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#3331 「空気」に「水を差す」  June 17, 2016   [8. 時事評論]

 わたしは山本七平氏の著作を一冊も読んだことがないのだが、『空気の研究』というのがある。最近起きた事件をつなげてみると、どうも「空気」がおかしいのではないかとわたしも思ってしまう。ネットで調べた範囲で、山本氏は「空気」を止めるのは「水を差すこと」だという。
 わたしの手には余るので、最近起きた事象をいくつか並べて見るので、「空気」というものを一緒に考えてもらいたい。

 マスコミ報道が舛添都知事の政治資金スキャンダル一色になる中、それと同等あるいはそれよりもセコイ安倍首相の政治資金の使い方はまったく報道に載らない。叩けるところを徹底的に叩き、同じことをしていてもまったく叩かないというのが同時に存在する不可解さ。
 小悪を叩いて大悪を見逃すのは、日本的価値観から判断すると卑怯なことだ。

 甘利経済産業大臣・規制改革特命大臣は建設業者から直接50万円を収賄し、秘書が500万円を受け取っているにもかかわらず不起訴、それでもマスコミは追跡取材をやめたかのような静けさを保っている、これもわからぬ。お金を渡したご本人(一色氏)がテレビ取材にも応じて、前後の説明をしているにもかかわらず、不起訴処分。民間会社なら、取引業者から賄賂を受け取ったら、首が飛ぶのが当たり前だが、甘利氏は不起訴処分が決まったとたんに、具合が悪くて引きこもっていたはずだが、元気な姿でマスコミの前に現れた。

 政治資金に関しては小渕議員もその後知りきれトンボ、その後衆議院選挙があり、それが禊になったのか追跡報道はないし、罪にも問われない。似たようなことをやっている政治家が少なくないからだろう。国会議員は空気を読んで百条委員会を作って追求しないし、マスコミもこれ以上やるとヤバイと空気を読んだのかそれ以上の追跡取材をやめてしまう。

 舛添氏も安倍氏も小渕優子氏も政党交付金で支給された政治資金の使い方は「乱脈」であるのだが、あまり突くとあっちこっちに飛び火しかねないから、「空気」を読んでマスコミを含めて誰も物を言わなくなる。

 甘利氏のように業者から賄賂を受け取る政治かも多いから、これ以上彼を突っつきたくないのかもしれぬ。藪蛇になって大物が藪から出てきかねない。その大物に連なる人脈(会社)がスポンサーであればいい加減なところで報道を止めたほうがトクだ、マスコミは空気を読んで行動している。ダメなことをダメといえない空気がある、戦前・戦中と同じだ。

 福島第一原発事故(メルトダウン)報道もそうだった。東京電力はテレビコマーシャルでも新聞でも大口の広告スポンサーである。こういう関係だとテレビも新聞も「触らぬ神に祟りなし」で、ジャーナリズムの使命がすっ飛んでしまう。原理も原則も空気の前には雲散霧消してしまう。
 いまだに7万人もの人が仮住まいだ。約束していた森林の除染は中止となったが、事実を伝えるだけで、マスコミは批判をしなくなっている。避難区域指定が解除されても、風が吹けば森林から放射能が飛んでくるから、そんなところに子どもをつれて戻る若夫婦はほとんどいない。年寄りだけとなった町や村は、20年もすれば消えていく。
 いまごろ、東電は事故後すぐにメルトダウンを承知していたが、社長の清水正孝氏がメルトダウンを公表するなと、記者会見中の武藤副社長に指示していたことが判明した。そんな一片のメモでメルトダウンという重大事の公表をしなかった武藤副社長はコンプライアンスの感覚ゼロ、住民の被爆よりも自分の保身が優先したということだ、情けない、このような程度の人材が大会社の副社長である。代表権を持つ副社長でありながら自分で判断できないのだから、残りの取締役も推して知るべしで、全員首を切るべきだ。その結果、2ヶ月もメルトダウンの公表が遅れてしまい、住民は深刻な被爆被害を受け続けた。小児甲状腺癌患者がすでに3桁に達している。清水社長と武藤副社長、そして首相官邸でメルトダウンの公表はするなと指示を出した者は、殺人犯よりも罪が重い。菅直人元首相は自分はそのような指示は出していないと反論している。それが真実なら、枝野元官房長官以外に誰がいるというのか?枝野氏も自分は出していない、名誉毀損で起訴すると言い出した。
 参院選直前になって4年も前のことがいま唐突に浮上することに、なにやら胡散臭い「仕掛け」を感じないだろうか?ここでも「水を差す」ことが必要なのだろう

 NHKと毎日新聞の女性記者があれだけ大々的に叩いたSTAP細胞はハーバード大学が特許申請をした。しかし、これも報道がなされない。
*http://biz-journal.jp/2016/05/post_15184.html

 理研もあれだけ否定しておきながら、特許申請を取り下げない。ドイツのハイデルベルグ大学研究グループがSTAP細胞を確認したという事実も報道されない。
*http://biz-journal.jp/2016/05/post_15081.html

 STAP細胞は再生医療で数兆円規模の医薬品開発が可能な分野である。弊ブログで、以前その点に関する疑問を取り上げたことがある。STAP細胞の特許が成立すれば、理研は今後50年間国の補助金なしにやっていける。だから利権をめぐって理研内部に大きな疑惑があるが、これもマスコミは追求しない。

*#2687 『日本人はなぜ特攻を選んだのか』①黄文雄著 May 26, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-05-25-3

 #2651 STAP細胞狂想曲(2): 大きな利権の存在 Apr. 20, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-04-20-1


 ある媒体が誰かを叩く、次々と他のマスコミがそれに参入してきて一方向に流れができると、それに抗うような報道ができなくなるのが日本のジャーナリズムの典型的な特徴だとしたら、それは戦時中から続いている時代にかかわりのない普遍的な性質である。戦前・戦中・戦後と日本のジャーナリズムは基本的な性質がまったく変わっていないということだ。戦前は朝日新聞とNHKが先頭に立って戦争を煽った、その構図も変わらない。受信料で成り立っているはずのNHKが「水を差す」役割を放棄するなら、国民はNHK受信料を負担する必要がない。

 二十数年前にこんなことがあった。クラスでイジメがあるが、自分がその子をかばうと、今度は自分がターゲットになるという相談を受けた。団塊世代とはずいぶん変わってしまったのだとそのときは思ったが、そうではないようだ。クラスの中にそういう空気が生まれたらそれに抗うと、現実的で具体的な被害が自分に及ぶことを知っているのである。だから、イジメが発生し深刻化しても誰も止められない。損なことはしないというのが人間の基本的な性質でもあるのだろう。しかし、そういう人間ばかりなら、人間社会は頻繁に破壊を繰り返すことになる。だから、毛色の違った人間が混ざっていることが望ましい。「空気に水を差す」役割を担う者が必要なのである。生態系の多様性とはそういうことなのだろう。

