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#3323 「スキルス胃癌+巨大胃癌」:お蔭様で術後11年目が迎えられました  June 9, 2016 [38. cancer]

<更新情報>
6/10 朝10時 冒頭部分と余談を追記


 ほとんど助からない病だったのですが、主治医の消化器内科医、執刀をしてくれた若き消化器外科医、(開腹して癌がリンパ節へ転移、大腸へ浸潤の状態を確認できたところで「アケトジ」しかないと判断した執刀外科医に)術場でオペ続行を指示されたベテラン外科医の釧路医師会病院S川院長、スキルスの診断をつけてくれた消化器内科医の副院長、術後の再三の歯のトラブルを救ってくれた根室と東京のお二人の歯科医の先生、術場の看護師さん三人、病棟看護師のみなさんに助けられ、生徒たちに元気をもらい、10年間生きてきました。いま振り返ると、すばらしいチームに支えられました、あのタイミングでこれだけ必要なスキルをもった人たちが助けてくれたことは奇跡です。57歳からのわたしの人生はたくさんの人に支えられ、すこしずつできることの範囲が広がりました。本当にありがたい。
 これから胃癌を患う人たちやその家族の皆さん、そしてその友人の皆さんに術後の10年間の様子の概略をお伝えすることで、わたしのささやかな経験がいささかでも人様のお役に立つことを願っています。


 2006年の6月6日だと思っていたら、O田医院の診察券の発行日付が6月7日、これが初診日。今日、3ヶ月に一度の定期検査、採血をしてもらった。「一般検査項目+腫瘍マーカ2種」、そして「フェジン+ビタミンB12」静注。検査データをみなくても鉄欠乏はいつものことだから、先に「鉄分補給」をしてもらい、来週検査データを確認。このごろ息があまり苦しくないのは、オリヒロ(株)「チュアブル鉄」の錠剤1錠のほかに雪印メグミルクプルーンFe 1日分の鉄分飲むヨーグルト」を飲んでいるせいだろうか?呼吸をしても酸素が入っていかないことが頻繁に起きるようだと鬱陶しいが、しばらくそれがないのはうれしい。

 10年前のあの日、前日のお昼に食べたうどんが逆流して夜中まんじりともせず、ついに朝食もまったく摂れなくなった。症状から胃癌と確信していた。スキルスの自覚症状もあった。冷たい異生物が広がりつつあるのが感じられたのは、ヨーガや呼吸法を10代のころから独習していたからではないかと思う。身体の声が聞こえる、とでも表現したらお分かりいただけるだろうか。

 「胃癌だと思うので、内視鏡検査をお願いしたい」と診察の際に優二先生に申し入れた。
 オヤジがお父さん先生に平成3年に大腸癌の疑いがありとの診断をしてもらい釧路市立病院で手術を受けて2年後に再発、全身転移して亡くなっていたから、それから15年後に息子のわたしが、若先生のお世話になることになるとは、これも運命のなせる業か。
 内視鏡で癌の診断はすぐについた。「スキルスもあると思うので検査を続行してもらいたい」とさらに頼んだ。スキルスは粘膜を走る癌だから、自覚症状が出にくい、スキルスの自覚症状があると訴えた患者は、後にも先にもわたし一人だろう。6月23日に釧路医師会病院に入院して、スキルスの診断がつくまで3週間かかった。消化器内科の副院長はガストロ造影で診断をつけてくれた。ずいぶんと丁寧な診察に頭が下がった。

