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#1410 「もはや狂った日本の裁判」(m3.comより) Mar. 9, 2011 [40. 医療四方山話]

  医療裁判に関する具体的な事例研究シリーズを呈してきたような・・・50年前ならこういう日本人は稀だっただろうな。日本人全体のあまりの変質に驚く。弁護士の数が数倍になりつつあるのと機を一にして欧米のような訴訟社会になりつつあるのはなぜだろう?倫理水準が低下し、かくも小ずるい人間が増えたのはなぜか?弱い者いじめをして卑怯を恥とも思わない人間が増えたのはなぜか?
 いくつも具体的事例をコメント欄で紹介してくれる親切なドクターに感謝。
 さあ、お読みください。

「もはや狂った日本の裁判」(m3.comより)
自動ドア事故で認知症進行 コープ側に賠償命令
11/02/04 記事:共同通信社 提供:共同通信社
 東京都小平市で2006年、日常生活に支障のない認知症の80代女性=09年に死亡=がスーパーの自動ドアに接触して転倒し、症状が進んだとして、遺族が「生活協同組合コ ープとうきょう」に3300万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は3日、1175万円の支払いを命じた。
 湯川克彦(ゆかわ・かつひこ)裁判官は、現場の自動ドアについて「高齢者らが利用することを前提とした安全性を備えていたとはいえない」と指摘。その上で「女性の筋力低下 や認知症の進行には、事故による骨折が影響している」として因果関係を認めた。
 判決によると、女性は06年8月28日午後3時すぎ、前方の客に続いて店に入ろうとした際、閉まりかけた自動ドアに接触して転倒、右大腿(だいたい)骨を骨折した。その後 、歩けなくなり、認知症の症状も進んだ。女性は09年4月、急性心不全で死亡した。
 コープとうきょうは「判決をよく検討しておらず、現段階ではコメントは差し控える」としている。

もう日本の裁判には愛想が尽きているので何も論評致しません。これをご覧になられた皆さんがご自身でお考えください。
ただ一言申し上げておきます。もしこの判決が妥当だとお考えに成るのであれば、貴方のお宅に知り合いの老人が遊びに来て玄関先のタイルで滑って転倒骨折→入院→認知症が進行。「お宅が玄関のタイルを磨いていたから、うちの親が滑って骨折した。来客には老人もいるだろう。何故滑りやすく磨いたのだ。慰謝料を出せ!」とヤクザ紛いの滅茶苦茶な脅しを掛けられても文句は言えませんよ。

このケースはたまたまスーパーで起こりました。しかし病院や老人施設の医療機関では頻繁に起きています。そしてその中の一部は医療施設側の管理の手落ちとして裁判沙汰に成っています。そして判決は押しなべて医療機関の負けで、老人には不相応な逸失利益が計算され賠償金となります。そしてその事がマスコミにより広く世間に周知され、乗り遅れまいと我も我も戸と押し寄せます。残念ながら今の日本人にはもう公徳心が無い(自分さえ良ければ良い)ようです。

