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#4284 COVID-19と行き過ぎたグローバリズム批判:エマニュエル・トッド July 6, 2020 [97. 21世紀の経済社会 理論と理念と展望]

 フランスのエマニュエル・トッドは歴史人口学者、斬新な切り口で時事問題を切り分けて見せてくれる。欧米に比べて独自な文化圏に属する日本ではあるのだが、こういうタイプの学者はほとんど見られない。

 トッドは新型コロナで判明したことがあると主張している。
●マスクを造る技術も企業もフランスには存在しない。
●重篤化した患者の治療に必要なエクモ人工肺を造る技術がない。
●PCR検査装置を造る技術も企業も存在しないから、日本のPSS社のPCR自動検査装置をOEMで大量に確保した。
●医療施設維持費用と人員を削減してきたので、パンディミックになったら患者を収容しきれず、死亡率が高止まりしてしまう。

(7/5現在累計死亡者数:米国129,676人、英国44,283人、スペイン28,385人、イタリア34,854人、フランス29,896人、ドイツ9,020人、日本977人、韓国283人、インド19,268人)
*https://comical-piece.com/korona-virus-number/#i

https://bungeishunju.com/n/n45b92fed6cf8

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人口10万人あたりの死者数(5月15日時点)は、ベルギー「77.4」、スペイン「58.0」、イタリア「51.5」、英国「50.0」、フランス「40.4」、米国「25.7」であるのに対し、ドイツはわずか「9.5」です。日本や韓国はさらに低く、いずれも「0.5」程度です。
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 EUの中ではドイツだけが生産技術とそれを担い伝承する企業とパンディミックに耐えうる医療機関が存在している。物理学者のメルケルドイツ首相は実にしっかりしたビジョンで国の政策の采配を振るっているようだ。

 なぜドイツがそういう産業を国内に温存できたかについて、トッドは経済統合体であるEUの果たした役割を指摘している。マルクから€への切り替えで、ドイツはEU域内での貿易で圧倒的に優位になったから、EUの生産拠点はドイツに集中することになった。マルクから€への切り替えは実質的なマルク安として製造業の育成に効果的に働いたのである。中国が世界の生産拠点となったように、ドイツがEUの生産工場となった。

 トッドは国家の安全上必要な産業が空洞化することを行き過ぎたグローバリズムと名付けている。問題提起がシンプルだから、処方箋も簡単だ。失われた生産設備を国内に取り戻す必要があるということ。これからもさまざまな感染症が世界を襲うことになるから、パンディミックに対応するには必要な医療物資を生産する拠点を国内に持つべきだというのはあたりまえの主張である。トッドの提案に従えば、国家の安全にかかわる生産設備は国内に置き、その品目に関しては強い管理貿易体制を敷くことになる。反TPPの主張である。こういう観点から見ると、日本はこの数年間TPP交渉に参加して愚かな選択をしたと言える。
 残念なことにフランスと似た道を日本も歩みつつある。十年という長期間で見ると、国の指導者の資質が問われているのではないか?

 日本はPCR検査数が少ないことを国際的に批判されているが、検査処理能力が不足しているのではない。検査センターへ他の検体と一緒に外注すればいいだけ。大手民間検査センターの処理能力は都道府県の衛生研究所とは人員においても機器においても自動化に関しても比較にならない。臨床医がPCR検査を必要と判断したのに、臨床医ではない保健所長や職員が検査不要と判断して、必要な検査を妨害している。このような状態は医療法に抵触するのではないか。厚労省や専門家会議はなぜか超法規的な措置をとっている。

