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#2220 勉強に熱が入りだした中三は学力がうんと伸びる・・・(2) Feb. 21, 2013 [64. 教育問題]

 流氷が接岸したので今夜は冷えています。午後9時半頃はマイナス6.8度。海は国後島までずっと流氷でうまって真っ白。群青色のオホーツクの海は氷の下できっとあえいでいる。

 前回#2219で具体的事例を挙げたので、今夜はそのまとめと補足を書き足したい。

 12月のクリスマスの夜から5日間の合計20時間の「特訓」をしたのだが、ナカミは北海道立高校の数英の入試過去問を5年分やらせ、アプローチの仕方に重点を絞って点数の取り方の解説をした。そのあと1月途中から難易度が少し高い東京都立の問題をやらせている。難易度の高い問題をやると学力が上がるからだ。道立高校程度のやさしい問題ばかりやっていたのでは力はつかぬ。

 数学も英語も事情は似たようなものである。毎日塾へ来て勉強しだす意欲的な生徒は2ヵ月で変化を遂げる。
 学力テスト総合ABCの平均点数が10点程度だった生徒は30~35点程度に、25点程度だった生徒は40~50点へ変わる
 20から25点アップするのが普通だ。わずか2ヶ月弱でこうなる毎日勉強しに来る生徒の三人に二人はこれぐらい上がる

 事例をもう一人増やそう、国語と社会と理科が得意で、数英のきらいな生徒Rがいるが、「先生、文章問題のいい問題集ない?」と訊くので、私立高校受験用の難易度の高い問題集を本棚から出した。2時間ほどやって、「先生、もって帰っていいですか?」とまた訊くので許可した。つい先日のこと、学校の数学授業で先生が東京都立の過去問をやらせたという。塾ではまだやっていない年度の問題だったが、証明問題を正解できたと喜んでいた。いままでできっこないと手をつけなかった分野だ。傍で見ていてもおかしいくらい夢中になって問題に取り組んでおり、集中力がぐんぐん高くなっているのがはっきり分かる。私立高校用の問題集は道立高校では出っこないような問題が並んでいる。一筋縄ではとても解けぬ。問題文の条件を徹底的に読み取り、考えに考えて論理の道筋を見出して手繰っていかないと正解できない問題ばかり。国語の能力の高さがここに来てようやく数学で威力を発揮し始めた。1年の音読トレーニング『読書力』、2年で『国家の品格』、3年で『風姿花伝』を読んできた効果が問題文の読解に出ているのだろう。
 道立高校受験にはレベルが違いすぎてまったく無用だが、そういう難易度の高い問題が生徒の学力を飛躍的に上げるのである。このように難易度の高い問題へのチャレンジは力の上がってきた生徒に効果が大きい。

 英語も数学に少し遅れて同じように上がるから、数英2科目合計点で40~50点(両科目合計で120点満点)上がるのである。片方なら三人に二人の割合だが、英数の両方で合計50点あげる生徒は三人に一人くらい。苦手の科目や得意の科目でこれだけ点数を上げられた生徒は、「勉強すればテストの点数は上げられる」と考えを変える。それまでは、

「苦手だからやりたくない⇒やらない⇒点数が上がらない⇒ますます嫌いな科目はやりたくなくなる」

これが、

「努力したら点数が上がった⇒点数が上がったら分かるようになった⇒苦手だったのに勉強が楽しくなってきた⇒気がついたら苦手の科目の勉強を2時間もしていた⇒ますます点数が上がる⇒うれしい⇒やる気が出る⇒この科目が一番好き」

となる。だからうんと苦手な科目があったらチャンスだ。ちょっとの間我慢してそれを得意科目に変えられたら、トコトン勉強してみたら、その科目だけで3ヶ月で30点アップできるということ。学テ総合Cが終わってからでも入試までには充分間に合う。

 数英両方上げることのできた生徒は勉強の仕方がわかって他の科目もそこそこ上がっているから、五科目合計点で110点の生徒は180点になる、170点の生徒は240点になる。根室高校で入試で240点とったら最近数年間だけ見たら3番以内にはいっている。中学生の頭脳はそれだけの可能性を秘めている。あきらめてはいけない、自分の可能性を信じて努力してみることだ

