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英語教育論:数学者藤原正彦『国家の品格より抜粋 #753 Oct. 8, 2009 [57. 塾長の教育論]


 過去ブログ#569の再アップである。小平邦彦の教育論を数回前のブログに再アップしたので、バランスを考えて藤原正彦の教育論も載せておく。

英語教育論:数学者藤原正彦『国家の品格』より抜粋

 「美しい情緒が重要な三番目の理由は、情緒が真の国際人を育てるということです。「国際人」と言うと、すぐに、「英語」となるのですが、英語と国際人に直接の関係はない。ここで言う国際人とは、世界に出て、人間として敬意を表されるような人のことです。…アメリカやイギリスで、国際人といえる人がどのくらいいるかと言えば、1割に満たない。せいぜい数%です。英語がいくらできても、国際人どころか、お話にならないような連中が半分くらいです。小学校でどれだけ英語を教えたところで国際人になれるわけではないということです。」 『国家の品格』143頁、新潮新書、2005年11月

 「日本人の英語下手の理由
 そもそも小学校で英語を2,3時間勉強しても、何の足しにもなりませんきちんとした教師の下、週に十時間も勉強すれば少しは上達しますが、そんなことをしたら英語より遙に重要な国語や算数がおろそかになります。そのような教育を中高でも続ければ英語の実力がアメリカ人の5割、日本語の実力が日本人の5割という人間になります。このような人間は、アメリカでも日本でも使い物になりません
 少なくとも一つの言語で十割の力がないと、人間としてまともな思考ができません。言語と思考はほとんど同じものだからです。日本の公立小学校は一人前の日本人を作る教育機関ですから、英語はダメなのです。
 日本人が英語下手なのは、小学校から教えないからでも、中高の英語教師のせいでもありません。主な理由は二つあり、一つは英語と日本語があまりに異なることです。アメリカ人にとって、日本語とアラビア語は最も難しい外国語とされています。日本人にとって英語が難しいわけです。もう一つは、日本に住む日本人は、日常生活で英語をなんら必要としないからです。母国語だけですむというのは植民地にならなかったことの証で、むしろ名誉なことです。TOEFLのテストで日本がアジアでビリ、というのは先人の努力に感謝すべき、誇るべきことなのです。」 同書144、145頁

 「外国語は関係ない
 真の国際人には外国語は関係ない。たとえば明治初年の頃、多くの日本人が海外に留学しました。彼らのほとんどが下級武士の息子でした。福沢諭吉、新渡戸稲造、内村鑑三、岡倉天心と、皆下級武士の息子です。
 彼らの多くは欧米に出向いていって、賞賛を受けて帰ってくる。・・・多くは肝心の英語さえままならなかったはずです。だけど尊敬されて帰ってきた
 彼らの身につけていたものは何か。まず日本の古典をきちんと読んでいた。それから漢籍、すなわり漢文をよく読んでいた。そして武士道精神をしっかり身に付けていた。この三つで尊敬されて帰って来たのです。美しい情緒と形で武装していたわけです。
 いま海外に百万人近い日本人が住んでいますが、その中のどれぐらいの人が尊敬されているでしょうか。羨望はされていても尊敬されている人は非常に少ないのではないでしょうか。
 国際社会というのはオーケストラみたいなものです。…ヴァイオリンはヴァイオリンのようになって初めて価値がある。日本人は日本人のように思い、考え、行動して初めて国際社会での場で価値を持つ。ガーナ人はガーナ人のように思い、考え、行動して初めて価値があるということです。」 同書145~147頁

