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#3284 春の初サイクリング: 老化と癌は見分けがつくか?  May 8, 2016 [85.サイクリング]

 3/12にロードバイクとMTBのチェックをしたときに、5kmほど試し乗りをしてみた。それから2ヶ月、乗る気にならなかった。このままではいけないと、牧の内T字路まで春の原野を走ってきた。億劫だったのかな?(笑)
 3月から体調が悪かったのである。加齢のせいか、なにか病気が生じたのかわからなかった。食欲も落ち、下痢をすることが多くなったから、女房殿が心配していた。季節の変わり目、春だ。気分は徐々に春めき、よくなっていった。

 気温10.6度、北北西9.2m/sec、湿度59%

 根室はまだ桜が咲かない。庭の櫻はまだ蕾である。八重桜のほかにアッツ島の櫻もあるが、近所を見ても咲くのはこれが一番遅い。根元から1.5mほどの細い幹がたくさん出ているので、木だけ見ると桜には見えない。
 紫つつじは車庫を造ったときにすずらんの群落の中に植えかえたので、栄養分がとられるのか、他の家のお庭の紫つつじが咲いてから2週間ほど遅れて咲くのだが、花の数が少ない。そこが風情があってよい。

 根室はまだ春が始まったばかり、すこし風が強かったが気温が10度だから快適に走れた。往路は東へ向かうので左側(北)から強い横風がときおり吹いてきて、流される。腕で抑えが利かない。牧場の近くは糞尿の臭いがするところがあったが、ちょっとの間だけで、そこを過ぎると空気はおいしかった。
 肺が思いっきり空気を吸い込み、めずらしく酸欠の感じがしない。肺機能が今日はいいようだ。ふだんは坂道を歩いて登っても息が切れることがある。20歳代のときに、東京で空気の悪いところで仕事をしていたから、大気汚染による公害病に認定できると医師から言われたことがある。2000年に病院の常務理事をやっていたときに腕のよいレントゲン技師さんがいたので、肺のレントゲン写真を撮ってもらった。「こんなに白くなっています、肺が繊維化して機能が落ちていますね」とドクターの説明。加齢とともに弱いところの機能がさらに弱くなるのはどうしようもない。

 身体は加齢とともに確実にポンコツになっていく。その進行はちっとも遠慮がないようで、歩みを止めてはくれぬ。ポンコツ化していく現実に抗う気持ちがなくなってからは、どういう風に身体が壊れていくのか眺められるようになった、「ポンコツ化速度」から計算するとまだまだ時間が残っている。無理せずにいまできることをすればいいのである、そうすれば老いはゆっくりと来る。
 サイクリングから戻ってきて靴を脱いだら、足の裏が攣(つ)りそうになったので、竹を踏んでみたら直った、運動不足を実感した、はじめての経験である。(笑) このように、初めての経験がいろいろとできるのは加齢の楽しみかもしれない。

<老化と癌の進行は自分で見分けがつくか?>
 胃の具合がおかしいと気がついた10年前は、それが加齢による胃の機能低下か、病気によるものであるか判別がつくまで半年を要した。初めての経験だからどちらか判断がつかなかったのだ。ところが半年たったら、加齢ではなく進行性の癌だと身体が主張しはじめた、その声がよく聞こえてしまったので、初めて胃の内視鏡検査をお願いした。

「先生、胃癌だと思うので内視鏡検査をしてください。オヤジの兄弟はみんな癌で死んでいます。原発臓器はそれぞれ異なっていました。焼き肉屋をやっていたオヤジはお父さん先生に診断してもらい、釧路市立病院で手術し、13年前に術後2年で再発して亡くなりました。」

<内視鏡検査⇒診断⇒告知⇒手術:医療のありがたさ>
 優二先生さっそく検査してくれた。そしてすぐに癌と判明。撮った写真を見せてくれて癌の診断、やはりそうだったと、素直に受け容れられた。女房殿への説明をどうしようかと思ったが、そのまま告げた。塾は1ヶ月お休みだ、スキルスの診断がついていないが、スキルスはある、冷たくて重いものが胃の辺りで広がっていくのがよくわかる、だから3割くらいの生存確率だと思うと話した。生存率が5%以下の悪性の癌だとは言いにくかったのである。わたしよりも女房殿の方がショックだったようだ。
 57歳、いずれは癌になり死ぬものだとは覚悟していたのだが、予定より12年ほど早かった。ちょっと早過ぎやしませんかと天に愚痴を言いたくなった。やるべきこと、ライフワークが残っていたから、この仕事をわたしにやらせないでいいのですか?そういう気持ちがわくと同時に、ここは天任せでよい、わたしが悩むことではない、人類の未来に意味のある仕事なら、天が何か救済手段を用意してくれているから、わたしは命が助かった後にライフワークを誠実にやればいいだけ、そう考えたのです。ケセラセラでした。生徒にも「お腹にオデキができたので入院してとってもらいますから、1ヶ月お休みです、休みだからと甘利喜ばないでください」と告げると、「先生、オデキできたの?」と大笑いでした。「恥ずかしいから、内緒だよ」「期末テスト結果は科目別の点数と学年順位をメールで知らせるように」そう言い渡して、1学期期末テスト日に検査入院しました。
 事態は相当深刻でした。オヤジの兄弟3人は、入院してそのまま逝ってました。オヤジだけが大腸癌手術の後退院できました。2年生き延びて再発して72歳で亡くなっています。女房のお父さんも検査入院して末期の大腸癌が見つかり、全身転移でそのまま3ヵ月後に亡くなりました。オヤジの癌がわかる2年前のことです。

