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#4814 高田屋嘉兵衛と林子平:ウクライナ侵略戦争 Aug. 28, 2022 [21. 北方領土]

 司馬遼太郎(1923-1996)『菜の花の沖<6>』を読んでいたら、気になる箇所が三つありました。
 カムチャッカの小さな村へ連行されて上陸したときのことです。武器と訓練に驚いています。
「<此地の武備大砲二十四挺。いづれも精巧の車台に載せ、常に庫内に納置、日々引き出して、習練怠ることなし>と嘉兵衛はのちに述べている。首邑のペトロハバロフスクにして人家三十余戸というのに、大砲二十四挺というのは、嘉兵衛が属する国から見れば、驚くべき重装備であった。たとえば日本国第一等の大名である加賀前田百万石にしても、火力に置いては、この小さなペトロハヴロフスクの装備に遥かに劣るのである。」
 首邑(シュユウ)とは、その地方の中心の村のことです。カムチャッカではペテロハヴロフスクです。邑とは「村」を意味しています。

 嘉兵衛は装備の大きさに率直に驚いています。田沼意次は北海道開拓のためにあぶれている武士3万人を送る計画をもっていたので、ロシア側のこの警戒ぶりがあながち過剰であるとは言い難いところがあります。お互いに国防という観点から、最新兵器の重火器で防備を固める必要がありました。日本とロシアはそういう地政学的な位置関係にあるということです。これは変えられません。

 二つ目は「上国」と「国政悪しき国」の定義です。
 「他を譏ず、自誉ず、世界同様に治り候国は上国と心得候」
 これは高田屋嘉兵衛(1769-1827)がディアナ号の船長であるリコルド少佐との会話を『高田屋嘉兵衛遭厄自記』書き残したものですが、司馬は次のように解説しています。
 「自分の家門を無用に自慢したり、他家をおとしめて悪口をいうのは、上等な家のものではないということはたれでもわかっている。また一村一郷を誇って隣村隣郷を譏るという地域が、上等な地域であるはずがない。国家も同様である、ということらしい。」...同書159頁
 「愛国心を売り物にしたり、宣伝や扇動材料に使ったりする国はろくな国ではない。という意味である。」
 もっともなはなしですね。でもね、これで国が守れるでしょうか?
 1923年生まれの司馬は敗戦時の価値観の転換を経験しているので、国防にたいしてアレルギーがあるように感じます。強力な軍備なしで「上国」が独立を守れるでしょうか?

 また、高田屋嘉兵衛はリコルド少佐に次のようにも言ってます。
 「好んで軍を催し、人を害する国は、国政悪しき故と心得候」

 こういう国があるということです。あるのに、武力をもたずに「上国」を気取っていて独立が守れるのだろうかと疑問がわきます。

 気になった箇所の三つめは、司馬は高田屋嘉兵衛と林子平を対置して見せたところです。
 林子平(ハヤシシヘイ1738-1793)は『海国兵談』1786年(上梓は1791年)の著者であり、彼が作成した「三国通覧輿地路程図」1785年があります。三国とは日本とロシアと中国です。ユーラシア大陸を下側に、東を上に下地図です。中国とロシアが太平洋へ進出するためには、覆いかぶさるように位置している日本列島が邪魔です、日本はそういう地政学的な位置にあります。林子平は海防を説きます。ロシアがユーラシア大陸の東の果てまで来てしまっているから、次は南下すことになる、だから海の守りを固めるべきだと。ロシアの侵略の意図を見抜いていました。ところが、『海国兵談』は発禁処分となり、版木まで焼かれてしまいます。林子平は蟄居処分。1793年に失意の中で亡くなっています。松平定信に疎まれて、発禁、蟄居処分となったのですが、幕末にその重要性が認識され、再発行されました。
 松平定信は中学生には天明の飢饉の後の「寛政の改革」でおなじみでしたね。

 司馬はロシアの侵略に備えて防備を固め、武装を強化することに反対のようです。そんなことをすれば自ら戦争を呼び込むことになる、そう主張していますが、敗戦による価値観の転換を経験したからでしょうね。軍備強化にアレルギーがあるのでしょうね。司馬は満州牡丹江で戦車隊の小隊長を経験しています。

 繰り返しますが、司馬は、沿岸を武装し、戦艦を多数建造すれば、それが戦争を引き起こすというのです。そして林子平は思慮が浅いと具体的な点をあげつらって断罪しています。
 「なぜなら、その帝室は明以前のような漢民族ではなく、好戦的な元(モンゴル帝国)と似た北種(この場合満州民族)であるからだ、というのである。子平の他国への分析能力が、文字を同じくする隣国についてもこの程度の粗末なものであるというのは、驚くに値する。かつ論旨が単純すぎ、たとえば武装のみが国防の唯一の要件であると説く。
 むろんその論がたとえ聴くに値するとしても、武装を世界的水準にするためには開国以外にはないということに気づいていない。さらには海国というものが、幕藩体制の衰微を意味するという恐ろしい結果に対する予測もしくは予感が、文章に感じられない。」...同書181頁

 嘉兵衛はロシアの狙いは商売(=貿易)にあるとみていました。林子平はロシアはユーラシア大陸の東の端に到達し、次いで南下して日本を侵略するとみていました。
 さてどちらのロシア観が、現実を直視し、ロシアの本質を見抜いていたのでしょう?