 子どもの社会だけでなく、大人の社会でもそうだから、「空気」というのは日本社会に普遍的な現象だとみなすべきなのだ。
 ある種の空気が日本全体を覆ってしまうと、それに抗う報道が自主規制したかのように消えてしまう。戦後だと思っていたが、いつの間にか戦前になってしまっていることに気がつく。そしてそれは「戦中」へと向かわざるを得ないのだろう。「空気」に抗う報道をジャーナリズムができない。ジャーナリズムの基本的任務は「空気に水を差すこと」なのに、「火に油を注ぐ」ことばかりのように見えて仕方がない。

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「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

  • 作者: 山本 七平
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1983/10
  • メディア: 文庫

「空気」の研究 (山本七平ライブラリー)

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  • 作者: 山本 七平
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1997/04
  • メディア: 単行本


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雨女

まったく同感です。
連日、ワイドショー での、舛添さんへの〝リンチ〟にうんざりしてました。
金銭にセコく、公私混同したり、公費をちょろまかしてる人は他にもいるのに、舛添さんは、格好のターゲットになってしまいましたね。イジメが好きな国民だから、マスコミ報道の質も次元も低い。
日本の政治家やマスコミがこんなに攻撃できるエネルギーがあるなら、国際舞台でも、中国や韓国、ロシアに反論できるのではないかと思うんですが、「空気」に流される一方だから、情けないです。 
もっと大事なことを取りあげるべき議会で、知事を責めるためだけに時間と金を使い、おっしゃるとおり、マスコミも「火に油を注ぐ」だけ。
日本の恥ずかしい国民性を見せつけられた一週間でした。

by 雨女 (2016-06-17 16:26) 

ebisu

雨女さん

根室は一日中雨が降っています。
あなたのところにもこの雨が降っているのですね。

ところで、三読しました。
起承転結のはっきりした明快な名文です。
投稿ありがとうございます。

駄文書きのebisuだから、良さがよくわかります。
かくありたい。
by ebisu (2016-06-17 22:01) 

tsuguo-kodera

 問題点の指摘はその通りだと思います。素晴らしい論旨であり、説明だと思います。私にはできない領域です。管理人さんが朝日か毎日か日軽の記者なら日本はましになったのかも。残念です。
 問題点に対し課題は山本氏の書籍にあるのでしょう。でもその課題解決策はマスメディア向けではないでしょうか。マスメディアを使いたい政治家や評論家には役立つ情報でしょう。本を書けないと山本氏の領域に近づけない。
 学校の先生は他人のアドバイスなど聞かないでしょう。校長に言われてもいやいややるだけ。理事長など煩い爺、引っ込んでいると思うのでは。私の言、企業人の誇りがある、大学非常勤10年経験者の言など戯言だと思われていたのです。
 管理人さんはブログで正論や画期的な経済論を述べているように思えています。ほとんどの先生のブログもそのように感じます。しかし問題意識と、可能な課題解決策、自分がですが、できる距離測度に違いがありすぎのように思えます。
 コツコツやるは課題解決策をコツコツやると言うこと。経済なら顧問か経営者になり、村おこしのベンチャーをするしかないし、今日の記事のようなメディア批判なら本を出してベストセラーにするのが一番かも。
 学校の先生も、管理人様の所属する教員ブログ村も言は良し、でも課題解決策があまり感じられません。隠していると思っていたのですが、どうやら評論家が良い、教育委員が良い仕事だと思っているのかも、と思い始めました。
 物理的にお近くの村の素晴らしい個人塾の先生、私も叱られた先生は問題提起と仮題プロセス提案と実践が同期しているように思えます。だから会いに行きたいとは思ったこともありますが、あまりに課題解決策に隔たりがあり、この私の状態では無理な挑戦だと諦めました。
 たとえ問題意識が違っていても、問題提起があり、機能要件定義して、課題解決策を自分で決めて、課題解決を実践する人を私は尊敬しています。
 管理人さんは塾の先生と経済論著者として世に出て欲しいと願うだけ。私はずっとこのブログでお願いしてきたことです。
 お願いする身ですから、やるやらないは相手次第、祈るしかできません。
 追記です。一億層批評家の国だから、ましな国になりません。批評家は国民の10%以下でないと生鮮性が悪すぎてグローバル経済社会で国は生き残れないでしょう。
 私はバドと鈴木さんの本の販売を通じて社会に恩返ししているつもりです。力がないから、狭い世界に影響を与えるしかできないのは仕方ない。
by tsuguo-kodera (2016-06-18 08:01) 

ebisu

koderaさん

おはようございます。論点が複数ありますから、ひとつずつ取り上げて考えてみたいと思います。

>問題点に対し課題は山本氏の書籍にあるのでしょう。でもその課題解決策はマスメディア向けではないでしょうか。

そうなのでしょう、空気に「水を差す」、つまりクールダウンする方向の報道をするということを山本氏は主張しているようです。現実にはそういう報道がほとんどなく、一方向に次々に相乗りしていくのが日本のマスコミに常ですから、そうした構造を明らかにしても、現実が変わるわけではありません。山本七平氏の偉いところはそういう構造を明らかにしたことだと思います。
わたしたちが、そういう集団的意識構造を自覚すれば、一方向に一緒に流れずにすみます。
マスコミと国民は、一緒に集団催眠にかかっているようなもの。
でも、「空気」を払拭することが、「水を差す」ことだとすると、課題解決策としては実現性がほとんどありません。
企業における戦略目標と戦略の関係から、課題と課題解決法という視点から眺めると、実に悠長で現実性のないものに見えることは事実だとわたしも思います。
わたしが山本七平氏だったら、そのような企業戦略と同じような視点では端から考えていなかったと思えます。
日本人がマスコミにあおられることで一方向に流されてしまうのはなぜか、というのが彼にとっての重要な問題だったと思います。その副産物が「流れに水を差す」ことだった。論理的帰結ですが、それをもって現実を変える力にはなりえない。空気は日本人の意識の基本的性質のひとつ、いわば性格ですから、それが簡単に変わるはずがありません。そのことも山本七平氏は十分に承知していたと推測します。
オリジナルを読み、確認してみるべきですね。やることを増やすのは考え物ですが。

二つ目の論点は食事の後で書きます。こっちが今回の投稿の本命のようですから。



by ebisu (2016-06-18 09:31) 

ebisu

[ 2nd ]

二つ目の問題を分けると2個なのですが、どこか同じ匂いがします。

①>学校の先生は他人のアドバイスなど聞かないでしょう。校長に言われてもいやいややるだけ。理事長など煩い爺、引っ込んでいると思うのでは。私の言、企業人の誇りがある、大学非常勤10年経験者の言など戯言だと思われていたのです。

②>管理人さんはブログで正論や画期的な経済論を述べているように思えています。ほとんどの先生のブログもそのように感じます。しかし問題意識と、可能な課題解決策、自分がですが、できる距離測度に違いがありすぎのように思えます。

学校の先生を長くやった人は、すっかり職業病に罹っている方が多く見受けられます。校長会の代表の方とお話をしたことがありますが、しかたないですね。六十数年かけて固まった性格のようなものです。小学校6年間で家庭学習習慣を躾そこなった生徒は毎日家で勉強しないのが習慣となりなり性格にまでなっています。中学生になってから変えるのは至難の業です。ましてや、学校の先生を長く続けて校長先生になった方を変えてみようとは思いません、無理だからです。だから、そのままで結構だと、後は自分の問題です。他人は自分の思うようにはならないものです。ましてや自分をや。

②の論点は、わたしに関してだけ述べてみたいと思います。問題意識とその解決策との間の「距離測度」を問題にしておられます。距離を測りそこなっていると判断されたのでしょうか?