 スキルス胃癌と幽門部近くにできて腸への通路を塞いでいた「巨大胃癌」(SRLの病理検査報告書)の摘出手術を7月20日にしてもらって、いま生きている。執刀外科医が若い研修医でなくて、40歳代のベテランだったら、手遅れですから「アケトジ」だった。手遅れだと判断した後藤先生の手が止まったところで「ざっくりとればいい」と術場に立ち会っていたベテラン外科医のA川院長の指示がなければ助からなかった。たくさん切らないと外科医は腕が上がらないから、助からぬものならやるだけやって腕を上げてほしかった。次の患者を救うだろうと、術前のさまざまなリスク説明を聞きながら患者のわたしは考えていました。「あけてみないとわからないので、転移の状況によっては、脾臓、膵臓、肝臓の摘出もありうる」と淡々と説明してくれました。「おいおい、そんなに内臓とったら手術は成功したが、患者のわたしは死にましたということになるだろう?」、そういう状況だったのです。でもね、この若いドクターだからこそ、何か起きると予感していました。崖っぷちにいるのにちっとも恐怖がわいてこず、なんとかなるような気がしていたのです。ヘンでしたね。
 手術を担当してくれた若い外科医後藤先生は2年半前からふるさとの音更町に戻り「木野東クリニック」を開業しています。6時間の手術、よく助けてくれました。
 胃の全摘、周辺リンパ節切除、浸潤していた大腸の一部切除、胆嚢摘出。空腸を喉まで引っ張りあげて食道と吻合、十二指腸の付け替え、動脈の処理、...。あとで輸血の量を訊いてみました、ゼロという返事、これにも驚きました。これだけの大手術で出血量はわずか700cc、技術の進歩と外科医のスキルはすごいものだ。

 抗癌剤(TS-1)治療がきつかった。白血球がぎりぎりまで下がり、免疫が落ちて何度か抗癌剤の量を減らしたり、期間を開けさせてもらった。主治医の優二先生は再発リスクを説明してくれたが、続行も命にかかわるような状態が半年以上続いた。白血球数のデータを見ながら、薬剤をコントロールしていただいた。2年間ほどは抗癌剤の副作用で身体がとってもきつかった。

 術後は血圧が50-90に下がった。体重はマイナス12kgから3kg戻した。血糖が下がることがあるが、なんとなくわかる。身体がふわふわするのである。そういう時はチョコレートやオレンジやバナナを急いで食べる。
 一度、2月に日専連ビルの教室から家へ戻ってきて、車を車庫に入れて、ちょっとだけ除雪しようとして、低血糖症状を起こし、膝が崩れて派手に転倒し立ち上がれなくなったことがありました。女房が東京へ行っていたときだったので、危うく死ぬところだった。何度も立ち上がろうとするのだが、ガクンと膝が折れて転倒する。倒れたままでは服が地面に凍り付いてしまう。
 何度か試しているうちに起き上がれたが、玄関の方向がわからない。明かりのついているほうがそうだろうと空中を泳ぐような朦朧とした意識で、玄関から這い上がって、仏壇にあったオレンジをがつがつ食べて、リビングで倒れてしばらくじっとしていた。
 後でみたら、スーツのズボンが何箇所か破れていた。

 胃の全摘をした方は、低血糖症状に気をつけてください。冬の寒いときに家の外で低血糖症状を起こせば命にかかわります。ブドウ糖粉末をポケットにいれて持ち歩いたほうがいいですよ。チョコレートでもいい。
 
 食事は日に6回、小分けにしてしょっちゅう食べていないといろいろ不都合が起きます。たとえば下痢、よく噛んで唾液と混ぜてやらないと腸が炎症を起こして下痢をします。とたんに体重が減り、体調を崩します。胆嚢切除で胆汁が出っ放しになっているので、食べ物を送り続けないと、胆汁液で腸が炎症を起こすのでしょう。
 日に6度の食事と、果物入りのヨーグルトが口内環境を悪化させました。3カ月おきぐらいに虫歯治療していました。虫歯になると歯が痛くて、噛む回数が減ります。腸が炎症を起こし、口内炎が起きます。体重が減り、体力が奪われます。
 この3年間ほど、口内炎が起きなくなりました。インプラント治療で、噛むのが楽になったのです。それと、年に一度歯のチェックをしてもらって、ダメになる前に治療してもらっています。歯のほうの主治医である東京の歯科医院はセレックというドイツ製の義歯作製機を導入しています。コンピュータで取り込んだ3次元レントゲン画像をもとにして、工業用の純度の高いセラミックス・ブロックから削りだして義歯を作製します。作製は1日でできます。価格は3~6万円くらいです。純度の高い工業用のセラミックス・ブロックから削りだすので従来のものより強度が大きいようです。3月にやっていただいたときには3本ブリッジで12万円でした。従来の手作りのセラミックス義歯だと最高級のもので1本12万円、その次が9万円ほどでした。
 歯を削る治療をするときは必ず仮歯を入れてくれますから、治療中も食事に不都合がありません。その仮歯は丈夫で、セラミックスの歯が日程的に間に合わないときには仮歯をしっかりくっつけてくれるので1年間はもちます。次回行ったときにセラミックス製の義歯と交換すればいいのです。
 東京・聖蹟桜ヶ丘の林歯科医院のドクターとはもう18年ほどのお付き合いになります。7-10日くらいの滞在期間中に、無理を言って、治療していただいています。

