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#969 日本人の矜持(2):経済学への示唆  Mar.23, 2010  [A4. 経済学ノート]

  数学者とはすごいものだ。慧眼の数学者は岡潔だけではなかった。一つの学問分野を深く掘り抜けば、他の分野へも通底するものがある。
 藤原正彦はA.スミスの経済学へ次のような根本的な疑問を投げかけている。わたしは経済学にこのような根本的な疑問を投げかけた経済学者を寡聞にして知らない。

 (アダム・スミスの)予定調和でこの社会が巧く回っていく、と。しかし、そこにあるのは結局は経済の論理だけなんです。人間の幸福ということはどこにもない。市場経済もまったく同じです。いま、何をするにも「消費者のため」と言いますよね。消費者がよいものを安く買えることがもっとも大切だ。たとえばお米を安くするためには自由貿易を推進してお米をどんどん輸入するのがよい。そうすると日本から百姓はいなくなって、美しい田園が全部なくなってしまいますが、そうなっても仕方がない。消費者が半分の値段でお米を買えればいいじゃないかと、そういう論理です。
 はっきり言ってしまうと、経済学の前提自体が根本的に間違っている。人間の幸福ということは全く考慮にない。人間の金銭欲のみに注目し、個人や国家の富をいかにして最大にするしか考えていない。ものすごい天才が出てきて、経済学を根本的に書きかえてもらわないと、地球はもたないと思います。
 産業革命以来、西欧は論理、合理を追求しすぎて、「人間の幸福」ということを全部忘れてしまった。(106ページ)

 
 この箇所を読んだとき、日本の経済学者は誰一人このことに気づいていないのに、なぜ数学者である藤原正彦氏が気づいたのか、その目の確かさに驚いた。
 ユークリッド原論は数学者の常識に属するから、経済学の出発点の誤りが体系全体へ及んでいるというのは学問体系の相似性から言いうることで、むしろ当たり前のことだったが、経済に関心をもつすぐれた数学者がいなかった。
 その一方で次のような疑問がわく。経済学者、とりわけ日本の経済学者たちはなぜこのことに気づかなかったのだろう?
 簡単に言えば自分の頭で考えていないからだろう。ある種の能力がないとも言い切ってよいかもしれない。スミスやリカードやマルクスやケインズの目でしか経済現象を見ていない、誰一人自分の目で見ていないのである。どこか学問をやる根本的な視点がずれている。経済学に限らずそういう「学者」が多いのは事実だろう。話はそれるが林望『知性の磨き方』(PHP新書)を読んだときにも、学問への姿勢に違和感を感じた。

 わたしがこのことに気づいたのは学部の3年生のときである。会計学科にいながら哲学の教授のゼミでマルクスの『資本論』や『経済学批判要綱』を読み、その労働観に違和感を感じていたが、その淵源については考えが及ばなかった。
 もともとは高校2年のときに『資本論』を読んだことがきっかけだ。100ページほど読み進んだが仕組みがわからなかった。早熟な高校生だった。ちょうど出版され始めた中央経済社の『公認会計士2次試験講座』をとって公認会計士の勉強を始めた頃のことだが、簿記論と会計学と原価計算論はもう二次試験レベルの参考書が十分理解できるだけの専門知識があった。監査論はつまらなかったが、たぶん会計学の力が弱かったせいだろう。やり始めた経済学は近代経済学だったが、興味が広がり『資本論第1巻第1分冊』を読んでみたが、さっぱり理解できない、体系がまるで見えてこなかったのである。大きな森に迷い込んだような感覚があった。公認会計士二次試験講座の近代経済学はテクニカルな解説書だから、簿記論や原価計算論に近いものがあったので読んでわからないということはなかった。その延長線上で『資本論』も何とかなると思って読み始めたが、山の高さを感じただけで登る力はないことが次第にわかった。いつの日かリベンジして丸ごと理解してやると心に決めた。学の体系へ興味はそのときに芽生えた問題意識が本である。
 それ以来ヘーゲルの著作を読んだり、体系構成の方法に興味が向かい、高校生としてはかなり背伸びした読書をした。大学(会計学科)へ入学してから興味の向くまま方向転換、哲学の教授のゼミで勉強し、次第に問題が鮮明になった。必要なときには必要な先生とめぐり合うようにできているものだ。人生とは不思議だ、師との出会いは偶然のようでもあり、必然のようでもある。
 大学院でようやく研究に目処がついたが、これ以上『資本論』の体系構成について明らかにしても、学問的な意味が大きいとは思えなかった。どの学者とも、どの学説ともまったく異なる理解をしていたので、どのように説明したらいいのか行き詰まりを感じていたことも事実だ。
 わかったことは『資本論』は『ユークリッド原論』と同じ公理的構成になっているということである。根本概念は「抽象的人間労働」である。そこからさまざまなフィールド(場)が導入され順次諸概念が展開され具体性をまし、概念が現実性へ近づいていく。プルードンの「系列の弁証法」からもマルクスは方法をいただいていたし、デカルトの「科学の方法の4つの規則」も参考にしただろう。しかしそれだけのことだ。問題意識を抱えたまま、民間企業へ就職した。もともと企業経営に興味が強かったからだ。のめりこむように仕事した、あっというまの25年だった。