問題点を単純化してみたらわかりやすくなるかもしれません。
わたしが問題にしたのは、
(1)西欧経済学(A.Smith、D.Ricard、K.Marks)を根底からひっくり返し、西欧の価値観の呪縛から経済学を解放すこと、すなわち新しい経済学の展望を拓くこと
(2)日本は縄文以来1.2万年の歴史で、初めて長期にわたる人口縮小時代を迎えて、日本的価値観をベースにした経済学が必要。

経済学はすでに時代状況に合わないものになっています。
これら二つの問題意識がわたしの根っこにあります。
アダム・スミスが1776年に『諸国民の富』を書いていますから、240年の歴史をもつ経済学からその公理系を析出し、日本的価値観で書き換えることで21世紀の経済学を創造することにありました。240年の学問的蓄積を根底からひっくり返すことという点が問題を理解する上で重要になります。スパンが長いのです。
縄文時代以来1.2万年で初めて出来した人口減少という事態に対処できる経済学とは何かと云う問題意識が根底にあります。これも1.2万年に一度の大転換という実に長いスケールで経済学の課題を捉えています。

これら二つのような事象、あるいは問題を、企業戦略目標や企業戦略で考え、判断すること自体に無理があります。
企業戦略は5年、実行計画は3年、それと年度計画(予算)がセットになっているのが通常のやり方です。

こうして比べたら、企業戦略の観点から、わたしのしていることを理解するのは無理であると言わざるをえません。

わたしは、産業用エレクトロニクス輸入商社に在職していたときも、臨床検査最大手のSRLに居たときにも、10年、20年先を考えながら、長期経営計画や年度予算の管理をしていました。プロジェクトが持ち上がり、それに参加しているときも、10年20年先、学問的にも世界最先端の部分を突き抜けようと野心的な試みを組み込んでいました。だから、同僚の一人が、「ebisuさんの言っていることややっていることはそのときにはわからなかったが、10年たってようやく意味がわかる」、東証Ⅱ部上場準備で1983年に入社した同じ年齢の友人のありがたい言です。

わたしがやっていることは、企業戦略で用いた方法では測度できないでしょう。その範囲では「可測」ではないのです。

さて、ここまで書いてこれら二つ目の問題に半分程度お答えできたのではないかと思います。
論旨を少し変えて、[3rd]の投稿をします。

by ebisu (2016-06-18 11:06) 

ebisu

[ 3rd ] 

> 物理的にお近くの村の素晴らしい個人塾の先生、私も叱られた先生は問題提起と課題プロセス提案と実践が同期しているように思えます。だから会いに行きたいとは思ったこともありますが、あまりに課題解決策に隔たりがあり、この私の状態では無理な挑戦だと諦めました。

後段はZAPPERさんですね。慥かに問題提起と課題プロセス提案は同期していますよ。
課題解決策は、koderaさんは、小学生のときのシチズンシップ教育に求めているので、ZAPPERさんと隔たりがあると誤解したのかもしれませんが、そうではありません。

野外活動の重要性はかれは十分に知っており、またやってもいます。バドではありませんが、野外で昆虫やザリガニやカエルなどを子どもたちと採って遊んでいます。畑で作物を作る、土をいじることの大切さも、事業化を展望に入れながら実践しています。世のため人のため、実践の人なのです。
koderaさんと、隔たりは小さいようにわたしの目に映っています。

ブログの投稿欄だと、言葉だけのコミュニケーションですから、つい発言が過激になります。書いてある数行のことが癇に障っただけのことです。顔を見ながら話したら、そういう誤解はほとんど生じませんよ。(笑)

幸い、わたしはZAPPERさんとも貴兄とも、会って話をしていますから誤解のしようがないわけです。
バドの指導もC中学校体育館で横に居て見させてもらっていますから、koderaさんの人柄、(バドクラブ運営)能力の一端に関する情報量が多いので、誤解の余地が小さいだけ。
ZAPPERさんは年齢はわたしよりも一回り以上若いエネルギッシュな人です。

話がどんどんずれていきそうなので、これくらいにします。

まだ論点が残っていますので、それを片付けましょう。
by ebisu (2016-06-18 11:29) 

ebisu

[ 4th ]

盛りだくさんの投稿でしたので、分割して採り上げています。
さて、手際が悪くて前後してしまいました、悪しからずご了承ください。(笑)

> コツコツやるは課題解決策をコツコツやると言うこと。経済なら顧問か経営者になり、村おこしのベンチャーをするしかないし、今日の記事のようなメディア批判なら本を出してベストセラーにするのが一番かも。

山本七平さんはベストセラーを書きました。わたしにはこういうことをテーマに本を一冊書き、それがベストセラーになるなんてことは考えられもしません。山本七平さんは山本七平さんであればいいし、貴兄は貴兄らしくあればいい、ebisuにはebisuのやるべきことがあります。それは天が決めることだと考えています。わたしがあれこれ小細工する必要はないのです。

ライフワークは、マルクスの経済学体系構成法が理解できたところで行き詰まり、博士後期課程でも解決のつかない問題だと判断したのです。それを超えるには問題意識を持ち続けて、自分の身体を通して日本経済の現実を体験してみるしかない、その中から何かをつかみ出せなければそれまで、そこから先は天任せでした。
省みるとコツコツやってきたとは言えません。夢中で仕事していました。業種を変えて転職を繰り返して、マルクス経済学を根っこからひっくり返す方法が結果としてつかめただけのことです。
課題解決策は日本経済を新しい経済学で根底から変革すること、そしてそれを世界に示すことで、発展途上国と先進国を同時に救うこと、人工知能の脅威から人類を救うことです。
そんなことを、一人の短い人生の中でやれるなんて考えていません。
来るべき日が来たら、ネット上にぶら下がっているわたしの論を覚えていてくれる人がいる、それだけで十分です。
いままでの経済学のどの本も役に立たなくなる日が来ます、そのときに道しるべのひとつになればいいのです。
by ebisu (2016-06-18 11:49) 

ebisu

[ 5th ]

都知事の舛添氏が反面教師となってくれています、安倍総理も、だからこそ小欲知足がいい。有名になりたいとか世に知られたいということに執着が生まれたらそこから苦が生起します。

