#1743 コメント・バトル:言論統制と著作権に関する四人の意見 Nov. 21, 2011 [13. 東日本大震災&福島原発事故]
「#1737(緊急!) ブログ転載記事と資源エネルギー庁によるネット監視について 」をアップしたら、三人の方からコメント欄へそれぞれのご意見をいただいた。年齢や世界観の違いを十分に感じさせる内容となっており、ブログ主のebisuが読んで楽しいコメントだった。なお、"コメント・バトル"という命名はHirosukeさんである。
*#1737:http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-11-18-1
どのご意見もありうるもので、それだけに視野を広げてこの問題を考える材料になると考えた、本欄へ転載してあらためて紹介したい。
ebisuはこの問題は国民の言論の自由と係わっており、重大な問題を孕んでいると感じている。新聞社が己の報道に対して著作権を言い出すこと自体にきな臭さを感じる。
政府機関(経済産業省資源エネルギー庁)が税金で業者を使ってネット監視ソフト開発とネット監視業務を外注して情報統制することも納税者の一人として許しがたいが、新聞社がそうした流れに応じて報道記事のネット利用に関して著作権を主張するような異常な事態をそのまま見過ごすわけには参らぬ。
新聞社も商売である、ならば日本の伝統的な商道徳、「売り手よし、買い手よし、世間よし」を貫いてほしい。実質的な言論封殺に手を貸すな、新聞社は著作権の主張には節度をもつべきだ、これがebisuの言いたいことだ。
歳を経るごとに団塊世代の爺は口やかましくなる。(笑い)
(3箇所漢字変換ミスは修正した)
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言論封殺と著作権侵害は別個の問題では??それぞれの社において転載・引用度合のラインが敷かれているんだから、そのラインを踏み外せばそりゃ削除要請くるでしょう。
>新聞社は社会の公器としての役割を放棄しつつあるのだろうか?
著作権を放棄したわけではないでしょうに。
貴方が仰るそれぞれの社のラインを踏み外しても、どうでも良い(社会に大した影響を与えない)記事を彼らは一々「著作権云々!!」と大上段に振り翳しますか。
第一自分達の記事がどこでどれだけ引用されているかを片手間にチェックするなど、この膨大なネット世界では不可能に近いのでは。だからこそ政府は専門に業者を募り自分に都合の悪い記事をチェックしてネット業者に連絡(圧力)。業者はネタ元と相談して「著作権」を理由に大衆の発言を封殺・・・だと思いますが。
もし小生の意見が間違っていると仰るのでしたら、今回の福島第一原発事故に関わる政府(原子力保安院や安全委員会などを含む)や地元福島県のデータ隠しの対応、それに追従するマスメディア、東京電力の態度・・・貴殿はそれらをどのように見られているのですか。宜しければ愚鈍な小生にも分かるように御説明下さい。
「風が吹けば桶屋が儲かる」・・・けだし名言だと小生は何時も感心しています。
これは記事の内容云々の話しではないのですよ。
様々なコストを投じて取材した内容について、そのコストを新聞社は回収しなければならない。それを無断で無秩序に転載されたら、コストの回収そのものができなくなり、しいては取材自体ができなくなるでしょう。そのために著作権は守らなければならない。そういうことを私は言ってるのですよ。
極論すれば、数百億円の製作費を投じて作られた映画の内容が素晴らしかったので、他の人にも見てもらいたいと思ってネット上で拡散させることと同じ論理でしょう。これが無秩序に拡散されれば、製作会社は投資回収ができなくなりすぐに首を吊ることになりますよ。
ブログ主さんはこの辺どのようにお考えなのでしょうか?
新聞が社会の公器であるというのは法律で定められていますか?一営利企業なのですから、情報そのものが商品性を有します。新聞史を紐解けば、そもそも「社会の公器」論は戦前の国策遂行のための一スローガンだったんですよ。あなたこそ自分の立論の前提を疑っていない。
>著作権に関するグローバリズムに日本が与する必要はない。日本は日本の判断でいい。
今ここで論じている著作権はあくまでも国内法の範疇です。著作権法に基づいた削除要請でしょう。グローバリズムに与した著作権判断とは具体的に何を指しているのでしょうか?