 術後5年間は、東京へ行けませんでした。いつ下痢を起こすか不安なのと、体力がもつのか不安だったのです。最初はへとへとになりましたが、毎年いくうちに慣れてきました。でも一人では無理ですね。一人で行く旅行は釧路までが精一杯です。

 優二先生に内視鏡で癌の診断をつけていただいてから、6月7日で10年が過ぎました。地元に消化器内科の専門医のドクターがいることは患者にとってとっても心強いものがあります。
 執刀していただいた外科医の後藤幹裕先生も東京で数年間、内視鏡技術を磨き、2013年12月にふるさとの音更町で木根東クリニックを開院して、すでに2年半経ちました。
 お二人にステージⅢ-bのほとんど助からぬ命を救っていただきました、ありがとうございます。
 10年間を振り返ったこの駄文が、不運にしてこれから胃癌を患う人たちにいくばくかの参考になれば幸いです

 お二人の消化器専門医のドクターの健康と、それぞれの医院が地元の患者の皆さんに末永く愛されますよう、心よりお祈り申し上げます。

*「まちマイNEWS 音更編 今日の話題「郷土愛」 木野東クリニック院長 後藤幹裕さん」
http://www.tokachi.co.jp/feature/201402/20140202-0017626.php 



〈 余談-1 : 食後 〉
 食事をした後は、1時間ほどは外出できません。いきなり腸に食べたものが入っていきますから、腸が圧迫されます。歩いたり車に乗ると身体に振動が起きますから、食べたものが腸内の残留物を圧迫して痛みが生じます。振動が数分間続くと、下痢を起こしてしまいます。
 対策は、出かける2時間前に食べ終わっておくことです。でも食べ終わって3時間もすれば次の食事をしないと低血糖を起こしかねません。だから出かけるときは、果物を入れたヨーグルトや果物を持っていきます。途中で少量食べて補給します。なんどかそうやって持たせます。そういう事情もあって術後5年ほど東京へ行けませんでした。下痢を起こさないためには食べなければいい、しかし食べなければ低血糖症状や、血圧が50-90ですから貧血を起こしかねません。危険なのです。羽田から日野市の自宅までの移動に電車を使うと、ホームの階段の上り下りが何度もあります。同じ流れの速度で歩けないのです。だから、羽田からは聖蹟桜ヶ丘まで直行のバスを利用しています。30分おきにあるので助かります。

 
〈 余談-2 〉
 恥ずかしながら、臭い話をします。(笑)
 消化を助けるために、ビール酵母「エビオス錠」を毎食後2錠服用しています。他社の製品に比べてやわらかめで、噛み砕いてもインプラントの歯には影響なし。ブログ仲間のHirosukeさんが薦めてくれたので、他社のビール酵母から切り替えました。
 術後数年間は消化不良のせいか腸内で異常発酵、便もオナラもとっても臭かった。9時に仕事が終わってから夜10時ころに食事を終わるので、お風呂に入って寝たころに異常発酵が盛んになります。寝室が別でよかった、窓を開けて換気することがありました。(笑)
 下痢も頻繁にしていました。現在は、ずっとよくなりました。歯が大事ですね、よく噛まないとエビオス錠だけではダメなんです。下痢は月に数回まで減少しています。異常発酵が減ったようで、オナラの臭気も1/4以下になりました。何かで測定したわけではありません、そのくらいだろうという主観的な評価に過ぎません。
 この2週間ほど、数度に分けて合計毎日100回ほど素振り用の木刀を振っているのですが、すこし食事の量が増えました。握力もだいぶ戻ってきました、以前は左右ともに60-65kgありました。

