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#3930 市倉宏祐著『特攻の記録 縁路面に座って』p.228~233 Feb. 14, 2019 [1. 特攻の記録 縁路面に座って]

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(アンダーラインはebisuが引きました)

 これが最終回になります。

 先の大戦に関係があるので、弊ブログ「#3929 VENONA文書と北方領土:四島一括返還の戦略 Feb. 13, 2019もお読みください。米国の公文書が公開されて、大東亜戦争に関する驚愕の事実が明らかになっています。ソ連と中国共産党が米国政府内部にスパイを多数送り込んでルーズベルト大統領を操って日米開戦に追い込みました。ソ連と中国共産党の領土拡張のための長期戦略には舌を巻きます。真の敵はソ連と中国共産党だったのです。日本は孤立していました。米国の保守主義者たちと共同戦線を構築できる人材があれば結果は大きく違っていました。この状況は今も変わっていません。だから危うい。
 特攻隊攻撃をせざるを得なくなるような局面に追い込まれぬために、日本には長期的な国家戦略構想を立案し、それを着実に実行する人材と仕組みが必要です。
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2019-02-12-1
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   特攻隊についての参考文献

  生田惇『陸軍航空特別攻撃隊史』ビジネス社 一九七七年
  「一旒会特別会報」刊行委員会発行編集『一旒会の仲間たち』  一九九〇年
 岩井忠正・岩井忠熊『特攻自殺兵器となった学徒兵兄弟の証言』新日本出版社 二〇〇二年
 生出寿『一筆啓上瀬島中佐殿 無反省の特攻美化慰霊祭』徳間文庫 一九九八年
 奥宮正武『海軍特別攻撃隊ー特攻と日本人』朝日ソノラマ 一九八〇年
 小沢郁郎『つらい真実虚構の特攻隊神話』同成社 一九八三年
 押尾一彦『特別攻撃隊の記録〈陸軍編〉』光人社 二〇〇五年
 折原昇編『われ特攻に死す予科練の遺稿』経済往来社 初版一九七三年 第四版一九七七年
 海軍飛行予備学生第十四期会編『あゝ同期の桜かえらざる青春の手記』毎日新聞社 一九六六年
 海軍飛行予備学生第十四期会編『別冊あゝ同期の桜かえらざる青春の手記』(非売品)一九六六年
 角田和男『修羅の翼零戦特攻隊員の真情』光人社 二〇〇二年
 工藤雪枝『特攻へのレクイエム』中央公論新社 二〇〇一年
 神津直次『人間魚雷回天水中特攻作戦光基地の青春』図書出版社 一九八九年
 城山三郎『指揮官たちの特攻 幸福は花びらのごとく』新潮社 二〇〇一年
 高木俊朗『特攻基地知覧』角川文庫 一九七三年
 高木俊朗『陸軍特別攻撃隊』上下文藝春秋 一九八三年
 土居良三編『学徒特攻その生と死 海軍第十四期飛行予備学生の手記』国書刊行会 二〇〇四年
 『特攻最後の証言』製作委員会『特攻最後の証言』アスペクト 二〇〇六年

  永沢道雄『学徒出陣の記録海軍飛行予備学生青春の軌跡』光人社 二〇〇一年
 永末千里『白菊特攻隊還らざる若鷲たちへの鎮魂譜』光人社 一九九七年
 日本戦没学生記念会『きけわだつみのこえ 日本戦没学生の手記 第1集』光文社 一九五九年
 日本戦没学生記念会『きけわだつみのこえ 日本戦没学生の手記 第2集』光文社 一九六三年
 野平健一『脱走した海軍士官の孤独な五十年』野平健一〔制作新潮社〕 二〇〇三年
 白鴎遺族会編『雲ながるる果てに 戦歿海軍飛行予備学生の手記』河出書房新社 一九六七年
 浜野春保『万雷特別攻撃隊』図書出版社 一九七九年
 林尹夫『わがいのち月明に燃ゆ』ちくま文庫   一九九三年
 原勝洋『真相・カミカゼ特攻   必死必中の300日』ベストセラーズ 二〇〇四年
 深堀道義『特攻の真実命令と献身と遺族の心』原書房 二〇〇一年
 別冊歴史読本『海軍航空隊とカミカゼ』新人物往来社 二〇〇〇年
 別冊歴史読本『玉砕戦と特別攻撃隊』』新人物往来社  一九九八年
 保阪正康『「特攻」と日本人』講談社現代新書   二〇〇五年
 三浦耕喜『ヒトラーの特攻隊   歴史に埋もれたドイツの「カミカゼ」たち』作品社 二〇〇九年
 三苫浩輔『至情  「身はたとへ」と征った特攻隊員』元就出版社 二〇〇五年
 三村文男『米内光政と山本五十六は愚将だった 「海軍善玉論」の虚妄を糺す』テーミス 二〇〇二年
 三村文男『神なき神風 特攻五十年目の鎮魂』テーミス 二〇〇三年
 森史朗『特攻とは何か』文春新書 二〇〇六年
 森岡清美『若き特攻隊員と太平洋戦争   その手記と群像』吉川弘文館 一九九五年
 森本忠夫『特攻 外道の統率と人間の条件』光人社NF文庫 一九九八年
 横田寛『あゝ回天特攻隊 かえらざる青春の記録』光人社NF文庫 一九九四年