>某新聞社が巨費を投じた取材だなんていま読んでもそうは思えません。
ネットの無秩序な拡散性とはまさしくこのことにあるんですよ。拡散されていく過程で出典元すらわからなくなり、知らぬうちに自身が著作権侵害の加害者になる。「俺はこんな法律知らなかった」と言って法を犯すのと同レベルです。
あなたの論は「引用記事が新聞社が著作権を有する記だなんて知らなかった。個人が取材して書いたのだと思っていたし、今でもそう思っているから、自由に転載して、広くネット上で拡散させるべきだ」という独りよがりなもののような気がしてなりません。ちなみに個人が作成した著作物についても著作権は当然に有します。
「何様?」とでも言いたくなります。
同じ言葉でも、「どんな職業で、どんなバックボーンがあるのか」が明確な人物の言葉は、まったく違った意味合いを持ちます。
あなたが「通行人」を名乗る限り、この論戦は平行線のままでしょう。
>そもそも「社会の公器」論は
>戦前の国策遂行のための一スローガン
>だったんですよ。
ならば、今日の新聞社は「社会の公器」そのものですねぇ、皮肉なことに。
つまり、やっぱり、「言論統制」。
それでは適当に使い捨てのハンドルネームでもつけましょうか?ネットが普及してからだいぶ日が経つのにいまだにこういう主張をする人もいるんですね。少し驚きました。
ネット上では職業もバックボーンもいくらでも捏造できますよ。それを確認する術もないのに名を名乗ることに大した意味はないでしょう。名も知れぬ人の書き込みが嫌なら、SNS内で身内だけでやっていればいいだけのこと。
何者かわからないものが強く反論することは何様だって、それこそ言論統制ですね(笑)オープンなコメント投稿自体を拒否したほうがいいでしょう。
>新聞が社会の公器であるというのは法律で定められていますか?
論点のすり替えにみえます。無理な議論です。
>新聞史を紐解けば、そもそも「社会の公器」論は戦前の国策遂行のための一スローガンだったんですよ。
これも無理があるのではないでしょうか?私が言ったのは団塊世代の私の中学生のときのこと、戦後の民主主義にそまった先生が言った言葉として書いたはずです。
もっと人の言葉を素直に受け取っていいのではないでしょうか?そうすれば、こういう無理な解釈や反論はないでしょう。
もっと別の観点から眺めた生産的な議論になると思いますよ。
著作権とグローバリズムについての私見は別途ブログ本論で採り上げることになるでしょう。それまで棚上げです。悪しからず。
新聞社が巨費を投じて製作したものとは思えないとの私の主張への次の反論も無理がありますよ。そう思えませんか?
>ネットの無秩序な拡散性とはまさしくこのことにあるんですよ。拡散されていく過程で出典元すらわからなくなり、知らぬうちに自身が著作権侵害の加害者になる。「俺はこんな法律知らなかった」と言って法を犯すのと同レベルです。
そして次の反論も論点のすり替えです。
>あなたの論は「引用記事が新聞社が著作権を有する記だなんて知らなかった。個人が取材して書いたのだと思っていたし、今でもそう思っているから、自由に転載して、広くネット上で拡散させるべきだ」という独りよがりなもののような気がしてなりません
あいにくと新聞社が著作権を有することは知っていました。世間的な常識ですから。
新聞社の取材した記事であるとは知らなかったと事実を申し上げたまでです。
真意がお分かりになっていないようだから敷衍します。私は著作権全般を問題にしたのではなく新聞社の記事についての著作権の特権的なあり方を問題にしたのです。
後段部分はあなたが勝手に想像したことでしょう。ドンキホーテが風車に向かって槍で突き進んでいるかのように見えます。
個人が取材してネットにアップしたものについても著作権のあることは十分承知しております。ネットの住人でそんなことを知らない人はほとんどいないでしょう。
もっと人の言うところを素直にお取りになった方がいいのではありませんか?