> 管理人さんは塾の先生と経済論著者として世に出て欲しいと願うだけ。私はずっとこのブログでお願いしてきたことです。
 お願いする身ですから、やるやらないは相手次第、祈るしかできません。

お願いされた件ですが、書き手としては鈴木さんの方がいいと思います。いまやっている最中ですから、克明に記録をつけて出版されたらいい。わたしのほうは記憶が前後していたり、あいまいだったりしています。書いて整理をしてみましたが、あやしい。
鈴木さんはわたしの書いたものを見るよりも、ご自分が抱えている問題を観察すればよろしいのではないでしょうか。
先入見なしに事象をちゃんと観察するには、余計な情報を入れないほうが賢明です。

仕掛けとしては、あの分野の本はニーズが大きいので売れる可能性があります。鈴木さんの編集の腕はしっかりしています。彼の仕事としてふさわしいのではないでしょうか。

60代後半のわたしが「世に出る」必要はありません。わたしは自分の役割を果たすだけ、あとは天任せです。無責任のつもりはありません、それがベストだと判断しているからです。
上場会社の役員になるチャンスは3社で3度ありましたが、興味はなかったのです。企業でもそう、学問でも同じことです。

20代から人生を三つに区切って考えていました。
(1)学問に励む季節
(2)仕事の季節
(3)世のため人のために働く季節

いつまでも人のお役に立つことはできません。身体も脳も老いていきます。最後は人様のご厄介になりなるのでしょう、それができるだけ短いことを祈るのみです。

後ひとつ残っています、「追記」として書かれた部分です。
by ebisu (2016-06-18 12:09) 

ebisu

[ 6th ]

これがkoderaさんへの投稿へのお答えの最後になります。
(あとでまとめて本欄へアップします)

一億総批評家でいいのではないですか、立派なものです。

>追記です。一億層批評家の国だから、ましな国になりません。批評家は国民の10%以下でないと生鮮性が悪すぎてグローバル経済社会で国は生き残れないでしょう。

1億総批評家になれる国は日本だけです。それだけ国民の「読み書きそろばん」能力が高いということです。
わたしは肯定的に理解します、その基礎学力の高さが国力の源であるからです。

ここで、話は振り出しに戻ります。
1億総批評家であるとして、「空気」に支配されて「水を差す」論がでなくなることが大問題です。似たような論が10あろうが1億あろうが、意味ありません。山本七平氏は優れた社会学者でもあったのだろうと思います。日本と云う国の社会現象の本質を突き止めています。

>批評家は国民の10%以下でないと生鮮性が悪すぎてグローバル経済社会で国は生き残れないでしょう。

おおよそ千人に一人、0.1%の人たちが突き抜けた議論をしてくれたら十分ではないでしょうか。それが「水を差す」ことになればよい。

「グローバル経済社会」が自滅しなければ人工知能による人類絶滅の運命が待っていますから、そいう経済体制での生き残りを考える必要はなさそうです。オールオアナッシングです。
失業の拡大で一部の地域(たとえばヒマラヤの奥地)を除いて急激な人口縮小がおきます。絶滅に等しい、それがグローバル経済社会の近未来です。百年はかからないでしょう。
わたしの経済学が日の目を見なければ、日本人にも人類にも暗澹たる未来が訪れます。
あとは天の思し召し次第です。
やるだけのことをやったら、天任せですよ。

「資本論と21世紀の経済学」は3版を書くつもりです。だいぶ体裁がよくなるでしょう。第3版の必要がなければ天がわたしの寿命を召し上げます。日本人はたくさん居ますから、やるだけやれば、後の心配は要らないのです。

by ebisu (2016-06-18 12:38) 

tsuguo-kodera

 まだ追記のコメントバックは見られていません。でもそれ以外は読みました。そうですね。文字では誤解が多すぎる。管理人さんほどの人でも私の心は読めません。当たり前のことです。
 Zapper先生でしょうか。その通り。でも一致があるかはダメでしょう。私はバドしかできないし、教育関連はバドだけです。私が言えるのは市民クラブ、ただで、父兄同伴で、バド、毎週の条件があります。一つでも欠けると話は全く別になる。4条件の小論技法も条件になります。6ではいけないのです。すみません。
 距離測度と言う言葉が間違っていたのかも。むしろ4次元空間と言うべきでした。違う空間なのです。彼の空間で考えると素晴らしいと認識できる思っています。彼はそのまま老いていけばいいと管理人さんの言う通りに思っています。悪しからず。
 さて、本題のebisu先生に対するお願いの件。厳しく言えば、貴方の文章を理解できる人は居ません。無理です。AIのエンディングのように見えています。人類が死に絶えてロボットのAIが気持ちよく生きる地球の姿を想像します。
 皆さんの迎合は上辺だけですよ。貴方が都合よい論旨を言っていそうだと理解できているでしょう。管理人様は性善説の人、甘いですね。 失敗の回数が私に比べて二ケタは下でしょうね。あまり騙されていませんね。
 ebisu先生の経済論はロボットたちが解析して有効利用してくれるでしょう。確かにそれも論旨の範囲。でも、私は人しか興味なし。
 だから親鸞であり、円了に憧れる。そう言えば二人とも野垂れ死になったようなもの。円了の教えなど誰も真に理解していない。だって誰もしていない。
 親鸞や偉い坊さんや偉い将軍の話は全部のちの世の誰かが自分のために書いた伝説と同じです。聖徳太子だって本当に存在したか分からないし、家光が偉かった、天下のご意見番がいたも私は信じられません。史記と同じです。論語すら怪しい。故事成語など都合よい解釈で素よ。日本も中国も韓国もです。
 鈴木さんと一緒に私は歩まない。彼は一人で歩んでいるから・彼の要求条件を分析し解析し、課題解決策を定義しているだけです。ついでにお布施だけあげています。
 私はバドクラブと本の販売。昔の本のコピーでも良いのです。仕事で彼からお金を頂いておらず、私は市場調査費を払っているだけ。私の経費で。
 本が彼の本業であるかは彼しか分かりません。多分、生活費は別の業務でしょう。そちらが本業です。そう思ってあげないと彼に失礼になるからです。彼は親を二人面倒を見ています。田舎から認知症の二人を預かった。彼は娘のために働いています。奥さまは私の妻と同じ身障者です。彼が炊事洗濯の家事の管理をしています。
 私は親鸞のように誰も信じていません。依存しないのです。円了の真似をして世界各国講演をしてきたつもりです。腰が痛くてできなくなっただけです。誰にも異存はしたくない。寄付なら受けますが。でもその寄付は、お金ではなく、場と聴衆を作ってくれることです。
 場も聴衆もできないのは私の不徳、自業自得です。だから仕方ない。誰も恨まないし依存もしたくない。棺桶で救われるだけが望みで良いのです。私がお陀仏になるまで管理人さんに期待している、で良いのです。すみません。
by tsuguo-kodera (2016-06-18 13:15) 

後志のおじさん

Nobody knows me!

