、福沢が謹慎処分を受けたこともあり、いつまでも横浜港に留めおかれ、やがては身分不相応の買い物であるということで、あわや没収という憂き目を蒙りそうになったのである。福沢の気持ちが幕府から決定的に離れたのは、このときだったのではなかろうか。(『漫言翁』p.107)
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勘定吟味役の小野友五郎たちと衝突した一件が書かれている。洋書を輸入して政府が儲けようというのであるが、福沢一人がそんなことを「御国益」というのはおかしいと反論して衝突するのである。『福翁自伝』を引いて例証しながら、「小野は前回、咸臨丸でアメリカに向かったときの同僚であり、またその数学的な天分の豊かさで、同乗したアメリカ人の測量船長を感嘆させたほどの頭脳の持主だったのである」とEさんは書いている。それだけに福沢の落胆が大きかったのだろう。西洋人の測量船長が脱帽するほどの数学の天分をもつ優秀無類なあなたになぜこの理がわからぬ、という思いだっただろう。周りが全部敵になっても自分の意見を曲げずに主張し続けるところが福沢の真骨頂である。
このくだりを読み、空海が私度僧として唐にわたり密教関係の膨大な経典類を買い求めた故事を思い出した。「国費留学生」だった最澄が公費で買い集めた経典よりもはるかに重要な経典が一人の私度僧によってもたらされ、その後の日本仏教の発展に決定的な影響を与えたのだが、福沢もそうした系譜に連なる一人に数えていいのだろう。
日本にはこういうふうにせきたてられるように歴史的な使命を果たす人物が出てくる。
さて、もうひとつ謹呈を受けた論文がある。
『過剰富裕化論の学説史的考察―形成、展開、意義』(戸塚茂雄 青森大学研究紀要第35巻-第1号(2012年7月))
22ページの学術論文であるが、これは別途紹介したい。馬場宏二氏の「過剰富裕化論」とまとめたものであり、経済学説史上特異性が高く意義が大きい。3回くらいにわけて紹介することになるだろう。
(戸塚教授は4月から青森大学経営学部長、7月24日に亡くなられた市倉宏祐先生のゼミの先輩である)
市倉宏祐先生は文学部哲学科のゼミと学部を超えた「一般教養ゼミ」の両方を指導しておられた。前者のほうはサルトルの『弁証法的理性批判』をテキストに使い、後者のゼミはマルクス『資本論』に続いて当時出版されだした『経済学批判要綱』をテクストに使っていた。午後のゼミでめずらしく眠い目をしていることがあったので訊いてみたら、イポリット『ヘーゲル精神現象学の生成と構造』を朝まで翻訳していたと仰ったことがある。面白い偶然があるもので、渋谷の駅前にあった進学教室の専任講師をしていたときに、『漫言翁』の著者のEさんは市倉先生が翻訳したイポリットの『ヘーゲル精神現象学の生成と構造』を樫山欽四郎ゼミでテクストに使っていたという。当時は彼は哲学畑の院生、私は理論経済学で接点がないと思っていたが、最近市倉宏祐先生という接点があったことに気がついたしだい。哲学科で市倉ゼミ同期の伊吹はいま専修大学の哲学教授である。
『漫言翁』はパワーをひそめたとんでもない本かも知れぬ。なにしろ哲学の素養がある上に、デレクターをしていた時代があり、センスもいい。正岡子規に関する著作『明治廿五年九月のほととぎす』に続いて書いた本だから、前著がプレリュードであったかもしれない。福沢に関する著作の構想はもう少し大きい。私たちは環太平洋火山帯の一部を見せられているのかも知れぬ。福沢の熱い息吹がたしかに感じられ、福沢自身の著作やその研究書の類とは相当に趣が異なる。その全貌は次の著作で明らかにされるのだろうか。
わたしはまだ全部を読みきっていない。途中で『福翁自伝』や『学問のススメ』を読み出したからだ。文体はEさん特有の切れのよさとリズムがあって読みやすいが、なかなか骨の折れる本である。
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*#2006 Eさんの新刊書『漫言翁 福沢諭吉 時事新報コラムに見る明治』 July 10, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-07-10
#2044 『漫言翁 福沢諭吉 時事新報コラムに見る明治』 (2) Aug. 8, 2012
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#2254 『漫言翁 福沢諭吉・・・』 (3) Apr. 2, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-04-02
*#1823 激烈な競争から這い上がれ:団塊世代の友人からの手紙 Jan. 31
*#1025 『明治廿 五年九月の ほととぎす 子規見参』 遠藤利國著 May 10, 2010
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-05-10
#1030 『nationalism とpatriotism』 May 17, 2010
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#1362 『「漢委奴国王」金印誕生時空論』を読む:パイオニア
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-01-30-2
#1366 『「漢委奴国王」金印誕生時空論』を読む (2) : 学問の楽しさ Feb. 2, 2011
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#1368 『「漢委奴国王」金印誕生時空論』を読む (3) : 学問の楽しさ Feb. 3, 2011
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#1823 激烈な競争から這い上がれ:団塊世代の友人からの手紙 Jan. 31, 2012
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#1972 "Not a mimute too soon" :掛詞 June 12, 2012