 横山長秋『海軍中攻決死隊九六陸攻操縦者の死闘』光人社NF文庫 二〇一一年
 和田稔『わだつみのこえ消えることなく 回天特攻隊員の手記』角川文庫 一九七二年

◇特に、海軍第十四期会の会報については次の通り。
 
 「 14 期会報」第一号〜第三号
  「関東十四期」創刊号〜第六号
  「海軍十四期」第七号〜第一六号
  「同期の桜会報」第一号〜第一四号
  「九州十四期」昭和五十九年八月十日号、昭和六〇年八月十五日号
   以上は『海軍第十四期会報縮刷版』に併録
  「海軍十四期」第一七号〜第一九号、および特集号
 「九州十四期会報」平成二年十一月十五日号
   以上は『学徒出陣 50 周年記念特集号』に併録
  「海軍十四期」第三三号〜第三八号    以上は『海軍第十四期会報集刷版』に収録



  あとがき
 
 故市倉宏祐先生が専修大学を七十歳で定年退職されたのは、平成四年三月末日のことである。それ 以後、先生ご自身に関して話題になり問題になったのは、定年後の仕事として何をするかということ であった。専修大学文学部の紀要「人文論集」にまとめられた業績目録に示されているように、若い 頃に手がけていたパスカルの研究をその頃また進めており、それをまとめたいとよく言っておられた。 また、書きためていたサルトル関係のものをまとめておきたいとも語っていた。長くフランス哲学の 研究を続けて来られた先生ならば、当然のことだろうとわれわれは考えていた。  
 ところが先生はあるとき、思いがけないことを言い出した。若いときの海軍時代のことを書きとめ ておきたいというのである。市倉先生は昭和十八年に学徒出陣で兵隊にとられて、海軍に入る道を選 ぶ。それは零戦に乗って特攻隊を志願するということにつながっていた。その話をまとめたいと言う。 これは急のことであったので、私をはじめ、周りにいた者たちはとまどってしまった。 
 先生は、海軍時代というか特攻隊にいた時代のことを、授業の折などによく学生たちに話してい た。飛行場の縁路面に腰掛けていろいろなことを同期生たちと語り合ったこと、当時遭遇した事故の 話、零戦パイロットとしての訓練の様子、あるいは「先輩」と称する人によく殴られていたというこ と、などである。個人的には、地方で開催される学会の年次大会に同行した際、特攻隊時代に親しく なった方のご自宅まで一緒にうかがったことを思い出す。 
 なかでも、殴られた話はつきなかった。「先輩」と称する士官たちは、理由もなしに一方的に殴っ てきた。殴られた方はたまったものではない。なぜそうなのか、これを書きたいと先生は言っていた。 
 これは理論的な話だ、とも強調していた。こうして本の内容がほぼ確定し、執筆が始まった。 
 しかし、これがまた方針転換される。市倉先生は学徒出陣で海軍に入り、土浦の航空隊で特攻の出 撃を待っている間に終戦となった。したがって多くの戦友が、鹿屋をはじめとする特攻基地から帰ら ぬ人となっている。その思いを書きとめておきたいと言い出した。とりわけ海軍第十四期生のことで ある。学徒出陣組がこれであった。なぜこのことに気がつかなかったのか、と先生は何度も話していた。 
 それまでは特攻隊の構造や理論についてまとめるということで、特攻隊時代の思いを書くという話 は先生の口からはついぞ出たことはなかった。これには「十四期会」の解散という事態も大きく影響 している。会員たちが高齢を迎えて、会を維持することができなくなったのである。執筆を続けるう ちに、理論的な話よりも「十四期会」の「会報」に載った多くの仲間たちのことを今のうちに書いて おきたいという思いが、先生のなかで強くなっていったに違いない。折に触れ先生から特攻隊時代の 話を聞いていたわれわれには、十分理解できることだった。 
 こうしてA4版のプリントアウト用紙四〇〇枚に及ぶ第一稿が完成された。しかし、それではいか にも長すぎた。当然引用も多く、整理する必要が生じた。また、先生の希望もあり、経歴紹介をかね たインタビューを巻末に掲載することになった。しかし、作業に手間取っているうちに、先生は平成 二十四年七月十九日に九十歳で鬼籍に入られてしまった。 
 市倉先生の謦咳に接したものは、最後のご遺志であるこの本の出版を願っていたが、さまざまの問 題があって、原稿はほとんど死にかけていたと言っていい。だが、ここで研友学園において先生に教 わった方々のご協力が得られることになった。 
 研友学園は、明治二十五年石巻市に生まれ、無教会派のキリスト教信徒であった菅野純一郎氏が私財を投じて創設した私塾である。理想の実現には何よりも人格形成が必要だとする氏は、「友を研く」 ことの大切さを説き、学園は「卒業のない夜学」、「有名にはならない」という校是のもとに、昭和 三十九年から五十五年まで続けられた。市倉先生は設立当初からこの学園に招かれ、月二回、一回三 時間というペースで、キルケゴール、ニーチェ、サルトルなどの講義を行ったと聞いている。 
 こうした研友学園関係者の協力を得て、出版の話がにわかに現実味を帯びてきた。そこでわれわれ 専修大学で教わったゼミ卒業生を中心とする有志が、積極的に残された遺稿の整理(原稿量の調整や 注の整備など)を強力に推し進めることになり、遅ればせながらここに出版の運びとなった。「『特攻 の記録   縁路面に座って』編集委員会」は、こうした経緯のなかで生まれてきたものである。
 後は君たちに頼む、と先生に言われてからずいぶん時間がたってしまった。この本は、結果として 理論的な話はあまり出てこない。また、この本がどれだけ第二次大戦時における日本の特攻隊に関す る議論に資するのかは、いまの時点でははっきりしない。しかし、これをまとめていく過程で、先生 の奥様をはじめとする多くの方々のご協力がなければ、この本は出版されることはなかった。これも また先生のおかげであると思う。そのことを記して本書の「あとがき」としたい。
 