そして、議論を楽しみましょうよ。
そうでないと読んでいただいているみなさんに申し訳がない。
さて、少し前のコメントに立ち返ります。
>ですが、言論封殺と著作権保護が別物だとは思いませんよ。それは単純な形式論理です。
このことについてもう少し詳しくお聞かせいただければと思います。新聞は社会の公器であり、かつ、営利企業でもある、私はこのように考えます。このため、新聞社が経営を行う上では基本的には新聞記事そのものが重要な商品であり、その根幹を揺るがされるような行為(著作権侵害)がなされた場合、当然にして新聞社はこれを差し止める権利を有するというのが私の考えです。
情報そのものが商品性を有し、個々の記事は法人たる新聞社に帰属しますから、著作権(商品)を保護しようとすれば、無秩序な転載・引用には一定のルールを敷いて禁止せざるを得ない。
著作権を保護する行為が言論を封殺することになるというのは、「特定の記事について、都合が悪いから削除要請を新聞社が大々的に行う」というようなことでしょうか。この辺の考え方にブログ主さんとの温度差があるのでしょうね。
>新聞社の著作権の主張にはおのずから節度があってしかるべきと私は考える
学術論文の引用とは違い、新聞記事には営利性の問題もあるため、個々の新聞社によって著作権の主張(引用・転載の許容度)が異なるのだと思っています。その許容度のことを節度と言い換えることができるかと思いますが、これは個々の経営スタンスなどにより異なるのでしょう。
>出典を明らかにしているにも関わらず引用禁止は著しくバランス感覚を欠くものですし、自らの役割を貶めるものです。
新聞社は引用そのものを禁止しているわけではありません。引用する場合はそれなりの手順を踏め(場合によっては課金も含めて)というルールを決めているまでです。著作物に対する権利の主張、情報の商品性などを含めて、これは企業として理解できる範疇のルールのように私は思います。
ここまで書いて、私とブログ主さんの考え方の違いは、著作権に対する許容度・程度の差の問題ということになるのかもしれませんね。
いいお名前ですね。(笑い)
文面も攻撃性が減りました。
冷静な議論への回帰、ありがとうございます。
共通点が出てきました。
これなら議論になります。
土曜日は午前中から仕事があり、いま休憩時間で家に戻っていましたが、すぐにまた仕事です。
仕事が終わってから続きを書くので、しばらくお待ちください。たぶん真夜中になります。
楽しくやりましょう、たのしく。
お待たせしました。
根室は今雨が降っています。昨夜は2度、今夜は11度で気温が高くなったのでほっとしています。まだ車のタイヤを取り替えていませんので。
最初の論点からいきましょう。言論封殺と著作権の問題でしたね。
新聞が社会の公器であると同時に新聞社が営利企業であることは私も同意権です。そこにはあなたと私の間に見解の相違はありません。
ですから、新聞社が著作権を侵害された場合にそれを差し止めるように行動することも私的利益の保護という面からは当然でしょう。ところが、社会の公器という矛盾した側面が新聞にはあります。そこの兼ね合いをどうするのかというところで、あなたと私の見解が分かれるようです。
私は新聞の場合は私的権利の主張よりも社会の公器としての役割の方が優先するという価値判断に立ちます。それだけ重い社会的役割を新聞は担っています。
私はしばしば「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」とブログで書いてます。新聞社は記事について世間よしという立場をつらぬくべきであると思います。そういう価値判断にたって著作権の問題も考えてもらいたいと希望しています。
もし、著作権の問題は著作権、社会の公器としての役割や役割として分断して関係を無視してしまうと、形式論理としてはすっきりしますが、現実はそういう矛盾したものの統合されたものとして立ち現れているわけでして、現実を丸ごととらえて考えたことにならないと思います。
いったん分断して考察して、その上でどういう価値判断に立ってものごとを考えるかということがあなたと私に突きつけられているのだと思います。
時の政権に都合の悪い記事についてはとくにその利用について新聞社は寛容であるべきだと思います。
3月11日以来、テレビをはじめとしてマスコミが情報を隠蔽していることは明らかです。そういう中で、命の危険があった時期に浪江町に入り、住民を取材して生の声を届けた記者の記者魂にエールを送りたい。あれは新聞社が真実を伝えた数少ない記事でした。
戦前と戦時中に時の政府にまったく迎合してしまった過去を新聞社は忘れたかのようです。ブログやツイッターでの利用にもっと寛容であるべきだと私は考えています。
でも、法は法ですから、削除要請に応じて削除はしました。
著作権の主張には節度があってしかるべしということについて、思うところを書いてみます。
次の論点ともダブります。
著作権の主張は新聞社ごとにことなるものではなく、統一コードが存在します。
日本新聞協会が出しているものを紹介します。
http://www.pressnet.or.jp/info/kenk19971100.htm
内容を見ていただければ一目瞭然ではないかと思うのですが、これではネットでの記事利用の禁止です。
実際に、一つの記事を利用するのには数万円の著作権使用料を支払うようになっています。新聞社ごとに料金設定が異なるのか同じなのかまでは存じませんが、これでは記事の転載を禁止しているのと変わらないでしょう。そうは思いませんか?
