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#2102 知的好奇心の効用(1) :異質な分野の専門知識獲得 Oct. 18, 2012 [A.6 仕事]

 #2101でIPS細胞に係わる誤報道の問題を取り上げたが、取材記者の勉強不足、専門知識不足が背景にあったのだろう。この分野に基本的な知識があればありえないミスだった。学校を卒業してからの日頃の研鑽が如何に重要かがわかろうというもの。
 どのような道でも一人前のプロになるにはその分野の専門知識や技能において秀でることはもちろんのこと、広く深い教養もあわせもつことで適確な総合判断ができるようになる。
 
 前臨床試験もなしににいきなりIPS細胞の培養による心筋作成と移植という臨床試験を著名な病院の倫理委員会が許可をしたと森口氏がテレビ取材で主張していたが、基本的な専門知識があれば、ありえないことだと判断がついたはずだが、文系大学出身記者なら医療は理系だから基本的な事項であっても知らないことが多いだろうと推察がつく。
 「2月14日に手術をした」という発言は数日で「昨年6月に手術に立ち会った」と内容がまるっきり変わってしまった。
 記者の97%は文系出身者だろう。担当取材記者はこういう移植手術の手順・手続きに基礎的な知識がなかったのだろうと思う。プロとして不勉強を恥じるべきで、分からなかったら謙虚に専門家に尋ねてみればいいだけのこと。

*#2101 誤報道はなぜ起きたか: 「IPS細胞を使った世界初の心筋移植手術」 Oct. 17, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-10-17


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 面白いとは思うが、以下は"我田引水"の余談となるから読み飛ばしてけっこう。進路選択とこれからの勉強の仕方に係わるので、高校生・大学生・専門学校生は必読

 私が前臨床試験、臨床試験、臨床治験という用語に出逢ったのは、国内最大手の臨床検査センターに転職した年(1984年)のことである。
 上場準備要員として入社一月後には暗礁に乗り上げていた統合システム開発を担当することになって8ヶ月で本稼動させたからたいへん忙しかったのだが、入社4ヶ月目から大学の先生たち6、7人を招聘して臨床検査や医学関係セミナーを会社が毎週開いてくれた。場所は新宿本社、都庁前のNSビル22階だった。当時西新宿で一番家賃の高いビルで、ユーザー用のセミナールームを社内講習会に使った。使われている椅子はひとつ二十万円もするような豪華設備、期間は半年ぐらいのだったと思う。
 当時の社員数は千人を超えていたが、任意参加にも係わらす15%ぐらいの受講率だった。いろんな部門から参加したから、このセミナーを通じて他部門の人間へ人脈が自然に広がっていった。こういう任意参加の勉強会は社員の連帯感を育み、何かあったときに部門間の人的連携をスムーズにする。
 社員の三人に一人は臨床検査技師か衛生検査技師である。後に調剤薬局事業のプロジェクトを立ち上げて調べたときに社内にいる薬剤師が70人を超えていた。さまざまな資格をもった技術屋さんがたくさんいる会社だ。
  わたしは本社管理部門で仕事をしていたが、もちろんこのセミナーを受講した。講師でいまも記憶にあるのは個人的にお話しをした東京女子医大の血液学の権威のF教授(当時)と自治医大のS助教授(当時)のおふたりだけ。F先生は血液学の専門医だから血液疾患の複雑な診断手順の講義、S先生は血漿タンパクの電気泳動についての講義だった。ラボは宝の山だと仰っていた。国内最大のラボには学術論文を書く材料がいくらでもある。「本態性貧血」という用語もこのときにF先生が解説してくれた。原因不明の場合に「本態性」というのだそうで、面白い用語の使い方だと思った。こういうヘンテコリンな用語は印象が強いから一度聞いたら忘れられない。