 77年前に、ロシアは日本がポツダム宣言受諾を決めたあとで、北海道の東側半分を自分の領土にしようと侵攻してきました。そして北方領土をソ連領に組み入れました。いま、ロシアの西側に隣接するウクライナに侵攻して、領土拡張を試みています。

 帝政ロシアは貿易もしたかったのでしょう、わたしには林子平の主張がよりロシアの本質を見抜いていたように見えます。
 実際に、朝鮮半島を挟んでロシアと対峙することになり、日露戦争が勃発しています。
 日本が開発した下瀬火薬の威力が大きかった。対等に戦える武力をもっていないと、ロシアや中国にほしいがままに蹂躙されるということ、そういう地政学的な宿命を日本は背負っています。林子平が作成した地図を見てください。彼は毎日この地図を見て日本の海防を具体的に考えていたのではないでしょうか。地図と『海国兵談』の記述に執念を感じます。

 今日の北海道新聞を見ると、北方領土の引き揚げ者の発言が載っています。戦争ではなくて、政治的な話し合いで解決すべきだと。77年間政治的な話し合いをしてきて、領土が戻りましたか?
 戦わなければ、ウクライナはロシアの領土となるだけではないでしょうか。ウクライナ語もなくなるでしょう。

<武器開発の重要性>
 江戸時代は武器の開発製造を禁じていましたから、世界に300年も遅れました。戦国時代は日本製の鉄砲は世界最先端の性能でした。運用も優れていました。射手の腕もいい。種子島銃を見ただけで、刀鍛冶は、見本よりも品質の良いものをたくさん作れたのです。日本の職人は腕がいいし、知能も高い。
 幕末の頃に韮山に反射炉をつくり、鋳物の大砲を製造し、砲身をくりぬいてカノン砲をつくっています。幕府が資金援助して大々的にやれば、ペリーが戻ってくるまでにお台場にカノン砲を数十門は揃えられたでしょう。重要な技術者を大事な時期に、十数年間も牢に閉じ込めました。
 ジョン万次郎こと中濱万次郎をペリーとの交渉の場で使えば、ずいぶんと活躍してくれたでしょうが、箱館に追いやっていました。ハリスにしてやれれることも回避できたかもしれません。それほどトップがバカだったのです。

 第二次世界大戦以降、日本は武器開発の大きな制限があってやれていません。歴史が教えているように、ロシアや中国と対等に戦える武器開発はいつの時代でも必要だと思うのです。

 幕末はトップ(幕閣)がバカだったことと300年間武器開発をしてこなかったことが致命傷でした。でも、優秀な職人がたくさんいたのですから、何とかしようと思えば、図面さえ手に入れば何とでもなったのです。大砲も戦艦もすぐに造れたでしょう。それぞれ国産のものを実際に造っていますが、国を挙げて大々的にはやらなかった。

 対等に戦える武器なしで、隣国に中国とロシアという領土拡張意欲の大きい国があるのに、無事ですむとは思えません。武力の背景のない外交も政治も無力です。
 誰だって戦争は嫌です、でも独立を維持するためには戦わざるを得ないことがあるのではないでしょうか?

<三国通覧與程路図>
 株式会社根室印刷がこの地図を精巧に複製して、2011年のカレンダーとして特別に配布しました。会長の北構保男氏からいただいたものです。教室の壁に貼ってます。ロシアと中国が太平洋へ出るのを日本列島が邪魔しているように見えませんか?林子平はこの地図を作って毎日眺め、いずれロシアや中国と戦争になると海防を具体的に考えていたのだろうと思います。戦争を経験することで国防アレルギーをもっていた司馬遼太郎よりは、現実的ではるかに先見の明がありました。司馬は「上国」ならだれも侵略してこないと妄想しているように見えます。
DSCN3569s.jpg

#2781 北方領土の地政学的な位置 

ディアナ号
 このディアナ号は1807年建造のスループ船で、1本マストです。船長はゴローニンでしたが国後島で日本の役人にとらえられて拘留されたままです。それで副艦長のリコルド少佐が艦長になっています。
 安政の大地震が1854年と55年に起きますが、その折に津波で大破したディアナ号は1853年建造の別の船です。フリゲート艦で3本マスト、艦長はプチャーチンでした。1854年11月4日の地震による大津波でディアナ号は大破、そのあと嵐で沈没します。戸田村に船大工が集まり、設計図を見ながらわずか3か月で「ヘダ号」を造ってロシアへ返してあげます。このとき、船大工たちは、西洋式の船の建造技術を手に入れてます。
 とはいえ、ヘダ号はディアナ号に比べて排水トンで1/20ですから、ミニチュア版といってよいくらいのサイズです。同じサイズのものを作る必要はありませんでしたが、もし造るとしたら、何年かかったでしょう?数年では不可能だと思います。大砲も炸裂式の砲弾も作らなければなりませんから。

    ディアナ号   ヘダ号
総長  53.3m     24.6m
幅   14m      7m 
排水量 2000トン    100トン
マスト  3本      2本
乗員  500名     50名



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