形式論理的に言えば、利用料を支払えば転載を認めているのですから、禁止ではないと強弁も可能です。でも、実質禁止だと私は判断します。
私のブログもそうですが、営利を目的にしないブログのほうが圧倒的に多い。
そういうブロガーが、記事を転載するために毎回数万円の著作権使用料を支払えますか?だから、そういう背景を承知していながら、このような統一コードを業界内で設定するのは実質禁止だと考えざるをえないのです。
最後に学術論文の引用と新聞記事の引用を比べてみたいと思います。
学術論文では出典を明らかにすれば、その引用について著作権の問題を云々する人はいないでしょう。極めてシンプルで、寛容です。
出典を明らかにしないで、長々と自分の意見のであるかのように無断引用すればそれは盗用になり、これは違法です。そのようなことをすれば学者生命が絶たれるでしょう。
なぜ、新聞社の記事のみが著作権についてこれほど取扱が厳しくなったのか、その淵源を探らなければならないかもしれません。
なにかご存知でしたらお書きください。
>ここまで書いて、私とブログ主さんの考え方の違いは、著作権に対する許容度・程度の差の問題ということになるのかもしれませんね。
そうですね、バランスの置き所に違いがあるのでしょう。
だいぶ議論がかみ合うようになりましたね。(笑い)
Ebisuさん、貴方は正しいのだから「山を見ないで鹿を追う猟師」なんか相手にしない方が良いですよ。
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私はいろんな意見があっていいと思うし、異論にはできるだけ寛容でありたいとも考える。ブログを読んでくださる方が様々な角度からの議論を楽しみ、なるほどと肯きながらそれぞれに判断をもってくださればそれで十分である。
自分の考えるところを伝えるのはむずかしいし、伝えるべきことがどれだけ頭の中で整理されているのかおぼつかないこともり、そういう時は書きながら自分の頭の中を整理している。あとから修正したり追加したりすることはほとんど毎回である。だから一日たったあとで読んでいただいた方がいいのかもしれない、とりあえずアップしてから自分の書いたものを客観的に眺めてみるようにはしている、不十分で申し訳ないと思う。
それだけに深い専門知識や幅の広い教養と大局観に支えられ、コンパクトに整理されたコメントにであったときには深い喜びを感じる。
あらためて三人の方に感謝申し上げたい。
なお、コメントが追記されたら、その都度本欄にも追加したい。本欄転載拒否要請があればそれにも応じるつもりである。
*#1744 【パラダイムシフトの時代】TPP、グローバリズムと著作権:四方山話 Nov. 20, 2011
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-11-21-1
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一般論として、記事論文の引用は、どこからの引用か明記してあって、しかも原著作の意図に沿った引用であることが必要でしょう。しかしそうであればたくさん引用されることは原著作の権威を高める事ですから、常識的に認められるでしょう。
ネットに監視があることは仕方がないですね。しかし今回の事は何か特別なシステムが働いているというよりは、このブログの閲覧者の中で悪意のある人が朝日新聞に通報したのではと思います。朝日新聞の記者であれば「新聞引用と明記してください」と言うだけでしょうけれども、ネットサーバーに苦情となれば通報者が権利侵害ですよと受け付けた新聞社の担当者を誘導してそういう事になったのでは。
これをもって「あの朝日新聞が」というのは早とちりのような気がします。もっともこの頃の記者には記者魂が足りなくなって、朝日新聞も「正義のペン」を振るう場所から「高収入の一流企業」になったのではと思っていましたから、まだまだ根性のある記者がいるなと安心しました。
by もやしさんま (2011-11-21 12:11)
もやしさんまさんへ
そういう可能性もありますね。
今回の経緯をみると新聞社からプロバイダーへそしてブロガーへの通告は私のところが一番あとでした。
ランキングでナンバーワンになったHirosukeさんのブログが最初です。
私もHirosukeさんも某新聞社の記事の転載であることはまったく知らなかったのです。
だから、新聞社の記事であると知って、Hirosukeさんは著作権の「侵害」の抗議をもじって「心外」と私に驚きを表明しました。
ところで私は何度かブログで新聞記事の転載をしていますが、いちども著作権を侵害したという抗議は受けておりません。
新聞社の営利を妨害するものでもないし、私のブログが営利追及のものでもない、そしてたいした数の読者がいるわけでもありませんから、コストを払って管理するメリットがないのでしょう。
もちろん、転載した記事にあとから文字の上に線を引いたり、記事自体を自ら削除はしたことがあります。それでも一度もプロバイダー経由での抗議は経験がありません。
今回に限って、私のブログのみならず、他のブログにも時間をおいて同じ釘が届きました。
だから、ある種のキーワードに引っ掛けてネットを監視している者の存在を感じるのです。
でも、あなたの推測の可能性も排除できませんね。
#1744で著作権の取扱についてブログ本論で私の考えるところを述べます。
by ebisu (2011-11-21 13:01)