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#3171 高速増殖炉「もんじゅ」とアベノミクスの類似点 Nov. 6, 2015 [14. 原子力発電]

 夢の高速増殖炉、燃やしたプルトニウムよりももっと多くのプルトニウムを生成できると謳っていたが、20年間で8ヶ月しか稼動せず、実用化の見通しを断念している。
 ■1995年に冷却材のナトリウム漏洩による火災事故。
 ■2010年9月い起きた原子炉内部へ33tの中継装置(クレーン)落下事故を起こし、その回収に9ヶ月かかった。その間、燃料棒の取出しが不可能となり、温度上昇による原子炉暴走を回避するために、ナトリウムでの冷却をとめられなくなった。あのときにナトリウム漏洩事故が起きたら、原子炉がどうなっていたか、想像するだに恐ろしい。長崎原爆の100倍ものプルトニウムが使われていたという。

 最近は用途変更が検討され、高速増殖炉ではなく、ゴミ(使用済み核燃料)の焼却炉として使うことを計画中。
 すでに1兆円が投入され、高速増殖炉実用化の見通しがなくなった。繰り返し起きる点検ミスに原子力規制委員会は事業主の日本原子力開発機構に三行半をたたきつけた。半年以内に新たな事業主体を見つけなければならないが、見通しが立たないという。原子力規制委員会ははじめてちゃんとした判断を下したようだ。

 高速増殖炉は他のタイプの原子炉とは異なり、冷却に水ではなく、98度のナトリウムを使う。未稼働でも電気を使ってナトリウムを暖めて原子炉内を循環させていなければ危険。温度が下がればナトリウムは固体になってしまい冷却材としての役割を果たせなくなる。そのときに原子炉を冷やす代替手段がない、だから危険なのである。
 英国は火災事故の後に、危険すぎると開発を断念している。事故があっても、爆発するから水をかけるわけにはいかない。フクシマ第一原発事故のときのことを思い出してほしい。ポンプで原子炉に海水を注入していたが、あんなことを高速増殖炉でやったら、大爆発を起こして一環の終わり。
 そういう危険な高速増殖炉を世界で一番地震の多い国の日本だけが開発を続行している
 一日5500万円、年間200億円の維持費をかけても、この20年間一度も発電できない。

 夢の核燃料サイクルという当初の用途が実現できずに、原発維持のために別の用途=ゴミ(使用済み核燃料)焼却炉への転用を計画しているところは、アベノミクスの成長路線と似ている。具体的な成長路線を示せずに、新三本の矢をだして矛先をかわそうとしているところがそっくり。高速増殖炉「もんじゅ」とアベノミクス成長路線は双子の兄弟のように同型である。

 フクシマ第一原発事故でわたしたちが目の当たりにしたものは何か?
■関係者が誰も責任を取らなかったということ、
■5年たっても事故処理終息の見通しすら立たないこと、
■原発周辺の市町村に住む地域住民が古里を失ったこと、
■すでに百人を超える子どもたちに甲状腺癌が見つかっていること
■小児甲状腺癌の多発があっても、フクシマ第一原発放射能汚染との因果関係を科学的に立証するのは不可能なこと
■汚染放射能の影響は小児甲状腺癌だけにとどまらぬこと⇒周辺に住む住民の遺伝子を傷害し続けている
■台風や豪雨の都度、集積された汚染土の袋が破れて周辺と川と海を汚染していること⇒放射能汚染は止まらない
■原爆30発分もの放射能がばら撒かれてしまったこと
■いまも地下水の放射能汚染と海洋流出がとまっていないこと⇒遮断壁をつくればさらにその下から、そして沖の方で湧出するだけ
■増え続ける汚染水のタンクが林立して、最終処分が決まっていないこと⇒アルプスで処理した後は結局海洋放出となるだろう
■放射性トリチウムは回収装置で取り除くには莫大なコストがかかるために全量放出されていること

 官の計画はいったん走り出すと、どれほど巨額の費用がかかろうと、なかなかとめられないもののようだ。
 アベノミクスも引っ込みがつかぬ。どちらも人為的大災害を引き起こして幕引きとなるのだろうか。それではあまりにも情けない。

 国土と豊かな自然を守る健全な保守主義が自民党の中に誕生してもらいたい。美しい日本をこれ以上放射能で汚染してはならぬし、政府の借金(すでに1200兆円)をこれ以上増やして財政破綻を招来させてはならない。
 大災害に喘(あえ)ぐことになるのは安倍総理や政府や政権与党ではなく、国民である。子や孫たちにツケを回してはいけない。
 日本と人類を救う経済学は「資本論と21世紀の経済学」で今年1月に明らかにした。


* #2501 フクシマ原発周辺住民Mikoさんのビデオ証言 Nov. 17, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-11-17-2


 #2438 ひどい作業実態: 福島第一原発で4ヶ月作業―がん併発 Oct. 6, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-10-06-1
 
 #1485 作業員の被曝管理を強化せよ:追跡調査ができるような体制をとれ Apr. 24, 2011 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-04-24