 当時はマルクスの「抽象的人間労働」に根本的な瑕があることを見抜けなかった。西欧の学問にのめりこみすぎていて客観視できなかったのだろう、いまになってわかる。30代になり自分の内部では東洋回帰が始まった。西欧経済学への行き詰まり感がそうさせたのかもしれない。原始仏教経典『阿含経』『スッタニパータ』などを読み始めたのがきっかけだった。日本古代史にも関心が向かった。運よく『ほつまのつたえ』原典が出版され、購入できた。話しがそれるので東洋回帰はまた別の機会に書こう。

 気がつくと、マルクスの『資本論』や『経済学批判要綱』は理解する対象から、乗り越えるべき対象へと変わっていた。とにかく私は全く別の経済学を創りたかった。学の出発点を変えることで別の体系ができることは承知していたが、対置すべき根本概念が見つからなかった。何を学の出発点に措定すべきかが見えてこなかった。まだ、時期が早い、漠然とそう感じていた。当時は明らかに力不足で自分の手に余るテーマだった。
 ようやくこの数年、日本人の労働観がヨーロッパのそれとは違うことに気づいた。25年民間企業で働き、自らの体験を通して、現実の労働に「労働疎外」という感覚のまったくなかったことを理解した。気がつくのが遅すぎるが、それだけA.スミスやリカードの影響が強かったのだろう。そういう古典派の学説を頭の中から払拭し、自分の目で経済現象を眺めるためには20年という「発酵」(冷却?)期間が必要だった。
 もちろんマルクスは日本人の労働観を知らない。彼と私では労働に対する概念がまるで違っている。根室で生まれ育った私がイメ-ジする「森林」はミズナラや白樺や松を想像するのに東京人がイメージする「森林」は杉をイメージするぐらい、同じ「労働」という概念について、マルクスと私では違っている。
 複数の業種での仕事を通じて、自己実現、雑念や私欲を削ることがいい仕事につながることがわかった。人間疎外とは正反対の自己実現の労働の世界が、そして私的利益の拡大を至上命題とする経済活動とは異なる価値観が日本にはある。
 近江商人の商道徳、「売り手よし、買い手よし、世間よし」や住友家の「浮利を追わず」などにみられる西欧との商道徳の違いが経済学体系に及ぼす重要性がわかり始めてきた。江戸期の米相場で生まれた先物取引に関する考えも、200年以上遅れてできた欧米の先物取引市場とは正反対である。米相場における先物市場は儲けの手段ではなく、リスク回避の手段だったし、江戸期はそのように運用されていた。「売り手よし、買い手よし、世間よし」の世界である。売り手がよければ他は全滅してもかまわないというヘッジファンドとの違いが際立つ。

 日本から異質な労働観に基づく経済学が始まる、そのことはたしかなことに思える。


*#967『日本人の矜持(1):和算 江戸期の数学 関孝和と行列式 経済学』
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-03-21-1


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