#1770 供物(浅田次郎):NHKラジオ文芸館より Dec.11, 2011 [A8. つれづれなるままに…]
土曜日朝8時5分からの40分は至福のときだ。寝ながらNHKラジオ文芸館を聴いている。昨日は浅田次郎の「供物」。
http://www.nhk.or.jp/bungei/index.html
===========================================
NHK番組宣伝㌻より
「供物」
2011年12月10日
作: 浅田 次郎
再婚した夫と、2人の子どもに囲まれ、今は幸せに暮らす主人公。そこへある日、1本の電話がかかってきた。20年前に別れた前の夫の死を報せる電話だった。
酒癖の悪い夫の暴力に耐えかねて家を飛び出して以来、一度たりとも会わなかった前夫への「供物」にと、主人公は高級ワインを買い求め、20年前に飛び出してきた前夫の家へ弔問に向かう。20年という歳月に、かつて暮らした家への道筋や街の景色は、すっかり忘却の彼方へ消え去っていた。しかし、主人公には、決して消えない記憶、消してはならない記憶があった。
「月島慕情」(文春文庫)所収
語り:伊藤健三
===========================================
浅田次郎は人の心を扱うのが上手だ。たとえて言えば、人の心の奥にある鈴を鳴らすのが巧いのである。多くを語らず、ぷつんと切ることでその場の空気、人の心のうちを台詞の余韻の中に表現する。あえて描かない、描かないことで読み手のこころに主人公の心のうちを再現してみせるのだ。
11月19日は山本周五郎の「箭竹」だった。せんない事情で夫が私闘に及び切腹する。その後の妻と子供の生き方を描いたものだ。
夫が果たしえなかった「主家へのご奉公」をするために妻は20年間苦労を耐え忍び、子どもを育てる。主家の移封にもそれまでやっていた商いをたたんでついていく。
あるとき将軍が数本の優れた矢箭に気がつき仔細に観ると小さな字で「大願」とある。
さて、この矢の作り主は誰かと献納した家来に調査を命じる。…
そして「大願」の意味を知る。「こういう者が国の礎」と二十数年間、主家への方向一筋に生きてきた親子二人を褒め、お家再興がかなう。
この作家は間合いを描くのが巧い。台詞の途切れるところがいい。こころと心の濃密なコミュニケーションがそこに生まれる。武士や町人の意地、人の信、職人の生き様を書いた作品が多い。日本人とは何なのか、商人道、職人道、武士道、婦女道を味わいのある日本語で描いてみせる。描きたいテーマがわいてくるまで描かぬという姿勢を貫いた稀有な作家で、。こういう書き手はもう現れぬのかもしれない。
最近、山本一力著『早刷り岩次郎』と乾緑郎著『忍び秘伝』を読んだ。続けて読んだので、筋立ては好かったが山本のほうは日本語がこなれていないように感じた。乾は1971年生まれで40歳だがなかなかの書き手のようだ。日本語がこなれていて読みやすいのである。
友人の遠藤さんの『明治廿五年九月のほととぎす』のラフカディオ・ハーンの章に、「熊本でのエピソード」の節に「橋の上」という題の作品が載っている。平井呈一の訳だが、緊張感の間が実によく描けている。15年ほど前にあった西南戦争の折の話しを地元の老人から聞いている場面(131~135㌻)である。橋の上に薩摩の兵が三人いて待ち伏せをしているところへ百姓のその老人が通りかかる。馬で走りぬけようとする兵を3人あっという間に切り捨て、首を蓑の下に隠して持ち去る。その間の緊張感がひしひしと伝わってくる。とても翻訳とは思えない技だ。
原文テキストを彼がメールで送ってくれたので、英語が堪能な元塾生の一人へメールで試しに訳してみろと送ったら1週間ほどして手紙が届いた。気になっていた箇所がしっかり訳されていた。腕を上げたな、そう思った。うれしいものである。
平井呈一は永井荷風の直弟子だそうだ。どうりで訳文が見たことのないくらいこなれていた。日本語の達人だろう。それで、平井の訳した作品をいくつかamazonで取り寄せた。その内の1冊、『怪談』(ラフカディオ・ハーン著、平井呈一訳 国書刊行会)は豪華本である。ちょっと変わった挿絵が特徴だ。おなじみの「耳なし芳一」「雪女」「ろくろ首」などが所収されている。巻末のほうに収められている「虫の研究」が楽しい。蝶と蚊と蟻がとりあげられている。
平井の訳文がこなれていて、読んでいても元の英文がかけらも脳裏に浮かんでこない、すごい技だ。
ついでだから書き留めておく。平井は一時人形町に住んでいた。私は人形町界隈に本社のあった産業用エレクトロニクスの輸入商社S社(現在本社は新木場にあるようだ)で5年ほど働いていたから、昼間は三味線の稽古の音が聞こえてくる芳町の小路、半年通い続けた天麩羅の専門店、人形町交差点のトンカツ屋キラク、元祖親子丼の玉秀、吉田松陰が刑死した小伝馬町など、平井が数十年前に同じところを徘徊していたのかと想像するとなんだか懐かしい気がする。人形町界隈は大きなビルが立ち並び、町並みはがらりと変わってしまった。
---------------------------------------------------------
<コメント欄が面白い!>
根室人は物言わぬ人が多い。だが、根室をいきいきとした町にするにはいろんな立場の人がそれぞれの意見を言う必要がある。もちろんebisuへの反対意見もあるから楽しんでもらいたい。
大事なことは議論すること、異論に耳を傾けること。何も言わなければこの町は旧弊を再生産しながら子供たちの学力も、大人たちの能力も劣化し続け、衰退していくだけ。どういう町にしたいのかそれぞれ自分の考えを述べることができるようになれば、根室はきっと変わるだろう。
#1764「 市立根室病院の診療体制はどうなるのか(3):市民アンケート Dec. 8, 2011 」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-12-08
コメント 0