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#1638 終末期に係わる問題(1):介護の現実 Sep. 5, 2011 [34. 終末期に係わる問題]

 人の人生には終わりがあり、その終わりをどのように過ごすのかは死んでゆく本人の問題であると同時に、終末期にある人が老人ならそれは介護の問題でもある。
 人の終末期をじっくりと扱うために新しいカテゴリー「終末期に係わる問題」を設定した。

 スキルス胃癌の手術を受けて5年が経ち、幸いにして主治医から完治を告げられた。癌がわかってから手術までの50日ほどの期間と術後、これが自分の人生の終末期だとするとどう過ごすべきかという問題に私自身が直面した。もうほとんど考えることがなくなったが、大げさに言うと癌とわかってから2年間ほどは頭の隅っこに死を意識しながら生きてきた。そしていま、考えてもしようがない問題は考えないに限る、それが自然にできるようになった。命はいつか終わるのだ、そういう時期が来たら受け入れようという気持ちになっている。

 もうひとつ、認知症でさまざまな症状(アルツハイマーや幻視、徘徊)が現れた母親の介護で、そのたいへんさを思い知った。ケースによっては家庭内の問題として背負いきれるものではなく、無理をし続けると介護する側も壊れてしまうくらいの重い問題であることを広く知ってほしいと願う。認知症患者の家族介護は、介護する側も命を削るようなことになるのが現実なのである。
 根室市には老人医療や介護のための療養型のベッドがひとつもない。建て替えが進んでいる市立病院にも療養型病棟はない。根室市は老人医療で大きな問題を抱えている。市政はあきれるほど無策である。ツケは老人や老人を介護する家族に回ってくる。
 最近、生徒の家庭でもおばあちゃんが認知症になった話しを聞いた、そろそろこういう問題をブログで採り上げるべきだと感じた次第である。
 老人介護の問題は誰にとっても他人事ではない、これから私(たち)が抱えた問題に直面する家庭が増えるだろうから、地域医療の問題として捉えなおしてみたい。

 極端なケースではあるが家庭内で背負い切れなかったと思われる「事件」報道から、産経ニュースを二つ採り上げ、切り口としたい。

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http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110904/trl11090407010000-n1.htm


孝行息子が92歳母親を殺した訳は…秋田老老介護殺人

2011.9.4 07:00 (1/5ページ)

 平成22年12月、秋田市新屋の県営住宅で、寝たきりだった柳田いさたさん(92)が昨年12月、長男の健哉被告(66)に鼻や口をふさがれて殺害された。法廷で健哉被告は動機を「病院で管をつながれ、延命措置をされるのは、母親にとって酷で悲しい。楽にさせてやりたいと思った」と述べた。30年近くにわたり父親を、父親が亡くなった後は認知症の母親の介護を約10年していた孝行息子は、なぜ母親の最期を自らの手で下してしまったのだろうか。(原圭介)

・・・(以下省略)



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http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110813/crm11081312420008-n1.htm

頭にポリ袋…83歳女性死亡 同居の長男、無理心中図る? 広島・尾道

2011.8.13 12:41

   13日午前8時25分ごろ、広島県尾道市尾崎本町の無職、井上タマヱさん(83)方で、井上さんが頭にポリ袋をかぶった状態で死亡しているのを、介護ヘルパーの女性が発見、110番通報した。

 尾道署員が駆けつけると、井上さんが1階寝室のベッドの上で死亡しており、自宅の別の場所で同居の長男(53)もポリ袋をかぶったまま倒れているのが見つかった。長男は病院に搬送されたが、意識不明の状態という。
・・・(以下省略)

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 老人医療をこのままほうっておいたら、こういう事件がこれから二十年の間に激増するだろう。他人事ではないのである。あなた自身やあなたの家族、友人の誰かも将来同じ問題を抱えることになる。悲惨な事態を回避するためにどうすれば良いのか、一緒に考えよう。
 事件の経緯・背景が取材されて載っているので、URLをクリックして全文をお読みいただきたい。