(PSS社の全自動PCR検査機を販売するのに厚生労働省の許可がいるとニュースでたびたび耳にするが、どういう法的な規制があるのだろう?1980年代後半に2年半ほど日本最大の臨床検査センターで機器の購入を担当したことがあるが、そんな許可の必要だったことは一度もない。IRS社の染色体画像解析装置やLKB社の紙フィルター方式の液体シンチレーションカウンターやγカウンター、栄研化学のLX3000 など民間検査センターとしては国内初導入だった。PSS社社長の田島さんとも当時は顔なじみだ。SRLで自動分注機の開発を担当してくれたときに立ち上げた会社がPSSである。自動分注機に関しては発足当時から世界トップレベルのメーカである。100本ラックはSRL社内仕様だったが、PSS社の自動分注機がSRL社内規格に合わせていたので、実質的な日本標準となっている。
機器については規制がないが、他方、検査試薬については規制がある。効果のないものに保険点数は付与できないからだ。学術開発本部スタッフだった2年間に、開発部の仕事も担当していた。製薬メーカと検査試薬共同開発作業のコーディネータのような役割で、塩野義の膵癌マーカとDPC社のⅣ型コラーゲン検査薬を担当した。本部長直属のスタッフだったが、担当者ごとに手順がばらばらでどの段階まで進行しているのかさっぱりわからないので、開発部の製薬メーカーとの検査試薬共同開発担当者全員からヒアリングして、PERTチャートを利用して手順を標準化した。検査試薬は許可がいるが、機器は別というのがわたしの経験から言えること。)

 トッドは国家の安全上、国内に必要な生産設備を持つべだと主張しているが、現時点で一番有利なのは日本とドイツだろう。この二か国は技術を尊ぶ精神が伝統として受け継がれている。ドイツにはマイスター制度があり、日本には職人文化が伝統として脈々と受け継がれている。工場は普通の社員が工程改善に日々チャレンジするし、本社部門も生産性アップの多くは普通の社員が担っている。

 マルクス『資本論』の公理の一つは「工場労働」であり、その淵源は奴隷労働にある。スミスもリカードもそういう点では同じだ。労働は奴隷のするものというのは古代ギリシアの都市国家に淵源がある。いまだにそれに縛られている。だから、労働からの解放が人間解放だと信じ、AIによってすべての労働が担われることを夢見る。野崎まど『タイタン』の世界である。2048年、すべての労働をAIが肩代わりしている世界を描いて見せてくれている。人間は消費するだけ。そこで忘れ去られた概念「仕事」とはなにかが問われる。人間は仕事をすることで人間性を取り戻せるというのが野崎さんの主張である。西欧文化とは相いれない結論だが、わたしはそこに野崎さんにも流れている日本の伝統的な価値観を「仕事」という概念の模索に見る。

 日本では労働というのは比較的新しい概念で、昔からあるのは「仕事」である。典型的なのは正月に刀鍛冶が禊をしてから新刀を打ち、出来上がった「初物」を神にささげる、そこに「仕事」の原点を見るのだ。腕の良い職人は仕事の手を抜かぬ。損得抜きの仕事をするから、名工を支えるにはすぐれた鑑識眼をもつ買い手が必要だ。そういう人々を好事家とも数寄者と呼んできた。蓄えた財を惜しげもなく名工の作品に投ずる人々である。

 わたしは経済学の公理を「労働」から「職人仕事」に置き換えることで、別の経済学が、そして別の経済社会が展望できることを明らかにした。弊ブログのカテゴリーをクリックしてご覧ください。75本の論考があります。
https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/archive/c2306072190-1
https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/archive/c2306041603-1
https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/archive/c2305649185-1
https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/archive/c2305458843-1
https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/archive/c2304852084-1

 「職人仕事」を経済学の公理に措定してどういう経済社会を造るのかは、ビジョンとそれを実現する長期戦略次第、ようするに長期にわたる壮大な社会実験です。ドイツと日本、競ってやったらいい。そういう体制自体を低開発国へ「輸出」したらいい。発展途上国の経済的自立が進み、利益至上主義で経済格差を拡大してきたグローバリズムは粉々になります。
 

 コロナ騒ぎを境に、経済学の方向が変わることを期待したい。


*#4280 野崎まど著『タイタン』を読む:仕事とは? June 30, 2020
https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/2020-06-30


