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#3408 ノートをとらないプリント授業の副作用は社会人になってから現れる Sep. 9, 2016  [47.2 書き]

 深夜から雨が降り続いて25mmの降雨量、朝9時の気温は15.5度、寒いので床暖房を入れている。秋だなあ。
  根室高校は今日で前期期末テストが終了する。英語嫌いが4人、自ら英語の勉強に挑んでいたから、手応えがしっかりある。

 弊ブログ「#3407 ノートをとる必要がないプリント主体授業増殖中」でプリント授業に言及した。
 教科書をちゃんと使ってその上でプリント問題を補充している先生もいる。問題なのは教科書を使わないでプリントのみ、生徒が板書をノートにとる必要のない授業スタイルである。

 昨日、中2の生徒が英語のプリントをやっていた。「if節+主節」の構造の文章のトレーニングだが、その中に仮定法の文が混ざっていた。
 If I got one million yen, I would go on a trip.
  If I were you, I could choose a rich man.

 文例を見て苦笑してしまった、ずいぶんと即物的な文である。こういう感覚の先生が当たり前になってきたのだろう。人間は豊かになればなるほど、拝金思考が強くなるようで、嘆かわしい。日本人が培ってきた伝統的な価値観も危うい。「武士は喰わねど高楊枝」なんて言葉を知らないのだろう。

 これら二つの文は「仮定法過去」といわれる文で、過去形を使っているが意味は過去ではなく現実の状況に反する仮定で、言っていることは現在だと説明してその形式の特異性を説明して板書し、文例を補足した。ニムオロ塾は個別指導だから、この事例では質問をした生徒一人に解説をしている。説明が終わったら、次の問題を解き始めた。ノートをとる様子がない。
「あなたの説明に応えた。高校1年生の後期に習う範囲だが、大事なところだから仮定法の説明書いた。なぜノートにとらないのか?」

 言われたらしぶしぶノートを出して書いた。

 その前に、別の質問があった。「aとanの使い分け」に関する質問である。
 語源的なことを言うと、もともとはanはoneの意味で、不定冠詞の基本はanの方、そのnが脱落してaになった。「アン」と「ワン」、音が似てるでしょ?
 不定冠詞の次の名詞がaeiouの母音で始まる単語ならanが付き、子音字ならaをつけると説明して、具体例を板書した。
 an apple, an egg, an island, an orange, an umbrella 
 子音字は、bcdfghjklmnpqrstvwxyz
(a、an、the、無冠詞の四つの用法だけで一週間集中授業をしてもいいくらい。受験参考書の受け売りじゃなくて、こういうテーマで発展学習用の強力なプリントを作成してほしいね。)

  板書したのにノートに書かないのである。大事なポイントをノートに書くという習慣がない、これはこの生徒に限ったことではない。ほとんどの生徒に共通している。この学校の英語の授業では毎回たくさんのプリントを生徒に渡して宿題にしている。

 大事なことをノートに書く習慣がない生徒が、高校生になったらちゃんとノートが取れるか?苦労しながらノートをとっている生徒が多い。根室高校でノートがとれない生徒はまだ一部である。高校統廃合がなされる来年4月以降は、ノートがとれない生徒が1/4になるだろう。書く速度が標準に達しない生徒が25%を超えることが予想される。聞いてもわからないしノートに要点を書き取ることもできない生徒たちが増えれば授業が荒れ、生徒の平均的な学力は低下する。
 高校もまた少しずつ教科書軽視、プリント主体の授業が増えざるを得ない。
 そして生徒たちは高校を卒業して、地元企業に勤める。そこで何が起きているのか、ブログ「情熱空間」の記事(青太字部分)をご覧いただきたい。
 前回同様に具体策を引用の後に書いておきます。

ttp://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8567810.html
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2016年09月07日

書かない子を量産する北海道

我が子に、きちんとした学力を身につけさせたい。

ならば、こうすればいいんです。書かせましょう。とにかく書かせるようにすればいいんです。勉強が壊滅的な子の特徴があります。これ、百発百中です。書かないんです。とにかく書かない、書こうとしない。ただ黙って問題を見つめているんです。「何やってるの?」と尋ねると、「今、考えているの…」との返答が返ってきます。おいおいおい、算数・数学の計算式をじっと見つめていたって、炙り出しじゃないんだから(笑)、答えなんか浮き出てくるわけないべって!とまぁ、そんな感じですね。

新規高卒者を採用したある企業、その経営者の悲鳴。「何度教えても、仕事を覚えないんですよ…」「書かないんですよ。メモを取るように何度言っても、それに従おうとしないんです」「言い続けていたら、そのうちふてくされちゃって…」分かります。だって言っちゃ悪いけれど、北海道の場合、義務教育というトンネルをくぐってくる中において、多くの場合、書かないことをしつけられてしまっているんですから…。書かないということが、その若者には完全に習慣になっているんです。

話は一つ前の記事、切った貼ったのノート作り、プリント授業に重なります。よくよくお考えいただきたいのはこの部分なんです。人の話を聞きながら書く。小中学生ならば、先生の授業を聞きながら、黒板に書かれたことをノートにとる。その作業、単純そうでいて、しかしそうじゃないんですよね。

ちゃんと話を聞きながら、それでいて一方では書かれたことを書き写す作業を進める。その場合、短期記憶メモリーが働くんですよ。書き写す作業には、瞬間的記憶力が伴いますよね。書かれていることを瞬間的に記憶し、そしてそれをノートに書いて再現するという。板書が多いということはつまり、それだけ短期記憶メモリーが、すなわち脳が鍛えられることに他なりません。