 #1434 原発事故テレビ報道についての基礎的疑問 Mar. 20, 2011
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-20


 #3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版) <目次>  Aug. 2, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-15

 #3121 既成経済理論での経済政策論議の限界 Sep. 1, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-09-01-1

 #3148 日本の安全保障と経済学  Oct. 1, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-01

 #3162 絵空事の介護離職ゼロ:健全な保守主義はどこへ? Oct, 24, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-23



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tsuguo-kodera

 論理には肯定の論理と否定の論理があります。否定の論理がいくら正しくてもすべきことは分かりません。
 もちろん今日の記事も素晴らしいと感服しているのを最初に付言しておきます。
 今日の論旨には経済振興ともんじゅの話が否定の論理の力作でしょう。しかし、否定の論理は、下からの推論では実践には結びつかないでしょう。要するに上の人が否定の判断をするかどうかに力はまず及びません。
 日本中の多くの人がお陀仏になるまで今のままでは分かろうとしないのかもしれません。情けないですが、南無阿弥陀仏と祈っています。そのように私は前提条件をを昔仮置きしたのです。今でもです。
 一方、管理人様の経済論の方は肯定の論理で読めました。以前読んだとき感じました。そこには、すべきととは下々でも分かりました。私のしていることが論理で裏付けされたように感じたのです。
 一人でも、年寄りでも、若い人でも、小グループでも可能だと、です。淡々と、喜々としてやれば人生が楽しくなり、成否など二の次になるのでは。
 私の今は、押しかけ、ケタゲリ、飛びけりありの、何でもありの、非論理的な講演会や授業で生徒さんを教えているようにです。
 私は偏差値の低くなった生徒さんの創造性を開発できると信じてやっています。彼らの良い人生にそれが一番効率的な努力だと思えるからです。私の努力は二の次で、彼らの努力の最適化です。信じたらできるのです。
 ある面で全力ですが、ある面で淡々と、残り少ない命の火を燃やしている毎日です。
 ここでふと落語の死神を思い出しました。南無阿弥陀仏。(笑)
by tsuguo-kodera (2015-11-06 04:42) 

ebisu

koderaさん

おはようございます。
肯定の論理と否定の論理、そういう切り口で整理もできるのですね、新鮮でした。ありがとうございます。

わたしの言っていることは、そういう立派なことではないのかもしれません。
ダメなことをダメと言い、こうあってほしいという願いを綴り、大きな目標に向けてとりあえず自分にできる小さな小さなことを坦々とやっているだけ。やれる範囲の小さなことをやるだけですから、その気になればだれにでもできることです。(笑)
小さなそしてさわやかな風を時が止まるまで吹かしてみたいのです。

>私の努力は二の次で、彼らの努力の最適化です。信じたらできるのです。

この文言はとっても共感できます、生徒たちそして子どもたちや孫たちの魂の成長を信じ、自分の体力がまだすこし残されていることを信じて、無理せず歩けるところまで歩くだけ。

小学生の低学年のころからNHKラジオで落語を聞いていました。当時はゲルマニウムラジオというのがあり、電池が要らない、イヤホンで聴くものでした。天井からぶら下げてねっころびながら聴くんです。
落語の「死神」、何度か聴きました。
ルール違反をしてお金のために他人を助けたら、自分の命の蝋燭が消えかかっていた。死神が助け舟を出してくれたが、手が震えて別の蝋燭を継げない、命の灯を自分で消してしまうというお話。

大学の同期の堀口君が落研で圓生のファンだった、どうしているかな一関の堀口君、ずっとご無沙汰。一度厳美渓へ遊びにいったことがあったが、寄れなかった。元気で落語をやっていてほしい。
by ebisu (2015-11-06 08:18) 

ebisu

これまで書いてきたことを眺めてみると、自立した個人がそれぞれ自分のできる範囲で、共通の思いで何かをやれば、世の中はいつか変わるのではないか、そういうひとつのラインが読みとれそうです。

日本列島に住むわたしたちには、縄文以来1.2万年の歴史と文化があるから、どんなに一方向へ揺れてもいずれまた文化と伝統の中心線へ戻ってくるのでしょう。わたしは未来に期待しているのでしょう。

わたしは健全な保守主義へ回帰することで、穏やかな縄文文明の再興を夢見ています。
日本人の心の奥底には、「仕事は楽しい」「仕事は神聖なものだ」、「だから仕事の手は抜かない」、「とことんいい仕事をする」、「生きとし生けるあらゆるものと共存していく」、「八百万の神々に感謝して生きる」...「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」、こういう共通の価値観がいまも流れています。

そういう日本人共通の価値観への信頼が歳をとるにしたがって強くなってきています。大きな流れの中の一粒の水として、わたしはやれる範囲で小さなことをすればいい、思い悩む必要はない、ケセラセラ、何が起きても日本人はその都度大きな犠牲を払いながらきっと何とかします。(笑)
by ebisu (2015-11-06 08:59) 

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