 「外国語よりも読書を
 私がことあるごとに「外国語にかまけるな」「若いときこそ名作を読め」と言っているのは、私自身の取り返しのつかない過去への悔恨もあるからです。小中学校では古典的名作をだいぶ読みましたが、大学、大学院、若手研究者の時代には数学に没頭していたからほとんど読めず、名作に戻ったのは三十代後半からです。無論、大量に読む時間的余裕はなかったし、若者特有の感性もかなり失っています。若いときに感動の涙と共に読むのがなんと言っても理想です情緒や形を育てる主力は読書なのです。
 社会に出てからは、すぐに読むべき本が多すぎて、名作にはなかなか手が伸びない。心理的余裕もない。名作は学生時代に読まないと一生読めないと考えたほうがよい。なのに渡しは、余暇を外国語などにうつつを抜かして、その機会を失ってしまったのです。
 英語ばかりでなく、中学、高校とドイツ語、ポルトガル語にまで手を出したのです。恥ずかしいことに、外国語オタクだったのです。高校時代に買った『チボー家の人々』全5巻、大学時代に買った『戦争と平和』、谷崎潤一郎訳の『源氏物語』全十巻は今も本棚を飾っており、目にするたびに「まだ読まないね」と私を見下します。
 もちろん語学だって出来ないよりは出来た方がはるかによい。しかし、読書によって培われる情緒や形や教養はそれとは比較にならぬほど大事なのです

 ④人間のスケールを大きくする
 情緒と形が大切な四番目の理由は、美しい情緒や形は「人間としてのスケールを大きくする」と言うことです。
 欧米人のように「論理的にきちんとしていればよい」「筋道が経っていればよい」と言う考えは、今まで述べて来た通り、誤りです。万人の認める公理から出発する数学とは違い、俗世に万人の認める公理はありませんから、論理を展開するためには自ら出発点を定めることが必要で、これを選ぶ能力はその人の情緒や形にかかっています。論理が非常に重要なのは言うまでもありませんが、それは世界中の人が声高に言っているから、私はわざわざ言いません。しかし、この出発点を選ぶ情緒や形の重要性については、世界中誰一人言っていないようなので、私が声高に言うのです。これは論理と同等、またはそれ以上に重要です。」 同書147~149頁 

 以上が数学者藤原正彦の英語教育論である。小学生に英語を教えている大人たちにこそぜひ読んでもらいたい本である。そうすれば教え方も自ずから変わるだろう。害を最小限にし、副作用を押さえる穏やかなやり方が見つかる。

 抜粋させてもらった『国家の品格』は中学2年生の日本語音読トレーニングに使っている。音読後、三色ボールペンで色分けしながら、重要箇所、そこをたどれば粗筋になる箇所、面白いと思った箇所に線を引いていく。なんてことはない斉藤孝方式である。いいものはどんどん取り入れる柔軟さが教育には必要だ。

 願わくば前のブログに抜粋して紹介したフィールズ賞受賞数学者である小平邦彦の英語教育論とあわせ読まれたい。
 数学研究における情緒の大切さを最初に言ったのは大数学者の岡潔である。かれは繰り返し数学研究における日本的情緒の大切さを『春宵十話』(光文社文庫)で語っている。ただ、それが「出発点」を選ぶ上で重要だとまでは言ってない。

 なお、論理の出発点を選ぶ「情緒や形の重要性」は経済学体系の出発点を選ぶときにたいへん重要である。
 体系の出発点の選択は経済学において決定的な重みをもつ。欧米の経済学(アダム・スミス、リカード、マルクス)は農奴の労働を基礎において工場労働者の労働を考察しているのだが、刀鍛冶や職人仕事を出発点におくとまったく別の経済学が展望できる。欧米経済学の伝統では労働は苦役である。だからマルクスは労働における人間疎外を問題にする。日本の伝統では刀鍛冶の仕事に見るように、苦役ではなく、神聖なものである。常に自己の技術を練磨し、最高の仕事をする。それは人間疎外とは対極的な自己実現の手段でもある。だから、日本人の労働者は仕事の手を抜かない者が多い。それぞれの分野の最高の技術をもつ職人は名人として尊敬される。商人も自分の仕事に正直で、何より信用を一番大事にする。そういう商人が尊敬を受け、200年を超える歴史をもつ会社として永続する。これらは世界中に例を見ない仕事倫理(職人道や商人道)・考え方である。
 こうした労働観・仕事観を出発点に選ぶ経済学は、21世紀資本主義の閉塞状況を打開するものとなるだろう。
 そうした経済学をようやく時代が要請している。新しい経済学を構築する意味が出てきた。数年かけてじっくりと新しい経済学体系を描いてみたいものだ。経済学をやる意味が出て来たように思える。 

*小平邦彦の英語教育論
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-10-04
 2009年5月3日 ebisu-blog#569

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