かってこんな事件がありました。札幌の元町にある西友で、肉売り場で産地を偽った表示が問題化し、店の方針で領収書無しに返金(申し出額をそのまま!)し始めたところ、携帯など口コミであっと言う間に広がり店の前に多くの人間(特に若者)が集結。最初は言うがままに返金に応じていた店側も途中で返還予定額を超えてしまったために返金作業を中止。すると集まった群衆は口々に「俺にも金返せ!」の怒号。勿論各マスコミも現場に居ながらどの社もきちんと取材しません。あの時札幌の西友で問題に成ったのは、確か皆があまり食べないレバーの類だったと記憶しています。ですから元々そんなに売れていた筈は無いと思います。しかし最初に駆け付けた者の中には10数万も貰ったと言う話に涎を垂らして集まった連中は収まりません。あの時ずっとcameraに写っていたメタボ体型の若者が「俺見ての通りだから肉食うし・・・」と取材に非常に歯切れ悪く答えていたのが印象に残っています。マスコミもマスコミで、一言「どちらの肉売り場で何の肉をどれ位買われたんですか」とでも聞けば、殆どの人間が噂を聞いて金欲しさに集まった事が分かった筈です。あの事件は、その晩そのメタボな若者とその横に居た柄の悪い若い女性の絵とともに日本中を駆け巡りました。そして大方の人が西友の店長を馬鹿呼ばわりして嘲笑いました。しかしあれには西友の事情が有ったようです。
実は小生は当時札幌の手稲に住んでおりました。手稲駅前にも大きな西友があり、そこの広大な駐車場には一応検問所が有ったのですが、当時検問所のゲートは空きっ放しでした。ですから西友に用事が無い人間にとっては正に「ラッキー!」です。自宅から手稲駅までやって来て車を西友の駐車場に置いて手稲駅からJRに乗って職場へ。何せ手稲駅と西友の駐車場は歩いて1~2分なのですから。勿論西友の駐車場は無関係な車で一日中満車状態。本当に西友に買い物に来たお客が留めるスペースが有りません。しかし最初からきちんと管理していたのならばともかく、やはり途中から厳しくするのは難しいのでしょうね。中々西友側が駐車場のゲートを閉めません。そんな時に本町店でのあの事件が起きた訳です。では何故西友はそんな経営方針だったのか。
実はアメリカなどでは、お客を信じて領収書無しに言い値を返金する考えがあり、西友もそれを社是にしていたんですね。「お客様を信じる」。それで手稲店では駐車場を開け放し、元町店では領収書無しに返金を行ったわけです。しかしその結果、西友側のみならず日本中の人間が「如何に日本人は公徳心が無い情け無い国民性か」を目の当たりにすることに成りました。
もっとも宗教心に裏打ちされ公徳心に篤いとされているアメリカでも、「あまりに美味いから食べ過ぎて太ってしまったのは、お宅のせいだ!」とジャンクフード会社を訴えて高額の賠償金をせしめるメタボ男が居るくらいですから(もっともこれは絶妙な弁護士の作戦のような気がします)。

随分長い一言に成ってしまいました(笑)。お許しを!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%8F%8B%E5%81%BD%E8%A3%85%E8%82%89%E8%BF%94%E9%87%91%E4%BA%8B%E4%BB%B6
by 医療四方山裏話 番外編 (2011-03-08