平成三十年夏
   『特攻の記録 縁路面に座って』
 編集委員会 伊吹克己・伊吹裕美・上田美奈子・榎本雅一 小林正敏・鹿野青介・土佐巌人・山野井克巳 (五十音順)


著者略歴
 
 大正十年(一九二一年)横浜市中区生まれ。昭和十四年(一 九三九年)第三高等学校文科丙類入学、昭和十七年(一九 四二年)東京帝国大学文学部倫理学科入学。昭和十八年(一 九四三年)十二月学徒出陣で横須賀第二海兵団(のち武山 海兵団と改称)に入団、昭和十九年(一九四四年)土浦海 軍航空隊入学。その後神ノ池、谷田部海軍航空隊に転勤し、 神風特別攻撃隊昭和隊の待機要員だった昭和二十年(一九 四五年)に終戦を迎える。同年十二月に復学、昭和二十六 年(一九五一年)東京大学大学院を卒業。卒業後同大文学 部倫理学科助手。昭和二十四年(一九四九年)より専修大 学に兼任講師として赴任、昭和三十一年(一九五六年)同 大法学部の専任講師。昭和四十一年(一九六六年)専修大 学文学部創立にともない文学部へ移籍。またこの間、昭和 三十九年(一九六四年)から昭和五十五年(一九八〇年) まで研友学園にて講師として講義を行う。専修大学では図 書館長等を務め、平成四年(一九九二年)同大を定年退職。 平成二十四年(二〇一二年)七月十九日没。専門はフラン ス哲学。著書に『現代フランス思想への誘い   アンチ・オ イディプスのかなたへ』岩波書店(一九八六年)、『ハイデ ガーとサルトルと詩人たち』日本放送出版協会NHKブッ クス(一九九七年)など。翻訳書にジャン・イポリット『ヘー ゲル精神現象学の生成と構造』上下、岩波書店(一九七二 年、一九七三年)、G・ドゥルーズ、F・ガタリ『アンチ・ オイディプス   資本主義と分裂症』河出書房新社(一九八 六年)があり、他に論文多数。

 特攻の記録 縁路面に座って
 二〇一八年八月五日発行
 著者 市倉宏祐

 発行者 株式会社共立アイコム    

 静岡県藤枝市高柳一丁目一七︱二三

 編集者
  『特攻の記録 縁路面に座って』編集委員会代表 伊吹克己    
   神奈川県川崎市多摩区東三田2-1-1    
   専修大学
 
Printed in Japan
〈非売品〉落丁・乱丁本はお取替えいたします。
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 ご愛読ありがとうございました。


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