 GCLPはGood Clinical Labratory Practiceの略だが、臨床試験関連業務の品質を高めるためのガイドラインのことである。臨床試験に係わる専門用語の大半はこのときのセミナーで覚え、それを足がかりに興味のむくまま専門書を読み漁った。その年に全社予算編成を統括する仕事も任されたのだが、新規事業で臨床治験事業の予算査定を当該部門の責任者三名とやった。そのときには十数年後にテイジンとこの部門の合弁会社を設立してその経営に当たるということは想像すらできなかった。全部必要な知識だったのである。無駄になる勉強などないのだろう。
 学術開発本部スタッフとして仕事をしていたときに世界一厳しい品質管理基準であるCAPライセンスを取得するために、3000項目を超える検査の標準作業手順書を整備した。米国の品質管理基準だから、審査員は米国からくる。和文で作った後に、学術開発本部内の精度保証部が中心になって英訳して、電子ファイルに落とした。開発部の業務も一部担当したので、製薬メーカとの検査試薬の開発も経験できた。
 ある水準を超えたらどこの部門で仕事をしてもトップレベルの仕事ができるものだ。異質な分野の専門をいくつももっていればいるほど、パワーは強大になる。異質な分野の技術を応用することで仕事のやり方を根本から変え、標準化できるからだろう。そういう意味ではコンピュータシステム開発技術がいろんな仕事に応用が利いて役に立ったかもしれない。

 臨床検査会社の前は軍事用・産業用エレクトロニクスの輸入専門商社だったが、ここでも毎月一度東北大学の助教授が来て、さまざまな周波数帯の計測器の測定原理について社内講習会があった。マイクロ波、ミリ波、光といろんな周波数帯のディテクターが取り扱い製品に組み込まれていた。計測器は要するにディテクター部、データ処理及び制御部(コンピュータ)、インターフェイスバスから構成されていた(臨床検査ラボにある検査機器も基本的には同じ構成だから、ラボ内にある機器群を固定資産の棚卸しで3日かけて全部見たときに、現場の担当者にいくつか質問しながらそれぞれの部門で使用している検査機器の要点を理解できた。購買部門で2年間ほど機器を担当したことがある、最先端の機器がたくさんあって面白かった。ファルマシアLKBにはSRL使用でガンマーカウンターを作るように提案して、2台入れたが、数年してラボをみたらラボ内のガンマカウンターはデザインのよいファルマシアLKB製品に全部変わっていた。開発途中だった栄研化学の酵素系の測定器も数ヶ月ラボ内でテストをしてやることを条件に1年間ほど独占使用させてもらった。SRLでテスト済みだから市場へ出してもトラブルがすくなく販売しやすかっただろう。大型の装置だったが、これも数年してラボ内をみる機会があったが十数台並んでいた。直接タッチした機器がずらりと並んでいるのうれしいものだ、仕事はとっても楽しい、(北島康介風に)"超ー楽しい")。
 営業部門と技術部門が対象だったが、システム開発を担当し始めプログラミングも3言語学習していたので、興味があって参加した。データ処理部は制御系のコンピュータで構成されているので、その部分の話しはよくわかったが、ディテクターの部分は知識がなかったので勉強になった。仕事が終わってから9時過ぎまでのこの公衆に参加し、そのあとはお決まりの飲み会である、技術部門や営業部門に気の合う仲間が増えていった。83年に統合システム開発を一人で担当したが、まだ国内ではほとんど事例がなく日本語で出版されているシステム開発専門書や翻訳書では間に合わず、500ページを超える原書を何冊か読むことになった。2年間ほど毎週土日のいずれかは10時間ほど専門書を読むことに費やしたし、あっという間に時間が経つので仕事が終わって人形町から終電に乗ることが多かった。
 欧米50社の先端エレクトロニクスメーカーと総代理店契約のある会社だったので、新製品の説明に毎月のようにメーカーからエンジニアが来て、商品説明会がある。それも片っ端から参加した。基本が分かっていれば、英語で説明されても理解できる。飽くなき好奇心と消化能力(学力)があればいい。