 すこしばかり無茶を承知で話しを進めよう。1科目20点上げることは生徒がその気になりさえすればそして適切な個別指導をやってやれば、2ヶ月間で可能だということ。3ヶ月あれば五科目合計点で100点(300点満点)アップすることは可能なのである。

 実際に2ヵ月で300点満点で百点あげた生徒はいない。
 年度によって社会の補習を5ヶ月間続けることがあるから、塾で面倒を見てやれるのは多くて3科目である。後の2科目は自力でやらなければならない。そこが本当は一番大切なのである。工夫がないことには成績が上がらない、数英で体験した勉強の仕方を理社に応用してみたらいい。
 社会の勉強法がわからない生徒がときどきいる。そのときはシステム開発技術を応用した便利な方法を「伝授」している。やり方を解説し、実際にやって見せて、「あとは自分でやれ」、それがebisu流。手取り足取り教えてしまったら、その生徒はほとんど確実に社会人となったときにひ弱な「指示待ち人間」になっているだろう。癖になってしまっているからほとんどの人が治らない。
 5科目全部を塾に頼った奴はどんなにいい大学へ合格しても社会人となってから将来つぶれるリスクが大きくなるだけ。学校の先生も、そして塾の先生ですらその点を見落としている者が多い。
 五科目全部の面倒を見てもらう、そういう育てられ方をした生徒は受験勉強の点数が取れるだけの「へなちょこ」に育つ。
 中学校や高校の先生たち、どういう社会人を作るのかという観点から教育を考えてみるべきだ。教え方が変わるよ。自立した社会人の育成という点から考えると、中学校や高校のときにその基礎部分がつくられる。受験勉強に偏した視野の狭い勉強を6年間し続けたら、それは習慣となり性格となってしまって、もうほとんど直しようのないものになるんだ。