And then?

Anyone who uses the word , farmer, as a word for disdain, always concluding his or her comment sounds like a hypocrite to me, A farmer who is proud of being a farmer !


で、話を本論に戻しまして、

山本七平氏の著作はベンダサン名のものも含め全て読みました。何度も。

彼の社会学的考察は誠に鋭いものと、「百姓」の私には思われました。

が、私は「英語しか能がない」らしいですから、山本氏の世界の中での外国語の部分だけコメントしますが

英語(というより外国語)に対する山本氏の見解の鋭さがベンダサン名での「日本人とユダヤ人」に述べられており、私はその見解をaufheben する形で自分の中の英語(というより外国語)の世界を組み立てた。とお伝えしておきます。

外国語を自分のものにする。使いこなせるようにする。そのためには大袈裟にいうと思考体系の再構築が必要なのですが、その契機となった方です。

「日本人とユダヤ人」「私の中の日本軍」は読んでみてください。



by 後志のおじさん (2016-06-18 22:05) 

ebisu

koderaさん

>そうですね。文字では誤解が多すぎる。管理人さんほどの人でも私の心は読めません。当たり前のことです。

これはその通りです、わたしは貴兄のコメントを読んで理解しているだけで、マインドリーダではありませんから、心の内が読めるのかと問われたら、読めませんとお答えするしかありません。書かれた物に、お会いしてお話したときの印象を重ね合わせることができるのみです。

>さて、本題のebisu先生に対するお願いの件。厳しく言えば、貴方の文章を理解できる人は居ません。無理です。AIのエンディングのように見えています。人類が死に絶えてロボットのAIが気持ちよく生きる地球の姿を想像します。

厳しいご指摘ですね。
わかりやすい文章だと思うのですが、わたしの思い違いでしょうか?
過去40年ほどのコンピュータの発達に関しては、貴兄のブログへコメントをしました。5/21「スモールビジネスコンピュータ」というタイトルの記事へのコメントでした。
指数関数的な性能向上を具体的なチップの性能を取り上げて整理しましたが、あれには同意いただけました。このまま後30年指数関数的な性能アップがあれば、AIは人間の脳を超えてしまいます。人間を超える知性を人類は神と呼んでいます。
指数関数的な変化は時間が経つほど、人間の想像力を超える変化を生じることも過去の性能アップから容易に推測できることは理系の貴兄には言わずもがなでしょう。

道は二つあります。グローバリズムを推し進めて、AIの支配する世界へ突き進むか、日本の伝統的な価値観に基づく経済学を道標にして、クローズドな地域の連合として経済社会を再編成するのか、人類には二つの道があるとわたしは考えています。後者が選択できるように、わたしは自分のライフワークをもう一歩前へ進めます。それが「資本論と21世紀の経済学」第3版です。

SRL時代にわたしの書いたシステム関係仕様書や稟議書はわかりやすいことで定評がありましたが、「貴方の文章を理解できる人はいません」と言われたのは初めてです。頭のよい貴兄が誰にも理解できないと云うのですから、わたしの書き方、論理展開、論旨にどこか無理があるのでしょう。
理解できない箇所を数箇所指摘していただけたら、ありがたい、文章修行になります。

>私は親鸞のように誰も信じていません。

親鸞は誰も信じていなかったでしょうか?五木寛之の『親鸞』が北海道新聞に連載になったときに楽しく読みました。人への信頼がしっかり書かれていました。記憶が定かではありませんが、「つぶての弥七」とかいう人が出てきたでしょう。
そして貴兄には「中村師匠」がいました。
何人かの人に信頼を裏切られてことはあったのかもしれませんが、そんなことはどなたの人生でもあることではありませんか?
13時15分のコメントは、なんだかお疲れのご様子とお見受けしました。体調は大丈夫ですか?
by ebisu (2016-06-18 23:47) 

ebisu

後志のおじさん

懐かしい単語です、aufheben。1960年代後半に大学生の間で流行ったドイツ語です。高校生のために訳語を書いておきます「止揚」あるいは「揚棄」。1960年代後半は学生運動の季節でした。団塊世代が大学生だったときの流行語、ヘーゲル弁証法なんて読んだことがなくても、カッコつけたくて使う人が少なくありませんでした。

山本七平氏の著作を全部お読みになっているのですか、驚きです。社会現象を扱うのが上手な人ですね。アカデミズムの側の人間ではありませんが、社会学者に分類してよいのでしょう。アカデミズムの側の社会学者と比べても、かなり光っています。今日読んだ高校2年生の教科書にvery quite(かなり)がでてきました。(笑)

「日本人とユダヤ人」は書名は知っていましたが、経済学を中心に本を読んできたので、社会現象を扱った本はあまり読んでいませんでした。「わたしの中の日本軍」と2冊がお薦めですか、理由が振るっていますね。

>外国語を自分のものにする。使いこなせるようにする。そのためには大袈裟にいうと思考体系の再構築が必要なのですが、その契機となった方です。

開成高校の入試問題に続いてのお薦め、本を増やすと女房に叱られるので、読んだら生徒にプレゼントします。生徒はタイトル見ただけできっと「いらない」っていうんです。何か講釈をつけてその気にさせなければなりませんね。(笑)
2年ほどで、4000冊ほどある蔵書の半分ほど処分できたらいいのですが...
女房の要求では1000冊以下にしろと、なかなか厳しい注文です。

ドイツ語の単語をみて思い出したのですが、さきほど本を読んでいたら、ヨーロッパの初期仏教経典研究で非常に優れた本があると書いてありましたが、それはドイツ語出掛かれた文献でした。30年も前に買って、2/3ほど読んでそのままになっていましたが、また興味がわいて先ほど読み終わりました。

『「阿含経」を読む 近代仏教への道』増谷文雄著 角川書房昭和60年発行 260ページ

Oldenberg, 1854-1920
Buddha, sein Leben, sine Lehre, seine Gemeinde, 1881

読んでみたい本です。翻訳があるかな?英訳でもいい。塾をやめたら暇ができるから、そのときにドイツ語で読むのもいいかも。
本は読まないほうがいい、1冊読むと読みたい本が3冊殖えます。(笑)
by ebisu (2016-06-19 00:19) 

