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#4576 シュリーレン現象:夏目サイエンス・カフェ June 23,2021 [5.2 好奇心]

<最終更新情報>6/25午前9時 初期仏教経典の中のお釈迦様と八支聖道を追記
 Microsoft Bingで「夏目サイエンスカフェ」と入力して検索すると、リストの一番上に弊ブログのこの記事が載っています。吃驚(びっくり)です。

 今日のお昼ごろ、1時間ほど、FBで夏目雄平先生のサイエンス・カフェを視聴した。シュリーレンとはドイツ語のSchlieren「粘液・縞・条痕」から来ている。
 実験はべっこう飴を割りばしにつるして、無印良品の透明な直方体のアクリル容器に水を入れて、雨が溶け出すところを赤色LEDライトを当ててスクリーン上に映し出して揺らめきを観察するというもの。

 LEDライトは広がり角15度のものを用いていた。電源はどこでも売っているボタン電池3Vである。ネットで調べたが広がり角15度のLED豆球(足(端子)つき)は見つからなかった。秋葉原にはあるのだろう。
赤と黄色の2色を使ってどちらの方がシュリーレン現象がスクリーン上に鮮明に写るか試したら赤色のほうだった。黄色のLED電球よりも溶け出すところが鮮明に見えた。溶け出した飴が下方へ流れていくので縦の縞状に揺らめいて見える。スクリーンは白と黒の画用紙を張り合わせて切れ目を入れて折り曲げて、倒れないように工夫していた。スクリーンづくりの場面から実験準備がスタート。

 驚いたのは超音速ジェット機が太陽を横切るときにその衝撃波が写真に縞模様になって写る、それも飴が溶け出すシュリーレン現象と同じものだというのである。
 高さ10㎝ほどの透明アクリル容器の水の中で起きている現象と、大空を超音速で飛行するジエット機の起こす衝撃波が同じ現象なのだ。ワオー!

 物理ってとっても面白い。好奇心の旺盛な小中学生の時にこういう実験を見る機会があったら、進路が違っていた可能性があったかも。
 最近は理系志向の中高生が少ないようだ。根室高校でも理系・数Ⅲ履修者は普通科110名中10名ほどしかいないが、小中学生の時にこういう実験で好奇心をくすぐられたら、理系進学者が増えるだろうな。

 夏目先生は千葉大学名誉教授で、小中高生対象に「夏目サイエンス・カフェ」を頻繁に開いている。実験に使う道具は百均で手に入るものがベースだ。今回の実験はLED電球が根室のお店では手に入らない。

 夏目サイエンス・カフェのサイトはFB上なので、青字の部分をクリックすればジャンプできるようにはしたが、これで開けるかどうかわからない。
 夏目雄平こちらの方(FB)が大丈夫そうです。

 シュリーレン現象の画像を三つつ紹介してこの稿を終わります。
*シュリーレン現象:飴が水に溶ける画像
*シュリーレン現象-2:超音速ジエット機の衝撃波

 溶けて下方へ流れ、縞模様ができているのが見えます。これがシュリーレン現象です。
OIP Schlieren 1.jpg

<余談:量子ビット>
 夏目先生は最近、文系ビジネスマン向けの量子コンピュータの解説のために、基本概念である量子ビットの説明をしていますが、従来型の古いタイプの8ビットマシンと区別がつかずに困っています(困っているのはわたし)。説明は1978年に初めてパソコンに触れたときのコモドール製8ビットマシンと同じに聞こえます。やはり量子という基礎的概念を理解しないと届きそうもないのです。夏目先生は「意味付けに違いがある」とおっしゃいます。(笑)
 ペンローズの三角形での説明では理解不能。この分野の基本的な本を選んでしっかり読むしかなさそうです。

 そういえば、もうお一人専門家がいらっしゃる。ときどき投稿を寄せてくれる小寺さんの息子さんが東工大で量子コンピュータの研究をしています。小寺さんとは面識がありますが、息子さんとはありません。世の中には案外物理の専門家がいらっしゃるようです。
東京工業大学 小寺研究室 (Kodera Laboratory)


 72歳になってもマルクスを越えたところの経済学が少しわかっただけで、世の中知らないことだらけです。阿呆は好奇心に誘われて、死ぬまで学ぶのでしょう。いや死んでからも学び続けられるなら、死と引き換えに無限大の時間を手に入れられます。たとえ、宇宙全体と一体化しようと、自我が失われようとも、手にできます。死後のことは誰にもわからない。お釈迦さまも無益であると論じませんでした。パーリー語で伝えられた初期仏教経典群『阿含経』の中では、ただ、八支聖道に励めと衆生に説いています。「正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定」です、たったこれだけ。wikiの解説は難解ですが、増谷文雄訳の『阿含経典』は平明な日本語になっていますから、だれにでも理解できます。本来の仏教は宗教ではないのです、何かを信じろとか信仰をお釈迦様は説いていらっしゃらない、人の生き方、真理に関する哲学です。



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 わたしがもっているのは単行本の方で、1981年の初版7刷です。全巻購入して熟読しました。お釈迦様の透明な知性に魅せられたからです。多分に毒を含んだソクラテスとは全く異質の透明な知性と哲学がそこにありました。2500年のときを隔てて、お釈迦様に直接教えをいただいているような温かさを感じます。中国経由の難解な仏典群は中国の高僧たちが解釈したもの。小難しい。お釈迦様が衆生に説かれた言説はじつに簡単明瞭なことなのです。パーリー語からサンスクリット語へそして表意文字である中国語へ翻訳されることで、翻訳に当てられた漢字が意味を持つことで、本来の思想がさまざまに解釈可能になってしまいました。中国の高僧たちはそうしたのです。本来のお釈迦様の言説は漢字というベールに覆われて衆生のわたしたちには見えなくなってしまいました。全巻読む必要はありません。1冊だけでも十分に言わんとするところが伝わります。好奇心がわいた方は、どうぞ手に取ってお読みください。けた外れの知性の存在が感じられるでしょう。

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