 ところで財務部門や経営管理を担当している部門の人間が会社の商品を技術的に理解して、どの分野の商品が主力でこれからどの分野が伸びて行くのかしっかり説明できれば、銀行はお金をいくらでも貸してくれるものだということを強調しておきたい。
 後にテイジンとの治験合弁会社を担当したときのことだが、大手町1丁目1番地にあるメインバンクのS銀行本店(大手都市銀)に決算報告と長期計画の説明にいったときのことである、
「ebisuさんが長期計画で利益2億円と言ったらそれ以上でしょう。親会社の保障ナシ、担保ナシで事業資金は無制限にお金を貸します」という申し出をいただいたことがあった。「無制限っていうがうちの売上規模だとどれくらいまで?」「10億円まではOKです」、当時の売上規模は20億円台だった。会社の将来性を買ってくれたことがなによりうれしかった。
 親会社が赤字部門を切り離したことは両方の社員たちが知っていたから、すくなからず疑心暗鬼にかられて合弁会社の将来に不安を抱いているものが少なくなかった。しかし、多少屈折しながらも全面的に協力してくれる者が数名いた、何が何でもいま働いている会社をいい会社にしたいのである。気持ちがよくわかった。システムではWさん、業務管理ではM君、合弁相手のほうでは営業のMとT、ユニークで仕事の出来る奴らがいた。無理やり本社から引き抜いた有能な人材も三人管理と応用生物統計、システムとそれぞれ存分に仕事をしてもらった。本社の社長のKさんが担当役員を決めて合弁会社バックアップ体制を敷いてくれていたこともラッキーだった。
 それぞれの思いを抱いて集まり、いい会社にしたいという彼らの努力に報いたかった、結果を出したかった。メインバンクのS銀行は決算書の変化をみてそうした社員の努力をよくわかってくれた。
 赤字部門を統合した合弁会社を1年間で黒字にした(製薬メーカーごとに個別につくっていた治験受託システムを業務用パソコンでパッケージ化してシステム開発費が95%カットできたことと省力化しつつ精度アップができるように実務デザインを変えた)からで、とりあえず必要な1億円を金利1%で借りた。輸入商社時代に外国為替の仕組みを知っていたから先物予約をしてリスクを消してドルで借りた。この仕事はS君が担当した。有能な後輩のあいつがいたからebisuは経営に専念できた。
 業界初の管理精度の高いパッケージシステムという武器があれば売上増大は簡単にできる。利益率が高くなると同時に売上が増大すれば企業業績が加速的によくなるのはあたりまえである。
 仕事は実務デザインを変えてシステム化すると精度を上げて同じ人員で処理量を2倍3倍にすることができる。
 千葉の臨床検査子会社でも91年夏にそういうシステム化実験をしたことがある。輸入商社でもそうだった、システム化することで実務デザインをしなおして売上高総利益率を15%あげ、40%超にすると同時に為替変動が業績に影響しないような仕組みをつくった。為替差損はそれ以来ゼロ、金利裁定取引で恒常的に売上高の1%強の為替差益がでるようになった。80年頃つくったあの仕組みは、日米金利差が2%以上あった数年前まで有効だった。いまは店頭公開会社となっている。
 郡山の関係会社へは自分で経営分析して出資交渉もまとめて93年6月に役員出向したが、染色体検査をキーに赤字会社を売上高経常利益率15%にする具体案を進めたら、あまりに利益が大きくなるのでストップがかかった。陸士出の副社長から本社へ来るように指示があり、行くと創業社長と二人揃って計画をストップしろという。3年で黒字転換する約束が、1年間で黒字転換の具体案をまとめたらやるなという逆の指示があり、15ヶ月で本社へ呼び戻されてしまった。二人には事前にきちんと説明して了解をもらっていたのだが、シミュレーションデータを見てすぐにやれることがわかったとたんにストップがかかった。赤字会社が子会社・関係会社の中でナンバーワンの業績を挙げたら不都合なことがひとつあった。売上高経常利益率だけ見れば、高収益会社だった本社の最盛期の12%をも超えてしまう改善案だったから、グループ会社の中で発言権が大きくなるのと、関係会社社長を本社役員として処遇しなければいけない状況になることを嫌ったのだ。
 郡山では週に2度ほどは朝6時に5分歩いて温泉に入ってから食事をして9時5分前に出勤していた、いい暮らしだった。出向先の社長とはウマがあったし、他の役員とも半年かかったが関係がよくなっていたから、定年までずっと郡山にいてもいいと思っていたが、約束の半分以下の15ヶ月で本社勤務に戻されてしまった。所詮は便利なコマにすぎぬと苦笑い。黒字化にはもう一つモダレイトな具体案があった。正解は一つではない、いくつもある。
 出向当初8時頃に出勤して仕事をしていたら、出向先の社長に叱られたことがある。ebisuがあんまり早く来ると部下の社員が困るというのだ。ああ、立場が違うのだと言われてから気がついた。
 仕事は一人でしなければならない部分もあるが、大半はみんなでやるものだし、そのほうが楽しい。お祭りのようなものであるから、熱い。わたしはそうした転換期を作り出すのが好きだった、それがすぎればしばらくの間はそこそこの能力の人材でも会社の安定経営はできる。