tsuguo-kodera

 どこと指摘はできません。人は自分の頭のハエを追うだけで生きていると思います。それしか理解できない動物です。可哀想な生き物です。私もですから仕方ない。憐憫も愛も結局は自分の頭が作りだしたイメージです。畳一枚下は地獄です。
 貴方はイメージと言っていました。やるともです。その通りだと私も思います。でも今の経済論のどこにイメージがあるのでしょうか。
 確かに本の表紙のコピーにはあります。たくさんの本の表紙のコピーは私にはいろいろな情報へのリンクアイコンになっています。素晴らしいです。でもそのリンク先の情報は私の頭が管理している記憶、イメージが大元だと私は考えているのです。
 伊勢先生がイメージまで論を昇華できたら私も理解できるようになるかもしれません。世界もです。私は親鸞のようにアホですから。
 五木寛之は素晴らしい、歳をとって知識がイメージまで昇華したと私は思いました。親鸞はほとんど伝説の人です。彼の書物も誰が書いたか分かりません。3代後が偉かったのは確かでしょう。
 小説の奥さまは観音様の生まれ変わりのように、また唄の名手やつぶての名手など、面白い登場人物。魅力的。でも居たわけがない。牛車のイントロ部分の牛の様、目に見えるように感じました。彼は見えているのです。だから阿保もイメージできる。
 誰かの本や文章を読めば、貴方は論理と文章を頭に蓄え、理解でき、論旨を頭の中で合成していると理解しています。頭が抜群に良いからそれで人も理解していると誤解しているのでしょう。語彙も言語学の研究者以上、辞書原著者以上に思っています。尊敬しています。
 イメージに挑戦すると昔のコメントか記事にありました。期待しています。なお、私はイメージ処理をゼロから考えて、めちゃくちゃの言を師匠と岩井さんと浅田さんに提案し続けました。やらせないで良かったと今は反省しています。できたはずはないからです。
 でも私は人の文章を理解できた範囲でイメージ化して統合する訓練をしていたようです。貴方の論は素晴らしいと思えますが感性と直感の範囲に留まっているのです。これは私の頭の特性なのでしょう。
 貴方の論をイメージできないからかもしれないが、二つの道はありえないようにイメージできます。グローバリズムは私はかなり昔論理で書いて、今は人の論をイメージできるように感じています。
 日本は破たんする姿です。ほとんどの人の論はその同じ結論に至ります。イメージだからです。そこで貴方のグローバリズムの結論に乗っているのです。まだ新経済論はイメージできないから。すみません。南無阿弥陀仏。
by tsuguo-kodera (2016-06-19 04:24) 

ebisu

koderaさん

おはようございます。
ご意見しっかり伺いました、脱帽です。
koderaさんのいうことはぶつ切りで、敷衍していただかないと理解できないことが多いのです。四項目箇条書きは補足がないと中身が伝わらないことがあります。20文字以内の文章で、書き手と同じイメージを作れというのは読み手にとっては少々酷で、伝わるものはアバウトでしかありません。コアがつかめることもあるし、そうではないこともあります。
わからないことはお聞きするしかありません。

わたしの経済学に関しては、経済学者のほとんどが理解できないでしょう。それは用いている語彙や概念が、いままでの経済学にはないものだからです。
デカルトの「科学の方法」や数学の公理的体系構成法そのものですから数学史の研究者にはわかりやすい論になっています。容易にイメージできるはずです。世の中に数学史に興味のある人なんてほとんどいません。北極と南極ぐらい離れた異分野のフュージョンになってしまいました。(笑)

そういう意味で「21世紀の経済学」はまったく新しい、どうしようもなく新しい。わたしの書いた「資本論と21世紀の経済学」が多くの人にとって理解不能であることはわかっているつもりです。それが大学に残らない決意をさせました。
当時はわたしの頭の中に出来上がってしまった経済学のイメージを伝える術が見つかりませんでした。
修論はごまかしでした。考えているイメージを修論にしたら、審査する先生はどなたも理解できません。本来のテーマを1/100くらいに縮小した部分論で済ませました。本来のテーマで書いたら、スミス、リカード、マルクスをひっくり返すことになり、群論を書いたエヴァリスト・ガロアのようなことになりかねませんでした。

それで日本経済の現実を体験を通して学ぶ回り道となったのです。新たな公理系を探す旅でした。ライフワークを抱えて二十数年、折に触れてテーマを反芻し、現実と突合して旅を楽しんできました。「いったん経済学から離れよ」、天の意思だと思いました。

ついでです、『親鸞』の登場人物はたしかに五木寛之の創作ですが、彼には見えていたというのは頷けます。
貴方の論に従えば、実在の親鸞がどうであったのかだれも知る由がありません。それぞれの人が何らかの情報で脳に創りあげたイメージがあるのみ。koderaさんには人間不信の親鸞が見えているようです。
それがなぜかは少しは理解できるような気がします。
わたしとは異なるイメージです。
脳内に創りあげる人物のイメージは、読み手の人生観や人生経験と切り離してはありえないようです。

さて、第3版はかなり書き直さなければならないようです。読み手の頭の中にわたしが創りあげたイメージと同じものをつくることが目標になりそうです。
どんなにがんばっても1%以下の人にしか理解できませんね。
何か方法があるのかないのか、鈍才ですから醗酵時間がかかります、どちらかに落ち着くまで、しばらく死なないようです。(笑)

たいへん参考になりました。
by ebisu (2016-06-19 08:54) 

tsuguo-kodera

 私の拙いコメントを理解いただけたよう、ありがとうございます。でも、伊勢先生ならできますよ。きっと。それを志せば、偏差値50程度の大学生ならできるようになると私は予言したいのです。
 少し私の持論のアドバイスします。私のやり方ですので改善できるかもしれませんが。まず要求条件を箇条書きして体系化します。トップは新経済論を分かりやすく説明するです。目的でしょう。三階層に分解すると、4項目箇条書きなら64の条件になるでしょう。
 トップの直下の4条件と、その他の下位にある条件をよく考えて入れ替えたりします。階層がこれで良いとなったら、その4条件から一枚の図表を作ります。この図表の出来が勝負です。何度も書きなおします。
 2軸の4条件、すなわち4項目を修正しつつ、上手い絵がかけるまで考察します。分かりやすい絵ができたと思ったら、それで一応4条件は固定します。これが他人への説明のためのイメージであり、他人とイメージを共有できるようになります。
 だから箇条書きは2軸の平面ですが、本当は4項目は4次元の軸。上手く表現できないから平面で書きます。
 そして3階層を章節句として章立てします。そしてトップの階層から、すなわち4章の概要から書き始めます。同じく節の説明の概要の1枚の図表であるイメージを書きます。上手く書けるまで節立ても直します。こうして4つの章が終わったら節に移ります。
 節も同じ繰り返しです。16節の概要を先に仕上げるのです。文章は書き下すのではなく階層構成に基づいて書きます。
 プレゼン資料も同じように作れるし、同じようにシステム要求条件を作れます。これは師匠の教えではなく、私の提案でした。師匠には賛同いただいているのが自信のもとです。
 私は悲劇的に予想します。それが安定なバグのないシステムを作る秘訣だからです。師匠も賛同しましたが、文系の親玉のような岩波書店の責任者には馬鹿にされたことがあります。
 文系は難しい論旨で単純な法則を記述する人が多いと私は考えています。文系の論文は理系センスで書けば分かりやすくなるでしょう。だからきっとできますよ。
 以上です。
by tsuguo-kodera (2016-06-19 13:54) 

ebisu

3階層構造は賛成です。
書き始めるまでが仕事の6割かな?