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#1993 掛詞(2) 子規は? July 1, 2012
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時は平成、新聞社は規模だけは大新聞社となったが、福沢諭吉や正岡子規のようなレベルの高い時事評論がさっぱり見当たらぬのが寂しい。
今宵は福沢の反骨精神の一端が出ている箇所を紹介する。
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福沢に言わせれば、そもそも「国益」ということを真に考えるならば、徴収した年貢をもとにして国全体の生活レベルの向上に幕府が全力を尽くすべきであり、そうであってはじめて幕府は国を代表する政府といえるのである。ところが、国全体の生活レベル向上に必要な洋書を独占的に手に入れて、しかもそれを高く売り抜けて、儲けを独占しようというのである。それで福沢は怒った。それが何で国益か、私利をはかっただけではないかというのである。
・・・おそらく、このとき幕府の同僚には、福沢は「別世界の住人(エイリアン)」のように見えたことだろう。
このアメリカ行きのとき、福沢は全私財を投入したうえ、に手を尽くして五千両ほどの金を用意し、慶応義塾、和歌山藩、仙台藩のために洋書を購入して、日本に持ち帰った。慶応義塾はこのときに福沢が持ち帰った洋書で塾生に英文テキストを貸与するシステムを整えたので、学生はそれまで苦しみぬいたテキストの書写という難行からようやく解放されたそうである。しかしながら、これは本来なら、昌平黌その他の幕府の学校が率先して行うべきことであった。ところが、そこには思いが至らずに、原書を売って儲けることが「御国益」だというのでは、幕府の信望は薄れるばかりであろう。
しかし、ことはそれだけではすまなかった。この書籍が詰まった梱包は、福沢が謹慎処分を受けたこともあり、いつまでも横浜港に留めおかれ、やがては身分不相応の買い物であるということで、あわや没収という憂き目を蒙りそうになったのである。福沢の気持ちが幕府から決定的に離れたのは、このときだったのではなかろうか。(『漫言翁』p.107)
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勘定吟味役の小野友五郎たちと衝突した一件が書かれている。洋書を輸入して政府が儲けようというのであるが、福沢一人がそんなことを「御国益」というのはおかしいと反論して衝突するのである。『福翁自伝』を引いて例証しながら、「小野は前回、咸臨丸でアメリカに向かったときの同僚であり、またその数学的な天分の豊かさで、同乗したアメリカ人の測量船長を感嘆させたほどの頭脳の持主だったのである」とEさんは書いている。それだけに福沢の落胆が大きかったのだろう。西洋人の測量船長が脱帽するほどの数学の天分をもつ優秀無類なあなたになぜこの理がわからぬ、という思いだっただろう。周りが全部敵になっても自分の意見を曲げずに主張し続けるところが福沢の真骨頂である。
このくだりを読み、空海が私度僧として唐にわたり密教関係の膨大な経典類を買い求めた故事を思い出した。「国費留学生」だった最澄が公費で買い集めた経典よりもはるかに重要な経典が一人の私度僧によってもたらされ、その後の日本仏教の発展に決定的な影響を与えたのだが、福沢もそうした系譜に連なる一人に数えていいのだろう。
日本にはこういうふうにせきたてられるように歴史的な使命を果たす人物が出てくる。
さて、もうひとつ謹呈を受けた論文がある。
『過剰富裕化論の学説史的考察―形成、展開、意義』(戸塚茂雄 青森大学研究紀要第35巻-第1号(2012年7月))
22ページの学術論文であるが、これは別途紹介したい。馬場宏二氏の「過剰富裕化論」とまとめたものであり、経済学説史上特異性が高く意義が大きい。3回くらいにわけて紹介することになるだろう。
(戸塚教授は4月から青森大学経営学部長、7月24日に亡くなられた市倉宏祐先生のゼミの先輩である)
市倉宏祐先生は文学部哲学科のゼミと学部を超えた「一般教養ゼミ」の両方を指導しておられた。前者のほうはサルトルの『弁証法的理性批判』をテキストに使い、後者のゼミはマルクス『資本論』に続いて当時出版されだした『経済学批判要綱』をテクストに使っていた。午後のゼミでめずらしく眠い目をしていることがあったので訊いてみたら、イポリット『ヘーゲル精神現象学の生成と構造』を朝まで翻訳していたと仰ったことがある。面白い偶然があるもので、渋谷の駅前にあった進学教室の専任講師をしていたときに、『漫言翁』の著者のEさんは市倉先生が翻訳したイポリットの『ヘーゲル精神現象学の生成と構造』を樫山欽四郎ゼミでテクストに使っていたという。当時は彼は哲学畑の院生、私は理論経済学で接点がないと思っていたが、最近市倉宏祐先生という接点があったことに気がついたしだい。哲学科で市倉ゼミ同期の伊吹はいま専修大学の哲学教授である。
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わたしはまだ全部を読みきっていない。途中で『福翁自伝』や『学問のススメ』を読み出したからだ。文体はEさん特有の切れのよさとリズムがあって読みやすいが、なかなか骨の折れる本である。
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2012-08-08 01:05
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>・・・おそらく、このとき幕府の同僚には、福沢は「別世界の
>住人(エイリアン)」のように見えたことだろう。
が、妙に印象的で
今の日本にも、そうした異星人のような国を導いていく
政治家や指導者が欲しいものですね ・ ・ ・
by miopapa (2012-08-08 11:42)
エイリアンという表現が妙に印象的、周りはみな福沢エイリアンに食われてしまっています。(笑い)
福沢はセンスがいいだけでなくもうれつに西洋思想を勉強し、実際にそれを駆使して放言し放題の男です。
たいした人物、大器ですね。
そろそろ、大器がでてくるような時代状況になってきました。
20代や30代に注目ですね、楽しみです。
by ebisu (2012-08-08 12:34)