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中国・四川大地震(2) [A8. つれづれなるままに…]

  2,008年5月19日   ebisu-blog#188 
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 今日の最高気温は10度まで届かない。風のないひんやりした一日だった。散歩するのには好い日和である。

  さて、中国四川省大地震の続報である。
 300キロメートルにわたる断層が2度動いた。最初は7メートル、続いて反対側が4メートルだったという。ユーラシア大陸プレートとインド大陸プレートが衝突してヒマラヤ山脈を形成した。その辺縁部は5,000~6,000メートルの高原が崖のようになって数百キロメートル続き、標高500メートルの平原部へと落ち込んでいる。標高差が5,000メートルもある。その辺りに活断層帯が集中している。
 崖崩れ、山崩れが起き、川の水をせき止めて湖のようになっているところが13箇所ある。地震でできた湖もどきだから「地震湖」というらしい。それらに決壊の恐れがあるというので、徒歩で避難する人が細い山道を数珠繋ぎになっていた。
 6,800箇所のダムの内、亀裂の入っているものが約400ある。これから雨季をむかえ、水量が増えるにしたがい水圧が高まる。どのような補修がありうるのだろうか。水を抜いてやるしかなさそうなので、ダムに入った亀裂の補修は雨季を迎えた今、技術的に難しそうである。2,000名もの解放軍兵士が亀裂の入った大きなダムに展開しているが、彼らに補修工事が可能なのだろうか?放置すればダムの決壊は時間の問題だろうから、それに備えて谷間の住民を避難させるしかない。補修の方法はそれから考えるべきだろう。こういうときは対策の優先順位を間違えてはいけない。

  地震発生から7日目というのに、投入された人民解放軍の数はたったの13万人である。人民解放軍は240万人いる。わずかに5.4%を投入しているだけである。もちろん軍隊であってレスキュー部隊ではないから、建設用重機の操作や建物の解体、人の救出のプロではない。
 あまり役に立たないことは容易に推察できる。350万戸の倒壊家屋に対して13万人では、倒壊家屋27棟に1人の割合でしかない。被災者1,000万人に対しても13万人の救出部隊は少なすぎる。それなのに中国のテレビは人民解放軍が被災者を崩れた建物から救出している場面を繰り返し報道している。投入された人数からみるとほとんどの被災地に人民解放軍がいるはずがない。得意の人海戦術はどうしたのだろうか。被災地の住民は、今日の報道でも人民解放軍はどこにいると怒っていた。
 阪神淡路大震災では全壊家屋は10.5万戸で、(78%)約5,000人が瓦礫の下で圧死したと分析されている。350万戸の家屋全壊のあった被災地の推定死者が2~3万人の規模であろう筈がない。異常に長い2分間にわたる揺れで震源地付近では80%の家屋が倒壊したようだ。阪神淡路大震災の全壊家屋数とそれによる死者数をベースに比例計算すると家屋全壊による推定死者数は72,900人である
 数字を客観的に分析すると、7日もたってもほとんどの被災地に救助の手が差し伸べられていないのが実情であることが読み取れる。それにしても中国政府のプロパガンダはなんとあさましいことか。ホンの一部の事実を全体がそうであるかのように、連日瓦礫の下から被災者を救済する場面を放送している。ほとんどの被災地に人民解放軍の救済の手は差し伸べられず、瓦礫の下でうめいていた数万人の人びとが次々に息を引き取ったというのにである。
 「人民」の救済よりも自己正当化のプロパガンダのほうがよほど優先順位が上らしい。これでは人権問題に関して、政権の自己正当化のために批判勢力を容赦のない拷問や処刑で闇から闇へと葬っているというインターネットの情報が真実ではないだろうかと思わせる。

 避難先で水や食料が配られると奪い合いが起きていた。ちょっと極端な反応に見えた。日本ではあのような「あさましい」反応は起きない。困難な局面でも人としての節度がある程度守られる。そのあたりに倫理基準の低さを感じてしまうのは私のみだろうか。水や食料を奪いあう姿が映されると目を背けたくなる。分かち合うべきなのに「健康で元気のある人が何度も水や食料をもらい、そうでない私たちには救援物資が廻ってこない」と訴える人がいた。弱者へのいたわりや慈しみ哀れみの情を「惻隠の情」というがこれは日本独自の文化であるようだ。被災地の様子をニュースで見ていると、自分さえよければ他の人のことはどうでも好いという印象を受けてしまう。
 公共交通機関である地下鉄、バスなどの利用の仕方にも人としての節度のなさが現れている。中国は個人個人の倫理水準が低いばかりでなく、人間相互の信頼関係の薄い社会にみえる。なぜだろうか。国民性の違いで片付けられる問題でもないだろう。悪い意味での個人主義、エゴイズムが徹底した社会に見える。共産主義と関係があるのだろうか、それとももっと根が深く、儒教文化と関係があるのだろうか。