方法ありきではなくて、3~5項目の範囲内で内容に応じて分類してみます。4項目に整理するかどうかは、それを見てからの判断になるのでしょう。

マルクス『資本論第1巻』は7篇、25章編成です。
1篇は3章
2篇は1章
3篇は5章
4篇は4章
5篇は3章
6篇は4章
7篇は5章

各章は1~10節に分かれています。
節はさらに項目別に分けたり分けなかったり、必要に応じて小分けがなされています。

過剰富裕化論の馬場宏二先生の『新資本主義』は
序論
第1部 7章構成
第2部 7章構成
結論

4部構成になっています。各章は2~4つの節に分類されています。

3階層は賛成ですが、たとえばマルクス『資本論』を4項目できれいに整理することができるかと問われたら、不可能と答えるしかありません。
プレゼン資料の作成ではないのですから、内容に応じて篇別編成や章別編成、そして節編成が分かれていいのだろうと思います。

一人KJ法で整理してから、ご意見をお聞きしたほうがいいでしょう。
by ebisu (2016-06-19 20:23) 

ebisu

理論も技術もそれぞれ固有の「適用限界」があります。
そこを超えてしまったら、その理論は破綻します。逆に言うと、ある範囲内で使えば有効だということでしょう。

ニュートン力学と相対性原理のようなものです。惑星の運動を計算するだけなら、ニュートン力学で間に合います。しかし、時空の歪なんて話はニュートン力学からは出てこないでしょう?

マルクスもヘーゲル弁証法を経済学体系構成に適用しようとして、無理を重ね、破綻しました。ヘーゲル弁証法は経済学体系を叙述する上で必要ない、有害無益なものでした。
マルクスは経済学には適用すべきではないツール、ヘーゲル弁証法に執着しすぎました。ヘーゲルを捨てて、デカルトに学べばよかったのです。

マルクスは数学のセンスがまるでなかった。『数学手稿』という遺稿があります。マルクスが扱っているのは四則演算の範囲内です。微積分はおろか、ユークリッド『原論』すら読まなかった。
第一巻を出しただけで、その後は十数年間沈黙し続けています。方法論の根本的な欠陥に気づき、精神を病んだのではないかと思います。
方法的破綻を自覚して、書けなくなったのです。マルクスの死後、エンゲルスが遺稿をまとめて、勝手に編集して「完成」させました。エンゲルスは経済学体系がなんであるのか、その意味すらわかっていませんでした。世界市場関係でその環を閉じなければならなかったのです。そういう意味ではリカードすら超えられなかった。

欧米の経済学をユークリッド幾何学に譬えたら、「21世紀の経済学」は球面幾何学です。ここでは平行線公準が成り立ちません。別の公理系の経済学だということです。

話が脱線しましたが、言いたかったのは最初の3行です。

とにかく、階層構造に整理する必要は感じています。ですがこれは、マルクスだってやれなかったことです。それ自体がとんでもない仕事です。思いつくことをたくさん書き溜めてから、相互関係を分析して、階層構造に整理しなければいけないのだろうと、思っています。マルクスは『経済学批判要綱』でそういう作業をしています。
by ebisu (2016-06-20 00:58) 

tsuguo-kodera

 たった1企業の要求分析医でも、大企業になると3年間かかります。しかも正しく書けないとシステムは使い物にならないものができます。
 伊勢先生はとてつもない、先人の素晴らし理論を越えようとしているのでしょう。私にはそうしか読めません。
 中小企業でも、ほとんど家内企業であっても、1年はかかります。要求分析作業を甘く見ない方が良いでしょう。いくら伊勢先生でも結果を見たことがない理論であり、見た、経験した実践結果の分析ではないからです。想像と現実はたぶん全然違いますよ。
 多分、正しい要求分析に5年はかかります。それまではあの世に行ってはいけませんし、お呼びはかからないでしょう。あっても待ちましょう。死神に代わっての予言です。(笑)
 まだ階層構造だけで挑戦するつもりのようですね。失敗するかもしれません。止めた方が良いかも。時間がかかりすぎてお陀仏になるかもと言うこと。したら私のせいではなく、私の技法のせいでもないでしょう。それも仕方ない。
 体系の完成を早める手は階層構造の改善はあるところで満足したら、一応やめてトップから図表の階層を書き始めるのが良い手です。割と早い段階でです。一応基本の要求条件は頭と過去の資料にあるから説明順の変更、論旨の修正で済むように思えます。
 ある程度の満足のある体系に基づき、上位階層の4枚の絵を書いた方が良いはずです。そして、4項目の改善もあるでしょう。
 そのうえで、節のはじめの方の絵を書くと要求項目の表現に改善点が見つかります。1項目の表記を改善しただけで、全体構造の修正がしたくなります。横への波及は仕方ない。上への波及さえ少なくできたら良しです。
 階層の上への変更を避けるのが大事だと分かっているのですが、4項目の箇条書きの表記によっては波及しやすくなります。
 波及を避けるために。目的語を重視し、先頭に置く表現を心がけるといいでしょう。その結果がプレゼンの事例になっているのです。文字数は少ないほど改善が楽になるだけでなく、一目同然で改善点が分かります。
 ゆっくりと、コツコツと。体幹を鍛える四股のようにです。身体を鍛えるのと頭脳を鍛えるのと、根本は変わらないと私は信じて、坐骨神経痛に挑戦しています。とても難しい相手です。初めての取り組みでしたので。
 でも、伊勢先生の記事のお蔭で私は認知症にならないかもしれないと妻も私のネット依存に何を言っていません。諦めたということです。
 お蔭でまた妻の好きな旅行にお付き合い、二人が好きな甲府の黒澤先生に会って温泉につかります。彼から武士道や仏教や神道や陽明学を自然と学べる一挙4つ以上の効果があります。
 なお、諏訪湖はウナギの名産地であり、川が流れ込む水門が一番おいしいのです。最近の化学ノーベル賞学者の美術館はたまたま黒沢先生の住んでいる町にあります。知り合いのようだし。世間は狭いのです。
 水も人も流れないと腐ります。ノーベル賞は研究所を渡り歩くのがもらうコツです。人間関係が広がるから、論文が引用されることになる。
 人は動けば良いのです。伊勢先生は自転車と四股、私は歩きと園児とバド。見て居てください。そのうち走って見せましょう。棺桶に走っていきますよ。南無阿弥陀仏。(笑)
by tsuguo-kodera (2016-06-20 04:38) 

ebisu

おはようございます。
お蔭様で、ずいぶん整理がついてきました。

「できること」と、「できないこと」がはっきりしました。結論から言うと、新しい経済学はその公理系を示すことができるだけで、体系として叙述は不可能なことがわかりました。
経済学は経験科学ですから、いまだ起きていないことを学問として記述することはできないのです。