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【補足】
 ebisuは根室高校を卒業してから35年間東京で暮らしてきたから、都会の大企業の現実を見ている。早稲田や慶応クラスは大企業ではエリート層ですらない。勝ち抜けるのはその中のごく一部の人間だけ。一ツ橋や東大や京大出の人間と仕事をしてきた経験からの結論だ。慶応・早稲田出身者をエリート層と思ったことは一度もなかった。そのクラスの大学出身者でそこそこ成功した者たちは、異色だ。それなりの努力もしているし、受験勉強以外に才能があった者たちだ。養老牛温泉で医療や教育問題を語り合ったKoさん(カテゴリー"養老牛温泉夜話"にある)は慶応大学医学部出身だが、まったく異色だった。東京にいるとこういう「異色・異彩を放つ」人間と出遭うチャンスがある。対等にお付き合いするにはこちらもそれなりに異色でなければならぬ。不思議と、類は友を呼ぶもの。40代で癌を発症してわずか3ヶ月で逝った盟友のKaが厚生省周りをしていたときに、「新聞かぶって午前中から居眠りしている課長補佐がいる、ebisuさんと一緒だ」、そう言っていた。わたしは会社で新聞かぶって居眠りしたことなど一度もないぞと笑って応じたが、それでもあいつは「似ている」と言い張った。今にして思えば超然としていたところが似ていたのかも知れぬ。その後その若き官僚がebisuの会社へ創業社長の招聘で入社し、翌年役員、数年して社長、そしてある案件で一緒に仕事をするとはそのときには思わなかった。当時の社員千人を超える会社でも窮地を迎えたあの案件を処理できるのは私以外に選択肢がなかったからだろうが、出遭うべくして出遭ってしまった。Kaは二人のウマが合うことを初見で見抜いていたのかも知れぬ。癖の強い奴だが人を見る目は確かだった。セクションが一緒だったことは一度もなかったが、あいつと二人で新宿で酒を飲みながら仕事の話や人物評を聞くのは楽しかった。あいつの上司のMiさんとも一緒に仕事をすることになった。どちらの仕事もドキドキワクワクさせてくれて楽しかった。期限内に期待された分の仕事はきちんとしたよ。次のプランを具体化する寸前にKoさんからの仕事が舞い込んで、Miさんが任されていた子会社を去らざるを得なかった。大きな計画の一部を実現する段取りが整ったところだったから、残念ではあったが、何しろ親会社の社長命令で、暗礁に乗り上げた合弁会社の立ち上げと、赤字会社の黒字化そしてもう二つの大きな課題を3年で処理しろとの「無理難題」だったから魅力はあった。治験事業部門のベテランだったWaが暗礁に乗り上げたときに、私の名前を挙げたことを本人から後で聞いた。「そういう状況ではしかたがないな」、叱る気にもなれず笑って応えた記憶がある。84年に上場準備要員として私よりも1年前に入社していた同じ団塊世代のHさんが、96年当時「ebisuさんなら三つの課題はせいぜい2年でしょう」と言っていたが、結果はその通りになった。あいつはつい1週間ほど前に地震があったときに心配して携帯へ突然電話をかけてきた。「棚から落ちたものもない、被害ゼロだから心配ないよ」そう応えて、お互いに近況を話した。20年ぶりくらいの電話だった。Hは今も現役で若い人たちと一緒に会社上場の仕事をしている。技術と経験があれば仕事はあるものだ。八ヶ岳で自転車レースに出ることがあるというから驚いた。MTBかと訊いたら、ロードレーサーで走りまくっているという。彼と私は体格はほとんど同じだ。体力はずいぶん差がついてしまった。(笑)まっすぐないい友人である。
 社会人となってから本当の競争が始まる受験勉強のやりすぎは自立できない人間を造ってしまうことに気がついた、そしてそれは社会人となってからもほとんど治すことができぬ、競争の最終段階で折れてしまうのである。文字通り心が折れてしまいダメになる人もいた。その能力を自己弁護に費やしすぎて無自覚に嘘をつく癖がついてしまい、周りの信用を失うものもいた。当の本人はうまく立ち回っているつもりでも、数年間の仕事を見ていれば見抜いてしまう上司や役員が増えてしまう。
 仕事は正直に誠実にやるのが一番いい。自己弁護もいらぬ、うそも要らぬ、ただ仕事に没頭すればいいだけだから、仕事はきつくても心が楽なのである。そしてどんな困難があっても決して折れない
 中高の勉強の仕方がすべてを決めている、これが古里へ戻って子ども達を教育しようと思った動機の一つだ
 全部がそうではないことは言っておかないと公平でないね、余裕の東大出は居たよ。病院建て替えを担当してもらった鉄鋼メーカのゼネコン部隊の一級建築士だ。二人とも東大出だった。合弁会社をやったときの相手企業の専務と常務も東大や一ツ橋出身者だったはずだ。大物だったね、笑って「こんなケースの合弁会社は初めてだ」と持分の売却に応じてくれた。合弁会社が行き詰まると、相手企業から持分の買収を依頼されるのが常だと話してくれた。赤字部門を出したのに、黒字会社になって持分の売却を持ちかけられたことはかつてなかったのだそうだ。赤字子会社の赤字部門を合弁会社にして、あきらめさせようと損切の覚悟だったのだろう。それが思わぬ利益になった。こちらの努力と経営センスに敬意を表してくれたのだろうと思う。
 社会人となって勝ち残ってきた者たちの中には、この人物なら当然の社会的地位だと思わせる者がいた。余裕で東大や一ツ橋に入ったんだろうな。ほぼ同数の問題を抱える「お受験エリート」もみてきたということ。能力の割りに過大な仕事や責任をもたされたときに、人は簡単に壊れていくものだ・・・。職位が能力以上にあがらなければ問題がないが、うまく泳ぎ回ってそこそこ出世した者が仕事の責任が重くなる40代から壊れ始める。
 そんなハイレベルの大学でないのに、受験勉強をやりすぎて同様の弊害を起こしそうな育ち方をしてしまっている高校生が世の中には増えている。塾の弊害だ、効く薬は副作用も強いことを忘れるな、これは普遍的な真理だ。薬の使用はほどほどに、できる生徒は薬ナシで高校最後の1年間はやったほうがいい。ニムオロ塾ではワクチンをしっかり処方している。


*#2238 勉強に熱が入りだした中3は学力がうんと伸びる(3):高校入試五科目80点アップはできたか? Mar. 6, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-03-06

#2219 勉強に熱が入りだした中三生は学力がうんと伸びる Feb. 21, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-02-21

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