よく、「書きながら考える」とか「書き出して考える」とか言われますが、多くの子ども達は今、それができません。理由は単純明快。書かないから。書くトレーニングなされていないから。だから自力でまとめることができない。ゆえに学力が低いまま。手と脳はつながっていると言いますが、まさにその通り。学力が高い子はまた、例外なく書くことを苦にしないものです。しかしこの部分、北海道では猛烈なまでに軽視されている。そうとしか言いようがありません。

釧路の子は(文章を)書くことが苦手。(文章を)要約することもまた苦手。全国学力テストの分析ですが、そんなもんあたりまえだってーの(笑)!だって、書かせないんですからね。作文以前、文章以前、そもそも文字を書かせないんだもん。ちょっと多めなくらい板書をして、そしてそれをノートに書かせるべきなんです。効用は学力面だけじゃありませんよ、集中力の持続が求められるわけだから、授業もまた静かになる。作業をさせるわけだから、授業時間が短いと子どもは感じる。まさにいいことづくめ。

教える側の技量もまた高まります。話しながら子どもを引きつける。手早く板書をする。書き写している様子を確かめ、また話に戻る。その繰り返し。それってつまりは「間(ま)」ですよ、「間(ま)」。黒板を用いて板書をし、それをノートに書き写させる。そのためには、「間(ま)」を上手にコントロールできることが必要。ところがプリント授業にはそれが不要なんです。答え(穴埋め部分)のみを板書して終了。教師も児童生徒も手を動かすのは最小限。そうしてやがて手を動かすのが億劫になってしまう。「間(ま)」どころか「魔(ま)」になっちゃうんですよ、板書で授業ができなければね。

書かせましょう。どんどんどんどん書かせましょう。書くことを苦にしない子だらけになったなら、全国学力テストなんてすぐに上位になっちゃいますってば。義務教育というトンネルを抜けたならば、書かない子、書こうとしない子だらけ。実におかしいって思います。9年間の義務教育を終えても、自力でノートにまとめることができる子、我が北海道では本当に少ないですからね。教育は自立のための営みのはず。それなのに自立を阻害するかの如く手を動かせないって、おかしい、実に実におかしいって思いますね。

最後にかっこよくまとめてみましょう(笑)。北海道の子ども達に驚くほど不足している力、それはこれですよ。【視写】ですよ、ししゃ。プリント授業が蔓延していて、より一層それに拍車をかけてしまっています。視(み)ながら書き写すこと。読んで字のごとくですが、それが今、驚くほどに軽視され続けています。はっきり言いましょう。だからいつまで経ってもダメのままなんです。

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《「読み・書き・そろばん(計算)」における標準速度の確保》
 学校教育で12年間続けてすっかり「ノートをとらない病」に罹った子供たちは社会人になってからまことにやっかいな存在になるのです。ノートをとらない生徒は、高い確率で「メモをとらない社会人」になります。大事なことをメモにとるという習慣は、小中高で板書をノートに書き取ることで育ちます。その大事なところを端折ってはいけません。
 「読み・書き・そろばん(計算)」スキルは、学年ごとの標準速度(量と制限時間)を示して指導しませんか?中学生の書き取りの標準速度はニムオロ塾では16分間で600字と決めています。北海道新聞の「卓上四季」がそれくらいの分量です。計算速度は同じクラスの速い生徒と遅い生徒で1:30の差がありました。計算スキルに秀でた生徒が10分間でやり終わる問題に、計算が遅い生徒たちは30倍の300分、6時間もかかります。速度の差は大きな学力差を生み出します。読みの技能が一番基本ですが、これは音読指導をしなければチェックできません。手間のかかることですが、ニムオロ塾ではやっています。音読指導は授業料をいただきませんから、最近は希望者のみ。日本語の読みの正確さと速度チェックだけはいまでも全員に実施しています。「先読み技術」は音読指導をしないとなかなか身につけることができなくなりました。読む本の分量が少なすぎたら、「先読み技術」は自然には身につきません



*#3407 ノートをとる必要がないプリント主体授業増殖中
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-09-07

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コメント 2

ZAPPER

釧根地区ではここしばらくで学力上位の中学生が激減しておりますが、どうやらこの学校のプリント授業こそが諸悪の根源といえそうですね。

低学力層の底上げには少しばかり寄与しても、上位層の学力をを押し下げることに強力に作用してしまっている。色々な状況証拠がそれを物語っています。

おかげさまで、はっきりくっきり見えてきました。ありがとうございます!教育行政も学校も、このことにまったく気づいていないのでしょうね。ならば教えて差し上げなくてはなりません(笑)。
by ZAPPER (2016-09-09 11:29) 

ebisu

2003年のことでしたが、学習スタイルを予習方式に切り替えた生徒が、3ヵ月後に数学がクラストップ、英語は1年後に学年トップになりました。苦手だったほうの英語は3回に2回はトップでした。残念ながら、学年トップはなかった。
この生徒は塾に来る直前の数学の点数は50点にちょっと届かない程度、英語は十点台でした。

予習方式に切り替えると、学校の授業は「復習」に変わってしまうので、とってもよく理解できるようになります。だからダブルで学力向上に効いてきます。
「先生、嘘みたいに学校の授業がわかるようになった!予習方式っていいね。」
そう言って喜んでいました。

教科書を自力で読み、理解する、理解できない箇所は個別指導塾で質問する。
教師への依存をミニマムにできます。そして学習への自立心も育成できます。

教科書を独力で読み、問題演習をしてから授業に挑めば、成績上位にならないはずがありません。
こういう勉強スタイルを確立できて子が、五科目合計点で400点を取るのは当たり前です。

要は勉強の仕方です。

by ebisu (2016-09-09 22:15) 

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