【ebisuのコメント】
 冒頭に書いた疑問を私なりに考えてみたい。
 日本人は本を読まなくなった。小・中・高の生徒たちを見ていると猛烈日本を読んでいるのは1学年に数人、ゲームだインターネットだメールだと固い本をまったく読まない者たちが増えている。
 アムンゼンは南極へ行くのに冬に窓を開け放って寝たという彼の伝記を読んで、冬に真似をしたことがあった。小学校高学年はさまざまな伝記を読む時期だったような気がする。それと先生に薦められて『リア王』など少しレベルの高い物を読んだ。
 中学生はミステリーやSFを片っ端から読み漁った。『海底2万里』や『白鯨』など光洋中学校にあったSF小説を片っ端から読んだ。高校生になると自然に哲学書や経済学書へ興味が移っていった。マルクスの著作数冊とヘーゲルやニーチェ、ハイデッカーなどずいぶん背伸びした読書をした。並行して公認会計士二次試験参考書を読んでいたことも読解力を伸ばしたのだろうと思う。このころ『車輪の下』や『大地』なども読んだ。毎日家業を2時間ほどは手伝い、生徒会活動もし、珠算塾も頼まれて1年ほど生徒をみた。時間というのは案外つくれるものだ。
 夏目漱石は『ぼっちゃん』を読んだら、源氏鶏太『三等重役』になにやら匂いが似ていて、嫌だった。漱石と源氏鶏太が同じに見えたのだから、言うのも恥ずかしいぐらい目がなかったのだ。背伸びはしていても、そんな程度だった。中学・高校と漫画の本もずいぶん読んだ。高校の時には週刊誌3冊を読んでいた。少年マガジン、少年サンデー、少年キングだ。50半ばまでいろいろな漫画の本を読んだ。最後はヤングジャンプだった。4年半前に入院したときには読んでいたが、退院してから読みたくなくなり、漫画週刊誌から足を洗った。若い原作者たちと感覚が合わなくなったのだろう。それにしても漫画はずいぶん読んだものだ。同級生のTがとても漫画を描くのが上手だった。プロの劇画家の神田猛も同級生だが、彼をTら数人の同級生が手伝っていたときなかなかいい絵に仕上がっていたものだ。Tはプロにはならなかった。プロになっていたら石の森章太郎風の漫画家になっていただろう。うらやましいぐらい絵の才能に恵まれた奴だった。
 大学時代は週刊誌や月刊誌もよく読んだ。『エコノミスト』『朝日ジャーナル』『思想』『現代思想』『情況』などを定期購読していたら、堅い単行本を読むヒマが足りなくなり、時間の節約のためにざっと目を通すような読み方が身についた。大学院ではあまり読めなかった。研究テーマに属するもの以外は授業で読むテキストが多かった。余裕がなかったのだろう。授業で使ったテキストの中で、増田四郎先生の授業で使ったリストの『国民経済学体系』は読み応えがあった。たった3人で先生の授業を受けたが、きつかった。木原先生の授業はリカード『経済学及び課税の原理』だった。この授業のお陰で、国際経済論に関する論文が一つ書けた。
 卒業してからは、これまた業種を変えて会社を移るたびに仕事が違うので仕事に関連する本を片っ端から読んだ。紳士服の製造卸の小企業で仕事したときにはドイツのファッション雑誌、軍事用・産業用エレクトロニクスの輸入商社時代はコンピュータシステム開発技術に関する本や経営や管理会計会計、原価計算に関する本が多かった。エレクトロニクス関係の本も読んだ。その後はやはり仕事で医学関係の国際専門雑誌(Science、Nature、Oncology等々 )や暇を見つけて言語学の専門書、とくにチョムスキー関係を原書で何冊か読んだ。人工知能にすこし興味があったからかもしれない。この時代はシステム開発関係の仕事で身につけた専門スキルが他の分野の仕事に応用が利いてずいぶんスムーズに仕事ができた。
 30代から東洋思想に関するものを読むようになっていた。西洋思想にどこかで違和感や行き詰まりを感じるようになっていたからだろう。初期仏教経典『阿含経』全6巻や初期仏教関係の本を好んで読んだ。呼吸法についても。日本の古典を読むようになったのは30歳をすぎてからだった。道元の『正法眼蔵』だけは読んでもほとんどわからなかった。いまだに『正法眼蔵』を読むのは辛い、ひどく難解な書物だ。
 『徒然草』は人生訓であると同時に哲学書だ。高校生相手にはおもしろいけど解説しにくい本もある。和泉式部は大人になってから読むとよくわかるだろう。

 団塊世代よりも一世代上の世代は読むものが違っている。明治の文豪は漢詩の素養があるが、昭和になるとそれがなくなる。世代を経るごとに読む本の精神的なレベルが低下しているのではないかという気がする。そういう假説をベースにすると、日本人の倫理観の劣化もむべなるかなという気がする。極端な話、小学1・2年生は算数と論語の素読だけでいいのではないだろうか。
 絶対的な宗教をもたない日本人は精神的なレベルの高い本を幼いころから読むことによって自己の精神性を高めていたのだろう。食べ物と同じで、何を読むかで人間の精神がある程度つくられるものなのだろう。
 小中高生に言いたい、良書を読めと。濫読の果てに目を肥やし精神性の高い本へと行き着け。書棚にみるべき本がないのは恥ずかしいことだと心得よ。

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