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#4208 東野圭吾短編集『怪しい人々』 Mar. 30, 2020 [44. 本を読む]

 東京からの帰路の機内は退屈なので、東野圭吾の文庫本を空港内の売店で買って読むことにしている。
 今回は標記題名の本ともう一つ『危険なビーナス』を買った。
 
 東野圭吾氏は大手企業への勤務経験があるから、会社内の人間関係や仕事を書かせたら、じつに具体的で現実感がある。この辺りは純文学の作家や大手企業への勤務経験のない作家には真似ができない。

 標記の本の7つの短編の冒頭の作品「寝ていた女」は資材部の主人公が経理部の同期から頼まれて、自分の部屋をデート用に一晩5000円で賃貸しするということからストーリーがはじまっている。7時には部屋を開けるという約束だった。ある朝、自分のアパートへ戻ると女が寝ていた…。そこから事件が始まる。作家の想像力でか書けないような会社の実務の盲点を突いたカラクリが後段で明かされる。そしてどんでん返しが用意されているのが東野作品に共通している。真面目で硬い女子社員と評判だった後輩が外見とは違う姿と生きざまを現す。7つの短編が並んでいたが、機内であらかた読んでしまった。

 『危険なビーナス』は487ページの長編である。絵描きの夫と看護師の母親の長男「伯朗」が主人公。父親は脳腫瘍で死ぬ、その後母親が再婚する。伯朗は新しい父を受け入れられない。しばらくして次男の「明人」が生まれる。「後天性サヴァン症候群」という病気をめぐって、事件は次第に深みを見せていく。医学的なことをよく調べて書いている。それが、数学の素数の問題へとつながっている。数学者の叔父、大病院の院長であり、大学の研究者でもある岐阜、弟の美人で肉感的な妻、しかけの多い作品である。東野氏は理系の作家だから数学や物理がからむストーリーが多い。(笑)
 「現像を終えたレントゲン写真を投影機に貼り付け…」と106頁にあるが、レントゲン写真を照明のついた白いスクリーンに挟んで診断するさいの器具は「シャウカステン」という。医者に確認するか最近の作品なのだからネットで検索して書いてほしかった。

 幸田文の『闘』という作品を東京にいる間に暇つぶしに読んだ。東京郊外にある結核療養所を舞台に、医師と看護師と患者の人間模様が数個の短編の共通テーマとなっていた。夫に浮気され、離婚の危機に直面している看護婦長の話が興味を引いた。浮気相手の美容師は自堕落な男に遊ぶ小遣いを与えることで「飼育共有」しているつもりでいる。結婚願望はさらさらなさそうに書いていた。さて、看護婦長はどうするのか、それは読んでのお楽しみだ。
 別の短編だが、入院支度のない女性が入院してくる話もありそうな設定だった。男ができて、子どもをおいて家を飛び出すが、身体も壊し、飽きられて入院…。ということがだんだんに明らかになってくる。元の夫も、家を飛び出て駆け込んだ男も見舞いには来ない。来ないどころか、…。女は結核のほかに全身性エリトマト―デスを発症して苦しみぬく。すったもんだあって、結核もエリトマトーデスも次第に治癒する。その後の人生がどうなるのかはお読みいただきたい。現実感があり、なかなか味わい深い結末である。一話一話、さもありなんという結末が丁寧に描かれている。
*エリトマトーデス
https://www.nanbyou.or.jp/entry/53

 農家の爺さんの人生と家族との関係が鮮やかに描かれている短編があった。爺さんは死ぬときは自分の家で家族に看取られて死にたい。死期が近づいてくると食事がのどを通らなくなる。担当医師は家へ帰すべきか否か悩む、院長へ相談してもリスクが大きいので院長が反対することは目に見えていた。家では治療はできないから、すぐに死ぬことになるし、搬送途中で死ぬ可能性もあった。実際に院長へ相談するが予想通りの返事が返ってくる。自分の判断で退院許可を出す決意をしたところで容体が変わる。情感あふれる最後のシーンは幸田文ならではのもの、東野圭吾の作品にはない日本的情緒が文章となって紡ぎ出されている。人の心の中深くに分け入り、心の奥底にある日本的情緒が描ける作家はなかなかいません。

 幸田文は幸田露伴の娘である、父親の薫陶を受けているから、文章は薫り高いし、語彙が豊かだ。書かれている文章は東野作品とは比べ物にならない。一箇所だけ気になったところがあった。医学用語の「抗体」を何か勘違いしているのではないかと思われるところがあった。幸田文の本は随筆を一冊読んだだけ。
 レベルの高い作家と分かったので、岩波書店の幸田文全集の中から3冊注文した。「身体」は「躰」という字体を使っていた。文庫本の方は新字体になっているのだろう。わたしにはこの「躰」という字体のほうがしっくりくる。古いのか?(笑) 
 
注文したのは『幸田文全集』の方である。文庫本のほうも絶版になっている。日本的情緒を描き切れた作家はもうほとんど存在しないから、こういう本が絶版になり若い人たちの手に入らなくなるのは日本の文化的な伝統を継承していくうえで大きな損失である。
 幸田文の本はぜひ、岩波書店の全集版で読んでもらいたい。そして文庫版で出版するときには、作家が選んだ漢字を使って印刷してもらいたい。それも含めて「作品」なのだから。



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