 倒壊した小中学校は6,898あるという。1,000人前後の死者がでたところが何箇所かあるようだから、小中学校だけでも5万人以上死んでいるのではないだろうか。単純計算で1箇所10人としても7万人の人が亡くなっている。だから総計10万人以上の死者になるのではないだろうか。1976年7月28日午前3時42分に起きた唐山大地震M7.8 では中国の公式発表で242,419人の死者がでた。一説にはその3倍以上の死者がでたと推定されている。日本への通知は21時間後である。被害情報は1年以上秘匿された。被害地域である唐山市への立ち入りも十年以上にわたって禁止された。徹底した情報管理がなされた。今回はインターネットへの書き込みが増えて、情報を隠しきれなかった。経済の自由化は情報インフラの整備を伴う。中国はますますネットへ情報の管理を強化するだろう。

 建築費の30%程度の賄賂が横行して建築の手抜きが行われた。中国では「おから工程」というようだ。
 数年前に道庁からの出向者と話しをしたことがあるが、市立病院の建築坪単価は道庁基準では130万円と言っていた。実際にはその半額で建築可能で、実際に民間ではそれくらいの建築単価で病院建て替えがなされている。
 ではなぜ倍も建築費がかかるのかといえば、国土交通省、道庁、地方自治体職員の建築業界への天下りのためである。中国では30%の賄賂だが日本では50%という見方もできる。つまり日本は中国を笑えない現実を抱えている。
 おりしも、北海道開発局の汚職事件が報道されている。官制談合事件である。開発局職員は代々仕事の一環として、官制談合を引き継いできた。受注企業全部に北海道開発局OBが天下っている。これでは現職が拒否できるわけがない。
 わたしも仕事で天下りの現実をいくつか見ている。輸入商社時代の防衛庁調達関係のことについてはそのうちこのブログで書くことがあるかもしれない。関係者のうちトップ2人は故人であるから書いてもいいだろう。防衛事務次官が関わった山田洋行事件は例外ではない。構造的なものである。防衛庁から天下りを受け入れている商社は例外なく類似の行為をしている。天下りをなくすことができれば、調達関係の防衛予算は2割カットが可能だろう。
 
 この国では天下りがいろいろなところで弊害を起こしているにもかかわらず、それを禁止するような法律ができない。法律を作るほうの与党議員が官僚の利益代表(族議員)になっているからだ。

 地方財政は疲弊している。小中学校のや病院の耐震改修や耐震補修は遅々として進まないだろう。このままでは中国四川省の現実がいつか日本のどこかの地方の現実となる日が来る。
 わが町根室も危うい。財政の健全化が鍵だ。大きな負担となっているところを具体的に洗い出し、一つ一つ具体策を立案して実行に移すべきだ。いままでのいくつも具体的なことをこのブログで採り上げたので、この点についてはここでは書かない。

 ひとつだけ繰り返しておこう。釧路市には地震計が複数あるようだ。震度が小さくでるから市内の他の地点でも震度を測るためだ。だいたい官公庁のあるところは地盤のしっかりしたところを選んでいる。そこで震度を測っても、意味がない。そのような強固な地盤は本の一部だからである。ご他聞に洩れず、根室の合同庁舎のあるところも地盤がしっかりしている。こんなところに設置された地震計で市内の震度が測れるわけがないだろう市民の家屋が震度7に見舞われても、合同庁舎は震度6弱しか揺れない。
 ここと同じ震度が出るのは市立根室病院の立っている岩盤地域や市役所、支庁の辺りのみに限定される。高台から下がった本町や梅ヶ枝町、緑町、弥生町などは数メートル掘れば帯水層に当る。松ヶ枝町や花咲町、鳴海町、汐見町なども同じだろう。表層に近い地層が粘土層と帯水層からできている。こういう場所に地震計を設置したら震度が大きく出る。被害の実態に近い震度が測れる。だから、地震計をこうした場所に増設すべきだ。そうすれば、釧路よりも震源地から近いにも関わらず、根室の方が震度が小さいために災害救助法の適用が受けられないというような、おかしな事態は避けられる。地震計の設置に莫大なお金がかかるわけではあるまい。必要なところへお金が廻るように、特別会計への繰出金を減らす努力をしたいものだ。


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