(石炭ストーブやお風呂に石炭釜を使っていた小学生のときに、大きな鉞(まさかり)を振り回して古材を割って焚きつけにしていたので、握力が強くなったのでしょう。鉞を振り上げて後ろの地面にまでつけて、背をそらしながらゆっくり頭上まで遠心力を感じながら持ち上げ、そこからさらに遠心力を加速して、ぶつかる瞬間に斧を全力で握り締めて、古材を叩く。身体全体のエネルギーが斧の刃に集中していくのが感じられます。4寸角の角材が1-2発で叩き折れることがあります。握力がないと、角材に当たる歯の角度を90度に保てませんから、ガチンととはじかれます。何度も何度も叩くことになります。毎日やっているうちに、左端を5cmほどの高さの石の上におき右端は地面に敷いた板の上に載せ、少し斜めになっている角材に垂直に歯を当てることができるようになります。スリムな体つきでしたが、中学3年生のころには背筋力が170kgほどありました。
 薄い板を手刀や拳で叩き折るときも、角度や速度、力を入れるタイミング、千回も2千回もやるうちに自然に身についてきます。ときどき生木が混じっているので、しなやかな弾力に負けないスピードとと叩き方が呑み込めてきます。生木を叩き折れるようになれば、顔面を叩いたときには骨が陥没してしまいます。胸を叩けば胸骨が数本折れます。枯れた木材は誰でも叩き折れますが、生木はトレーニングを積まないと無理です。瓦を割るのとはわけが違います。十分なスピードがなければ木はしなり、地面を叩くことになります。
 東京の有楽町に事務所を構えて40年以上のH勢は高1のときの同級生でした。21歳で税理士試験に合格した秀才です。腕相撲をしたことがありますが、細身の体つきのくせに、手を組んだ瞬間わかりました、家の仕事の手伝いをいままでしっかりやってきたのがわかりました、引き分けでした。彼は沖根婦の昆布漁師の息子、獲れたての水かをたっぷり含んだ昆布を船から浜に揚げて石の上に並べるのは重労働で、腕の力と腰の力を鍛えます。何度やってもよくて引き分け、何度かに一度は負ける、そう感じました。2回目はありませんでした。勉強のほうで勝負をつけました、圧勝とは行きませんが毎回「辛勝」だったかな?(笑)
 外にあるお隣と共同の井戸からお風呂の水汲みもしていたので、まるで空手部で修行していたような6年間でした。18歳のときに新宿で高校の同級生の総番Kと副番Mと三人でパンチボールを叩いて何kgでるか試したことがあります。踏み込まずに身体のひねりだけで180kgだったか200kgだったか、二人がびっくりしていました。あのころは普通の人の顔面を殴っていたら殺しています。高校のときに2度危ないことがありました。切れそうになったのですが、我慢しました。やったら人生が終わりです。小学生のころに身体を鍛えておくことは大事なことのようです。)

 スクワットも一日おきくらいにやっています。気まぐれですからやっていると自慢できるほどの回数はしません。合計して50回もやっているでしょうか、それでも健康維持にはいいんです。階段を下りるときの足の踏ん張りが利きます、よろける回数が減ります、無理せずほどほどでいいんです。歩くほうがいいのですが、面倒くさい。テレビを見ながら退屈になるとスクワットか椅子の上にあがったり降りたりしてます。
 一昨日、リビングで正座して1.4kg・115cmの素振り用木刀を振っていたら、「危ないから家の中で振らないで!」と女房殿に叱られました。術後の大変な時期に面倒見てくれた女房殿には頭が上がりません。

 
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