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通行人

職場は療養型60床、介護型60床の病院です。地域には中央病院に若干の療養病床が有りますが、実際には開店休業状態との事。それで町内は勿論の事、北は羅臼、南は根室・釧路からも患者さんが集まります。それも結構な順番待ち。そうなるともう「本来はこの患者さんはこのタイプの病院や施設が適当」などと言ってられません。先日も「地元で死にたい」と言う患者さんの希望を盾に釧路の某病院から癌の末期の方が入って来ました。当院の性格には合わない患者さんですが、地元の中央病院に断られて(当然ですが)院長に泣き付きました。「良きサマリア人」を絵に書いたような当院の院長ですから、「分かりました。お受けしましょう」。その患者さん、残念ながら翌々日に息を引き取りました。
小生の受け持ちは療養型の60人ですが、様々な患者さんが居ます。最年長は99歳、最若年は40歳代。平均は80歳前半くらいですね。性別は圧倒的に女性が多く男性は2割弱程度。病気の多くは脳梗塞後遺症、アルツハイマー型痴呆症、認知症、脳出血後遺症、廃用症候群、腰痛症、嚥下障害、食欲不振etc。
他院から送られてくる以前に気管切開された方が数名、PEG(胃瘻)増設が10名弱。食事は胃管による経管栄養が10数名。それ以外の患者さんは食事形態は一応経口摂取に成りますが、完全に食事が自立している方はあまり多くなく、看護師や介護士、助手さんたちが付き添って食べさせる患者さんが多く、食事だけにもかなりの手間が掛かります。食事の際にもっとも多いリスクは誤嚥です。ちょっとしたはずみに食物が気管に入り咽せ、時に呼吸困難に陥ります。直ぐに気管にテューブを入れ吸引を掛けますが、しばしば肺炎の原因に成ります。誤嚥性肺炎は老人病院で一番起きるトラブルです。これは胃瘻や胃管からの栄養注入の際にも起きる事が有ります。注入速度が速いと胃内の圧が上り内容物が口腔内まで上昇して経口摂取と同様の状態に成ります。その結果やはり誤嚥が起きてしまう事も有ります。
当院にはリハビリ部門に多くのスタッフが居ります。理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、 言語聴覚士(ST)。その中でSTは患者さんの口腔内ケア、発語、経口摂取補助などが仕事で、患者さんに付きっ切りで食事を食べさせています。PTは患者さんの関節や筋肉の状態をチェックして筋拘縮を改善。OTは患者さんに合った様々な作業を指導。当院でも歩行が自立した患者さんは少なく、寝たきり以外の患者さんの多くは車椅子で移動します。この車椅子がまた結構リスクが高く、椅子から立ち上がる際に転倒するケースが有ります。ただでさえ骨粗鬆症などで骨折と隣り合わせの患者さんの集団ですので、転倒すれば簡単に骨折します。また頭を打てば脳出血の可能性も有りますので車椅子だからと言って気を緩められません。
夜は夜で、かなりの方が不眠症や夜間譫妄で看護ステーションの少ない看護師(2~3人程度)を煩わせます。勿論色々な病室からのナースコールは引っ切り無し。
定期的に身体の清拭(可能な患者さんは浴室で洗う)や褥瘡の処置も有ります。一度現場をご覧に成ればお分かりに成ると思いますが、兎に角忍耐と根気が要る職場です。そして常に誤嚥や骨折などの重大なトラブルと紙一重の毎日・・・。患者さん個人に対してだけでも大変なのに、急性期の病院とは入院させる家族の事情(都合)が異なります。定期的に患者さんの状態を話し合うカンファランスを行っていますが、その席でのソーシャルワーカーのコメントは殆ど常に「長期入院希望です」(つまり、ずっと入院させて欲しい)。確かに病院で行っている介護や治療は慣れた専門のスタッフだからこそ簡単に見えますが、あれを技術を持たない家族が環境の整わない自宅でやろうとしても相当に困難だと思います。しかし本当は、可能ならば家族が引き取って自宅で介護しながら残りの人生を共に過ごすのが患者さんの本当の幸せではないでしょうか。
急性期の病院に居ると、如何にして現在の病気を治せるかと言う患者さんにとって医療側は瞬間的な接触ですが、今の病院では何時も、人間の生きてきた、そしてこれから生きて行く意味を考えさせられます。そして嫌でも患者さんの向こうに家族の姿が重なって見えて来ます。そしてこの国の貧しい医療行政も・・・。
by 通行人 (2011-09-07 01:07)


by 通行人 (2011-09-07 08:46) 

ebisu

通行人様へ

>しかし本当は、可能ならば家族が引き取って自宅で介護しながら残りの人生を共に過ごすのが患者さんの本当の幸せではないでしょうか。

オヤジは平成5年に亡くなりました。大腸癌の手術を受けて2年後に執刀外科医の予告どおりに再発しました。
釧路の病院で手術を受けましたが、ターミナルケアは根室を希望しました。
地元の根室で皆に看取られて死にたかったのです。市立病院は受け入れをOKしてくれました。2ヶ月ほど入院し親戚知人たちに別れを告げ、最後はモルヒネで苦しまずに静かに逝きました。

入院しているときに自宅へ戻りたいと何度か言いました。
チューブを外すと死ぬと分かっていても戻りたかったのだろうと思います。
私にはチューブを外してもらって連れ帰る勇気がありませんでした。
勝手なことですが、自分が平成18年に癌となったときに最後は自宅でのんびりと死を迎えたいものだと思いました。

連れて帰るべきでした。
息子のわたしに覚悟と勇気がなかった。
思い出すといまでも痛い。

いろいろ配慮しなければならないことがあり書き方が難しいのですが、ターミナルケアに係わる地域医療の問題をしばらくの間書き綴りたいと思います。
医療の側からの具体的なコメントに感謝申し上げます。
by ebisu (2011-09-07 10:40) 

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