マルクスが『資本論』でやったのは「資本家的生産様式」の体系的叙述です。それは目の前にある経済社会の分析と体系的再構成が目標でした。
マルクスが希求した新しい経済社会はエンゲルスとの共著である『共産党宣言』に書かれています。いまだ訪れぬ未来の経済社会はイデオロギーでしかありません。
それを実現しようとしたのが、レーニンと毛沢東、金日成、チェゲバラとカストロでした。この歴史的実験は三人が大失敗、ゲバラは途上で殺されましたから、キューバのカストロだけがある程度、マルクスの理念の実現に成功したのかもしれません。キューバは貧しいが医療はただです。

「できること」は、経済学の新たな公理系を明らかにすることです。それを基にしてどのような経済社会を、どういう方法で創るのかはそれを担うべき人が考えること。それを担う人の人格と切り離しえないのだと思います。
レーニンのようにインテリで大学へ職を求められなかった人が、権力欲を満たす手段として社会革命を利用するなんてことになれば、自身が権力欲の権化になるか、その後にスターリンのような権力志向の強い人間が輩出して、理念は雲散霧消してしまいます。

国が大きくなるほど、その運営には大きな官僚機構を要しますから、そういう傾向が強まります。カストロがある程度成功しえたのは、国のサイズが小さかったからです。
小さければよいというものでもありません、それは必要条件のひとつであるのみです。大きな単位で国を作ろうとする試み自体が、権力欲の表現に他ならない。EUもその典型のひとつです。アメリカ合衆国も英国連邦国家も大きな組織で、増殖する権力欲の表現です。地球全体を自分の支配下に置きたくて競い合います。権力欲はグローバリズムへ転化せざるを得ないのです。

小欲知足という価値観を土台とする、職人経済社会がいい。それは身体を使って働くことを善しとするのです。仕事しなくていいよと言われて喜ぶ日本人は稀です。身体を使って仕事することに生きがいを見出す人がほとんどではないでしょうか。

西欧の経済学は労働からの解放が最終目的ですから、それはAIとそれにつながる機械がすべての労働を肩代わりする経済社会を実現せずには起きません。そういう方向に向かっています。欧米の価値観をグローバリズムで押し進めるとそういう社会が実現してしまいます。
労働は奴隷のするもので、人間の解放とは労働からの解放を意味しているのが西欧の価値観です。人間は自らの価値観に見合った経済社会を実現してしまうのです。

そうしたことを、どのような構成で書くかについては3層階層構造が適切です。多くの著作物がそういう構成になっています。3層で足りないところは4層にすればいい。部・篇・章・節・項目、五階層のものもあります。
それぞれの部・篇・章・節・項目がいくつになるか、そして並べる順序がどうなるかは内容が決めます。「単純なものから複雑なものへ」が叙述の順序です。これはデカルトが『方法序説』のなかで「科学の四つの規則」として述べています。

マルクスのやり方を見ていると、思いつくまま書き連ねて分析しているうちに、概念相互の関係が、どちらがより単純なものかはっきりしていきました。一番単純なものに行き着いたところで、そこを端緒として体系の叙述が始まりました。
でもそれは、いま目の前に展開している資本家的生産様式を明らかにするものであって、マルクスの理念である共産主義社会を体系的に叙述するものではありません。
経済学は経験科学ですから、いまだ実現しえぬ経済社会については体系的な叙述が不可能なのです。
理念をイデオロギーとしてしか書き表せないのです。それで十分だと思います。壮大な社会実験はそれにふさわしい人が担えばよい。
人にはそれぞれ役割がありますから、自分の役割を自覚し、まっとうすればいいのだろうと考えます。

貴兄のさまざまな示唆、役に立ちましたよ、お蔭様で問題の整理が大きく進みました。
by ebisu (2016-06-20 09:05) 

tsuguo-kodera

伊勢先生が夢を実現されることを祈念しています。鈴木さんには鈴木さんの夢が、私にも私なりの夢があります。夢こそ生きる力ななのでしょう。
 私の夢はイメージ思考とその作り方、すなわち私が求めているイメージ処理の有効性について、その考え方普及の後継者が現れることをです。
 バドの子供たちもその候補。鈴木さんのお嬢さんも、伊勢先生もです。すみません。こんなに凄い伊勢先生に対して生意気な表現で。今後ともよろしくお願いいたします。
by tsuguo-kodera (2016-06-20 10:31) 

ebisu

脳内に結実してしまったイメージを伝えるのは難しいものです。
わたしの場合は、ひとつの事象についてさまざまな用語がインプットされると、それらの相互関係を網の目のようにつなげていくだけでなく、一つの構造にまで再構成しないと居心地が悪いのです。
収まりがつけばそれで満足、自己満足です。(笑)

イメージ処理の有効性が大であることは自明のことに思えます。多様性が大きいので、どういう切り口で挑むか、なれた武器をとことん使って、限界を見極めるのがよろしいように感じます。
夢は追いかけているうちが楽しいのでしょう。koderaさんも、どうぞ存分にご自分の夢を追いかけてください。四項目箇条書き法はさまざまなことに使えます。

お釈迦様は、物事と感覚器官と意識の関係が完全に理解できました、それが悟りでした。問題はその後です、衆生にそれを説かれる決意をしました。だから、南伝の経典は比喩がとても多く、巧みです。

経済学について、知りえたことを、わかりやすく説いておくことはわたしの役割のようです。
人間の脳はほうっておくと雑事をあれこれ弄繰り回し始めますから、呼吸に意識をおいてゆっくり吐いて、ゆっくり吸う内に雑念が消えます。そういう瞬間に考えなければならないことを頭の中の引き出しから引っ張り出して、広げて見ているのです。
食べ物を反芻する牛のようなもの...

<中学生や高校生の皆さんへ>
どんな科目でもそういう勉強の仕方をすれば、理解が深くなります。難問を丸ごと覚えてしまって、脳の引き出しの中に入れたり出したり、何度も繰り返します。そのうちに脳が勝手に問題を解決してくれます、aha!の瞬間が訪れます。
難問でなければ効果はないし、脳のトレーニングになりません。ぜひ背伸びしてください。
ebisuは中学生のころから、そういうトレーニングをしていました。ビリヤード店の店番をして、お客さんのゲームの相手をし終わると、数分間の空き時間に脳の中から習ったことや解けなかった問題をひっぱしだして遊んでました。一日に何度もやるから、記憶はその都度リフレッシュされて、固定化されます。どんなに頭が悪くても、そういう数分間のトレーニングを日に何度も繰り返せば、たくさんのことが覚えられるし、思考も深くなります。「記憶と思考という種目の部活」を毎日熱心にやっていたようなものです。おかしいでしょう?おかしいですよ(笑)

ああ、お釈迦様は「握拳」はないとおっしゃっています。弟子に秘密にしている秘伝はないのだと。ひとつも秘することなく、法を説かれました。
by ebisu (2016-06-20 13:12) 

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