「冷たく重いものが広がっていくという自覚症状から、進行性の胃癌、それもスキルスだと思うので、さらに検査をお願いします。」

 粘膜を採取するには外科的措置のできる病院でないとできないので、直ちに入院検査するように優二先生が薦めてくれたのが10年前の6月6日だった。中学校の期末テスト前だったので、23日まで入院を伸ばし、釧路医師会病院消化器内科病棟に入院して3週間の検査でスキルスがあることが判明、7月20日に手術。すでに手遅れだったが、若い外科医の後藤幹裕先生のお陰で命を拾った。後藤先生はその後首都圏で内視鏡技術を習得し、ふるさとの音更町で木野東クリニックを開業している。

*木野東クリニック 音更町木野大通り東2丁目
http://www.kinohigashi-clinic.com/guide/

 地元の消化器内科医岡田優二先生と消化器外科医後藤幹裕先生、このお二人が命を救ってくれた。そのお陰で、術後10年目のいま、ロードバイクで風を切って牧の内を走ることができる。
 ステージⅢb巨大胃癌とスキルス胃癌の併発でも大丈夫なことがある。胃癌のみなさん、希望をもったらいい。
 でも命はいつかは終わるものです。死は怖くありません、食べられなくなって死ぬのは苦しくもありません。死ぬことについて心配はしなくていいのです。そのときがきたらわかりますから、抗わず受け容れたらいいのです。

<老化はポンコツ化?:命のいとおしさがよくわかるようになる>
 身体の筋肉、歯、頭の働き、それぞれが別々のリズムを刻みながら、その機能を低下させていく、それが自然な命の過程。消えていくからこそ命がいとおしい。人の命も我が命もともにいとおしい。
 極東のソムリエ・サリーさんが病を得たことを一月ほど前に彼女のブログで知った。癌仲間にはなってほしくなかった。抗癌剤治療と放射線治療をしていると書いてあった。白血球が危険ゾーンまで減るし、体力が根こそぎもっていかれる。どうなるかは天のみぞ知る、ベストを尽くしてください。たくさんの人が歩いてきた道をわたしも歩いた、そしてわたしが通ってきた道を彼女がいま歩いている。わたしはブログを読んで病状を知り無事を祈るだけ。
  癌を患って悪いことだけではない、日々そこここで命のいとおしさが実感できることはいいことに数えられる。ときどき他人の命と吾が命に区別がなくなる、そういうときは自我が薄くなっているのである。そしていつか大きな命の中に自我が融けてしまうのだろう、それが死である。死もまた悪くない、命の歓びなのだ。そう考えるとき死は祝祭に変わる。
 お袋の呼吸が少し荒くなって小半時して、だんだんゆっくりになって、途絶えた。家族に看取られてやすらかな死だった。そのときにも死は祝祭だと感じた。オヤジが死んだときにもお袋が死んだときにも涙が出てこなかった理由がいまはよくわかる。

<サイクリング:オホーツクと東京多摩川沿いのコース>
 いい天気にほどほどの北風、自分の足の力だけで風を切ると生きていることが実感できる。
 牧の内往復10km(根室高校前⇔T字路)は信号がなく、車がほとんど走っていないので、サイクリングコースとしてはなかなかよい。東京の多摩川沿いのサイクリングロードを義兄からもらったプジョー製のロードバイクで30年ほど前に何度も走ったことがあるが、時速30kmでは危なくて走れない。歩いている人と自転車が混在しているから、人が切れたときだけ思いっきりペダルを踏み込める。厄介なのは車道を走るときである。歩道に乗り上げるのに直角に近い角度で乗り上げないと、わずかの段差に細いタイヤがついていけず、流れて転倒しそうになる。川崎街道は車が多いから、転倒したら倒れる方向によっては巻き込まれる。腕の筋肉が落ちたから、転倒の方向をコントロールするのはむずかしい。東京郊外の街道筋をロードバイクで走るのは、もう危険すぎる年齢である。
 6-10月は暑くて大汗をかくから、胃を全摘したわたしにが多摩川沿いのサイクリングコースを走るのは無理、水分補給が追いつかない。東京では11月から4月までがサイクリングの季節だ。タイヤの太いMTBが安全だろう。

<夢のサイクリングコース 択捉島>
 まだ数年は牧の内や納沙布岬周遊コース(太平洋側の道路⇒納沙布岬⇒オホーツク海側の道路)を走り回りたい。オホーツク海の向こう側に壁のように聳える国後島の島影を眺めて走ると、「ああ、ふるさとにいる」という気分を満喫できる。オホーツクを渡ってくる北風に包まれて走ると幸せを感じる。母方のばあさんが眠る択捉島蕊取(しべとろ)村の海沿いをオホーツク海から吹き上げてくる風をまとってMTBで走ってみたい、かなわぬ夢である。
 いや、きっと走る、そしてオホーツクの風の中に消えていく、そういう気がする。

 ロードバイク 13km 累計2176km

#3256 春、自転車点検 Mar. 12, 2016 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-03-12
 

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