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#4756 財布落として朝まで気が付かぬとは... May 22, 2022 [B1. ルーツ]

 用事があって釧路まで行ってきました。土曜日の夜は3軒ハシゴして、午前0時半に末広町のとあるスナックからタクシーで帰還した。気のいい仲間だが、3次会まで付き合ったのは3年ぶりくらいかな。最後のお店は4人になっていました。一人は「釧路高専の4年生」。カッコつきのところに意味があります。大音量ですが、いい声してます。歌声の年齢は「高専4年生」ですね。
 最初のお店の名前に驚きました。「Γ吉」というお店でした。「かねきち」と読みます。
(ご先祖が釧路で旅館業を営んでいたときの屋号がこの「Γ吉」で「Γ吉〇〇旅館」でした。父方のお爺さんは音更町のホテル大平原の中津川と兄弟でした。中津川から、同じ旅館業を営む釧路の「〇〇」へ養子で入ったようです。後に結婚することになるばあさんは鳥取藩から入植した五十数人の一人、西尾良貞の娘。本家は鳥取西尾家でした。本家筋の方はだれか県知事になっているようです。廃藩置県が行われた後に、一時期、鳥取県が島根県に統合になり、鳥取県庁がなくなりました。鳥取藩士たちは職場がなくなり食い詰めたのです。長男だけが後を継ぐために残り、次男以下が釧路へ入植しました。不平士族の反乱を恐れた明治政府の政策でした。根室県令が土地を割り振ったようです。釧路市の鳥取神社に資料が保存されています。三木さんの紹介で、宮司の木下さんに見せていただきました。したことのない農業なので、政府から水田耕作の指導者が来ましたが、2年やるも、米は一粒も取れず家財道具を売り払いながら、困窮を極めたようです。丸太の掘っ立て小屋で鍬二丁の支給、隙間風だらけで盥(たらい)に氷が張ります。寒い冬をよく生き延びてくれました。ご先祖様に感謝です。貧困化と苦労にめげて、命をつなぐことをあきらめてしまったなら、現在のわたしはありません。ばあさんとは、小学生の時に1-2年一緒に暮らしています。背筋を伸シャンとのばし、煙管に煙草をつめて吸っていました。吸い終わると、ひっくり返してトンと金具の部分を打ち付けて、燃えてしまった煙草のカスを棄てるんです。なかなか粋でした。「お前たちは士族の孫だ、平民とは違う!」なんてことをにこにこしながらたまーに言ってました。ばあさんが士族の娘なら、オヤジは1/2でわたしは1/4です。どんどん薄まっています。ばあさん、鳥取にいたときには外出するときは籠に乗って出かけていたんだそうです。一緒になった亭主が飲む打つ買うの三拍子で、財産を使いつくし貧乏のどん底も嘗め尽くした人、どこまで本当なんだか、とにかく明治の香りのする人でした。
 旅館の方は佐藤尚著『釧路歴史散歩(上)』p.216に『北海立志図録』から2階建ての建物の絵が転載されています。もちろん、その旅館は百年と少し前に消滅しています。最盛期には硫黄山への出資など手広くやっていたようで、お金が50万円あったそうです。財産なんて幻のようなものですから、そんなものに執着してはいけません。子孫に残す必要もない。なにもなくてもたいがいの人はちゃんと自立できます。それで十分ではありませんかね。)

 タクシーで戻ったときに、ホテルはすでに施錠されていて、カードキーがないとホテル内へ入れません。肩から掛けたポシェット風のバッグの中はいろんなものが入ってパンパン。ドアの前でカードキーを取り出そうとしたがなかなか出てきません。財布が邪魔なのでバッグから出して手にもって、さらにバッグの中を捜索、...あった、カードキーを読み取り機にかざして開錠、ようやくドアが開いてホテル内へ。
 フロントに女性が立っているので、「こんばんわ」と声をかけてエレベータで9階まで上がりました。そんなに飲んではいなかったが、やはり酔っぱらってはいたようです。
 室温が少し高めのようで1時間半ほど寝つけなかった。7時に目が覚めて、シャワー。バスタオルで身体を拭きながらドアのところへ視線がいきました。

 ドアの下に「フロントまでお電話ください」と書いた紙が差し込まれていたのでなんだろうと電話してみたら、フロントの方から名前の確認があって、「財布を落とされましたが、フロントにあります」という。
 落としたという自覚がまったくなかったので、狐に化かされたような気分でバッグを確認したら、おやおや財布がない。(笑)
 フロント前の通路で、財布をもったままカードキーを出し入れしたので、手に持っていたのを通路に落としたらしい。落とせば感覚が手に残るはずなのに、まったくなかった。手の感触の感度が悪いね、歳を感じました。
 ホテル内でなかったら、そして、ホテル内でもフロントの前でなかったら、事後処理がたいへんでした。
 カードの利用停止や、再発行。何枚かの診察券も再発行手続きが必要になります。キャッシュカード、全日空のカード、免許証など、とっても厄介なことになるところでした。釧路からの帰路はわたしが車の運転をしてきましたが、免許証を紛失したなら、女房殿に運転をお願いしなきゃいけません。「免許証不携帯」になりますからね。
(ずっと運転してきました。以前は途中で交代してました。疲れて眠気がさしたりしてましたから、とても一人で「釧路⇔根室」間の単独運転は無理でした。1年前くらいから何でもなくなりました、不思議です。)

 チェックアウトしてから、イオンへ行き、六花亭のお菓子の詰め合わせをお届けしました。
 フロントの女性にっさやかな感謝です。どうもありがとう。
 ラウンジは10階にあり、朝食に焼き立てのおいしいパンが並ぶ釧路駅近くのホテルです。空いている限り、釧路へ用事があるときはこのホテルを利用させてもらっています。12年のお付き合いになります。
 
<余談:お召列車の機関士>
 婆さんの兄弟は「天皇のお召列車の機関士」でした。3代まで身辺調査がなされるようです。お召列車の機関士はcm単位で停車位置をコントロールできる技能のもち主です。
 名字は西尾ですが、名前まではわかりません。旭川に住んでいました。
 

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