#1627 金比羅さんのお祭りと人口減少 :根室の伝統文化の伝承 Aug.12, 2011 [88.金刀比羅神社のお祭り]
8月11日、百年に7回しかないような暑い一日(最高気温30.5度)が終わった。祭りに参加した子どもたちもバテ気味だったのではないだろうか。見物人も顔や腕がうっすら日焼けした人が多かった。
昨日(10日)釧路からの帰り厚岸に寄って、一回り年長の親戚のところで1時間ほど話しをしてきた。
「金比羅さんの祭りはなつかしいな」
そう前置きして、
「最初は金棒、その次が金棒の先導、そして笛・・・というように順番が決まっていた」
「昔は女工さんや男工さんたちがたくさん祭りに参加していたっけ」
「笛や先太鼓の音を思い出すだけで懐かしくなる」
昭和30年代のあのころは日本合同缶詰だけで4工場800人の女工さんがいたから、市内全部合わせると1000人くらいいたのではないだろうか。女工さんは道内各地や青森の農家の娘さんたちだった。
男工さんも100~200人くらいはいただろう。祭りは"若い衆"が主体の大人の祭りであった。
9年前に戻ってきて、金比羅さんのお祭りが幼児化したことに気がついた。中学生が多く"若い衆"が少ない。若い人が減ってしまうと祭りまで影響する。
金棒は男の子が祭りに参加する最初の工程であった。それはとりもなおさず、金棒の技習得が祭りの基本だったことを意味している。ところが祭りの基本であり、主役のひとつだった大人の金棒がなくなってしまった。
そのために金棒の技術が伝承されずに切れてしまっている。現在の中学生主体、女子主体の金棒は昭和30年代の大人の金棒とはパワーと技術的な面でまったく別物である。あれは根室独特のもので、他地域にはないものだったのではないか。金棒を振り、力で止めて音を出すのだが、全員の音が一つになる瞬間があった。
パワーのある担い手がいなくなり金棒の技術が衰退したのに対して、太鼓は技術水準が高くなった。だから、祭りが全体に太鼓中心にシフトしてしまったように感じる。それはそれで楽しいが、根室の文化と伝統の伝承という点からはそれでいいのだろうか。
団塊世代のころは郡部も入れると1学年1000人、市街化地域の2校だけで700人いた。いま中学生は1学年250~300人である。来年の中1年生は220人だ。
若い衆が減って、高校生や中学生主体の祭りになったが、その中高生が10年後にどれくらい減ってしまうのか?
10年前は高校受験が400人を超えていたようだ。それが約270~300人に減っている。あと10年たつと市内の中学生は1学年200人程度まで減るのではないだろうか?現在の3歳児が10年後中学生になるのだから、市の人口統計でわかるだろう。
金棒、金棒の先導、笛、先太鼓などいくつかのコースメニューがあるのだろうが、一通り経験させるという方式がいつか維持できなくなる。太鼓で始まって太鼓で終わる"専門職"が増えている。
大工は修行時代にいろいろ経験する。鉋や鋸の使い方だけではなく、基礎の造り方から地盤の固め方、左官や屋根屋や建具屋、内装職人の仕事などいろんな職人の仕事を自分の目と耳で見聞きして棟梁になる。こうして全部の仕事が指図できるようになるのだ。
昔は祭りのトータルコーディネィターの控えの層が厚かったが、だんだん薄くなってきているのではないか?祭りを伝統文化の伝承というトータルな面から検討できる人材層がすでに存在しなくなったのではあるまいか。
1学年150人の時代が10年後に来る。祭りを支える仕組みをそのまま維持するために智慧を絞る時期が来ている。人集めもいままでのやり方ではむずかしくなっているのだろう。
人口減少の時代が続く、いろんなことが従来のままではいかぬ、やっかいなことだが、事前に手を考えて対処していくしかないのだろう。
パワーのある若い男たちを20人集められれば大人の金棒の技術は復活できる。青森ねぶたなら"はねっと"、根室の金比羅祭りなら"金棒"と並び称されてみたいものだ。
祭典区の幹事さんたちが集まって智慧を絞ってみないか?大人の金棒復活!