【結論】
 仕事は文系・理系を問わない、文系出身であっても理系の仕事もお構いナシに担当することになる。専門書を読む学力がなければアウトである読書力と数学と英語の能力があれば専門外でもかなり理解できるものだ
 管理職となったらこれらの能力のほかに文書作成能力が要求される。役員がみな判を押したくなるような分かりやすく魅力的な稟議書が書ければ規模の大きな会社なら百億円だって使わせてくれる。
 だから、文系だって数ⅢCまでやるべきだ、高校生諸君、徹底的に勉強しておけ。文系と理系のクロスオーバーする領域にはオイシイ仕事がわんさか転がっているが、両方できる人間はすくないどんなに就職難でも、クロスオーバー領域の仕事ができる人材は常に不足しており、売り手市場である
 一人前の仕事人になりたかったら、社会人になって10年間は寝ても醒めても仕事のことを考え続け、さまざまな専門書を読み、覚えた専門知識や技術を片っ端から仕事で使ってみることだ
 そして仕事できることへ感謝の気持ちを忘れてはならぬ、そうすればありがたくて素直に世のため人のために仕事をするのだと心の底から思える。

【根室の企業人へ】
 社員教育を徹底したらいい。いい会社は社員教育を徹底してやっている、社員教育にコストも時間もかけている。オープン経営で社員教育に力を入れたら優良企業になるのはあたりまえだ。優良企業は経営者がつくるものだ

【冷や飯を食って愚痴をこぼしているあなたへ】
 冷や飯を食っているあなた、チャンスだよ。5時になったらさっさと帰って仕事に関係のある専門書を読み漁ればいい。仕事に必要な資格も上のクラスのものをとればいい。愚痴なんかこぼす暇があったら、仕事に関連するさまざまな専門分野の本を次々に読破し、必要な技術を磨け。
 必ず仕事で使うチャンスが来る。実力がどんどんアップしている者に冷や飯をいつまでも食わせていられるような余裕のある企業はないよ。パワーがアップしてくるとあふれ出て見えてくるものだ、使わざるを得なくなる。取引先の企業を含めてみている人がいる。どんな会社でも、小数だが物の分かる人材がいる。

(大学院では理論経済学を専攻したが、仕事のほうの元々の専門領域は経理分野である。そこを足がかりに経営企画・経営管理、利益管理のためのコンピュータシステム開発をメインに仕事をしてきた。だから、検査機器の購入管理やメーカ製品開発へのアドバイザー、製薬メーカーとの検査試薬の共同開発など「余技」、赤字会社を仕組みを変える正攻法で黒字にするのが基本的な得意技。売上高経常利益率を10%超にするのに困ったことはない。たまたまついていただけかも知れぬが・・・つきも何度も繰り返したら実力のうちだ(笑))


*#2103 知的好奇心の効用(2):染色体画像解析装置をめぐって Oct. 21, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-10-20

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ここ

< 【冷や飯を食って愚痴をこぼしているあなた】

お言葉、受け取りました。
私の師匠の師匠(じいちゃん先生)の書いた本を最近やっと手に入れ、わくわくしていたところでした。

ebisuさん、ありがとうございます。
愚痴をこぼす暇を作らないよう努力します。
by ここ (2012-10-22 16:03) 

ebisu

ここさんへ

辛い経験は上手に処理するとたいへんなエネルギーを生んでくれます。一心不乱にやっているうちにすべてが変わって来ます。たぶん、自分が一番変わってしまうのでしょう。

努力するあなたを誰かがかならず見ています。
by ebisu (2012-10-22 23:57) 

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