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#1222 誰か反対のものはいるか?:芭蕉湾、渚の喪失に思う Sep. 28, 2010 [33. 地域医療改革の烽火]

 何年度だったか忘れたが、道立高校入試英語長文問題に日高の植林の話しが載っていたことがある。
 山から大量に木を伐採し続け山が荒れると、河川から泥水が海に流れて浜が荒れ、魚やウニが獲れなくなった。山が荒れたら浜が荒れることにある漁師が気がつき、植林を始めた。たったひとりでだ。数年やっているうちに賛同者が増えていった。やがてたくさんの人が植林に参加し、前浜は徐々に豊かな漁場に変っていった。いまでは砂漠のような海底が、「海藻の茂る豊かな森」に変っている。
 浜は山の状態を映している。山を荒らしたら、浜も荒れる。

 根室湾は芭蕉の形に似ていることから、かつて芭蕉湾と呼ばれていたことがある。根高旧校歌に「芭蕉湾とに打ち寄せる♪潮に鯨をゆあみして~♪」の一節にもあるように、ポプラ並木の旧校舎のあった大正町から当時は遮る建物もなく文字通りの芭蕉湾が見下ろせたのだろう。
 花咲小学校からまっすぐ下がったところは、いまは蟹祭りやさんま祭りの会場だが、団塊世代が小学生だったころは砂浜だった。なんどか先生は砂浜で生徒を遊ばせてくれた。
 「ニホン手ぬぐい」は団塊世代は知っているだろうが、それ以降の世代はあまり見たことがないかもしれない。緑町、日専連ビルのある所に「むらさきや」という染物屋さんがあった。いまは場所を移転して営業している。ろうけつ染めの染料などが浅い桶にいくつも置いてあった。商店の宣伝用の「ニホン手ぬぐい」は昔はほとんどこのお店で作られていたのだろう。
 砂浜で友だちとニホン手ぬぐいの端をもって、水を潜らせると、イカの幼生、小さなエビ、小さなカニ、なんだか分からない小さな生き物たちが何匹も蠢いている。獲っては海に戻し、また掬って眺め、海に戻す。好奇心の塊の子どもたちは豊かな前浜を肌で感じていた。
 本町の坂を下るとすぐに海だった。石造りの突堤が50メートルくらい海に突き出ていた。50㌢から1mほどもある石が並んでいた。浅瀬だから、裸足になって海に入って遊んだ。石の突堤には黒い螺(ツブ)がびっしりついていた。その横を小魚たちが泳いでいく。ヒトデもいた。いい遊び場だった。
 右手に貸しボート小屋があり、明るい太陽の下で夏はたくさんの人がボートに乗って楽しんだ。時折数百匹から千匹もの魚の群れに出会いながら、弁天島にもすぐにいけた。あそこにはウニがたくさんいた。獲って海水で洗い、ジュルっと口に入れると、海水の塩味とウニの甘みが混ざって溶ける。
 その左手側は缶詰工場だった。日本合同缶詰の第2工場だったかな。その辺りでは100人から200人もが並んで釣りをしていた。釣りをしていると数百匹の魚の群れが何度も周回してくる。海は魚だらけだった。3~4時間もあれば、釣りの下手な私でも100~200匹は釣れた。
 汐見町側の海岸も釣り場になっていた。
 当時、湾内で釣った魚が油臭いということはなかった。いまより漁船はよほど油の処理が悪かったはずだが、海はきれいだった。花咲小学校下の砂浜が大きな浄化作用をもっていたのだろう。
 砂浜も石の突堤も、いつのまにかコンクリートの岸壁に変ってしまった。海で遊ぶ子どもたちはいなくなった。コンクリートの岸壁では安全に遊べるところなどない。根室の子どもたちにとって、海は遠い存在になった。
 砂浜と渚が埋め立てられたその場所で毎年カニ祭りやさんま祭りが行われている。なんだか大きなものを失ったなと、祭りの喧騒の中であの渚の懐かしさがこみ上げることがある。

 埋め立てを陳情し、それを道が受け入れ、砂の渚も石造りの突堤も失われた。海は汚れ、湾内で獲れる魚は油臭くなり、魚を求めて釣りの愛好者は芭蕉湾を去った。

 おそらく、埋め立てを計画した人たちは、あの渚で遊んだことのない人だったのだろう。一度でも子どもの頃にあの豊かな砂浜で遊んだら、たくさんの小さな生物たちをその目で見たら、とても埋め立ての計画などできなかったに違いない。
 港湾整備関連補助金と売上を求めて、市政と業者が一体となって狂奔した結果が、油臭い魚の海だ。あのときもうすこし自然を残す工夫はできなかっただろうか?いまになって後悔しても子どもたちが遊んでいたあの砂浜や石の突堤は戻ってこない。
 天気のよい日は自転車で海岸を回ってみるが、釣りをする人は50人もいない。お金がなくても釣竿さえあれば、根室市民は年中活きのよい魚が食べられた。チカはワカサギよりもずっとおいしい。岸から釣れる小魚が日本一豊かな町だった。

 日高の漁師が植林をしている間、私たち根室の人間はなんと愚かなことをし続けてきたのだろう。
 私は日高漁師の植林活動と根室の浜の昔話を通して、いまの話、根室の地域医療が崩壊してしまった話しをしている。

 地域医療が荒れ果てたのは、その前に何かが壊れたからだ。誰と誰が、なにを、どのように壊したのか、現状がどのようになっているのか、お寄せ戴いた材料を使って調理し、自分の言葉で語りつむぐつもりである。
 どこまで書くかは、60億円もの巨費を投じてなされようとしている現行計画の全面的な見直しを要望した先の提案(#1220の三つの要望)に市長がどのように答えるかにかかっている。

 わたしは崩壊しきった根室の医療の現実が白日にさらされてもいいと思っている。市財政の破綻を避けられるなら、それもしかたがない。その後にきちんとした体制で出直せばいいだけだ。たかだか半年から1年で見直しはできる。厳しい現実が待っているが、傷は浅いうちに治すべきだ。放置すればさらに深くなる。

 日高の漁師がたった一人で植林を続けることで、それに共感する者たちが続いた。そして海は豊かさを取り戻した。根室人にだってできないはずはない。
 市民が徹底的に議論をし、地域医療の将来についてビジョンとコンセンサスを創りあげて、35億円で病院を建て替え、市の財政破綻を避けたいと思う。
 誰か反対のものはいるか?

*#1220に載せた三つの要望⇒残り日数あと2日
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-09-25

(1)病院建設後の5年間の損益見通しについて、資料をそろえて説明すること。シミュレーションは最悪の条件も入れてやること。病院側で作成した資料を確認してから、不十分と判断したら条件については具体的な指示をします。

(2)現行計画での建て替え中止を発表すること
 いままでの議論を白紙に戻し、徹底的な市民参加による基本仕様、場所、療養病床の問題、総事業費などをゼロベースで議論し、62億円の総事業費をおおよそ60%の35億円程度までカットすること。関係部署も協力してきちんとやれば半年で結論は出せます。
 財政破綻を避けるために、提案は無視されないほうがよろしいと思います。

(3)市立根室病院への信頼と安心を取り戻すために必要な措置を講ずること
 失った大学医局と信頼関係を取り戻すこと。支援いただいている複数の大学医局との信頼関係を自ら壊すような行為や政策は直ちに取りやめること。他にも院内に必要な具体的な措置がありますが、いまは述べません。

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