「根室の金比羅*さんの祭りと伝統文化をかたくなに守る会」
*地元では「金比羅さんのお祭り」と言っているが、神社の正式名称は「金刀比羅神社」である。コトヒラ神社と読む。
昨日(10日)釧路からの帰り厚岸に寄って、一回り年長の親戚のところで1時間ほど話しをしてきた。
「金比羅さんの祭りはなつかしいな」
そう前置きして、
「最初は金棒、その次が金棒の先導、そして笛・・・というように順番が決まっていた」
「昔は女工さんや男工さんたちがたくさん祭りに参加していたっけ」
「笛や先太鼓の音を思い出すだけで懐かしくなる」
昭和30年代のあのころは日本合同缶詰だけで4工場800人の女工さんがいたから、市内全部合わせると1000人くらいいたのではないだろうか。女工さんは道内各地や青森の農家の娘さんたちだった。
男工さんも100~200人くらいはいただろう。祭りは"若い衆"が主体の大人の祭りであった。
9年前に戻ってきて、金比羅さんのお祭りが幼児化したことに気がついた。中学生が多く"若い衆"が少ない。若い人が減ってしまうと祭りまで影響する。
金棒は男の子が祭りに参加する最初の工程であった。それはとりもなおさず、金棒の技習得が祭りの基本だったことを意味している。ところが祭りの基本であり、主役のひとつだった大人の金棒がなくなってしまった。
そのために金棒の技術が伝承されずに切れてしまっている。現在の中学生主体、女子主体の金棒は昭和30年代の大人の金棒とはパワーと技術的な面でまったく別物である。あれは根室独特のもので、他地域にはないものだったのではないか。金棒を振り、力で止めて音を出すのだが、全員の音が一つになる瞬間があった。
パワーのある担い手がいなくなり金棒の技術が衰退したのに対して、太鼓は技術水準が高くなった。だから、祭りが全体に太鼓中心にシフトしてしまったように感じる。それはそれで楽しいが、根室の文化と伝統の伝承という点からはそれでいいのだろうか。
団塊世代のころは郡部も入れると1学年1000人、市街化地域の2校だけで700人いた。いま中学生は1学年250~300人である。来年の中1年生は220人だ。
若い衆が減って、高校生や中学生主体の祭りになったが、その中高生が10年後にどれくらい減ってしまうのか?
10年前は高校受験が400人を超えていたようだ。それが約270~300人に減っている。あと10年たつと市内の中学生は1学年200人程度まで減るのではないだろうか?現在の3歳児が10年後中学生になるのだから、市の人口統計でわかるだろう。
金棒、金棒の先導、笛、先太鼓などいくつかのコースメニューがあるのだろうが、一通り経験させるという方式がいつか維持できなくなる。太鼓で始まって太鼓で終わる"専門職"が増えている。
大工は修行時代にいろいろ経験する。鉋や鋸の使い方だけではなく、基礎の造り方から地盤の固め方、左官や屋根屋や建具屋、内装職人の仕事などいろんな職人の仕事を自分の目と耳で見聞きして棟梁になる。こうして全部の仕事が指図できるようになるのだ。
昔は祭りのトータルコーディネィターの控えの層が厚かったが、だんだん薄くなってきているのではないか?祭りを伝統文化の伝承というトータルな面から検討できる人材層がすでに存在しなくなったのではあるまいか。
1学年150人の時代が10年後に来る。祭りを支える仕組みをそのまま維持するために智慧を絞る時期が来ている。人集めもいままでのやり方ではむずかしくなっているのだろう。
人口減少の時代が続く、いろんなことが従来のままではいかぬ、やっかいなことだが、事前に手を考えて対処していくしかないのだろう。
パワーのある若い男たちを20人集められれば大人の金棒の技術は復活できる。青森ねぶたなら"はねっと"、根室の金比羅祭りなら"金棒"と並び称されてみたいものだ。
祭典区の幹事さんたちが集まって智慧を絞ってみないか?大人の金棒復活!
「根室の金比羅*さんの祭りと伝統文化をかたくなに守る会」
*地元では「金比羅さんのお祭り」と言っているが、神社の正式名称は「金刀比羅神社」である。コトヒラ神社と読む。
2011-08-12 00:25
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お勧め頂いた例の小説化の件、新ブログを開設して、ある程度の形になってきました。
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ヤマト高校♪合唱部 「わが里程標♪マイルストーン」
http://hironagayusuke.blog.so-net.ne.jp/
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宣伝です。
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40代に捧げる「青春白書」。
大ヒットした懐かしい恋歌の数々と共に振り返る中学・高校・大学時代の【里程標】。
「白線流し」を超える思い出ドラマ化、狙ってます!
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(笑)
by Hirosuke (2011-08-14 09:22)
Hirosukeさんへ
あなたらしいやりかたで楽しみながらじっくり書き進めてください。
ずっと読んでいます。
by ebisu (2011-08-15 08:45)
ありがとうございます。
by Hirosuke (2011-08-16 16:49)