*https://www.asahi.com/articles/ASN5G3GMGN4QUPQJ00Z.html?oai=ASN737WVTN73UHBI01V

**犠牲になるのは若者か、老人か――コロナ死亡率が物語る“現実”|E・トッド
https://bungeishunju.com/n/n45b92fed6cf8

*#3436 フェルマーの最終定理と経済学(序):数遊び  Oct. 13, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-10-12-1

 #3437 フェルマーの最終定理と経済学(1):純粋科学と経験科学 Oct. 15, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-10-15


 #3438 フェルマーの最終定理と経済学(2):不完全性定理と経済学 Oct. 18, 2016 
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 #3439 フェルマーの最終定理と経済学(3):整理作業-1   Oct. 19, 2016
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tsuguo-kodera

 今回の豪雨でも、コロナでも死ぬのはほとんど年寄り。姥捨て山になりました。コロナは患者がたりなくて薬の開発が遅れています。すでに薬は目途が付いたように私はニュースから思っています。治験の患者数次第でしょう。
 オリンピックまでに国民の半数が感染し対コロナの免疫力が向上させる戦略なのかと私は思えます。勝ち組の人から見たら、子供だけ、若者だけが大事なのは仕方ない。
 お金持ちは病院で治療もしてもらえます。私のような貧乏な老人は早く、安らかに逝きたいものです。仕方ない。これが国民の総意なのでしょう。死しても民主主義が私は好きです。
 なお、グローバリズムもポピュリズムも大嫌い。好きなのはebisuの3方良し。でも実現は無いでしょう。むしろ日本は韓国化しています。グローバリズムとポピュリズムの悪い所だけが色濃くなってきました。
by tsuguo-kodera (2020-07-10 18:26) 

ebisu

koderaさん
投稿ありがとうございます。

COVID-19の死者はまだ1000人ほどですね。ずいぶんと大騒ぎしていますが、検査数を増やしたことで感染者数は増えても、死者数はまったく伸びてません。どうなっているのでしょう、わかってきたことはすくなく、まだわからないことがたくさんあります。
肺炎で死ぬ人の大半はわたしたち老人ですが、年間12万人、毎月1万人です。新型コロナの死者数はその百分の一にすぎません。
新型コロナの死者数はいまのところほとんど問題にしなくていいくらいの数字ではないでしょうか?

罹っても、軽い症状だけという老人も多いのでしょう。
気に病むだけ無駄、ケセラセラです。(笑)
コロナで苦しんで死んでも、数時間で容体が急変するので、モルヒネで眠らせてもらえばいいだけ。希望は家族に伝えてあります。

週に四日間、生徒たち相手にたのしく授業できればそれだけで十分です。これ以上の贅沢なし。
坦々とやっていれば、そのうちに突然お迎えが来てくれます。
コロナよりも運動不足による筋肉量の低下のほうが気になります。散歩もロードバイクもだんだん億劫になっています。ロコモティブシンドロームへと徐々に移行していくのだろうと思います。

「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」は日本の伝統的な商道徳です。
エマニュエル・トッドがグローバリズム批判で、強い管理貿易体制への切り替えの必要を唱えてくれているのはうれしい。
日本人経営者はあくどい者が増えてますね。貴兄が心配されているように米国、韓国化、中国化しています。

わたしは、サラリーマン人生で「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」をずっと貫いてきましたから、満足してます。ビジネスの世界からは20年ほど前に足を洗いました。

日本の伝統的な商道徳を大事にして経営している老舗は少なくありません。だけど、それは厳しい道を選択することでもありますから、経営者の技倆が要求されます。並みの経営能力ではとても無理です。
優れた経営者が出てくれば、自然にそういう経営になります。
私利私欲のカタマリのカルロ・スゴーンはいつのまにか消えてなくなりました。
さて、これから世の中がどうなるのかわたしにはさっぱりわかりません。若い人たち任せ、それでいい。
地域の未来を担える人材が数人は育てられたように感じます。ちっちゃなことですがそれで十分です。なんだかほんわか幸せ。(笑)
by ebisu (2020-07-11 11:46) 

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